希望は非情な現実によって無残に打ち砕かれた。
 グラムロックらの部隊に加え、応援要請を受けて駆け付けたトリルハイム領所属の部隊が連日懸命な捜索活動を行ったものの、終ぞ崩壊したアルミュール砦から生存者が発見されることは無かった。ウェンディゴ襲撃時にアルミュール砦に居た人々は全滅である。

 カーラとマルコと思われる幼い姉弟の遺体は、捜索の最終日に発見された。

「……生存者は無しか。救いがねえ」

 瓦礫の上に腰を下ろしたマックスが、やりきれない様子頭を抱えた。マックスもグラムロックと共に不眠不休で捜索活動にあたっていた。疲労に加え、生存者無しという辛い現実、抱える病の影響もあり、顔色は優れない。

「グラムロックとノルンは大丈夫でしょうか。やはり捜しに行った方がよいのでは?」

 一人でも多くの命を救うという強い意志の下に捜索活動に当たっていたグラムロックは、カーラとマルコの姉弟が遺体で発見された後も生存者の捜索を続けていたが、最後の一人が発見され、捜索活動が終了したことで緊張の糸が切れてしまったらしい。捜索活動終了後、少し休んでくるといって、傷心のノルンアークと二人でどこかへと行ってしまった。
 
「今は二人だけにしておいてやろう。正直なところ、こんな時に何て声をかけてやればいいのかも分からん」
「マックスさんでもですか?」
「こういうのは、歳食ってるからって慣れるもんじゃない。慣れたいとも思わないけどな」
「そうですね。今は静かに、二人が戻るのを待ちましょう」

 年長者であり、これまでグラムロックやウルスラ以上に多くの死を目撃してきたであろうマックスの言葉は重い。死に対する慰めの言葉をかけることに慣れたくないという考え方にはウルスラも共感した。悲劇の数が少ないに越したことはないのだから。

「あの魔導士、やっぱり疫病神だったな。あいつがいなければこんな悲劇は起こらなかったに違いな――」

 相変わらずの調子で捲し立てるアラングレンの悪意は、頬を張る音によって早々に遮られた。

「ノルンに対するこれ以上の侮辱は許しません!」

 暴力を好まぬウルスラがアラングレンの頬を叩き、感情的に声を震わせた。
 一度は救った幼い命が失われたと知った際のノルンアークの慟哭(どうこく)は、今もウルスラの耳から離れない。アラングレンもあの悲痛な叫びを聞いていたはずなのに、どうして平然とした様子で悪意を吐けるのだろう。ウルスラにはいよいよアラングレンという男のことが分からなくなっていた。以前はこうではなかった。昔はもっと、心の痛みに寄り添える優しい青年だったはずなのに。

「氷魔軍は敵だ。例え離反者であったとしても、氷魔軍に所属していたという事実は変わらない。氷魔軍は皆殺しにする。僕はこのスタンスを変えるつもりはない」
「アラングレン……」
「先程、新たな任務に関する伝達が届いたので一先ず僕はこれで失礼しますよ」
「待って」

 背を向けたアラングレンは、引き留めようするウルスラの言葉には一切耳を貸さない。

「あの女はいつかきっと裏切るに決まっている。正しいのは僕の方だ」

 腫れた頬を擦りながら去り際に不敵な笑みを残すと、アラングレンは別任務のため、一足早くトリルハイム領を離脱した。


「……結果論なんて口にしても仕方が無いが、こんなことになるなら、一緒に平原まで連れていけば良かった」

 捜索活動を終えたグラムロックとノルンアークは、休憩も取らずに、初めて出会った空っぽの村を訪れていた。

 出会った時のノルンアークのように、集会場の壁に背中を預けたグラムロックの右手には、砦からの出立時にマルコに託した、お守りの折れたナイフが握られている。遺体発見時、マルコは姉のカーラとお互いを守り合うようにして、右手ではお守りのナイフを強く握りしめていた。戻って来るまでの間、ナイフを預かっておいてくれというグラムロックとの約束をマルコは最期の瞬間まで果たしたのだ。お守りは、お守り堪えなかったが。

 あのような状況下で、幼い子供を戦場に連れていく選択肢など有り得なかった。だけど、そうしていれば命を救えたかもしない。
 後悔先に立たずという言葉を、グラムロックは痛感していた。未来を予測する、あるいは窮地に陥った人々の元に即座に駆け付ける。そんな力があれが、命を救えずに後悔することなんてなくなるのに。

「……私は一度、マルコとカーラの命を救いました……だけど、そのことに意味はあったのでしょうか? 大きな悲劇に見舞われても、生きてさえいればきっと、明るい未来へ進むことが出来ると信じて……それなのに……たったの数日でこんなことって……」

 ノルンアークから嗚咽が漏れる。一度救った命が、理不尽な運命によって再び両手から零れ落ちていく。ノルンアークの感じた絶望は計り知れない。自分の行い意味があったのか? 自責の念を感じてしまうのも無理はない。

「……救えなかったことを後悔しても、救ったことは後悔するものじゃない。少なくとも俺はそう思う。マルコとカーラは、ノルンアークに救われたことに感謝していはずだ。短い間ではあったけど、河原での食事や移動中のやり取りであの子達が見せた笑顔は本物だった。もう一度言う。救ったことは後悔するな」
「……グラムロック様」
「あの二人を救えなかったのは俺の責任でもある。救えなかった後悔は俺も一緒に背負っていく。だから、自分ばかりを責めるな」

 後悔を一緒に背負っていく。グラムロックのその言葉に、少しずつではあるが、心が救われていくのを感じていた。ノルンアークの瞳に自然と涙が溜まってくる。

「……すみません、涙なんて」
「謝る必要なんてない。時には感情に身を任せることも必要だ」
「……泣いてもいいんですか?」
「俺が許す。部隊の仲間も引き上げて、村は今無人だ。誰にも迷惑は掛からない」
「……ありがとうございます」

 涙腺と感情が決壊し、止めどなく涙が流れ落ちていく。
 揺れる感情を支えてもらうかのように、ノルンアークはグラムロックへと身を預けた。
 カーラとマルコが発見された際はショックのあまり取り乱してしまったが、余所者であるという負い目から、それ以降は必死に感情を押し殺して来た。だけど、それももう限界だった。グラムロックが許しを与えてくれたことで、思いっきり涙を流すことが出来る。

「うう……カーラ……マルコ――」

 ノルンアークが落ち着くまでの間、グラムロックは目を伏せたまま、その感情を受け止め続けた。


「グラムロック様はこれからどうなされるのですか?」
「勇者級として戦場に立ち続けるまでだ。これまでよりも積極的にな」

 数日後。アルミュール砦崩壊の犠牲となった者達を埋葬した共同墓地の前に、ノルンアークとグラムロックの姿があった。遠方の出身で身よりの無かったカーラとマルコも、この共同墓地へと埋葬されている。約束の印であったグラムロックのお守りのナイフは、埋葬する際に再びマルコへと握らせた。自己満足かもしれないが、幼い姉弟との絆の印として、もう一度あのナイフを託したいという思いがあったからだ。

「一つでも多く悲劇の数を減らしたい。そのためにはもっと強くなるしかない」

 戦渦の犠牲者を減らすために今のグラムロックに出来ることは、己のレベルを上げる他にない。より多くの経験値を求めて、グラムロックは氷塊巨人ら強力な敵が多く待ち構える危険な戦地へと、積極的に飛び込んでいくことを決心していた。もちろん、氷魔軍の戦力を削ぐことで侵攻を食い止めるという目的もある。

「でしたら、私もお供いたします」
「亡命希望者であるノルンアークがこれ以上戦う必要はない。無理に俺に付き合うことはないんだぞ?」
「私の居場所はグラムロック様のお側以外に考えられません。どこだろうと、グラムロック様と共に参ります。それに、一つでも多く悲劇の数を減らしたいという思いは私も同じです。私が戦うことで、もしカーラやマルコに起こったような悲劇を減らすことが出来るなら本望です」

 揺るぎない覚悟を宿した赤い瞳で、ノルンアークはグラムロックを真っ直ぐ見据える。
 悲劇を減らしたいという真摯な思い。大恩あるグラムロックに尽くしたいという願い。カーラとマルコの生きたこの世界を守りたいという誓い。今の彼女を構成するあらゆる感情がその瞳には宿っていた。

「分かった。そこまで言うなら止めはしない。これからもよろしく頼むぞ、ノルンアーク」
「どこまでも、グラムロック様についてまいります」

 今後、グラムロックとノルンアークの二人は、数多の戦場へと身を投じていくこととなる。近接戦闘のエキスパートと多種多様な魔導スキルを操る魔導士の組み合わせは非常に強力で、二人の活躍によって悲劇が食い止められた場面も多々あった。

 しかし、どんなに前線で活躍しようとも、食い止められる悲劇の数には限りがある。

 そんな辛い現実を、グラムロックは後に激しく痛感することとなる。

 悲劇を減らしたいという強い思いに身を委ね、忙しくなく戦場を駈け抜けるあまり、グラムロックは生前のカーラから受けた忠告を失念してしまっていた。