「ここまで来れば安心だろう。先ずは手枷と鉄球を外さないとな」

 処刑台広場を離脱したグラムと女騎士は、遠く離れた森の中へと身を潜めていた。鉄球を身に着けた人一人抱えているにも関わらず、一度も休憩を取らずに走り抜けたグラムの体力は凄まじい。
 女騎士の両腕を傷つけないよう、絶妙な力加減で素手で手枷を粉砕。続けざまに腕力に物を言わせて鉄球と足首とを繋ぐ鎖を豪快に引き千切った。
 鍵開けや拘束解除系のスキルがあれば良かったのだが、腕力だけでどうにかなったので結果オーライだ。最前線での戦いにこういったスキルが必要となる場面が無かったため、グラムは取得する機会には恵まれていなかった。

「命を救って頂いただけに留まらず、拘束の解除まで。何と礼を言ったらいいか」
「礼なんていい」

 額が地面に付きそうなくらい深々と頭を下げる女騎士に対し、グラムは頭を上げるよう促すが、まだまだ感謝が足りないと言わんばかりに女騎士は頑として頭を上げようとしない。仕方がないのでグラムは話題を変えることで女騎士に面を上げさせようとする。

「まだ名前を聞いていなかった。君の名前を聞かせてもらってもいいか?」

 目も合わさずに名前を名乗ることは失礼だと思ったのだろう。グラムの思惑通り、女騎士は顔を上げた。

「これはとんだ失礼を。私の名はクリムヒルデ。エトワールの地を治めしエックハルト家に仕えし騎士だ」

 クリムヒルデと名乗った女騎士は、ハーフアップの亜麻色の髪と色白な肌、澄んだ碧眼が印象的な長身の美女だ。騎士社会に身を置いているだけあり、その表情は凛々しさと気品を両立している。長身の印象も手伝いとても大人びた印象だが、実年齢は19歳とかなり若い。

「俺の名はグラム。フェンサリル領からやってきた。間抜けなことを聞くようだが、エトワールとは大陸全体で見たらどの位置にあたる? 助けに来ておいてなんだが、俺は今、自分がどこにいるのかも分かっていなくてな」
「エトワールは、フォールクヴァング領の南部に位置する地域だが」
「フォールクヴァング領か。これまた随分と遠くに」

 当惑からグラムは苦笑を浮かべた。フォールクヴァング領といえば大陸の西部。ユニークスキルを発現して以降、拠点である南部のフェンサリル領も含めれば、たった一カ月弱で大陸の東西南北に足を運んだことになる。遊びに行ったわけではないので、喜んでいいのか難しいところだ。

「私の目には、グラム殿は突然処刑台へと現れたように見えた。フェンサリルとは随分と遠方のご出身らしいし、どういった経緯でこの地へやって来たのだ?」
「経緯なんて大そうなものではないが、俺は特定の条件下で強制的に発動するユニークスキルを持っていてな。その効果で、フェンサリル領からあの処刑台まで一瞬でワープしてきた」
「なるほど、ユニークスキルによるワープか。それならば突然、処刑台の上に現れたことにも得心がいく」

 これまで出会ってきた者達とは異なり、クリムヒルデの理解は早い。
 勇者級には及ばぬとは言え、騎士として戦闘経験豊富なクリムヒルデもそれなりのレベルの持ち主。おおよそ40台前半といったところだろうか。
 戦闘経験豊富な武人としてスキルに対する理解も深く、一瞬で長距離を越えてこれるワープスキルの存在も当然承知している。状況を受け入れることに抵抗が少ないのだろう。

「特定の条件下というのは?」
「助けを求める誰かの声に導かれることだ」
「なるほど。天に乞うた助命が、遠く離れたグラム殿の下に届いたということか。強制的だというのなら突然のことだったのだろう。迷惑をかけたな」
「別に迷惑なんてことはない。夕飯よりも、誰かの命を救う行為を優先するのは当然だ。あともう頭は下げないでいい」

 義理堅いクリムヒルデが再び深々と頭を下げようとするが、礼ならばもう貰ったからと、今度は早々に頭を上げさせた。

「それで、さっきの連中は」
「グラム殿は志半ばの私の命を救ってくださった。もう十分だ。これ以上、私達の事情に巻き込むわけにはいかない」
「乗りかかった船だ。事情くらいは聞かせてくれてもいいだろう。下船の判断なんていつでも下せる」

 迷いのないグラムの視線に耐え切れず、クリムヒルデは渋面で目線を逸らす。
 グラムの実力は先程の処刑台での立ち回りで証明済み。彼ならば現在自分達が置かれている状況を覆せるのではと思う。一方で、エトワールやエックハルト家の問題に無関係な人間を巻き込むめないし、命を救ってくれた恩人にこれ以上の迷惑をかけたくないという思いもある。

「さっきの騎士連中も、君と同じくエックハルト家に仕える連中だろう?」

 クリムヒルデの本音を引き出すべく、グラムはいきなり核心を突いた。

「何故それを?」
「君と連中の腕には同じ腕章が巻かれている。見たところそれは家紋だろう。共通した家紋をつけている以上、同じ家に仕える者達だと考えるのが妥当だ。この場合の候補はエックハルト家しかない」
「……あの立ち回りの中、そこまで見ていたのか。底の知れないお方だ」
「エックハルト家では何らかのお家騒動で、内紛のような状態が発生している。同じ家に仕えながらも、君とさっきの連中には敵対関係が生じていると俺は見ている」

 先ずはグラムの見立てを聞こうと思ったのだろう。クリムヒルデは口は挟まず、指摘を肯定し頷くだけに留めている。

「突然やって来た余所者目線から見て、正義は君の側にあったように思う。決して感情論じゃない。あくまでも客観的な意見だ」

 死線を生き抜くためにはレベルやステータスだけでは足りない。観察力や洞察力も生存のための大事な要素だ。その習慣が染みついているグラムは、戦闘中であっても決して周辺を観察するということを忘れない。クリムヒルデに正義があるというのは総合的に判断した上での結論だ。

「例えば君が背反行為を働いた罪人だというのなら、公衆の面前で堂々と処刑に踏み切ればいい。それをしなかったのは民意を得られず批判を浴びる可能性が高いからだ。あれは処刑というよりもむしろ、敵対勢力に対する目せしめの意味も込めた私刑の側面が強かったんだろう。仮にも同僚だった人間の首を刎ねようかという場面で、奴らは娯楽のような笑みを浮かべていたしな。処刑という公的な場に、裏家業らしき人間を同席させている点も不自然だ。恐らく奴らは騎士達の協力者。怪しい連中と手を組んでの私刑染みた行いを見るに、エックハルト家に反旗を翻した裏切り者が奴らで、エックハルト家の側に立ち続ける忠義者が君の方なのではと俺は見ている」

「……恐れ入ったよ。まるで全ての事情を知った上で語っているかのようだ」

 それは皮肉ではなく、純粋な感嘆から発せられた言葉だ。
 優れた洞察力と戦闘能力に加え、行動力までも伴ったグラムならば、そう時間をかけずとも一人でエックハルト家の内情を調べ上げてしまいそうだ。
 それならばせめて、自分の口から真実を告げようとクリムヒルデは決意した。グラムが言っていたように、下船の判断など後からでも下せる。