泡沫の森での一件から10日後。フェンサリル領の大図書館では、(はかま)姿のレンカが魔導書を広げて勉強に励んでいた。修練場での新人の教育を終えたグラムが、レンカの勉強ぶりを拝見しようと立ち寄ると、気分転換に大きく伸びをしたレンカと目が合う。グラムの顔を見たレンカは、勉強の疲れを感じさせない、晴れやかな笑みを浮かべている。

「頑張っているみたいだな。レンカ」
「あら、グラムさん」

 フェンサリル領に移住したレンカは、領主であるウルスラに魔導の才能を見出され、ウルスラ自身が講師を務める魔導塾へと入塾することとなった。ウルスラが多忙なこともあり、塾の開催は不定期で、今日のレンカは自習をしていた。
 レンカ自身、魔導を覚えることが好きで、シデン村で暮らしていた頃の数少ない楽しみが、巫女の神殿に蔵書してあった古い魔導書を紐解き、独学で魔導系スキルを取得することであった。
 そんなレンカにとって、英雄クラスの白魔導士であるウルスラに師事し、膨大な魔導書の蔵書を誇る図書館で勉学に励む。そんなフェンサリル領での日々はとても充実している。

 新天地での生活にも慣れてきたら、レンカにはいずれ、ウルスラの公務の一部を補佐してもらう予定で、レンカもそのことを快諾してくれている。一日でも早く、尊敬するウルスラや恩人であるグラムのためにも、フェンサリル領のために頑張りたいと思ってくれているようだ。

「レンカ。この後、何か予定はあるか?」
「いえ。部屋に戻るだけですか」

 シグリの時とは異なり、レンカの住居はグラムの家ではない。後々ウルスラの公務を補佐していく関係から、領が運営する宿舎の一室が提供されている。とはいえ、新天地でいきなりの一人暮らしというのは心細いもの。窮地を救ってくれたグラムや、親しくなったノルンやシグリと一緒に過ごしたくて、グラムの家に泊まりにくる日も多い。
 フェンサリル領にやってきて日が浅い者同士、レンカとシグリは直ぐに打ち解けたし、ノルンも料理をする機会が増えて満足気。レンカが泊まるとベットの数が足りないのでグラムは一人、リビングのソファーで眠る羽目となってしまうのだが、皆が楽しそうならばそれで良いと、特に不満を抱いたことはない。

「良かったら家で一緒に夕食を摂らないか? 近所の農家から具材の御裾分《おすそわ》けがあってな。せっかくだし、みんなで鍋でもどうかと思ってな」
「ご馳走になります! そのままお泊りしていってもいいですか?」
「構わないぞ、シグリも喜ぶ。それじゃあ、家に帰る前に少し買い物に付き合ってもらってもいいかな? 足りない具材を買い出してくるようにノルンに言われていてな」
「もちろんです」

 笑顔の花を咲かせると、レンカは魔導書を本棚へと戻し、手早く帰り支度を済ませていく。


「長ネギですか」
「家にある分じゃ足りないかもしれないと、ノルンに頼まれてな」

 長ネギを担いだグラムがなぜかキメ顔で言う。
 ほとんどの具材は御裾分けで足りているので、グラムが市場で購入したのは太く、歯ごたえのありそうな長ネギ一本と、お土産に購入したシグリの好物のミックスフルーツジュース(美味しいので人数分)くらいのものであった。

「ノルン、今戻ったぞ」

 会話を弾ませている間にグラムの自宅まで到着。一声かけてからグラムは玄関の扉へ手をかけようとしたが。

『……私はここで死ぬわけには』

「鍋が出来上がるまでに帰れるといいんだが」

 流石に三回目ともなれば、これから何が起きるのか想像がつく。
 ユニークスキル「ワープスキル・救世主」の発動を直感したグラムは、過去二回と比べれば随分と冷静だった。

「レンカ、俺は少し遠出してくるよ」
「遠出って、グラムさん、まさか?」

 グラムが苦笑顔で頷いた時には、その体はすでに眩い光に包み込まれていた。
 一緒に飛ばされないよう、グラムがミックスジュースの包みをレンカに手渡した瞬間、グラムの姿が自宅前から消失した。
 
「これがグラムさんのユニークスキルですか。こうして私の背後に……」

 レンカがグラムのユニークスキルによるワープを目撃するのはこれが初めてだ。泡沫の森の時もこのようにして自分の所へやって来たのかと感心した一方で、裸身を見られた時のことを思い出してしまい、一人で勝手に顔が茹で上がってしまう。

「レンカさん、グラム様の御姿が見えませんがもしや?」

 玄関扉からノルンが顔を出す。謎の発光を感じると同時にグラムの気配が消えた。何が起きたのかはノルンもすでに察しがついている。

「ユニークスキルでどこかに飛ばされてしまったようです。ワープする直前に、買い物の包みを私に託していかれましたが」

 レンカから手渡された包みを確認すると、中身はシグリの好物でもあるミックスフルーツジュースが四人分入っているだけだ。

「レンカさん、長ネギは?」
「そういえば、グラムさんが担いだままでした。ということは」
「グラム様と一緒に、どこか遠くへワープしていったということになりますね」

 今日のグラムの服装は黒いカットソーにベージュのカーゴパンツ、レースアップのブーツという私服姿だった。帰宅中で武器の類も装備していなかったので丸腰、いや、共にワープしたと思われるネギが唯一の装備品と言えなくもないが。

「行ってしまったものは仕方がありません。今日は女子三人で鍋パーティーということにいたしましょう」
「流石にグラムさんが可哀想じゃありませんか?」
「お仕事がいつ終わりになるか分かりませんし、具材が痛んだら勿体ないですから。早く終了したら、その時は途中参加して頂けばよいだけのことです」
「確かにその通りですね。分かりました、今日はグラムさん抜きに楽しみましょう」
「決まりですね。グラム様の分のミックスフルーツジュースはシグリちゃんに譲りましょうか」

 和気藹々とした様子でレンカがグラムの自宅へとお邪魔する。
 女性陣だけでお泊りをするのはこれが初めてなので、これはこれでけっこうテンションが上がっていた。

 家主不在の中、鍋パーティーは予定通り進むこととなる。
 家主のグラムよ。何と間の悪いことだろう。