「ローレンス団長! どうしてあなたほどのお方がこのような乱心を! せめて理由をお聞かせ願いたい」

 怒りと失望とが混在した複雑な感情を胸に、副団長のマリウスが声を張り上げた。
 騎士として全力でトマスを守り抜く覚悟に揺らぎはない。反逆者であるというのなら、ローレンスとも戦わなければならぬだろう。それでもせめて、敬愛する上官であったローレンスがどういった経緯で主君を裏切る決断に至ったのか、その理由くらいは知っておきたい。

「権力を欲する。それ以外に何か理由が必要か?」
「はっ?」

 心の中では、やむを得ない事情を抱えた末の苦渋の決断だったのではと淡い期待を抱いていた。にも関わらず真実は、誇り高き騎士団長とはとても思えぬ、あまりに俗物染みた返答。マリウスは失望感に言葉を失う。
 
「昔から地位というものには強い憧れがあってな。しかし、生まれもあってどう足搔いても騎士団長以上の地位は望めそうにない。当然のことながら、私はエックハルトの血筋ではないからね。そこで考えたのだ、当主の地位にはつけないまでも、当主の地位にある人間を裏から支配することが出来ればそれは事実上、最上の地位にあたるではとはね。トマス様は完璧過ぎるあまり付け入る隙など無かったが、トマス様に劣等感を抱いていた兄のユルゲンならば話は別だ。少々手間はかかるが、ユルゲンを当主の座に押し上げた後で、影の支配者とて君臨しようと考えたのさ」
「団長、いや、もう団長とは呼べまい……」

 この男はいったい何を言っているのだと、不快感からクリムヒルデは生唾を飲み込んだ。副団長のマリウスは唖然とした様子で瞬きの回数が増え、当主のトマスは臣下の野心を見抜けなかった己を恥じるかのように渋面を浮かべている。マリウスに拘束されるユルゲンに至っては全てを諦め、魂が抜けてしまったかのように放心していた。

 この場で唯一平静であったのは、窓枠に腰を掛けたまま状況を静観しているグラムだけであった。

「真実が露見した今、もはやこのエトワールの地に私の居場所は無かろうが、罪人として捕まるのは論外だ。悪いがこの場は引かせてもらうよ」

 強者たるクリムヒルデさえ仕留めれれば何とかなると考え不意打ちを仕掛けたが、それも失敗した今、これ以上この場に留まっている理由はない。形勢不利を理由に、ローレンスはホールからの離脱を図り身を翻す。

「悪いが今からここは通行止めだ」
「……貴様」

 ホールの出入り口である両開きの扉の前に、グラムが一瞬にして回り込む。
 ただ扉に背中を預けて腕を組んでいるだけだが、それだけでこのホールの出入り口は世界最大級に突破の難しい鉄壁と化してしまった。ローレンスは仮にも騎士団長として戦闘経験豊富な人物。力量差くらいは弁えている。

「ローレンス。貴様のつまらぬ野心によって、罪なき者達の血が流れたのだ。その罪は(あがな)ってもらうぞ」

 静かな怒りの込められた口調と共に、長剣を手にクリムヒルデがローレンスへと睨みを効かせる。

「リム。俺の加勢は必要か?」
「罪人の始末くらいはこちらでつけるさ。グラム殿はそこで見守っていてくれ」

 クリムヒルデの言葉に従い、グラムは両開きの扉に背中を預けたまま状況を静観することにした。グラムが介入すれば直ぐに決着はつくだろうが、クリムヒルデの覚悟に水を注すのは野暮というものだろう。
 無論、クリムヒルデ救うためにエトワールの地までやってきた以上、再び彼女が命の危機に瀕したなら、恨まれることも顧みず助けに入る。しかし、その可能性は無いだろうとグラムは確信していた。

 見たところ、ローレンスのレベルはクリムヒルデよりも2高い程度。レベルに大差ない以上、精神面も戦闘には大きく影響する。ローレンスの野心とクリムヒルデの騎士としての覚悟。どちらがより芯が通っているか、それは誰の目にも明らかだ。

「よかろう。クリムヒルデよ、貴様を地獄への道連れとしてくれる」

 グラムに逃げ道を塞がれたことで、ローレンスはすでに勝利を諦めている。残された感情は、グラム共々計画を大きく掻き乱してくれたクリムヒルデを殺害し、一矢報いてやることだけだ。

 悠然とクリムヒルデの方へと向き直ると、激情に血走った双眸でクリムヒルデを見据え、長剣で刺突すべく中段で構える。この構えは地下での戦いでクリムヒルデが、ならず者相手に使用したのと同じ、剣術系スキル「剣衝突貫」発動の構えだ。凄まじい衝撃波を纏った刺突で相手をなぎ倒すこのスキルは、エックハルト騎士団に所属する騎士が最も得意とするもの。シンプルかつ強力だが、それ故に個人の技量が大きく問われるスキルでもある。

「受けて立とう、ローレンスよ。貴様のような反逆者に、私の剣は折られはしない」

 クリムヒルデも刺突の構えを取り、剣術系スキル「剣衝突貫」でローレンスへと正面から挑む。エックハルト騎士団の一員として、クリムヒルデもまたこのスキルを一番の得意技としている。エトワールの地で起こった内紛に、エックハルト家のお家騒動に終止符を打つならば、このスキル意外には考えられない。真正面から同じ技をもってローレンスを打ち倒してみせる。

「行くぞ! クリムヒルデ!」
「クリムヒルデ、参る!」

 両者同時に駆け出し、剣術系スキル「剣衝突貫」により、凄まじい衝撃波を纏った刺突と刺突が両者の中間地点にて接触。両者の体が交錯し互いの位置が入れ替わると同時に、一際大きな衝撃波が発生。ホール全体が激しく震動する。

「……くっ」

 微かに吐血したクリムヒルデの体がよろけるが、膝をついてなるものかと、長剣を床面へと突き立て、その場へと踏みとどまる。

「まったく、ひよっこがいつの間にか強くなりおって。才能とは恐ろしい……」

 口元を悔し気に歪めた瞬間、ローレンスの大柄な体躯が膝をつき、そのまま前のめりに倒れ込んでいく。床面に伏したローレンスの腹部や口元から血が滲みだし、赤い絨毯を一層赤く染め上げていった。

「騎士の誇りを懸けた一撃だ。野心に囚われた貴様なぞに負けはせぬよ……」

 沈黙するローレンスにそう語り掛けると同時に、クリムヒルデは苦痛に表情を歪め片膝をついた。

「見事な一撃だった、騎士クリムヒルデ」
 
 一騎打ちを制した気高き女騎士を称える言葉と共に、グラムが優しく手を差し伸べた。

「……大戦の勇者たるグラム殿よりの称賛のお言葉、身に余る光栄だ」

 震える手で、差し伸べられたグラムの手を取る。
 裏切り者とはいえ、尊敬する騎士団長を自らの手で討つことには複雑な感情を抱いていたのだろう。称賛の言葉に微笑みを浮かべながらも、クリムヒルデの左頬には一筋の涙が伝っていた。

「よく頑張ったな」
「……これ程まで辛い戦いは初めてだった」
「胸くらい貸してやるよ」
「……すまない」

 主君たるトマスや上官であるマリウスの前で泣き顔を晒すことを躊躇ったのだろう。迷惑を承知の上で、クリムヒルデはグラムの胸に押し当てた顔を離すことが出来なかった。グラムのカットソーの胸元には、クリムヒルデの涙が染み渡っていく。