物語は5年と10カ月前へと遡る。
当時グラムロックのレベルはすでに59を数え、ミルドアース軍の主力として活躍。この日は大陸の北西部に位置するトリルハイム領を訪れていた。
先日、領の南部に突如として氷魔軍の一部隊が出現。領内の戦力だけでは対処しきれず、トリルハイム領政府はミルドアース軍本隊へと応援を要請。偶然、別の任務で近隣地域を訪れていた勇者級のグラムが単身、先遣としてトリルハイム領へ駆けつけることとなった。
「怪我をしているのか?」
トリルハイム領の南部。無人となった空っぽの村の中心部でグラムロックは、集会場の外壁に背中を預ける、金髪赤目の美女の姿を発見した。女性の纏う漆黒のローブはボロボロだ。破れた箇所からは色白な肌だけではなく、生々しい傷跡も覗いている。幸いなことに命に関わるような傷は負っていないようだが、穏やかな状況でないことは間違いない。
「……」
女性は無言でグラムロックを見つめている。空っぽの村に、負傷した美女と、屈強かつ仏頂面の男の二人だけ。警戒心を抱くのも当然といえば当然だが、警戒心を抱いているのはグラムロックもまた同様だ。
女性は村の生き残りではない。氷魔軍の侵攻によりこの村が戦場となる可能性が高いと判断した領政府は、早々に村の放棄を決定。住民の避難誘導も速やかに行われた。逃げ遅れた者がいないか入念に確認した上で、全員が無事に避難したとの情報を、先程接触したトリルハイム領の関係者から得ている。故に女性は、逃げ遅れた負傷者とは考えにくい。
「お前、氷魔軍の関係者だな」
一目見た瞬間からグラムロックはそんな確信を抱いていた。
女性がかなりのレベルの持ち主であることは村に立ち入った時点で察した。グラムロックの見立てでは自分とほぼ同等、最低でもレベル50は超えているはずだ。そんな一般人が存在するはずがないし、要請を受けて駈けつけたグラムロック以外に、勇者級がトリルハイム領に滞在しているとの情報もない。また、金髪赤目に初雪のような色白の肌、フード付きの漆黒のローブという風貌は、これまでの戦渦の中で何度か対峙してきた氷魔軍の魔導士部隊のそれとも一致する。女性は十中八九氷魔軍サイド。それも、ミルドアースで言うところの勇者級の実力者とみて間違いないだろう。
「……はい。私は氷魔軍の魔導士です」
女性はあっさりとグラムロックの言葉を肯定する。
敵対勢力同士が相対する緊張感漂う状況とは裏腹に、子守歌を思わせる温和な声色が耳へと届く。女性は、ずっとその声を聞いていたいと思わせるような優しい声をしていた。
「そういうあなたは、ミルドアース軍の方ですね。レベルは、私と同等くらいとお見受けする。確かあなた達の世界では、そのような方を勇者と呼ぶのでしたか」
「確かに俺はミルドアース軍の人間に相違ない。お前が氷魔軍の魔導士だというのなら、俺達は敵同士ということになるな」
グラムは無感情のまま、何時でも抜剣出来るよう、背負った黒い刀身を持つ両手剣へと手を掛ける。
女性からは敵意のようなものは感じられないが、高位の魔導士ならば、一瞬の動作や感情の機微一つで強力な魔導を発動することも可能だ。それに加えてグラムロックは物理特化型で、勇者級となった今でも魔導耐性は平均値を下回る。まさに一撃が命取りとなりかねない。いかに相手が手負いかつ、敵意が感じられないからといって、決しては油断は出来ないのだ。
その場を包む緊張感が徐々に高まっていき、グラムロックが両手剣の柄に力を込める。高レベル同士、一触即発かと思われたが、
「お姉ちゃんを虐めるな!」
不意に幼い声が響き渡り、女性魔導士が背中を預ける集会場から、7~8歳ぐらいと思われる茶色い短髪の少年が飛び出して来た。少年は迷うことなくグラムロックと女性魔導士の間に割って入り、女性魔導士を庇うようにして両手を広げる。とても勇敢だが、それでもやはり、両手剣を携えた屈強な男の前に立ちはだかるというのは恐ろしいもの。気丈に声を張りながらも、本能的に足は恐怖心に震えていた。
「そ、そのお姉さんは私たちを助けてくれたんです……だから、酷いことはしないでください」
やや遅れて、少年よりも3つ4つ年上と思われる茶髪をおさげにした少女が、おどおどしながらも少年の下へと合流。女性魔導士を庇いながらグラムロックを見据える瞳には、幼いなりに確かな覚悟が感じられる。
思わぬ展開に目を丸くしながらも、グラムロックは両手剣から手を離した。
発言から察するに、女性魔導士は少年少女にとって、咄嗟に身を挺して庇ってしまうような恩人らしい。そんな存在に子供達の前で剣の切っ先を向けるような真似は、根が優しいグラムロックには出来っこない。
子供達の介入で剣を収める理由が出来たことに、グラムロックは内心ホッとしていた。目の前の女性魔導士はこれまで戦ってきた氷魔軍の者達とは何かが異なる気がする。敵対するか否かの判断は、彼女の人と成りを知ってからでも遅くはないだろう。
「とりあえず、事情を聞かせてもらおうか」
そう言ってグラムロックはその場に腰を下ろし、女性魔導士と同じ目線で語り掛けた。
グラムロックが今すぐ事を荒立てる気はないのだと理解し、少年と少女は緊張の糸が切れ、崩れるようにしてその場にへたり込んでしまった。
「先ずは自己紹介をしておこう。俺の名はグラムロック、ミルドアース軍所属の戦士だ」
荒事に成らずに済んだことに女性魔導士も一安心している。根が真面目なのだろう。名乗られたら名乗り返すのが礼儀と、躊躇わずに自己紹介を開始する。
「私の名はノルンアークと申します」
この奇妙な出会いが、大戦の勇者グラムと、後に彼のメイドとして尽くすことになるノルンとのファーストコンタクトであった。
当時グラムロックのレベルはすでに59を数え、ミルドアース軍の主力として活躍。この日は大陸の北西部に位置するトリルハイム領を訪れていた。
先日、領の南部に突如として氷魔軍の一部隊が出現。領内の戦力だけでは対処しきれず、トリルハイム領政府はミルドアース軍本隊へと応援を要請。偶然、別の任務で近隣地域を訪れていた勇者級のグラムが単身、先遣としてトリルハイム領へ駆けつけることとなった。
「怪我をしているのか?」
トリルハイム領の南部。無人となった空っぽの村の中心部でグラムロックは、集会場の外壁に背中を預ける、金髪赤目の美女の姿を発見した。女性の纏う漆黒のローブはボロボロだ。破れた箇所からは色白な肌だけではなく、生々しい傷跡も覗いている。幸いなことに命に関わるような傷は負っていないようだが、穏やかな状況でないことは間違いない。
「……」
女性は無言でグラムロックを見つめている。空っぽの村に、負傷した美女と、屈強かつ仏頂面の男の二人だけ。警戒心を抱くのも当然といえば当然だが、警戒心を抱いているのはグラムロックもまた同様だ。
女性は村の生き残りではない。氷魔軍の侵攻によりこの村が戦場となる可能性が高いと判断した領政府は、早々に村の放棄を決定。住民の避難誘導も速やかに行われた。逃げ遅れた者がいないか入念に確認した上で、全員が無事に避難したとの情報を、先程接触したトリルハイム領の関係者から得ている。故に女性は、逃げ遅れた負傷者とは考えにくい。
「お前、氷魔軍の関係者だな」
一目見た瞬間からグラムロックはそんな確信を抱いていた。
女性がかなりのレベルの持ち主であることは村に立ち入った時点で察した。グラムロックの見立てでは自分とほぼ同等、最低でもレベル50は超えているはずだ。そんな一般人が存在するはずがないし、要請を受けて駈けつけたグラムロック以外に、勇者級がトリルハイム領に滞在しているとの情報もない。また、金髪赤目に初雪のような色白の肌、フード付きの漆黒のローブという風貌は、これまでの戦渦の中で何度か対峙してきた氷魔軍の魔導士部隊のそれとも一致する。女性は十中八九氷魔軍サイド。それも、ミルドアースで言うところの勇者級の実力者とみて間違いないだろう。
「……はい。私は氷魔軍の魔導士です」
女性はあっさりとグラムロックの言葉を肯定する。
敵対勢力同士が相対する緊張感漂う状況とは裏腹に、子守歌を思わせる温和な声色が耳へと届く。女性は、ずっとその声を聞いていたいと思わせるような優しい声をしていた。
「そういうあなたは、ミルドアース軍の方ですね。レベルは、私と同等くらいとお見受けする。確かあなた達の世界では、そのような方を勇者と呼ぶのでしたか」
「確かに俺はミルドアース軍の人間に相違ない。お前が氷魔軍の魔導士だというのなら、俺達は敵同士ということになるな」
グラムは無感情のまま、何時でも抜剣出来るよう、背負った黒い刀身を持つ両手剣へと手を掛ける。
女性からは敵意のようなものは感じられないが、高位の魔導士ならば、一瞬の動作や感情の機微一つで強力な魔導を発動することも可能だ。それに加えてグラムロックは物理特化型で、勇者級となった今でも魔導耐性は平均値を下回る。まさに一撃が命取りとなりかねない。いかに相手が手負いかつ、敵意が感じられないからといって、決しては油断は出来ないのだ。
その場を包む緊張感が徐々に高まっていき、グラムロックが両手剣の柄に力を込める。高レベル同士、一触即発かと思われたが、
「お姉ちゃんを虐めるな!」
不意に幼い声が響き渡り、女性魔導士が背中を預ける集会場から、7~8歳ぐらいと思われる茶色い短髪の少年が飛び出して来た。少年は迷うことなくグラムロックと女性魔導士の間に割って入り、女性魔導士を庇うようにして両手を広げる。とても勇敢だが、それでもやはり、両手剣を携えた屈強な男の前に立ちはだかるというのは恐ろしいもの。気丈に声を張りながらも、本能的に足は恐怖心に震えていた。
「そ、そのお姉さんは私たちを助けてくれたんです……だから、酷いことはしないでください」
やや遅れて、少年よりも3つ4つ年上と思われる茶髪をおさげにした少女が、おどおどしながらも少年の下へと合流。女性魔導士を庇いながらグラムロックを見据える瞳には、幼いなりに確かな覚悟が感じられる。
思わぬ展開に目を丸くしながらも、グラムロックは両手剣から手を離した。
発言から察するに、女性魔導士は少年少女にとって、咄嗟に身を挺して庇ってしまうような恩人らしい。そんな存在に子供達の前で剣の切っ先を向けるような真似は、根が優しいグラムロックには出来っこない。
子供達の介入で剣を収める理由が出来たことに、グラムロックは内心ホッとしていた。目の前の女性魔導士はこれまで戦ってきた氷魔軍の者達とは何かが異なる気がする。敵対するか否かの判断は、彼女の人と成りを知ってからでも遅くはないだろう。
「とりあえず、事情を聞かせてもらおうか」
そう言ってグラムロックはその場に腰を下ろし、女性魔導士と同じ目線で語り掛けた。
グラムロックが今すぐ事を荒立てる気はないのだと理解し、少年と少女は緊張の糸が切れ、崩れるようにしてその場にへたり込んでしまった。
「先ずは自己紹介をしておこう。俺の名はグラムロック、ミルドアース軍所属の戦士だ」
荒事に成らずに済んだことに女性魔導士も一安心している。根が真面目なのだろう。名乗られたら名乗り返すのが礼儀と、躊躇わずに自己紹介を開始する。
「私の名はノルンアークと申します」
この奇妙な出会いが、大戦の勇者グラムと、後に彼のメイドとして尽くすことになるノルンとのファーストコンタクトであった。