中路はその後もこまめに南山家を訪れ、熱心に桐秋の診療を行ってくれた。
桐秋の診療にあたって、中路は忙しい間をぬって桜病について、詳しく調べたらしい。
中路が医者になった時には、桜病は終息していて、桐秋に会うまでは、中路の自身、桜病と関わったことがなかったらしい。
上条からの丁寧な引き継ぎはもちろん、桐秋の父親である南山にも直接話を聞いていた。
夜、母屋に千鶴が寄った際、思いがけなく中路と出くわすと、桜病や桐秋について、多忙な南山から時間をとってもらい、話を聞いていたのだと教えてくれた。
南山は、桜病の第一人者であり、桐秋の父親だ。何かと聞くには適任だろう。
南山は医者として、父親として、桜病及び桐秋のことについて中路に真摯に丁寧に話してくれたという。
しかし、桜病については今は桐秋の方が知っているのではないかと話す。
現在、この国で桜病について、現在進行形で研究しているのは桐秋だけだといってもいい。
が、中路は桐秋に体調のことは尋ねても、桜病についての見解は求めない。
きっとそれは、桐秋の医者としての矜持を慮ってものだ。
研究者が研究対象の病気になる。それはあまりきもちの良いものではないだろう。
そして、その研究の最先端をいく、桐秋自身が治療法を解明できていない。
ならば中路は、桐秋に研究を続けてもらえるようにと現状を最善に保つ方法を考える。
それが、中路の桐秋の医師としての仕事。
彼はとことん、患者の気持ちを汲み取る天才なのだ。
そして、千鶴にも積極的に意見を求めてくれる。千鶴も看護婦として充足感を得る日々だった。
桐秋もどこか憮然とした表情をしているが、己のためと分かっているのだろう。
中路と千鶴の提案した治療法を受け入れてくれていた。
*
そうして幾週が過ぎた日の金曜日、千鶴と中路は桐秋の診療が終わると二人、洋間に入る。
毎週末、開かれる桐秋の治療に関する話し合いだ。
現状、桐秋は経過もよいため、引き続き今の治療を継続していくことが決まった。
そしていつも、その話し合いがひと段落すると、少しだけ私的なことを話す時間があった。
その日は、中路が何でもないことを言うようにつと言葉をもらした。
「実はもう少ししたら、東北の実家に帰ろうかと思っているんだ」
中路の言葉に千鶴は虚をつかれる。
「父から、経営を含めた病院の仕事を引き継ぎたいと申し出があってね。
だいぶ甘えて自由にさせてもらえたし、父も年だから、そろそろかなと思ったんだ」
そう言って、中路は出された紅茶を丁寧な所作で口に運んだ。
「・・・そうですか。・・・寂しくなりますね」
千鶴は驚きながらも、見知った顔に会えなくなることを思い、目を伏せる。
そんな千鶴の様子を見て、中路は一度、唇を内側に巻き込んだ後、はっきりとした口調で告げた。
「突然なのだけれど、千鶴ちゃん。
よかったら、僕と一緒に実家の病院に来てくれないか。
看護婦としてだけではなく、将来の配偶者として」
「―――」
そのような言葉をかけられるとは、予想だにしていなかった千鶴は目を見開き、顔を上げて中路の顔を見る。
彼の直とした相貌は千鶴をしかととらえていた。
「僕は、西野先生の診療所にお世話になっている頃から、君を好ましく想っていた。
看護婦を目指すため、周りの逆境にも負けず、努力するひた向きな姿。
診療所を訪れる患者さん一人一人に寄り添う優しい心。
最近の様子も上条先生から伺ったよ。
ご子息の体調を細かく観察して、よく管理していると。
ぼくもこの数週間、桐秋様の治療を共にする中で、肌で感じた。
立派な看護婦になったんだね。
君のような女性、君のような看護婦が、僕自身と、医療が未発達の僕の故郷には必要なんだ」
いつも穏やかなしゃべりをする中路の珍しく熱い口調に、千鶴は圧倒され、続く言葉が出ない。
それに中路は畳みかけるように話を続ける。
「何より一番は、なにものにも代えがたい君の、周りを照らす、明るい笑顔に惹かれているんだ」
中路は、両膝に乗せた拳を強く握り占める。
「今回あったのも何かの縁だと感じた。
そして、君が、また僕に微笑んでくれた時に、この機会を逃したくないと思ったんだ」
熱い想いを真正面から千鶴にぶつける。
「考えてくれないかな」
千鶴は中路の強い眼差しを逸らさず、受け止めながらも、予想外のことに戸惑い、何も言葉を紡ぐことができない。
――中路が自分のことをそう見ているなんて思いもしなかった。
中路のことは尊敬している。医者としても、人としても、しかし、
混乱したような千鶴の様子に中路は真剣な顔を崩し、苦笑する。
「いきなりすまない。答えがすぐにほしいわけじゃない。
まだしばらく、上条先生の代わりに南山家に来るから、考えておいてほしい」
そう言うと、中路は帽子を手に取り、部屋を出ようとする。
千鶴も見送ろうと席を立つが、手で制される。
最後に、中路はにこりと微笑むとさらりと帰っていった。
桐秋の診療にあたって、中路は忙しい間をぬって桜病について、詳しく調べたらしい。
中路が医者になった時には、桜病は終息していて、桐秋に会うまでは、中路の自身、桜病と関わったことがなかったらしい。
上条からの丁寧な引き継ぎはもちろん、桐秋の父親である南山にも直接話を聞いていた。
夜、母屋に千鶴が寄った際、思いがけなく中路と出くわすと、桜病や桐秋について、多忙な南山から時間をとってもらい、話を聞いていたのだと教えてくれた。
南山は、桜病の第一人者であり、桐秋の父親だ。何かと聞くには適任だろう。
南山は医者として、父親として、桜病及び桐秋のことについて中路に真摯に丁寧に話してくれたという。
しかし、桜病については今は桐秋の方が知っているのではないかと話す。
現在、この国で桜病について、現在進行形で研究しているのは桐秋だけだといってもいい。
が、中路は桐秋に体調のことは尋ねても、桜病についての見解は求めない。
きっとそれは、桐秋の医者としての矜持を慮ってものだ。
研究者が研究対象の病気になる。それはあまりきもちの良いものではないだろう。
そして、その研究の最先端をいく、桐秋自身が治療法を解明できていない。
ならば中路は、桐秋に研究を続けてもらえるようにと現状を最善に保つ方法を考える。
それが、中路の桐秋の医師としての仕事。
彼はとことん、患者の気持ちを汲み取る天才なのだ。
そして、千鶴にも積極的に意見を求めてくれる。千鶴も看護婦として充足感を得る日々だった。
桐秋もどこか憮然とした表情をしているが、己のためと分かっているのだろう。
中路と千鶴の提案した治療法を受け入れてくれていた。
*
そうして幾週が過ぎた日の金曜日、千鶴と中路は桐秋の診療が終わると二人、洋間に入る。
毎週末、開かれる桐秋の治療に関する話し合いだ。
現状、桐秋は経過もよいため、引き続き今の治療を継続していくことが決まった。
そしていつも、その話し合いがひと段落すると、少しだけ私的なことを話す時間があった。
その日は、中路が何でもないことを言うようにつと言葉をもらした。
「実はもう少ししたら、東北の実家に帰ろうかと思っているんだ」
中路の言葉に千鶴は虚をつかれる。
「父から、経営を含めた病院の仕事を引き継ぎたいと申し出があってね。
だいぶ甘えて自由にさせてもらえたし、父も年だから、そろそろかなと思ったんだ」
そう言って、中路は出された紅茶を丁寧な所作で口に運んだ。
「・・・そうですか。・・・寂しくなりますね」
千鶴は驚きながらも、見知った顔に会えなくなることを思い、目を伏せる。
そんな千鶴の様子を見て、中路は一度、唇を内側に巻き込んだ後、はっきりとした口調で告げた。
「突然なのだけれど、千鶴ちゃん。
よかったら、僕と一緒に実家の病院に来てくれないか。
看護婦としてだけではなく、将来の配偶者として」
「―――」
そのような言葉をかけられるとは、予想だにしていなかった千鶴は目を見開き、顔を上げて中路の顔を見る。
彼の直とした相貌は千鶴をしかととらえていた。
「僕は、西野先生の診療所にお世話になっている頃から、君を好ましく想っていた。
看護婦を目指すため、周りの逆境にも負けず、努力するひた向きな姿。
診療所を訪れる患者さん一人一人に寄り添う優しい心。
最近の様子も上条先生から伺ったよ。
ご子息の体調を細かく観察して、よく管理していると。
ぼくもこの数週間、桐秋様の治療を共にする中で、肌で感じた。
立派な看護婦になったんだね。
君のような女性、君のような看護婦が、僕自身と、医療が未発達の僕の故郷には必要なんだ」
いつも穏やかなしゃべりをする中路の珍しく熱い口調に、千鶴は圧倒され、続く言葉が出ない。
それに中路は畳みかけるように話を続ける。
「何より一番は、なにものにも代えがたい君の、周りを照らす、明るい笑顔に惹かれているんだ」
中路は、両膝に乗せた拳を強く握り占める。
「今回あったのも何かの縁だと感じた。
そして、君が、また僕に微笑んでくれた時に、この機会を逃したくないと思ったんだ」
熱い想いを真正面から千鶴にぶつける。
「考えてくれないかな」
千鶴は中路の強い眼差しを逸らさず、受け止めながらも、予想外のことに戸惑い、何も言葉を紡ぐことができない。
――中路が自分のことをそう見ているなんて思いもしなかった。
中路のことは尊敬している。医者としても、人としても、しかし、
混乱したような千鶴の様子に中路は真剣な顔を崩し、苦笑する。
「いきなりすまない。答えがすぐにほしいわけじゃない。
まだしばらく、上条先生の代わりに南山家に来るから、考えておいてほしい」
そう言うと、中路は帽子を手に取り、部屋を出ようとする。
千鶴も見送ろうと席を立つが、手で制される。
最後に、中路はにこりと微笑むとさらりと帰っていった。