「今から俺の仲間の女性が一人こちらへ到着する。変り者だが、とても頼りになるから安心してほしい」
「今からですか? 会話中にフェンサリル領と申していましたが、いくらなんでも南部から北部までは距離が離れすぎて」

 黒髪の女性の意見を遮るかのように、グラムの右隣の地面へと突如として円形の眩い光の柱が出現。その中から不意に一人の女性のシルエットが姿を現す。女性が光の柱か一歩踏み出すと同時に、光の柱はその場から消失した。

「グラム様の忠実なるメイド。ノルンと申します。皆様、以後お見知りおきを」

 黒いスカートの端を摘み上げ、ノルンがお淑やかに一礼する。絹糸のように流れる金色の髪と、妖艶さを秘めた紅玉のような赤目。高身長かつメリハリの利いた抜群のボディ。絵画の世界の住人かと思わせる美女がそこにはいた。

 グラムとは異なり魔導系にステータスを振っているノルンは、高ランクの移動系魔導「ピンポイントワープ」のスキルを有している。先程の「水鏡」のスキルでグラムの居場所を把握、転移先を細かに設定することで長距離を一瞬で越えてきた。自身を含めて一度に三名まで同時に移動できる便利なスキルだが、強力な効果故に多用は出来ない。ノルンの魔力量から考えると、ピンポイントワープの利用は一週間に二回までが限界。裏を返せば、週に一度であれば遠方だろうとも、行って帰って来ることが可能ということでもある。

「それでグラム様、この女性達はいったい……まさか、私に黙ってハーレムを築こうと?」

 ノルンがそっとグラムに耳打ちする。

「冗談でも止めてくれ。こっちは変態の誤解を解いた直後なんだ。その洞窟は盗賊団のアジトで、この人達は近隣の村々から誘拐された被害者だ」
「なるほど、事情はだいたい把握しました」

 ノルンは頭の回転が早い女性だ。丸腰で失踪したはずが武器を携帯しているグラム。グラムに心を許し、安堵の表情を浮かべている女性達。いかにも盗賊受けしそうな洞窟を利用した天然のアジト。到着した時点でノルンはある程度事情を把握していた。ハーレム発言自体も冗談だったのだろう。その証拠に女性達には聞こえないようにグラムへそっと耳打ちしていた。女性達の心情に配慮したのだろう。

「ノルン、早速一つ頼みたいんだが」
「何でございましょうか?」
「意識を取り戻した盗賊共が逃げ出せないよう、お前の魔導で入口を封鎖してくれないか」

 女性達を安全な場所まで移動させるためアジトを離れることになるが、気絶した盗賊達もじきに意識を取り戻すはずだ。そうなれば、治安維持部隊を連れて戻って来る頃にはアジト内はもぬけの空となっている可能性が高い。逃げられないためにも、唯一の出入り口を封鎖しておく必要がある。
 グラム自身が出入り口を崩しても良かったのだが、加減を謝って洞窟全体を崩落させてしまう可能性がある。その点、ノルンの魔導を使えばピンポイントで出入り口だけを封鎖出来るので任せて安心だ。

「承知しました。でしたら早速」

 主の願いを叶えるべく、洞窟の出入り口前に立ったノルンが目を伏せて意識を集中させた。大気が渦巻き、美しい金髪がふわっと浮き上がる。

「今からここは立ち入り禁止です」

 笑顔のノルンが、口から発せられた白い息を洞窟の出入り口へと吹きかけた瞬間。

「す、凄いです」
「凄いだろシグリ。ノルンの氷結魔法は天下一品だ」

 ノルンの発動した魔導「氷壁(ひょうへき)」の効果によって、大気の震えと共に巨大な氷の塊が発生。洞窟の出入り口を物理的に塞いでしまった。圧倒的破壊力の打撃や強力な炎熱魔導でも無ければ出入り口の突破は不可能。盗賊達はノルンが「氷壁」を解除するまでの間は、絶対にこの洞窟から出ることは叶わない。

「これから皆様を私とグラム様で安全な場所までお送り致します。それに伴い、お一人ずつお名前とご出身をお教え頂けますでしょうか」

 ノルンが手際よく移動準備にかかり、女性達がノルンの周辺へと集まっていく。全員を無事に送り届けるため、顔と名前は一致させておかなくてはならない。

「よかったならシグリ。もうすぐでお家に帰れるぞ」
「……私、お家が分からないです」

 シグリが不安気に、ギュッとグラムの手を握った。

「どういうことだ?」
「……私には、ここに来る前の記憶がないのです。ただ、身に着けていたネックレスにシグリという名前だけが掘ってあって」

 真偽を確かめるべく、グラムは黒髪の女性へと目配せすると、

「シグリちゃんの言うことは事実だと思います。私達が攫われてきた時点で、シグリちゃんはすでに盗賊に捕らえられていました。お家やこれまでの経緯を尋ねても、何も分からないの一点張りで。狭い地域ですし、近隣の村々は全員顔見知りのようなものですが、シグリちゃんに見覚えのある人は誰もいません。それに」

 瞬間、山間部を強烈な風が吹き抜け一行を襲う。それまでは目深に被っていたシグリのフードが捲れ上がり、黒髪の女性が答えるよりも早く、シグリの秘密が明らかとなる。

「エルフ?」

 露わになったシグリの頭部には、特徴的な長い耳が確認出来た。色白な肌と長い耳、これは多くのエルフに見られる特徴だ。
 落ち着かないのだろうか? シグリはそそくさと、再びフードを被ってしまった。

「気候など環境的な問題もあり、ヒミンビョルグ領にはエルフの里は存在しておりません。経緯は不明ですが、シグリちゃんはどこか遠くから連れてこられたエルフということなのだと思います」
「記憶喪失で帰る場所も分からないか。困ったな」
「ここで出会ったのも何かの縁。出来ることなら私達で保護してあげたいとは思いますが……それは厳しいでしょう。村は優しい方々ばかりですが、記憶喪失の異種族の少女を受け入れるというのは、現実的には難しい。ヒミンビョルグ領がエルフにとっては住みにくい土地なこともあり、それがシグリちゃんのためになるとは思えません」
「確かにな」

 安易な優しさを見せるよりも、よっぽど真摯な対応だとグラムは思う。
 受け入れる環境が整っているならばともかく、地方の山村に、突然記憶喪失の異種族の少女を受け入れというのは酷な話だろう。ヒミンビョルグ領政府にシグリの身を委ねるのが無難だろうが、ヒミンビョルグ領にエルフとのパイプがあるとは思えないし、記憶喪失の異種族の少女は、厄介者として冷遇される可能性もある。いずれにせよ、記憶喪失のシグリは知り合いもいない環境で、長期間心細い思いをさせてしまうことは想像に難くない。

「シグリ、俺達と一緒に来るか? もちろん、君さえよければだが」

 グラムの発言に一同の視線が集まる。
 助けを求めるシグリの声に導かれてグラムはこの場へとやってきた。人身売買の危機からは救うことは出来たが、本当にそれだけでシグリを救えたことになるのだろうか? 真の意味で彼女を救うためには、彼女が記憶を取り戻し、自身の本当の居場所を見つけるための手伝いをしてあげるべきなのではないだろうか? 

 決して思い付きで安易な優しさを口にしたわけではない。五年前に誕生した新興領であるフェンサリルは、領主の意向を受け、移民の受け入れにも寛容だ。多種多様な種族の暮らす特殊な領であり、偏見や差別は存在しない。自然豊かな土地でエルフの居住地としても適している。少なくとも生活環境としては、ヒミンビョルグ領よりも快適なはずだ。

「ご迷惑ではないのですか?」

 信頼の表れなのだろう。失礼のないようにとシグリはフードを下ろして素顔を晒し、満更でもなさそうにグラムの顔を見上げた。

「全然。ノルンも問題ないだろう?」
「グラム様がお決めになられたことでしたら、私は全面的に賛成致します」

 受け入れる側に反対意見はない。グラムはフェンサリルの領主とも親しいので、事情を説明すれば移住の件は問題なく進むことだろう。残るは当事者たるシグリの気持ちだけだ。

「不束者ではございますが、どうかよろしくお願いいたします」
「歓迎するよ、シグリ」


 こうして、グラムの唐突なユニークスキル発現に端を発するヒミンビョルグ領での救出劇は幕を閉じた。
 氷結戦争終結から5年。隠居の身でああった勇者グラムは、ユニークスキルの目覚めによって、再び戦いの中に身を投じる羽目になっていく。