通りの桜がすっかりと葉桜に変わった日、突として、その時は来た。
「父は大量に血を吐き倒れ、呪詛のような言葉を残して、動かなくなりました」
彼女の周りをそよそよと漂っていた風がぴたりと止まる。
――自分では父の心を救うことはできなかった。父は憎しみにのまれて死んでいったのだ。
「何度父のことを呼んだでしょう。
最後は声も枯れ果てていました」
それでも音にならない音をひゅっひゅっと吐いていた。
「父の吐いた血が赤黒く固まって、私の涙も潰えた頃、
いつのまにか知らない男の人が、蹲る私と父の前に立っていました。
その人は父の首元や腕にいっとき手をあてた後、目をつむり首を横に振りました。
私はそれを一度見たことがありました」
—―母が亡くなった時、父が呼んだお医者様が同じ仕草をしていた。
――直後、父は泣いて自分を抱きしめた。
「父が死んだのだと、私はやっと理解しました」
女子は一筋の涙を流す。
「私は父の死を確認した男性、西野の養父に引き取られました。
養父は父の研究室に入り、父の残した資料を一通り確認すると、私に一対の絹手袋を渡しました。
そして、それを起きてから寝るまで必ず身につけるようにと言ったのです」
美しいと褒められた髪も染めるようにと言われ、名前も変えられた。
当初は理由も言われず、それらの行為を強要されることに戸惑いを覚えた。
しかし、養父の目があまりに強く真剣でそれに従った。
「手袋が外せるようになったのは私が初潮を迎えて一年後。
月のものが始まると、体中にあった斑点が消え、いつもあった気だるいような症状も無くなっていました。
それらを確認した養父は、そっと私の手に直に触れました。
父が亡くなってから初めて、誰かに素肌を触られました」
診察は三六五日毎日続いた。
手に触れたり、粘膜を採取されたり、養父は慎重に何かを確認しているようだった。
「一年後、養父から手袋を外していいと言われました。
私は養父に自分は何かの病気だったのかと尋ねました。
すると養父は幼少期に感染しやすい伝染病をこじらせていたのだと言いました。
私が、父から言われていた桜病だったのではないかと問うと、養父は怖い顔をしてそれを否定しました。
あれは大人がなる病気だからと」
女子は苦しそうに顔を歪める。
「養父から桜病のことを否定されても、私はのどに小骨がつかえたような引っ掛かりを心にずっと抱えていました」
それは小骨のようにすぐに取れ、傷が癒えて無くなるでもなく、時を経るにつれ、どんどんと痛みを増してきた。
「私は真実を知りたくなり、養父の書斎に入る機会を伺うようになりました。
亡くなった父の研究資料が、そこに移されていたことを知っていたからです」
資料を見れば、自身の病や桜病について何か分かるのではないかと思ったのだ。
「しかし、養父は書斎の鍵を常に持ち歩いていて、鍵をかけ忘れるでもしないと中には入れませんでした」
虎視眈々とその時を待ち続けた。
「二年がたったある日、その日も私は養父が外出をしたのを見届けると、すぐに書斎のドアノブを回しに行きました。
すると、いつもは三分の一しか回らず、あと少しというところで止まるノブが、するりと三分の二回転して、怖いほどすんなりとドアが開いたのです。
キーッとどこか歪な音を立てて、すーっと開く扉に、そら恐ろしいものを感じながら部屋に入ると、私はそこでその比でないおぞましい事実を知ることになりました」
女子はそこでしばらく口をつぐんだあと、一つ呼吸を置いて話し出す。
言葉とともに風が起き、地面の桜びらが渦を巻き始める。
先刻までぴたりと止まっていた空気は一転して、髪を舞い上げるほどの荒ぶる風となる。
花嵐は攻めるように木の下に佇む女を襲う。
「小さいころわたしは桜の病にかかっていて、父はその血を使って多くの人を死にやる新しい病気を作った。
そして、父もわたしのかかっていた桜の病にうつり死んだ」
無機質な声と、どこか幼い文言。
普段の彼女とは違う喋り方。
先ほどまでの想いを吐露する話し方でもない。
ただ、起こった事実をそのままの発しただけの言葉。
もしかすると今の彼女は、真実を知った今より幼いあの頃に、心が戻っているのかも知れない。
虚空を見つめる瞳は黒く塗りつぶされている。
――女子はいっときして、瞬きをゆっくりすると、ひと息置いて話始める。
「成長し、様々な物事を知るにつれ、父の血を採るときの笑顔が時折、瞬間的に頭の中に現れるようになりました。
それはどこか歪んでいて、自分が何か得体のしれない恐ろしい存在ではないかと、問いかけてきているようで怖かった」
でも実際はそんな想像すら生やさしい、言語に絶する怪物だった。
――《《人を殺すための材料だった》》
「父は大量に血を吐き倒れ、呪詛のような言葉を残して、動かなくなりました」
彼女の周りをそよそよと漂っていた風がぴたりと止まる。
――自分では父の心を救うことはできなかった。父は憎しみにのまれて死んでいったのだ。
「何度父のことを呼んだでしょう。
最後は声も枯れ果てていました」
それでも音にならない音をひゅっひゅっと吐いていた。
「父の吐いた血が赤黒く固まって、私の涙も潰えた頃、
いつのまにか知らない男の人が、蹲る私と父の前に立っていました。
その人は父の首元や腕にいっとき手をあてた後、目をつむり首を横に振りました。
私はそれを一度見たことがありました」
—―母が亡くなった時、父が呼んだお医者様が同じ仕草をしていた。
――直後、父は泣いて自分を抱きしめた。
「父が死んだのだと、私はやっと理解しました」
女子は一筋の涙を流す。
「私は父の死を確認した男性、西野の養父に引き取られました。
養父は父の研究室に入り、父の残した資料を一通り確認すると、私に一対の絹手袋を渡しました。
そして、それを起きてから寝るまで必ず身につけるようにと言ったのです」
美しいと褒められた髪も染めるようにと言われ、名前も変えられた。
当初は理由も言われず、それらの行為を強要されることに戸惑いを覚えた。
しかし、養父の目があまりに強く真剣でそれに従った。
「手袋が外せるようになったのは私が初潮を迎えて一年後。
月のものが始まると、体中にあった斑点が消え、いつもあった気だるいような症状も無くなっていました。
それらを確認した養父は、そっと私の手に直に触れました。
父が亡くなってから初めて、誰かに素肌を触られました」
診察は三六五日毎日続いた。
手に触れたり、粘膜を採取されたり、養父は慎重に何かを確認しているようだった。
「一年後、養父から手袋を外していいと言われました。
私は養父に自分は何かの病気だったのかと尋ねました。
すると養父は幼少期に感染しやすい伝染病をこじらせていたのだと言いました。
私が、父から言われていた桜病だったのではないかと問うと、養父は怖い顔をしてそれを否定しました。
あれは大人がなる病気だからと」
女子は苦しそうに顔を歪める。
「養父から桜病のことを否定されても、私はのどに小骨がつかえたような引っ掛かりを心にずっと抱えていました」
それは小骨のようにすぐに取れ、傷が癒えて無くなるでもなく、時を経るにつれ、どんどんと痛みを増してきた。
「私は真実を知りたくなり、養父の書斎に入る機会を伺うようになりました。
亡くなった父の研究資料が、そこに移されていたことを知っていたからです」
資料を見れば、自身の病や桜病について何か分かるのではないかと思ったのだ。
「しかし、養父は書斎の鍵を常に持ち歩いていて、鍵をかけ忘れるでもしないと中には入れませんでした」
虎視眈々とその時を待ち続けた。
「二年がたったある日、その日も私は養父が外出をしたのを見届けると、すぐに書斎のドアノブを回しに行きました。
すると、いつもは三分の一しか回らず、あと少しというところで止まるノブが、するりと三分の二回転して、怖いほどすんなりとドアが開いたのです。
キーッとどこか歪な音を立てて、すーっと開く扉に、そら恐ろしいものを感じながら部屋に入ると、私はそこでその比でないおぞましい事実を知ることになりました」
女子はそこでしばらく口をつぐんだあと、一つ呼吸を置いて話し出す。
言葉とともに風が起き、地面の桜びらが渦を巻き始める。
先刻までぴたりと止まっていた空気は一転して、髪を舞い上げるほどの荒ぶる風となる。
花嵐は攻めるように木の下に佇む女を襲う。
「小さいころわたしは桜の病にかかっていて、父はその血を使って多くの人を死にやる新しい病気を作った。
そして、父もわたしのかかっていた桜の病にうつり死んだ」
無機質な声と、どこか幼い文言。
普段の彼女とは違う喋り方。
先ほどまでの想いを吐露する話し方でもない。
ただ、起こった事実をそのままの発しただけの言葉。
もしかすると今の彼女は、真実を知った今より幼いあの頃に、心が戻っているのかも知れない。
虚空を見つめる瞳は黒く塗りつぶされている。
――女子はいっときして、瞬きをゆっくりすると、ひと息置いて話始める。
「成長し、様々な物事を知るにつれ、父の血を採るときの笑顔が時折、瞬間的に頭の中に現れるようになりました。
それはどこか歪んでいて、自分が何か得体のしれない恐ろしい存在ではないかと、問いかけてきているようで怖かった」
でも実際はそんな想像すら生やさしい、言語に絶する怪物だった。
――《《人を殺すための材料だった》》