「――以上が、私とグラム様の出会いと、このフェンサリル領へ移住するまでの経緯です」

 (うれ)いを帯びたノルンの語りに、誰もが終始無言で聞き入っていた。良く悪くもマイペースなノルンと、彼女の口から語られた、多くの悲劇を含んだ壮絶な過去とのギャップには正直、誰もが驚きを隠せないでいる。普段のノルンはそういった過去を一切感じさせないくらいに活き活きとしているから。

 感情移入してしまったのか、シグリは少し涙目になっており、隣のレンカの袖を握っている。
 レンカとクリムヒルデもノルンとグラムの経験した壮絶な過去に言葉を失っていたが、同時にワープスキルで現れたグラムがどうして見ず知らずの自分のために力になってくれたのか、ようやくその理由に合点がいった。

 幼い姉弟や大切な家族の命を救えなかった経験故に、グラムは窮地に陥った誰かを全力で助けたいという思いが人一倍強いのだ。だからこそ、初対面の誰かのためだとしても、問題解決のために全力を尽くしてくれる。

「ノルン殿は、ニブルアースからの亡命者だったのだな」
「見方が変わりましたか?」

 ノルンは微笑みを浮かべてクリムヒルデへと語り返した。クリムヒルデが、悪意をもってそのような言葉を発するような人物でないことは、ノルンだって分かっている。

「私は偏見など持たぬよ。ただ、貴女(あなた)の心の強さに感服していただけだ。辛い過去を乗り越え、今はこうしてグラム殿と共に平和な世を生きている。そんな貴女のことを私は尊敬しているよ」
「尊敬だなんてそんな」

 裏表のないクリムヒルデの感情はいつだってストレートだ。珍しくノルンも照れ臭そうにしている。その一方で裏表がないからこそ、クリムヒルデはノルンについて納得いかない部分もあるようで。

「……ただ、話を聞いていて一つだけ気になったことがある」
「何でしょうか?」
「失礼を承知で尋ねるのだが、語られた過去の印象と、今のノルン殿の印象が少し異なるのが気になってな。その……時々飛び出す性的な発言とか」
「あらあら」

 礼儀正しい性格は回想と(たが)わぬが、少なくとも過去のノルンは性的な発言とは縁遠そうな、お淑やかで上品な印象が強い。5年という歳月は人を変えるには十分だろうが、どういった経緯で現在のノルン像が出来上がっていったのかは気になるところだ。

 まったく同じ疑問を抱いていたのであろう。クリムヒルデの疑問に便乗し、レンカもコクコクと頷いている。普段シグリの前では極力性的な話題は出さないようにしているので、シグリだけは話の流れについていけずにキョトンとしている。

「それはですね……」

 再びノルンの口調が憂いを帯びる。ひょっとしたら振る舞いの変化にも、何か並々ならぬ理由があるのかもしれない。クリムヒルデとレンカが緊張感から唾を飲み込む。

「フェンサリル領へ移住してから間もなく、ミルドアースの文化を学ぼうと、お料理や家事の勉強の(かたわ)ら、大図書館に入り浸って大衆小説を読み漁っていたのですが、そこで読んだ、主とメイドの濃密な日々を描いた官能小説にはまってしまいまして。いつの間にやら影響されてしまいました。慣れとは恐ろしいものですね。性的な発言も最初は恥ずかしかったのに、口に出している内にだんだんと恥じらいが無くなっていきました」

 思わぬカミングアウトに、レンカとクリムヒルデが分かりやすくずっこけた。
 一方的にドラマを想像していたのは確かに二人の落ち度だが、だからといって官能小説に影響されて振る舞いに変化が現れたなど、流石に予想外であった。そういったことを楽しめるまでにノルンの心に平穏が訪れたのだと考えれば、心温まる? 話だとは思う。

「一度試しに、グラム様にもタイトルを偽って読ませてみたのですが、数ページ読んだだけで赤面して本を突き返してきました。そんなに刺激の強い作品でしたでしょうかね?」
「……騙し討ちで官能小説を読ませるとは、ノルン殿はやはりユニークなお方だな」
「お褒めに預かり光栄です」
「褒めてないと思いますよ、ノルンさん」

 上機嫌に笑っているノルンとは対照的に、クリムヒルデとレンカはリアクションに困って苦笑している。
 そんな中、一人だけ話についていけていなかったシグリが不意に立ち上がり、小首を傾げながらノルンの後方を指差した。

「あの人、誰でしょうか?」

 それまで四人しかいなかった平原に突如として出現した第三者の姿。その気配に、高レベルの魔導士であるノルンや、武人であるクリムヒルデも今の今まで気がつかなかった。

「久しぶりだな。氷魔軍のスパイ」

 懐かしく、それでいて悪意を含んだ物言いに、ノルンの表情が凍り付く。

「……アラングレン。どうしてあなたがここに」

 視線の先に立つのは、茶色の長髪を結い上げた、左目に眼帯をはめた男。身に着ける黒いロングコートの腰の位置には、ベルトで固定された二本のハルペーが見える。五年もの歳月で風貌(ふうぼう)はやや変わったが、あの二本のハルペーや悪意を含んだ笑みを見間違えるはずがない。かつてのトリルハイム領での戦闘に参加した勇者級の一人。アラングレンがそこにはいた。