その晩、シデン村では祭事の前夜祭として盛大な宴が催された。
イベントスペースでもある村中心部の広場に巨大な篝火が焚かれ、村人たちがそれを囲んで宴会をしている。村周辺の果樹園で採れる葡萄で作った村名産の葡萄酒や、脂の乗った旬の魚をメインとした豪華な料理が並び、宴の夜を盛り上げていた。
図らずも迷い込んできたグラムも上客としてもてなされ、村長らと共に宴の席を囲んでいる。ただし、宴にはほとんどの村人が参加している中、レンカだけが不在だ。
「レンカさんはどこへ行ったのですか?」
「巫女には明日の祭事で大切な役割がありましてな。古来からの習わしで、前夜は村外れの神殿にて、一人で夜を明かす決まりなのです」
無神経を装ってわざとらしく村長に伺いを立てると、苛立つように数名の村人の眉根が上がった。あまり触れられたくない話題なのだろう。空気を悪くし過ぎて情報を引き出せなくても困るので、グラムは話題の転換にかかった。
「明日の祭事とは、一体どのような催しなのですか?」
「自然、特に湖への感謝の祭と申しましょうか。泡沫の森の中心部には紅蓮の湖という広大な湖が存在していましてな。こうして宴にも並んでおりますが、湖で採れる魚は我らの生活に欠かせない生命の源のようなもの。自然の恵みへの感謝や豊漁祈願など、様々な願いの込められた20年の一度の祭事となってございます」
「具体的な内容は?」
「それは、実際に目にしてのお楽しみということにしておきましょう」
村長は口角こそ上がっているが目が笑っていない。見てのお楽しみと言えば聞こえがいいが、要は答えたくないということなのだろう。
「さあさあ、せっかくの宴の席ですので、どうぞお楽しみください」
村長の計らいで、器量の良い村娘がグラムの器に葡萄酒を注いでくれた。客人であるグラムの周辺には、若い村娘が多く宛がわれている。お触りも許されそうなムードだが、根が真面目なグラムは決してそんなことはしない。
「村自慢の葡萄酒です。どうぞグイっと」
勧められるまま、グラムは躊躇うことなく葡萄酒を口へと運ぶ。
葡萄酒が喉を通過していく最中に、グラムの有するスキルが一つオートで発動する。
――毒無効が働いたか。無力化した毒は睡眠系と。
麻痺無効を取得したのと同時期に、毒無効のスキルもA+まで取得済みだ。
無効化した毒物の効果は睡眠。泉から村にやってくるまでの道中にも自生していた、微睡草の根を煎じて、香りの強い葡萄酒に混ぜたといったところか。
表向きは客人として迎え入れた男に睡眠系の毒を盛った以上、狙いは眠りに落ちている間に何かしらの準備を進める。あるいは眠っているグラム自身に危害を加える。この二点が考えられる。
いずれせによ、村人たちはグラムが毒入りの葡萄酒を飲み干した時点で、目的は達せられたと安堵していることだろう。動向を見極めるべく、後で眠気に襲われた演技をして、流れに身を任せた方が何かと好都合だ。いつでも不意を突ける状態は大きなアドバンテージとなる。
「さあさあ、料理の方も遠慮なく摘まんでください。この時期、グレン湖で採れる魚は脂も乗っていてとても美味しいですよ」
「ああ、これは確かに絶品だ」
魚料理がとても美味しいのは本心だった。毒の盛られてない、素材本来の味の葡萄酒も同様だ。これが悪意など微塵もない、純粋な歓迎だったらどんなに楽しかっただろうと、そう思わずにはいられない。
「しゅいましぇん、しょうしょうトイレに」
「お供を付けましょうか?」
「ばひょは先程きいておびょえましたのれ大丈夫れす」
「お気をつけて」
しばらくして、グラムはトイレを理由に宴の席を立った。村長はお供という名の監視をつけようとしたようだが、べろんべろんに酔っぱらっているグラムを見て、逃げる心配はなさそうだと判断、単独行動を許した。村の出入り口には見張りを立てているし、逃走は不可能だと高を括っているのだろう。
「酔っ払いの演技も疲れるね」
人気の無い場所まで来たところで、グラムは演技を解いて素面に戻る。毒の効力はスキルで無効化済みだし、グラム自身が酒にも強い。逃走なんて考えるような状態ではないと、村長たちに思わせるための酔っ払いの演技であった。
少し一人で考える時間が欲しくて席を立ってきたのだが、
『この村は危険です』
『レンカか?』
突如として脳内に聞こえて来た声は確かにレンカのものだった。周辺に人の気配は感じられない。これは恐らく、魔導系スキル「念話」によって別の場所からメッセージを送っているのだろう。「念話」のスキルに対しては、脳内で返答することで意志の疎通が可能だ。誰かに見られてもいいように表面上は酔っ払いの演技を続けつつ、グラムは脳内でレンカと会話していく。
『一体どういう意味だ?』
『まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。村長はあなたも祭事に巻き込むつもりです』
『祭事とは何だ?』
『何も聞かずに、とにかく一刻も早くこの村から逃げてください』
『レンカはどうするんだ?』
『私のことは気にしないでください。運命はすでに受け入れていますから』
『俺でよければ力になる。事情くらい聞かせてくれ』
『事情を聞いたところで、あなたにどうこう出来る話ではありません。何も聞かずに私の忠告に従ってください』
『お前の忠告に従う義務は俺にはない。随分と歓迎されているようだし、俺はこのまま宴や祭事を楽しませてもらうよ』
本人に話す気がないのなら仕方がない。成り行きに身を任せ、実体験を持って事情を把握するまでのことだ。
『ふざけている場合ではありません。死んでしまうかもしれませんよ?』
『俺はそう簡単には死なないよ。これでもけっこう修羅場は潜って来ててね』
氷結戦争の最前線は、毎分毎秒が死線の連続であった。死地を生き抜いた今、大概の状況には死の恐怖というものをグラムは感じなくなっている。死に近づき過ぎたたせいで感覚的に死が遠いのてしまった。ある意味でグラムは狂っている。
『あなたが何を考えているのか、私には理解出来ない……最後にもう一度だけ忠告します。命が惜しければ直ぐに村から離れてください』
『俺の考えは変わらない』
『どうしてそこまで。あなたはこの村とは縁のない余所者でしょうに』
『助けを求める声が聞こえた。関わる理由はそれで十分だ』
『……』
呆れ果ててしまったのか、それとも最後のグラムの言葉に何か思い当たる節でもあったのか。レンカはそれ以降メッセージを発さず、魔力の結びを解いてしまった。
「明日は何が起きるやら」
あまり長く席を外していては村人たちに怪しまれてしまう。グラムは酔っ払い演技を表情に張り付けながら、千鳥足で中央広場へと戻っていった。
イベントスペースでもある村中心部の広場に巨大な篝火が焚かれ、村人たちがそれを囲んで宴会をしている。村周辺の果樹園で採れる葡萄で作った村名産の葡萄酒や、脂の乗った旬の魚をメインとした豪華な料理が並び、宴の夜を盛り上げていた。
図らずも迷い込んできたグラムも上客としてもてなされ、村長らと共に宴の席を囲んでいる。ただし、宴にはほとんどの村人が参加している中、レンカだけが不在だ。
「レンカさんはどこへ行ったのですか?」
「巫女には明日の祭事で大切な役割がありましてな。古来からの習わしで、前夜は村外れの神殿にて、一人で夜を明かす決まりなのです」
無神経を装ってわざとらしく村長に伺いを立てると、苛立つように数名の村人の眉根が上がった。あまり触れられたくない話題なのだろう。空気を悪くし過ぎて情報を引き出せなくても困るので、グラムは話題の転換にかかった。
「明日の祭事とは、一体どのような催しなのですか?」
「自然、特に湖への感謝の祭と申しましょうか。泡沫の森の中心部には紅蓮の湖という広大な湖が存在していましてな。こうして宴にも並んでおりますが、湖で採れる魚は我らの生活に欠かせない生命の源のようなもの。自然の恵みへの感謝や豊漁祈願など、様々な願いの込められた20年の一度の祭事となってございます」
「具体的な内容は?」
「それは、実際に目にしてのお楽しみということにしておきましょう」
村長は口角こそ上がっているが目が笑っていない。見てのお楽しみと言えば聞こえがいいが、要は答えたくないということなのだろう。
「さあさあ、せっかくの宴の席ですので、どうぞお楽しみください」
村長の計らいで、器量の良い村娘がグラムの器に葡萄酒を注いでくれた。客人であるグラムの周辺には、若い村娘が多く宛がわれている。お触りも許されそうなムードだが、根が真面目なグラムは決してそんなことはしない。
「村自慢の葡萄酒です。どうぞグイっと」
勧められるまま、グラムは躊躇うことなく葡萄酒を口へと運ぶ。
葡萄酒が喉を通過していく最中に、グラムの有するスキルが一つオートで発動する。
――毒無効が働いたか。無力化した毒は睡眠系と。
麻痺無効を取得したのと同時期に、毒無効のスキルもA+まで取得済みだ。
無効化した毒物の効果は睡眠。泉から村にやってくるまでの道中にも自生していた、微睡草の根を煎じて、香りの強い葡萄酒に混ぜたといったところか。
表向きは客人として迎え入れた男に睡眠系の毒を盛った以上、狙いは眠りに落ちている間に何かしらの準備を進める。あるいは眠っているグラム自身に危害を加える。この二点が考えられる。
いずれせによ、村人たちはグラムが毒入りの葡萄酒を飲み干した時点で、目的は達せられたと安堵していることだろう。動向を見極めるべく、後で眠気に襲われた演技をして、流れに身を任せた方が何かと好都合だ。いつでも不意を突ける状態は大きなアドバンテージとなる。
「さあさあ、料理の方も遠慮なく摘まんでください。この時期、グレン湖で採れる魚は脂も乗っていてとても美味しいですよ」
「ああ、これは確かに絶品だ」
魚料理がとても美味しいのは本心だった。毒の盛られてない、素材本来の味の葡萄酒も同様だ。これが悪意など微塵もない、純粋な歓迎だったらどんなに楽しかっただろうと、そう思わずにはいられない。
「しゅいましぇん、しょうしょうトイレに」
「お供を付けましょうか?」
「ばひょは先程きいておびょえましたのれ大丈夫れす」
「お気をつけて」
しばらくして、グラムはトイレを理由に宴の席を立った。村長はお供という名の監視をつけようとしたようだが、べろんべろんに酔っぱらっているグラムを見て、逃げる心配はなさそうだと判断、単独行動を許した。村の出入り口には見張りを立てているし、逃走は不可能だと高を括っているのだろう。
「酔っ払いの演技も疲れるね」
人気の無い場所まで来たところで、グラムは演技を解いて素面に戻る。毒の効力はスキルで無効化済みだし、グラム自身が酒にも強い。逃走なんて考えるような状態ではないと、村長たちに思わせるための酔っ払いの演技であった。
少し一人で考える時間が欲しくて席を立ってきたのだが、
『この村は危険です』
『レンカか?』
突如として脳内に聞こえて来た声は確かにレンカのものだった。周辺に人の気配は感じられない。これは恐らく、魔導系スキル「念話」によって別の場所からメッセージを送っているのだろう。「念話」のスキルに対しては、脳内で返答することで意志の疎通が可能だ。誰かに見られてもいいように表面上は酔っ払いの演技を続けつつ、グラムは脳内でレンカと会話していく。
『一体どういう意味だ?』
『まさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。村長はあなたも祭事に巻き込むつもりです』
『祭事とは何だ?』
『何も聞かずに、とにかく一刻も早くこの村から逃げてください』
『レンカはどうするんだ?』
『私のことは気にしないでください。運命はすでに受け入れていますから』
『俺でよければ力になる。事情くらい聞かせてくれ』
『事情を聞いたところで、あなたにどうこう出来る話ではありません。何も聞かずに私の忠告に従ってください』
『お前の忠告に従う義務は俺にはない。随分と歓迎されているようだし、俺はこのまま宴や祭事を楽しませてもらうよ』
本人に話す気がないのなら仕方がない。成り行きに身を任せ、実体験を持って事情を把握するまでのことだ。
『ふざけている場合ではありません。死んでしまうかもしれませんよ?』
『俺はそう簡単には死なないよ。これでもけっこう修羅場は潜って来ててね』
氷結戦争の最前線は、毎分毎秒が死線の連続であった。死地を生き抜いた今、大概の状況には死の恐怖というものをグラムは感じなくなっている。死に近づき過ぎたたせいで感覚的に死が遠いのてしまった。ある意味でグラムは狂っている。
『あなたが何を考えているのか、私には理解出来ない……最後にもう一度だけ忠告します。命が惜しければ直ぐに村から離れてください』
『俺の考えは変わらない』
『どうしてそこまで。あなたはこの村とは縁のない余所者でしょうに』
『助けを求める声が聞こえた。関わる理由はそれで十分だ』
『……』
呆れ果ててしまったのか、それとも最後のグラムの言葉に何か思い当たる節でもあったのか。レンカはそれ以降メッセージを発さず、魔力の結びを解いてしまった。
「明日は何が起きるやら」
あまり長く席を外していては村人たちに怪しまれてしまう。グラムは酔っ払い演技を表情に張り付けながら、千鳥足で中央広場へと戻っていった。