――この人はいったい何をしたの?

 湖中に没したレンカは、予想だしていなかった光景に驚愕する。
 共に入水したグラムを拘束していた縄が、水中にも関わらず、彼の怪力によって一瞬で引きちぎれたのだ。
 平然とした様子でグラムは、レンカにこの場で待機しているようジェスチャーで指示。目を丸くしたレンカがコクコクと頷いたのを確認すると、「水中戦」スキルの使用により、常人離れした速度で水中を移動。湖の中心で身を捩る竜神目掛けて一直線に向かっていく。

 接近するグラムの影に気付いた竜神は獲物の来訪を喜び、大口開けてそれを迎え入れようとする。

 ――いけない! 幾らなんでも丸腰じゃ。

 グラムが噛み殺される凄惨な光景を想像し、レンカは一瞬、目を背けそうになってしまう。しかし不安から一転、再び驚愕にその目を見開くこととなる。

 竜神に迫ったグラムは、鋭利な歯による噛みつきを、ターンを伴う軽快な泳ぎで危なげなく回避。そのままに竜神の下方へと回り込むと、グラムはそのまま上昇。拳一つで竜神へと挑みかかった。驚くべき速度で迫ったグラムの拳が竜神の腹部へと直撃。次の瞬間、上方へ向けて激しいインパクトが発生し竜神の体が急浮上。そのまま水上へと打ち上げた。

 ――水中で素手であの巨体を殴りつけた。そんなことが可能なの?

 情報を処理しきれず茫然としているレンカの元へ、旋回したグラムが戻って来た。
 浮上するぞとジェスチャーで示すと、右手をレンカの腰へ回し固定。「水中戦」スキルの効果で危なげなく、勢いよく水上まで上昇した。

「……何が起こっておるのじゃ?」

 突然、竜神の巨体が水面へ打ちあがったかと思いきや、次の瞬間にはグラムとレンカが五体満足で急浮上してきた。状況に理解が追いつかず、村長たちの表情には目に見えて狼狽している。

「これを着て、ここで少し待ってろ」
「は、はい」

 びしょ濡れで素肌の透けているレンカを気遣い、グラムが革製の胸当てを頭から被せてやった。あの程度の魔物相手の防具など不要だし、濡れて装束が張り付いたレンカの姿は、目のやり場に困る。

「お、お前、一体どうやって?」
「借りるぞ」

 表情を引き攣らせている村の男の背後に一瞬で回り込むと、「手加減」スキルで放った手刀で意識を刈り取り、そのまま男が護身用に装備していた漁業用の銛を拝借した。素手でも十分に対処可能だが、いちいち接近しなければならないので多少は時間がかかる。投擲可能な銛ならば、一撃で決めることも可能だ。

 水中から竜神を打ち上げる常識外のパワーと、屈強な男を一瞬で無力化する俊敏さ。すでにグラムは常人たちにとっては恐怖の対象。グラムを妨害しようとする者は自然といなくなった。

「竜神様か。勝手に祭り上げられて、お前さんもいい迷惑だったのかもな。まあ、同情なんてしないが」

 水面へ打ち上げられ、気絶していた竜神の意識が回復。怒りを露わに激しい水飛沫を上げ、湖の縁に立つグラムを食い殺すべく接近してきた。
 淡々とした様子でグラムは銛を振り被り、姿勢を低くし投擲の構えを取る。グラムは過去に槍兵系スキルの「穿通(かせんつう)」を取得している。貫通力を付与する投擲スキルをグラムの高ステータスで放てば、漁具である銛でも、神槍(しんそう)に匹敵する破壊力を発揮することだろう。

「じゃあな、竜神様!」

 グラムが銛を投擲すると同時に、周囲に凄まじい衝撃波が発生。レンカや周囲の村人たちが衝撃に飛ばされないように姿勢を低くしてその場で堪える。
 放たれた銛は恐るべき速度で真正面から竜神へと迫った。突然の飛来物に竜神は即座に対処出来ず、銛は開いた竜神の大口へと飛び込んでいく。喉に接触した瞬間あまりの破壊力に、貫通するまでもなく竜神の頭部は粉砕。投擲した銛の勢いはなおも死なず、湖後方の泡沫の森の奥深くへと消えていった。

「りゅ、竜神様が、し、死んだ……」

 その死に一切疑いの余地のはない。頭部を失った竜神の巨体は力なく湖面へ浮かび、単なる死骸へと成り果てている。

「……本当に竜神様を倒してしまうなんて」
「言っただろ。俺に任せておけって」

 驚きのあまり腰が抜けてしまい、上手く立ち上がれないでいるレンカにグラムが優しく手を差し伸べた。

「あなたはいったい何者なんですか?」
「こう見えてもレベルは80を超えていてな。昔は氷結戦争にも参加していた」
「80以上。勇者級?」

 グラムが想像以上の大物であったという事実を受け、驚きと同時に納得がレンカの中に広がっていく。いとも容易く竜神を屠ったこともそうだし、ずっと余裕綽綽だったことにも説明がつく。此度の事件はグラムにとっては、危機でも何でもなかったということだ。
 しかし、グラム本人の認識は異なる。自分にとって容易い状況であったとしても、それが助けを求める誰かの一大事である以上、全力でそれに対処する。それがグラムという男だ。