「ねー」
「なぁにー? 急にー」
「いや、このころの私って、物の見事に病院にしかいないなーって」
「あー。仕方ないわよ。あなた、体が弱くて小さかったし、入院もしょっちゅうだったからね」
「ふーん、まぁ、そうなんだけど────あ、
お兄ちゃん」
「……っ、……」
「……」
「ただいま」
「あ、お父さん。おかえりなさい」
「ただいま、チハナ。ん? どうしたんだー? 昔の動画なんか出して」
「あー、私がね、授業で使うの。何か自分史作る的な? まぁ、それで確認みたいな?」
「そうか、懐かしいな。なぁ、母さん」
「えっ? え、……ええ……」
「……。
チハナ、」
「んー?」
「お父さん、そろそろお腹空いたし、ご飯にしよう。丁度、今朝下拵えした肉も良い感じに下味が付いてるころだ。
なぁ、母さん。
ご飯にしようよ」
「えっ、……ええ。……。そうね」
「やったー! 今日はお父さんが夕食当番だー!」
「ああ。じゃあ片付けておいで」
「はーい!」
「……。
……」
「……母さん」
「……。
……。
……っ」
「……。母さん……」
「今日、チハナと観ていた動画に、チガヤが映ったの……。あの子、生きていたわ……あの子、まだ、生きてたのっ……。
あの映像が撮られていたころは、あの子はまだ生きていたのよ……っ」
「母さん。チガヤは、生きているよ……。今も、生きているんだ」
「うぅっ……」
「……」
「……チハナ」
「お兄ちゃん」
階段を上がった先に、兄のチガヤが待っていた。
何か言いたそうな笑みの兄に、私は一度、首を傾げて訊いた。
「ねぇ、……。
まだ、言っちゃ駄目?」
近寄り声を潜めて問う私へ、兄は苦笑いをして頭を振った。
「……駄目」
その面持ちは、笑っているのに悲しそうだった。
「チハナ」
「お父さん」
「もう、ご飯用意出来るぞ。どうしたんだ?
こんなところに、一人で」
「……」
私は兄を見た。
兄は、無言で首を振って、笑うだけだ。
「……」
「チハナ?」
「……。ううん、何でも無いっ!
片付けて来るね!」
私は手の中のSDカードを握り締め、三階に在る自室へ向かって、階段を駆け上がった。
兄の横を通り過ぎて。父は何も言わず、二階の部屋に着替えと荷物を置きに向かって行く。
階段を駆け上がる最中で、私の心臓が、どくん、と鳴った。
部屋に入ると、私は胸を押さえた。別に息切れはしていない。
現在、私の心臓は、たった一つ下の階から部屋まで駆けるのくらい何の負担にもならなかった。
「チハナ、大丈夫か?」
今度は表情豊かに心配していることを表す兄が、私を覗き込む。
「お兄ちゃん」
私は、胸を反らし仁王立ちになった。腰に手を宛てる。
「だーいじょーぶに決まってんでしょー?」
父や母に注意を払って、囁き声にしつつも、ふんっ、と胸へ手を置いて宣言した。
「元ジュニアサッカークラブでエース張ってたお兄ちゃんの心臓だよ?
こんな程度で音を上げたりなんか、しないよ!
体育だって、これでもかなり成績良いんだからね!」
未だに気を付けてはいるけどね!
私の心中の付け足しなんて、文字通りお見通しだろうけども、兄は笑った。
「そっか。
そうだな」
兄のチガヤは、運動神経抜群で、近所でも有名なサッカー少年だった。
だけれど。
兄は頭を強く打ち、しばらくの後に、『脳死』と診断された。
私が生まれる、直前の話。
私は生まれ付き、心臓が悪かった。
多分それが原因で、私はずっと入退院を繰り返していた。
走れない体、遊べない体、はしゃぐのも、ゆるされない体。
これが当たり前の私が五歳になるころ、主治医から言われる。
────このままでは、十歳になるのも危ういかもしれません。
父と母は、決断をした。
脳死と言われても、あきらめ切れずに起きないまま生きていた兄の心臓を、私に移植することを。
「……」
「どうした? チハナ」
あれから、兄は、ずっと私といる。
「チハナ?」
入退院や診察で病院へ行っては、兄の見舞いに病室へ訪れていても、話したことも無かったのに。
病室で眠る兄は、子供のまま成長を停めていたのに。
兄の心臓を移植してからは、兄は私と話して、兄も年齢を重ねている。
兄は、私以外に見えていない。
兄も私へ口止めしていた。
だから。
お父さんもお母さんも、お兄ちゃんに気が付いていない。
お父さんは、私に心臓移植したことで“お兄ちゃんは生きてる”って言ってるけどね。
だとしても、兄が見えている訳では無いのだ。
私は────
「何でも無いよっ」
私は、心臓移植から私と話して私といっしょに大人になって行く兄のことを、父にも母にも言えない。
母が、苦しんでいても。
父が、そんな母や私へ献身的に接していても。
ただ、私の体内で鼓動を鳴らす心臓を実感しながら。
私を気遣う兄に、
笑い掛けていた。
【 了 】
「なぁにー? 急にー」
「いや、このころの私って、物の見事に病院にしかいないなーって」
「あー。仕方ないわよ。あなた、体が弱くて小さかったし、入院もしょっちゅうだったからね」
「ふーん、まぁ、そうなんだけど────あ、
お兄ちゃん」
「……っ、……」
「……」
「ただいま」
「あ、お父さん。おかえりなさい」
「ただいま、チハナ。ん? どうしたんだー? 昔の動画なんか出して」
「あー、私がね、授業で使うの。何か自分史作る的な? まぁ、それで確認みたいな?」
「そうか、懐かしいな。なぁ、母さん」
「えっ? え、……ええ……」
「……。
チハナ、」
「んー?」
「お父さん、そろそろお腹空いたし、ご飯にしよう。丁度、今朝下拵えした肉も良い感じに下味が付いてるころだ。
なぁ、母さん。
ご飯にしようよ」
「えっ、……ええ。……。そうね」
「やったー! 今日はお父さんが夕食当番だー!」
「ああ。じゃあ片付けておいで」
「はーい!」
「……。
……」
「……母さん」
「……。
……。
……っ」
「……。母さん……」
「今日、チハナと観ていた動画に、チガヤが映ったの……。あの子、生きていたわ……あの子、まだ、生きてたのっ……。
あの映像が撮られていたころは、あの子はまだ生きていたのよ……っ」
「母さん。チガヤは、生きているよ……。今も、生きているんだ」
「うぅっ……」
「……」
「……チハナ」
「お兄ちゃん」
階段を上がった先に、兄のチガヤが待っていた。
何か言いたそうな笑みの兄に、私は一度、首を傾げて訊いた。
「ねぇ、……。
まだ、言っちゃ駄目?」
近寄り声を潜めて問う私へ、兄は苦笑いをして頭を振った。
「……駄目」
その面持ちは、笑っているのに悲しそうだった。
「チハナ」
「お父さん」
「もう、ご飯用意出来るぞ。どうしたんだ?
こんなところに、一人で」
「……」
私は兄を見た。
兄は、無言で首を振って、笑うだけだ。
「……」
「チハナ?」
「……。ううん、何でも無いっ!
片付けて来るね!」
私は手の中のSDカードを握り締め、三階に在る自室へ向かって、階段を駆け上がった。
兄の横を通り過ぎて。父は何も言わず、二階の部屋に着替えと荷物を置きに向かって行く。
階段を駆け上がる最中で、私の心臓が、どくん、と鳴った。
部屋に入ると、私は胸を押さえた。別に息切れはしていない。
現在、私の心臓は、たった一つ下の階から部屋まで駆けるのくらい何の負担にもならなかった。
「チハナ、大丈夫か?」
今度は表情豊かに心配していることを表す兄が、私を覗き込む。
「お兄ちゃん」
私は、胸を反らし仁王立ちになった。腰に手を宛てる。
「だーいじょーぶに決まってんでしょー?」
父や母に注意を払って、囁き声にしつつも、ふんっ、と胸へ手を置いて宣言した。
「元ジュニアサッカークラブでエース張ってたお兄ちゃんの心臓だよ?
こんな程度で音を上げたりなんか、しないよ!
体育だって、これでもかなり成績良いんだからね!」
未だに気を付けてはいるけどね!
私の心中の付け足しなんて、文字通りお見通しだろうけども、兄は笑った。
「そっか。
そうだな」
兄のチガヤは、運動神経抜群で、近所でも有名なサッカー少年だった。
だけれど。
兄は頭を強く打ち、しばらくの後に、『脳死』と診断された。
私が生まれる、直前の話。
私は生まれ付き、心臓が悪かった。
多分それが原因で、私はずっと入退院を繰り返していた。
走れない体、遊べない体、はしゃぐのも、ゆるされない体。
これが当たり前の私が五歳になるころ、主治医から言われる。
────このままでは、十歳になるのも危ういかもしれません。
父と母は、決断をした。
脳死と言われても、あきらめ切れずに起きないまま生きていた兄の心臓を、私に移植することを。
「……」
「どうした? チハナ」
あれから、兄は、ずっと私といる。
「チハナ?」
入退院や診察で病院へ行っては、兄の見舞いに病室へ訪れていても、話したことも無かったのに。
病室で眠る兄は、子供のまま成長を停めていたのに。
兄の心臓を移植してからは、兄は私と話して、兄も年齢を重ねている。
兄は、私以外に見えていない。
兄も私へ口止めしていた。
だから。
お父さんもお母さんも、お兄ちゃんに気が付いていない。
お父さんは、私に心臓移植したことで“お兄ちゃんは生きてる”って言ってるけどね。
だとしても、兄が見えている訳では無いのだ。
私は────
「何でも無いよっ」
私は、心臓移植から私と話して私といっしょに大人になって行く兄のことを、父にも母にも言えない。
母が、苦しんでいても。
父が、そんな母や私へ献身的に接していても。
ただ、私の体内で鼓動を鳴らす心臓を実感しながら。
私を気遣う兄に、
笑い掛けていた。
【 了 】