「さあさあ、旅でお疲れでしょう。今夜はゆっくりとお休みください」
「こりゃああ、ごしんせつにどうもどうも……」

 意識朦朧とした演技を続けるグラムは、二人の屈強な木こりに左右から肩を貸され、来客用だという木造平屋の家屋へと運ばれてきた。筋肉質で背も高いグラムを運ぶのに屈強な男達が宛がわれるのは当然といえば当然だが、万が一逃走を図った場合に、即座に取り押さえる戦闘要員として役割もあるのだろう。

 素が出ているのだろうか? グラムが意識朦朧(演技)としているのをいいことに、乱暴に突き放すようにして、部屋の隅の簡易ベッドに寝かせた。そのまま二人で小言を呟きつつ、男達は来客用の家屋を後すると、去り際にしっかりと外から鍵をかけていった。

「ここまであからさまだと流石に引くな」

 壁はそれなりに厚いようだが、外に漏れないようグラムは小声で呟く。
 この家屋には窓がない。元は資材置き場か何かだったのかもしれないが、毒を盛られた客人が万が一途中で意識を取り戻した際に、窓を割って逃走するという選択肢を排除しているとも考えられる。窓がない以上、月明かりさえも差し込まず、家屋の中は完全な暗闇だ。グラムは「ナイトビジョン」のスキルを習得しているため、問題無く室内を観察出来ているが、一般人なら、意識を取り戻した時点でパニックに陥りそうな状況だ。

 扉も外から完全に施錠されているし、この家屋はいわば一種の牢獄。並の人間ならば脱出は困難であろう。グラムの場合はその圧倒的ステータスの暴力で、扉でも壁でも、好きな場所を突き破って脱出が可能だが、事態の本質を見極めるまでは流れに身を任せると決めているのですぐに脱出はしない。ある程度やることを済ませたら、体力回復を目的に睡眠をとることに決めた。

「まだ起きててくれよ」

 グラムはポケットにしまっていた、ビー玉のような小さなマジックアイテムを一つ取り出す。カーゴパンツのサイドポケットにしまっていたおかげで手放さずに済んだ。

 床に叩き付けるとマジックアイテムが弾け、小さな水溜まりが発生。これでノルンと連絡とるための「水鏡」のスキルの発動条件が整った。
 このマジックアイテムはあらゆる液体をビー玉状の球体として持ち運ぶことが出来る「スフィア」と呼ばれるもの。高レベルの魔導士であるノルンのお手製で、先日の一件を踏まえ、万が一水場を確保出来ない場合に、何時でも何処でも「水鏡」を発動させられるようにと、グラムに携帯させていたものだ。

「ノルン、繋がっているか?」
「繋がっておりますよ。こちらは(たらい)に水を張って水鏡としておりますが、そちらは随分と暗いですね。グラム様のご尊顔がよく見えません」
「訳あって暗闇の中にいる。こちらからはお前の顔が見えているから、気にせず続けてくれ」
「こちらからははっきりと見えないのに、グラム様の方からは私がはっきりくっきりと見えている? それはそれで何だか興奮してしまいます。目の保養が必要でしたら一肌お脱ぎしますよ」

 頬を赤らめながら、水鏡越しのノルンが艶っぽくブラウスのボタンを第二まで開けた。

「脱がんでいい脱がんで! まったく、これまでならまだしも、いやまだしもじゃないけど! 今その家には俺とお前だけじゃなくてシグリも一緒に暮らしているんだ。刺激的な話題や行為は控えるように」
「大丈夫ですよ。シグリちゃんならすでに寝室でお休みに」
「……ノルンさん、一体どなたとお話ししてるんですか~」

 不意に聞こえて来た眠たげな声と共に、瞼を擦るネグリジェ姿のシグリが、ノルンの背後から水鏡を覗き込んできた。ノルンがうるさかったのか、トイレにでも起きたタイミングでたまたま通りがかったのか、寝室に居たはずのシグリが起きてきてしまったようだ。

「ノルンが騒がしいからシグリが起きちゃったじゃないか」
「すみません、はしゃぎすぎましたね」

 夫婦間のある会話をしていると、寝ぼけていたシグリの意識が少しはっきりしてきたようた。水鏡越しにグラムの声を聞き、テンションを上げる。

「あっ、グラムさん! 私とノルンさんを置いて、一体どこに遊びに行ってしまったんですか?」
「えっ、何? 俺ふらっと一人旅に出たとか思われてたの?」

 領主のウルスラの前で消えた以上、ユニークスキルが発動したことは家にも伝わっているはずだ。シグリは理解の早い子だし、冗談を言うタイプでもないはずだが。

「おい、ノルン」

 一つの可能性に思い至り、水鏡の端で満面の笑みを浮かべるノルンに冷ややかな視線を送る。

「すみません、冗談を吹き込んだまま、すっかり誤解を解くのを忘れておりました」
「いやいやいや、なにシグリに冗談吹き込んでるんだよ。そのままだと俺、身内に何も言わぬままフラッと姿を消した無責任野郎だから! いや実際に何も言わずにフラっと姿消したけどさ!」

 何故だか最終的には自分に対してキレ気味になってしまった。スキルの性質上仕方がないが、準備期間(装備よりも予定の調整等)がない強制発動は困りものだ。そんな不都合を度返ししてでも、誰かを助けようとしてしまうところがグラムらしい。

「シグリ、これまでの俺とノルンとのやり取りで何となく察したとは思うが、俺はフラッと旅に出たわけじゃない。初めてお前と会った時のように、ユニークスキルが発動したようでな。助けを求める声に導かれてワープしたらしい」
「私にそうしてくれたように、グラムさんはどなたか困っている人を助けるために行動中なんですね。シグリ、心から応援します!」
「いい子だなシグリは。ノルンとのやり取りでやさぐれた心が癒されていくようだ」

 両腕でガッツポーズを作ってエールを送ってくれるシグリの何と微笑ましいことか。猥談やら脱衣に躊躇がない、どこぞのメイドとはえらい違いである。

 大人の? 余裕だろうか? ノルンはグラムからさり気なく悪口を言われながらも、先程までと寸分たがわぬ仮面のような笑顔を浮かべている。怖い、逆に怖い。

「……さ、さて、そろそろ本題に入ろうか。今俺は、東部セックヴァベッグ領、泡沫の森に面するシデンという村にいる」
「セックヴァべッグですか。今回もまた随分と遠方に飛ばされたものですね」

 本題に入ったことでノルンも表情を引き締めている。
 邪魔をしてはいけないと、シグリは水鏡のセンターを再びノルンへと明け渡した。それでもやはり状況は気になるのか、隅から真っ暗な水鏡を覗き込んでいる。

「いつでも迎えに来られるように準備をしておいてくれ。恐らく、明日中には片がつくと思う」
「助けをお求めになった方とは接触出来たのですか?」
「本人ははぐらかしているが、まず間違いないと思われる少女に出会った」
「可愛いですか?」
「そこ重要か?」
「重要ですよ。グラム様が心を奪われて、家に戻って来なかったら困りますから」
「いや、それ実行したら俺は本当にただの無責任野郎だから。綺麗な子には違いないが、下心は皆無だから安心しろ」
「では、連れて帰る可能性は?」

 ふざけているわけではないらしい。察しの良さには恐れいると共に、普段から茶化さず、こうやって真面目に振る舞ってくれていれば疲れずに済むのにと、グラムは暗がりの中で苦笑する。

「本人次第だが、もしも彼女がこの村から逃げ出すことを望むなら、俺は全力でその思いに応える。その時はノルンにも迷惑かけると思う」
「グラム様からかけられる迷惑ならば大歓迎ですよ」
「そう言ってもらえると助かる。おかげ様で憂いなく事に臨めるよ」

 グラムに全幅の信頼を寄せているからこそ、時に茶化しながらも、決断そのもの意を唱えることはせず、誰よりも早く背中を押してくれる。そんなノルンのことをグラムも信頼している。

「現時点で共有できる情報はこんなところかな。明日に備えて、少し休むことにするよ」
「お休み前のキスは如何なさいますか?」
「またシグリの前でそういうことを言う。そもそもお休み前のキスなんてしたことないだろうが!」

 そもそもこのやり取りは「水鏡」越しである。床に垂らした水溜まりにキスする絵面はシュールすぎるし、完全に危ない人である。誰も見てはいないけど。

「シグリちゃんなら、疲れてテーブルの上で眠ってしまいましたよ。眠気を堪えてグラム様とお話ししていたのでしょう」

 そう言ってノルンは盥の位置を調節し、水面にシグリの姿が映り込ませた。木製のテーブルに突っ伏すシグリはすやすやと寝息を立てている。

「風邪をひかないように、ベッドに運んであげないと。一度連絡を終了致しますね」
「ああ、お休み、ノルン」
「お休みなさいませ、グラム様」

 ノルンの意志で水鏡が効果が終了。
 今日はこれ以上はやることもないので、グラムはベッドに横たわり、明日に備えて眠ることにした。