「しばらくはお別れだ。この砦で村の人達と一緒にいろ」

 数時間後。グラムロックとウルスラを中心とするミルドアース軍の戦闘部隊、計20名が、南部から迫る氷魔軍の部隊を迎え撃つべく、アルミュール砦を出立しようとしていた。
 アルミュール砦を管理するトリルハイム領政府が、亡命希望とはいえ。氷魔軍所属であったノルンアークの滞在を快く思わなかったこと、避難してきている村人たちも、悪意こそ無いもののノルンアークに恐怖心を抱いてしまっていたこと等から、止む無くノルンアークもグラムロックに同行し、戦場へと向かう運びとなった。

「嫌だ、俺もグラム兄ちゃんやノルン姉ちゃんと一緒に行きたい」
「お二人を困らせるようなことを言ったら駄目よ……」

 グラムロックの側にいられるのならそれで充分だと、ノルンアークは出立への同行を快く承知してくれたが、命の恩人であるノルンアークや、せっかく仲良くなれたグラムロックと、一時的にとはいえお別れしなければいけないことを幼いマルコは悲しみ、グラムロックに縋っている。口では弟を諫めながらも、姉のカーラも感情は似たり寄ったりで、名残惜しそうにノルンアークのローブの端を握っていた。

「グラムロック様と一緒にまた戻って来るから、良い子で待っていてください」
「……うん。ノルンお姉ちゃんとグラムお兄ちゃんが帰って来るの、待ってるから」
「行ってきますね、カーラ」
「行ってらっしゃい。ノルンお姉ちゃん」

 目線を合わせて微笑みかけて来たノルンアークの諭しを受け、姉であるカーラが先ずノルンアークのローブから手を離した。命の恩人でもある優しいお姉ちゃんが、また戻って来ると約束してくれた。これ以上は迷惑はかけたくない。素直に送り出すことこそがきっと、今の自分達に求められている強さなんだと、幼いなりにそう言い聞かせる。

「女狐め。子供の前でいい顔しやがっ――」

 呆れ顔で愚痴を零したアラングレンの腹部を、近くにいたマックスが無言で肘打ちした。勇者級には及ばないとはいえマックスも勇者級に近い高レベル。軽めの一撃とはいえ多少のダメージは入る。

「……何するんですか?」
「お前さんにだって色々と事情はあるだろう。今この場で思想だ何だと堅苦しい話をする気は無いが、幼い子供もいる場で悪態をつくことに、正義なんかないだろう」
「グラムロックだけじゃなく、あなたまで甘ちゃんですか」
「俺はただのおっさんだよ。歳食ったおっさんが子供に甘くて何が悪い?」
「付き合いきれない」

 それ以降、アラングレンが渋面を浮かべたままずっと閉口していた。マックスの説教が効いたわけではない。意見の通らぬ状況をつまらなく思い、ふてくされたといった方が適切だろう。

「マルコ、お前にこいつを預けておく」

 マルコに視線を合わせてしゃがみ込んだグラムロックは、懐から取り出した刃の折れたナイフを取り出し、マルコへと手渡した。ボロボロになって折れた刃に殺傷力は皆無で、幼い子供に持たせても危険性は無い。

「これは?」

「俺が傭兵として駆け出しの頃に使っていたナイフだ。あの頃はまともに装備を整える金も無くてな。そのナイフ一本で何とか戦場を駈け抜けてきた。初心忘れるべからずと思い、折れてからも、お守り代わりにずっと持ち歩いてきた」

「そんな大事な物を俺に預けていいの?」
「預けるということは、取りに戻るということだ。だからお前は俺が戻るまで、そいつを無くさないように大事に守っておいてくれ。勇者からのお願いだ。頼まれてくれるよな? 未来の勇者」
「……グラム兄ちゃんがそこまで言うなら。分かった! 俺、このナイフと一緒に兄ちゃんが帰るのを待ってる!」

 不器用なグラムロックには、子供を諭すような気の利いた台詞なんて言えない。それよりも、強くなりたいと願う少年には説得の言葉よりも、何か役割を与えてあげることの方が大切なのではとグラムロックは判断した。大切な物を預けるということは、絶対に帰って来るという何よりも力強い意志表示となる。その思いは、幼き未来の勇者にも伝わっているはずだ。

「直ぐに片づけて戻って来るからな」

 去り際にグラムロックは白い歯を覗かせ笑ってみせ、マルコの頭を撫でててやった。
 

「お前さんのあんな顔、初めて見たよ」
「さっきのあなた、とても素敵でしたよ」
「そうか?」

 普段は仏頂面の印象の強いグラムが見せた、珍しい爽やかな笑顔に、付き合いの長いウルスラとマックスは興味津々だった。マックスは愉快そうに腕をグラムの肩に回し、ウルスラは口元に笑みを浮かべながら脇腹を小突いてくる。

「遠慮せず、俺達にもあんな笑顔を見せてくれてもいいんだぜ?」
「ウルスラはともかく、誰がおっさんなんかに笑顔を振りまいてやるもんか」
「寂しいこと言うなよ。俺とお前の仲だろう」
「だあー! 暑苦しいから引っ付くな」

 気の知れた友人同士のやり取りに、グラムの側にいたノルンアークはキョトンとした様子で見入っていた。そんなノルンアークの顔を、微笑みを浮かべたウルスラが覗き込む。

「グラムロック様とマックス様、仲がおよろしいのですね」
「年齢こそ離れているものの、二人は友情で結ばれていますから」
「友情ですが。言葉こそ知っていますが、ニブルアースはとても殺伐としていたので、私にはよく分からない感情です」
「分からないなら、これから学んでいけば良いのです。事が落ち着きましたら、友人として二人でどこかへ遊びに行きましょうか」
「私と、友人になってくださるのですか?」
「もちろんです。友情に種族や生まれの垣根など存在しない。少なくとも私は、そう信じています」
「ありがとうございます。ウルスラ様、私、とても嬉しいです」
「お友達同士として、様は固くしるしいですよ。ウルスラで構いません」
「……呼び捨ては抵抗があるので、さんをつけてもよろしいでしょうか?」
「抵抗があるものを強制するのは可哀想ですね。分かりました、あなたの呼びやすい呼び方で構いませんよ」
「ありがとうございます。ウルスラさん」
「ありがとう、ノルン」
「ノルン、ですか?」
「カーラさんとマルコくんのあなたに対する愛称がとても可愛らしかったから。駄目でしたか?」
「いいえ。私もノルンと呼ばれることは好きです。是非ともノルンと呼んでください」
「決まりですね、ノルン」

 ノルンアークとウルスラとの距離は自然と縮みつつあった。
 異なる世界の出身であるノルンアークとも友情を築くことが出来た。この経験は後にウルスラが興すこととなるフェンサリル領の、全ての種族に対して開かれた土地であるべしという、理念にも繋がっていくこととなる。

 ――どいつもこいつも。危険性を把握しているのは僕だけか。

 行軍の最後尾に付くアラングレンだけは相変わらず、頑なにノルンアークの存在を受け入れられないでいた。