ヒミンビョルグ領で盗賊団を壊滅させてから八日後。
 フェンサリル領へと帰還したグラムは、自警団の修練場にて新人指導の任へついていた。午後の鍛錬も終わり、本日の訓練メニューは終了。汗だくの新人たちが続々と修練場を後にしていく。

 新興領であるフェンサリルは決して兵力が整っているとはいえず、勇士で結成される自警団が主に周辺地域の治安維持にあたっている。メンバーは志願兵である一般市民が大半。戦闘経験皆無の者も少なくはなく、当人たちの身の安全のためにも、一定期間の戦闘訓練は必須だ。

「熱心ですね、グラムロック」

 修練場の中心に座り込み、明日の訓練計画を書き記した紙を眺めていたグラムの上から女性の影が差す。
 グラムが顔を上げると、プラチナブロンドのショートヘアーと、澄んだ青眼が印象的な長身の美女の笑顔と目が合う。服装は彼女のトレードマークでもある金色で縁取られた紺色のローブだ。屈託のない笑みは幼子のように無邪気であり、それでいて佇まいからは大人の色香が感じられる。相反する印象を無意識かつ同時に体現出来ることもまた、彼女の魅力の一つなのかもしれない。

「おや、帰っていたのか領主殿」
「二人きりの時くらい、砕けた口調で呼んでも構いませんよ。今はお付きの者もいませんから」
「親しき仲にも礼儀ありだよ、ウルスラ」
「相変わらず生真面目な人」

 そう言うと、フェンサリル領の若き領主にして、先の氷結戦争で活躍した英雄の一人でもあるウルスラは、友人としての穏やかな表情でグラムの隣へと静かに腰を下ろす。
 ウルスラは勇者級のグラムを上回るレベル90の英雄級。最高位の白魔導士であるウルスラは大戦時より、「救世の聖女」と呼ばれ慕われている。
 氷結戦争後はその功績から自らの領土を持つことが認められ、5年前に戦友であるグラムらと共に、未開拓の南の諸島群にフェンサリルを建領、徐々に体制を築き上げていき、現在へと至る。

「シグリの件は助かったよ」
「お安いご用ですよ。全ての種族に対して開かれた土地であれ。それが私の興したフェンサリル領の理念でもありますから」

 領主たるウルスラの口添えもあり、シグリのフェンサリル領への移住は滞りなく行われた。体調面に関しては、牢屋に捕らえられていた影響でやや体力の低下が見られたが、医者の見立てではしっかりと栄養と休息を取れば直ぐに回復するだろうとのことだ。一方で記憶喪失に関しては深刻なようで、今のところ回復の予兆も解決策も見えていない。自然に何かを思い出すまで、気長に付き合っていく他ないようだ。

「シグリちゃんの様子はどうですか?」
「徐々にフェンサリルでの暮らしにも慣れて来た様子だ。最近は体力も戻って来て、ノルンと森の探索に出かけたりもしているよ」
 
 移住を勧めた者としての責任もあるでのシグリは現在、グラムとノルンの暮らす家で引き取っている。シグリの今後については、グラムの役に立ちたいという彼女の意志を尊重し、体力が戻ってからはノルンの手伝いをしてもらう予定となっている。シグリが何かやりたいことを見つけたのならその道を全力で応援するつもりだが、記憶喪失に加えてまだ新しい土地にやってきたばかりなこともあり、直ぐに目標を見つけるのは難しいだろう。記憶喪失共々、焦らずじっくりと考えていけばいい。

「あなたに目覚めたという、ユニークスキルに関しては?」
「鑑定士に見てもらったが、過去に例のない相当珍しいものだそうだ。解析によると、助けを求める誰かの声に呼応し、強制的にワープで駆けつける能力ということらしい。先日体験したシグリの件とも一致する」
「助けを求める声に呼応しその場に駆け付ける。スキル名にもある通り、まさに救世主といったところですね。グラムロックの戦闘能力なら、大概のことは何とでも出来るでしょうし」
「……どうせなら、かつての氷結戦争時から発現していたら良かったのにな。あの時代、ミルドアースは悲劇で溢れ返っていた。救えた命だってたくさんあったはずだ」
「酷なことを言うようですが、過ぎた出来事に対してもしもを考えることに意味などありませんよ。誰も過去には戻れないのですから」
「……そうだな。もう、氷結戦争は終わったんだから」

 グラムの言わんとすることはウルスラにも理解は出来る。いかに強力なステータスやスキルを有する英雄や勇者であったとしても、人数が限られる以上やれることには限界がある。
 例えば激戦地で強敵たる大巨人を討ち果たしたとしても、その間に襲われてしまった地方の小村までには守りの手が回らない。平等に全ての人間を救うことは、英雄や勇者をもってしても不可能なのだ。

 だが今のように救いを求める声に呼応し即座に駈けつけることが出来ていたら。激戦に身を投じている間に故郷を失ってしまったグラムがそんな風に思ってしまうのは仕方のないことだった。そんなグラムに突如として目覚めたの「ワープスキル・救世主」は、彼に最も相応しいと同時に皮肉なスキルでもあるのだ。

「しかし、スキルの性質上仕方のないことではありますが、強制的にワープするというのは少々大変ですね。例えば就寝中に突然飛ばされるようなこともあるでしょうし」
「初回からして風呂上がりだったからな。一瞬でも反応が遅れていたら丸出しだった」
「あまり淑女の前で丸出しと口走るのは如何なものかと」
「すまん、つい普段のノリで」

 赤面して顔を背けるウルスラを見て、グラムは申し訳なさそうに苦笑する。
 普段は猥談にも躊躇いのないアクの強いメイドと一つ屋根の下で生活しているせいか、ついつい丸出しなどいう下品な言葉を口走ってしまった。今目の前のいるのは「救世の聖女」であり、純真乙女でもあるウルスラなのだ。発言には配慮しなくてはならない。申し訳ない気持ちもそうだし、照れ隠しで強力な白魔導が暴発しても困る。

「ユニークスキルでのワープとは、どのような感じなのですか?」
「そうだな。先ずは予兆として助けを求める声が」

『どうして私が』

「聞こえて――」

 救いを求める誰かの声を脳が知覚した瞬間には、すでにユニークスキルの効果が発動していた。最後まで台詞を言い切れぬままグラムの体は青白い光に包み込まれ、ウルスラの隣から一瞬にして消えてしまった。
 幸運だったのは初回のような無防備な姿ではなく、今回は黒い半袖のカットソーと茶色のカーゴパンツに、模擬戦用の革製の胸当てやグローブを装着した真っ当な姿だったということだろうか。

「なるほど、ユニークスキルでのワープとはこんな感じですか」

 一人残されたウルスラは感心した様子でポンと手を叩いた。
 突然の出来事に動じない辺りは、流石はレベル90越えの英雄といったところだ。

「また迎えが必要になるかもしれませんし、ノルンにもグラムロックがまたどこかに行ってしまったと伝えておきましょうか」