「そこまでだユルゲン、これ以上の悪行は許さぬぞ!」
ユルゲンの足跡を追い、クリムヒルデとマリウス副団長は、晩餐会に使用されるエックハルト家のホールへと駆け込んだ。
ホールの中心部には青ざめた顔で震え上がるユルゲンと、首筋に短剣を向けられた人質のエックハルト家当主、トマスの姿があった。
白髪交じりの黒髪を撫でつけた精悍な顔つきのトマスは、ユルゲンよりも3歳年下の37歳であるにも関わらず、兄よりも老けた印象を与える。立場が顔立ちを作るといったところだろうか、圧倒的な威厳が感じられる。対する兄ユルゲンは顔立ちこそ美形であるものの、威厳がまるで感じられない。刃物を向けられているというのに、トマスは顔色一つ変えず堂々としている。表情だけならば、どちらが人質か分からないくらいだ。胆力という面でも兄弟間の差は歴然だった。
「ユルゲン、貴様の配下の戦力はじきに壊滅する。野望もこれまで、これ以上の愚行を重ねるな。大人しく投降しろ」
ユルゲン配下の戦力は、グラムの一騎当千の活躍により沈黙。残存戦力も牢獄から解放された騎士達により次々と制圧されている。エックハルト邸の奪還はもう時間の問題。トマスを救出し、ユルゲンの身柄を確保すれば事態は解決する。
「兄上、クリムヒルデの言う通りだ。武器を置き、大人しく投降してくれ。これ以上兄弟で争って何になる」
「だ、黙れ!」
「トマス様!」
「よい、マリウス」
激昂したユルゲンの握る短剣に力が込められ、切っ先がトマスの首に薄い線を引き、微量の血液が滴り落ちる。
主君の負傷に動揺したマリウスが長剣で斬りかかろうとするが、それを制したのは他ならぬトマスであった。トマスは傷を負ってもなお怯むことはなく、瞳に宿りし力強い意志は一切の衰えを見せない。
「兄上、結局のところ私は甘かったのだろうな。兄上が私に対して悪意を抱いていることには薄々感づいていたよ。それでもなお、まさか実の兄が私の命を狙うような真似まではすまいと、血の絆を無条件に信じ込んでいた……兄弟間の争いに巻き込まれ、愛すべき臣下達の命が失われた。悔やんでも悔やみきれぬよ」
「状況が分かっているのか? 今お前の命は、私が握っているのだぞ!」
生殺与奪の権利を握られているにも関わらず、トマスからは一切の怯えや不安が感じられない。改めて格の違いを思い知らされていくようで、口調とは裏腹にユルゲンの方が追い詰められていた。
「兄上には一つだけ感謝しているよ。此度の一件で私は、非情になることの大切さを思い知らされた。兄弟の情は捨て、兄上を一罪人として処分することを決意出来たよ」
「トマス、貴様!」
不意に首筋の短剣に手を伸ばしたトマスが、刃が食い込むこともためらわずに左手で力強く握った。刀身を握った状態で、強引に短剣を奪い取る。
「この程度の痛み、傷ついた臣下や、情勢不安に怯える民の心情に比べたらどうということはない」
「……ひっ」
実の弟から怒りと侮蔑とが混在した鋭い眼光を向けられ、ユルゲンは短い悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んでしまう。
「マリウス。大罪人のユルゲンを捕らえよ」
「承知いたしました」
駆け寄ったマリウスが即座にユルゲンの身柄を拘束、血塗れのトマスの左手から短剣を預かる。
「……私は悪くない。私はただ、あいつの作戦に乗っただけだ」
「この期に及んで責任転嫁か? 見苦しいぞユルゲン!」
小心者の戯言とマリウスが吐き捨てるが。
――本当にユルゲン一人でこんな大それたことを考え出したのか?
奇妙な違和感と胸騒ぎに、クリムヒルデの表情が強張る。
往生際が悪いといえばそれまでだが、最早言い逃れなど出来ぬ状況であることはユルゲンとて理解しているだろう。物事は常に最悪の場合は想像するべきだ。一度処刑の危機に瀕した今、クリムヒルデは決して状況を楽観視などしない。
今になって思えば、屋敷に混乱が発生した直後のユルゲンの行動にも違和感がある。外部からの襲撃が起きたとすれば、それは敵対勢力たるクリムヒルデらの介入と考えるのが妥当。主君を人質に取られ、早々に牢獄に囚われた騎士団長に尋問する必要などあるだろうか? もしもユルゲンの目的が別のところにあったとするなら? 最悪な想像を裏付けるかのように、今この場に疑惑の人物の姿はない。
「リム、後ろだ」
「……ああ、分かっている」
忠告の正体は正門での戦いを終え、オスカルから事情を聞き駆けつけたグラムだったが、忠告を聞くまでもなく、クリムヒルデはすでに行動を開始していた。即座に振り抜いた長剣が、背後から振り下ろされた長剣と接触、甲高い金属音が響き渡る。
不敵な笑みを浮かべて凶刃を振り下ろして来たのは、騎士としての憧れでもある、エックハルト騎士団団長のローレンスであった。金髪をオールバックに纏めた精悍な顔つきと屈強な体躯のもたらす迫力は、味方として戦場に臨む際は何よりも心強く、敵として相対した際は何よりも恐ろしい。
「良い反応だ。見せしめのための処刑など行わず、捕らえた時点で殺しておくべきだったかな」
「……ローレンス団長、何故ですか?」
ローレンスが力強く長剣を薙いだ瞬間、長剣同士が弾けて膠着が解かれる。その反動を利用し、ローレンスとクリムヒルデは同時に後退。距離を取った。
「ローレンス! どういうことだ?」
トマスがローレンスへと語気を強めて問いかける。動揺は内心に留めているが、騎士団長として長年尽くしてくれたローレンスの乱心は、実の兄の反逆よりも衝撃的であった。
「そこの情けない男の言葉は真実ですよ。ユルゲンを唆し、此度の内紛を誘発させたのは私です。騎士団長たる私の関与でも無い限り、ユルゲンに反逆を企てる度胸などありませぬよ」
ローレンスがユルゲンの発言を肯定したことで、騎士団長の反逆という、ショッキングな事実が確定した。グラムの来訪で屋敷内に混乱が発生した際、ユルゲンがローレンスを牢獄から連れ出したのは尋問のためなどではない。想定外の事態に動揺し、共犯者として意見を求めたのだ。他の騎士共々囚われの身となっていたのは、疑いの目を向けられないための芝居だったのであろう。まさか誰も、囚われの身にある者が、ましてや騎士団長の地位にある者が、反逆の首謀者などとは思うまい。
「なるほど。反逆に加担した騎士達はユルゲンよりもむしろ、騎士団長たるあんたへの忠誠心で動いていた部分が大きそうだな」
いかに直属の臣下といえども、ユルゲンのような男の企てに、騎士達がそう簡単に加担するとは思えない。しかし、騎士達を束ねし団長が反逆を企てたとなれば、後に続こうとする騎士が出て来たとしてもおかしくはない。先程グラムが撃破してきたカイザル髭の騎士も恐らくは、ローレンスへの忠誠心から反逆に加担した人間だったのだろう。
「ふむ。貴様がクリムヒルデの処刑の場に乱入したという男か。まったく、貴様という不確定要素が無ければ全ては上手くいったものを」
順調だった計画は、あの処刑台の一件から狂いだした。
グラムに対し貴様と呼ぶ際のローレンスの表情には青筋が浮かび、激しい怒りの念が表面化している。事実、グラムの介入さえ無ければ、今頃は潜伏していたオスカルら残存戦力を殲滅し、完全にエックハルト家を掌握出来ていたはずなのだから。
ユルゲンの足跡を追い、クリムヒルデとマリウス副団長は、晩餐会に使用されるエックハルト家のホールへと駆け込んだ。
ホールの中心部には青ざめた顔で震え上がるユルゲンと、首筋に短剣を向けられた人質のエックハルト家当主、トマスの姿があった。
白髪交じりの黒髪を撫でつけた精悍な顔つきのトマスは、ユルゲンよりも3歳年下の37歳であるにも関わらず、兄よりも老けた印象を与える。立場が顔立ちを作るといったところだろうか、圧倒的な威厳が感じられる。対する兄ユルゲンは顔立ちこそ美形であるものの、威厳がまるで感じられない。刃物を向けられているというのに、トマスは顔色一つ変えず堂々としている。表情だけならば、どちらが人質か分からないくらいだ。胆力という面でも兄弟間の差は歴然だった。
「ユルゲン、貴様の配下の戦力はじきに壊滅する。野望もこれまで、これ以上の愚行を重ねるな。大人しく投降しろ」
ユルゲン配下の戦力は、グラムの一騎当千の活躍により沈黙。残存戦力も牢獄から解放された騎士達により次々と制圧されている。エックハルト邸の奪還はもう時間の問題。トマスを救出し、ユルゲンの身柄を確保すれば事態は解決する。
「兄上、クリムヒルデの言う通りだ。武器を置き、大人しく投降してくれ。これ以上兄弟で争って何になる」
「だ、黙れ!」
「トマス様!」
「よい、マリウス」
激昂したユルゲンの握る短剣に力が込められ、切っ先がトマスの首に薄い線を引き、微量の血液が滴り落ちる。
主君の負傷に動揺したマリウスが長剣で斬りかかろうとするが、それを制したのは他ならぬトマスであった。トマスは傷を負ってもなお怯むことはなく、瞳に宿りし力強い意志は一切の衰えを見せない。
「兄上、結局のところ私は甘かったのだろうな。兄上が私に対して悪意を抱いていることには薄々感づいていたよ。それでもなお、まさか実の兄が私の命を狙うような真似まではすまいと、血の絆を無条件に信じ込んでいた……兄弟間の争いに巻き込まれ、愛すべき臣下達の命が失われた。悔やんでも悔やみきれぬよ」
「状況が分かっているのか? 今お前の命は、私が握っているのだぞ!」
生殺与奪の権利を握られているにも関わらず、トマスからは一切の怯えや不安が感じられない。改めて格の違いを思い知らされていくようで、口調とは裏腹にユルゲンの方が追い詰められていた。
「兄上には一つだけ感謝しているよ。此度の一件で私は、非情になることの大切さを思い知らされた。兄弟の情は捨て、兄上を一罪人として処分することを決意出来たよ」
「トマス、貴様!」
不意に首筋の短剣に手を伸ばしたトマスが、刃が食い込むこともためらわずに左手で力強く握った。刀身を握った状態で、強引に短剣を奪い取る。
「この程度の痛み、傷ついた臣下や、情勢不安に怯える民の心情に比べたらどうということはない」
「……ひっ」
実の弟から怒りと侮蔑とが混在した鋭い眼光を向けられ、ユルゲンは短い悲鳴を上げ、その場にしゃがみ込んでしまう。
「マリウス。大罪人のユルゲンを捕らえよ」
「承知いたしました」
駆け寄ったマリウスが即座にユルゲンの身柄を拘束、血塗れのトマスの左手から短剣を預かる。
「……私は悪くない。私はただ、あいつの作戦に乗っただけだ」
「この期に及んで責任転嫁か? 見苦しいぞユルゲン!」
小心者の戯言とマリウスが吐き捨てるが。
――本当にユルゲン一人でこんな大それたことを考え出したのか?
奇妙な違和感と胸騒ぎに、クリムヒルデの表情が強張る。
往生際が悪いといえばそれまでだが、最早言い逃れなど出来ぬ状況であることはユルゲンとて理解しているだろう。物事は常に最悪の場合は想像するべきだ。一度処刑の危機に瀕した今、クリムヒルデは決して状況を楽観視などしない。
今になって思えば、屋敷に混乱が発生した直後のユルゲンの行動にも違和感がある。外部からの襲撃が起きたとすれば、それは敵対勢力たるクリムヒルデらの介入と考えるのが妥当。主君を人質に取られ、早々に牢獄に囚われた騎士団長に尋問する必要などあるだろうか? もしもユルゲンの目的が別のところにあったとするなら? 最悪な想像を裏付けるかのように、今この場に疑惑の人物の姿はない。
「リム、後ろだ」
「……ああ、分かっている」
忠告の正体は正門での戦いを終え、オスカルから事情を聞き駆けつけたグラムだったが、忠告を聞くまでもなく、クリムヒルデはすでに行動を開始していた。即座に振り抜いた長剣が、背後から振り下ろされた長剣と接触、甲高い金属音が響き渡る。
不敵な笑みを浮かべて凶刃を振り下ろして来たのは、騎士としての憧れでもある、エックハルト騎士団団長のローレンスであった。金髪をオールバックに纏めた精悍な顔つきと屈強な体躯のもたらす迫力は、味方として戦場に臨む際は何よりも心強く、敵として相対した際は何よりも恐ろしい。
「良い反応だ。見せしめのための処刑など行わず、捕らえた時点で殺しておくべきだったかな」
「……ローレンス団長、何故ですか?」
ローレンスが力強く長剣を薙いだ瞬間、長剣同士が弾けて膠着が解かれる。その反動を利用し、ローレンスとクリムヒルデは同時に後退。距離を取った。
「ローレンス! どういうことだ?」
トマスがローレンスへと語気を強めて問いかける。動揺は内心に留めているが、騎士団長として長年尽くしてくれたローレンスの乱心は、実の兄の反逆よりも衝撃的であった。
「そこの情けない男の言葉は真実ですよ。ユルゲンを唆し、此度の内紛を誘発させたのは私です。騎士団長たる私の関与でも無い限り、ユルゲンに反逆を企てる度胸などありませぬよ」
ローレンスがユルゲンの発言を肯定したことで、騎士団長の反逆という、ショッキングな事実が確定した。グラムの来訪で屋敷内に混乱が発生した際、ユルゲンがローレンスを牢獄から連れ出したのは尋問のためなどではない。想定外の事態に動揺し、共犯者として意見を求めたのだ。他の騎士共々囚われの身となっていたのは、疑いの目を向けられないための芝居だったのであろう。まさか誰も、囚われの身にある者が、ましてや騎士団長の地位にある者が、反逆の首謀者などとは思うまい。
「なるほど。反逆に加担した騎士達はユルゲンよりもむしろ、騎士団長たるあんたへの忠誠心で動いていた部分が大きそうだな」
いかに直属の臣下といえども、ユルゲンのような男の企てに、騎士達がそう簡単に加担するとは思えない。しかし、騎士達を束ねし団長が反逆を企てたとなれば、後に続こうとする騎士が出て来たとしてもおかしくはない。先程グラムが撃破してきたカイザル髭の騎士も恐らくは、ローレンスへの忠誠心から反逆に加担した人間だったのだろう。
「ふむ。貴様がクリムヒルデの処刑の場に乱入したという男か。まったく、貴様という不確定要素が無ければ全ては上手くいったものを」
順調だった計画は、あの処刑台の一件から狂いだした。
グラムに対し貴様と呼ぶ際のローレンスの表情には青筋が浮かび、激しい怒りの念が表面化している。事実、グラムの介入さえ無ければ、今頃は潜伏していたオスカルら残存戦力を殲滅し、完全にエックハルト家を掌握出来ていたはずなのだから。