「「「「キャー」」」」

 ドームの中を、女性達の叫び声と熱狂が支配していた。

 キラキラ輝く舞台の上で、アイドルグループのSHINEが歌を歌っている。センターで歌っているゆうに、凛花は釘付けだった。

「ゆうー」

 凛花が、力の限り名前を叫び、ゆうの顔写真を張り付けた団扇を振る。
周りにいる女性達も、其々の推しの名前を呼び、場内は熱狂に包まれる。
 ライトがあちこちから、舞台に向かって光を発し、歌って踊る彼らを瞬かせていた。

 遂に、曲目がラストナンバーへと移り変わる。

 ファンもメンバー達も、気分は最高潮に上り詰めていた。
 最後の曲は、みんなが大好きなデビュー曲。

 今日も、最高のパフォーマンスを見せてくれた舞台は幕を閉じた――――。




「ねえママー、今日もゆう、さいっっこうに格好良かったね!」

 凛花が、隣を歩く母親に興奮した面持ちで語り掛ける。ライブが終わり興奮冷めやらぬ中、母親と二人、家に向かって帰宅の途についていた。

「そうね。今日も格好良かったね」

 母親も、頬を桜色に染めながら娘と同じ様に興奮した面持ちで答えた。

「あー、明日から高校生かぁー。沢山、友達出来るかな」

 凛花が、夢から現実に引き戻されたように呟く。

「ふふふ。今日のライブが終わったら、高校生ってずっと言ってたもんね」

 母親が、笑いながら返答する。

「そうだよー。私、友達作るの苦手だから心配……」

 凛花が、不安そうな声を出す。

「大丈夫よ。穂香ちゃんも駿くんもいるんだから。女の子は、笑顔が一番。頑張れ高校生」

 母親が、凛花の背中をポンと叩きエールを送る。凛花は、それでも心配そうに顔を曇らせている。

「そうだけどー。同じクラスになる確率の方が少ないし……」

 母親は、やれやれといった表情を浮かべる。

「人生でたった三年間だけの高校生。精一杯、楽しみなさい。好きな子とかもできちゃうかもね」

 母親が、揶揄うように凛花の顔をツンと指で押す。凛花が、しかめっ面をする。

「好きな子なんて出来る訳ない。パパより格好いい人なんていないし。同年代の男子なんて、みんな子供過ぎて無理!」

 凛花が、怒ったように強く言い切る。

 あーあ、また凛花のこれが始まったと母親は心の中で溜息をついた。

 宮下凛花(みやしたりんか)16歳。
 明日から、高校生活が始まる。
 凛花は、目が釣り目でちょっときつそうなイメージをもたれる。自分でも少々きつい性格だと自負している。
 どちらかと言えば、人見知りで友達作りが苦手。だから、明日からの高校生活も心配してしまう。

 凛花には、紫陽花穂香(あじさいほのか)と黒木駿(くろきしゅん)と言う幼馴染がいる。二人とも、同じ高校に通う事になっている。
 三人で話し合って決めた訳ではなく、たまたま一緒の学校を希望していた。それを知った凛花は、とても嬉しかった。
 そんな二人からも、凛花はよく言われている事がある。

 凛花の、パパ大好き問題。

 凛花のパパは、アイドルグループSHINEのメンバーの一人、ゆう。
 生まれた時から、舞台の上で輝く父親を見てきている。それに、父親としてのゆうは、一人娘の凛花を溺愛。
 凛花は、パパ以上に格好良くて、素敵な人がいる訳ないと思っている。だから今まで、パパ以外の男の人に見向きもせずに生きてきた。



 キーンコーンカーンコーン

 学校のチャイムが鳴り響く。学活を終え、先生の話を聞き終えた生徒達が、散り散りに教室を出て行く。

「穂香ー、帰ろうー」

 凛花が一番、廊下側に座る穂香に声を掛ける。

「ちょっと待ってー」

 穂香が、帰り支度がまた終わっていなかったようで、カバンに教科書を詰めている。
 凛花は、穂香の席に行こうとカバンを持って歩き出す。

 チャリン

 カバンに付けていた、ゆうのアクリルキーホルダーが何処かに引っ掛かったのか落ちてしまった。凛花は、気づかずにそのまま行こうする。

「おい、落ちたぞ」

 隣の席に座っていた、男子がキーホルダーを拾って声を掛けてくれた。
 凛花が振り向くと、手の平にキーホルダーを乗っけて凛花の方に差し出してくれていた。

 凛花は、自分のカバンを見てキーホルダーが無くなっている事を確認する。間違いなく自分のだと思った凛花は、気まずげに男の子の手に乗ったキーホルダーを受け取る。

「ありがとう」

 凛花が、小さな声でお礼を言う。
 男子の顔を見ていなかった凛花は、ゆっくり顔を上げる。アイドルのキーホルダー何てと、いつもの様に笑われるかもと警戒していた。

 隣の席の男子は、ああと呟くとカバンを持って何事もなく教室を出て行こうとする。
 馬鹿にされると思っていた凛花は、拍子抜けする。安心からか、言葉が自然と出ていた。

「笑わないの?」

 ポツリと凛花が、言う。去ろうとしていた男子は、凛花の方に振り向き反応した。

「何で? 人の好きな物なんて色々だろ。俺なんて只のサッカー馬鹿だし。じゃーな」

 そう言うと、今度こそ教室の扉に向かって歩いて行った。
 凛花は、その後ろ姿を目で追いながら笑わないんだと何だか妙に印象に残った。

 ぼうっとしていた凛花の元に、穂香がやってくる。

「凛花ちゃん、どうしたの? 帰ろう」

 凛花がハッとして、穂香の顔を見る。

「うん。帰ろう」

 そう言って、二人で教室を後にした。



 家に帰って来た凛花が、ただいまーと言いながらリビングに入ると父親が、ソファーに座ってテレビを見ていた。

「おっ、凛花、お帰り」

 父親が、凛花を見て嬉しそうに出迎えてくれる。

「パパだー。昨日も凄く格好良かったよー」

 凛花が、にこにこして昨日の感想を述べる。

「ありがとう。今日は、入学式だったんだろ? 制服似合うぞ」

 父親が、凛花の制服姿を褒めてくれる。凛花は、嬉しくて父親の前でクルリと一回転する。

「本当? この制服可愛いから気に入っているんだ」

 父親と、今日会った事や昨日の感想など楽しく話していると母親がリビングにやって来た。

「凛花、いつまで制服でいるの? 早く着替えて来なさい」

 凛花は、まだ着替えもせずに父親としゃべっていた事に気づき、「はーい」と言いながら部屋に戻って行った。

 自分の部屋に戻り、制服から部屋着に着替える。制服をハンガーに掛けようとして、ポケットに入れたキーホルダーを思い出す。
 キーホルダーをポケットから出して、金具を付け替えなくちゃと思う。そして、拾ってくれた男の子の事が頭に浮かんだ。

 同級生の男子と言えば、煩くて幼稚ですぐに揶揄ってくる印象しかない。今までも、SHINEのファンだと知られた時にそのグループっておじさんばっかじゃね? だとか。アイドルが好きとかってお前オタクなの? と言われた。おじさんよりも、もっといい奴いるだろうとか散々言われて来た。

 一切無視してきたが、心の中ではあんた達よりも数百倍SHINEのメンバーの方が素敵だわと声を大にして叫んでいた。

 だから、普通に拾ってくれて馬鹿にしないでくれた事が凄く嬉しく感じてしまった。
 あの子、名前は何て言うんだろう? と凛花の中で少しだけ気になる存在になった。




 凛花は、入学当初は高校生活を不安がっていたが半年経った今はそれなりに楽しく生活している。
 幼馴染の穂香と同じクラスになれた事が、本当にラッキーだった。穂香は、目立つような子ではないけれど、凛花と違って人見知りするタイプではないのですぐに友達を作る。

 今は、同じクラスになった初美と三香も加わって四人で行動を共にしている。
 駿は、残念ながら違うクラスになってしまった。でも偶に、駅で一緒になったりすると、穂香と三人で帰って来たりする事がある。

 その時に、よく松本の話題が出る。
 凛花達が通う高校は、サッカー部が強くて有名なんだそう。凛花は、駿に聞くまで知らなかったのだが……。
 駿は、中学時代もサッカー部で高校でも続けたくてこの高校を選んだのだそう。

 松本とは、凛花が一番初めに隣の席になった男の子。松本幸也といい、サッカー部で駿と仲良くなったらしい。
 駿曰く、本当にサッカーが好きでサッカーの事しか考えてないんじゃないかって言っていつも笑っている。
 駿も負けず劣らずサッカーが好きなので、話が合うみたいだ。

 なので自然と、凛花達は松本の事を身近に感じていた。と言っても、きっかけがなくクラスでは挨拶を交わすくらいしかしていないのだが……。

 松本は、一年ながらサッカー部でレギュラー。しかも美男子を見慣れている凛花が見ても、整っていると思う。そんな男子を、女子が放っておくはずない。
 クラスの目立つ女子達に、いつも言い寄られていて鬱陶しそうにしているのをよく見かける。

 あれはあれで大変だなと、遠くから見ていた。

 ある日、駿からインスタ―のDMで『頼みたい事があるのだけど。いい?』と連絡が来る。駿が頼み事だなんて、珍しいなと凛花は思いながら『良いよ』と返信を返した。

 次の日、学校のお昼休みに駿が凛花のクラスにやって来た。
 扉から、「凛花」と声をかけられる。凛花がすぐに気づき、駿の元に歩いて行く。

 すると、松本も駿に気づき同じタイミングで駿の元にやって来た。

「ちょっと二人ともこっち来て」

 駿が、松本と凛花を廊下の端まで連れて行く。凛花は、何で松本も一緒なのだろうと不思議に思う。
 クラスでは、松本を狙っている女子達が凛花を睨んでいた。

「駿、ちょと何なの? 聞いてないんだけど!」

 凛花が、駿を睨む。

「ごめんごめん。松本ってクラスでも人気あるんだな。凛花のクラスの女子怖くね? なんかめっちゃ睨んでたぞ」

 松本が、苦笑いを浮かべている。凛花も、同意過ぎて何も言えない。

「もういいよ。今度から気を付けてよ。で、何なのよ?」

 凛花が、溜息をつきながら駿に訊ねる。

「来週から中間テストだろ? 悪いんだけど、凛花、松本に数学教えてやってくれない?」

 凛花は、思ってもいなかった事を言われて驚く。

「えっ? 何で? 駿が教えればいいじゃんよ」

 松本が隣にいるのに、ぶっきらぼうな調子で言ってしまう。言った後に、しまったと思ったが遅かった。

「ほら、宮下に迷惑だって言ったじゃないか……」

 松本が、気まずそうな声を出す。

「そう言うなよ。凛花って教えるの上手いじゃん。俺や穂香によく教えてくれてたじゃんよ。松本さー数学だけ、異様に苦手らしくてさー。一学期は、受験後だったし何とかなったらしいんだけど、二学期に入ってから全く分からなくなったらしくて。うちの部活、テストで赤点取るとレギュラー外されるんだよ。なっ、だから頼むよ」

 そう言って、駿が手を合わせて頼んでくる。隣に立つ松本は、終始申し訳なさそうな顔を浮かべている。凛花は、何だか居たたまれなくなってくる。

「分かったよ。私で良ければ教えるよ。でも、私だって先生じゃないんだから完璧って訳じゃないんだからね」

 凛花は、仕方ないと思う。

「ありがとう。助かるよ」

 松本が、お礼を言う。そして、二人はお互いのインスターをフォローする。先ほどの事もあり、連絡はDMで取る事にした。

 夜、お風呂上りにスマホを見ると松本からDMが来ていた。
 開くと、『黒田が無理やり悪い。教える時間とれそう?』とメッセージが来ていた。
 凛花が返事を返す。『大丈夫だよ。松本に合わせるよ』とメッセージを送る。

 すると、すぐに松本から返事が返ってくる。『明日の放課後に図書室は?』

 凛花が、一瞬考える。明日の放課後は、特に何もないから大丈夫だなと。それをそのまま送る。

『ありがとう』『明日、よろしく』『おやすみ』最後に、いいねが付く。

 凛花も、『おやすみ』と送り、いいねを付けた。

いいねは、メッセージ終了の合図。

 凛花は、スマホをベッドの上にポンっと置く。ベッドに腰かけて、松本の事を考えていた。
 まさか、数学を教える事になるなんて……。クラスの女子に見つかると面倒くさそうだから、気を付けなくちゃなと思った。



 次の日の放課後、図書室で松本に数学を教えていた。
 松本は、本当に数学が苦手らしくかなり苦戦している。それを、凛花が丁寧に教える。
 今回は、中間テストで範囲がそこまで広くないから、一週間あれば赤点取らないぐらいには出来るかなと考えをめぐらす。

 松本が問題を解きながら、感動していた。

「凄いな。本当に宮下って教えるの上手いな。先生よりも分かり易いよ」

 松本が、嬉しそうに問題を解いている。それを見ながら凛花は、良かったと安心する。
 駿や穂香以外に勉強を教えるのなんて初めてだったから、私で本当に大丈夫なのか心配していた。

「私で教えられて良かった。松本、コツさえ分かれば大丈夫だと思う。数学の先生、教え方が親切じゃないんだよね。公式とか既に教わったのは知っているものとして進めるから、分かりづらいんだと思う」

 松本が苦手なのは、文章問題らしく、答えを見ても何でそうなるのかわからなかったらしい。一つ一つ、公式の意味を説明すれば理解出来るみたいだから、教えるのもそんなに大変ではなかった。

「いや、本当に助かるよ。折角、一年でレギュラーに入れたのにサッカーとは関係ない事で外されたら、立ち直れなかった」

 本当にサッカーが好きなんだなと、凛花は思った。同じ年の男子でも、ひたむきに一つの事に一生懸命な人っているんだなと感心する。
 松本は、今まで見て来た同年代の男子と同じにしたら失礼だな。同年代の男子って事で一括りに考えていた自分を反省した。

 その後も、その週は放課後残って一緒にテスト勉強をした。
 最初は、お互いよそよそしく遠慮もあったが、日を追うごとに慣れて来ていた。数学だけでなく、他の教科も教えたり教えて貰ったりした。

 そうすると、自然とクラスでも顔を合わせれば会話をするようになり他の人から見ても二人が仲良く見えていた。

 一週間テスト勉強を頑張ったお陰で、無事に松本は全教科赤点を取る事なくテストをクリアした。

 全教科のテストが配られ終わった日の昼休みに、松本が凛花の席にやって来た。

「宮下、無事にテスト全教科クリアしたよ。まじでありがとう」

 松本が、ニコニコしている。凛花も良かったと心から笑顔を零した。
 実際、自分のテストよりも松本のテスト結果の方が心配だった。あれだけ教えて赤点だったら申し訳ないと思う程に。

「なあ、今度、部活が休みの時に何か食いに行こうぜ。お礼に奢るから」

 松本が、凛花に提案する。凛花は、別にお礼なんて要らないと言ったが松本が譲らなかった。

「休み分かったら教えるから、何食べたいか考えとけよ」

 そう言って、自分の席に帰って行った。
 松本の事が好きな、クラスの女子がずっと凛花の事を睨んでいる。凛花も気づいていたが、ただのクラスメイトなのだし気にしていたら誰とも話が出来ないと目に入れないようにしていた。

 穂香と一緒にいつものように帰っていると、地元の駅で駿と一緒になる。

「あれー、駿君も帰りだったんだ。今日は、部活ないの?」

 穂香が駿に訊ねる。

「ちょっと昨日、足捻っちゃって今日は大事とって休んだ」

 駿が、右足を見ながら答える。

「大丈夫なの?」

 凛花が心配そうに聞く。

「ああ、腫れたりしている訳じゃないから大丈夫だよ」

 凛花も穂香も、それを聞いて安心する。そして、久しぶりに三人で一緒に歩く。
 小学校までは、いつも三人で一緒に帰っていた。中学生になると駿は、サッカー部に入ってしまったので一緒に帰る事はなくなってしまったけど。
 それでも、縁は切れずに今も会えば仲良く会話が出来る。

「ねえ、駿君。最近、凛花の『パパがね』が無くなったと思わない?」

 穂香が、駿に笑いながら話を振る。

「そう言えば、そうだな。今日も一度も聞いてない。三人で話していたら絶対に一回は出るのに」

 駿も、笑いながら答えている。

「何よそれ……。私だっていつまでも、パパ、パパ言ってないよ……」

 凛花が、口を尖らせて面白くなさそうにしている。確かに、今までの凛花は何かあればすぐにパパの話ばかりだった。この二人は、いつも嫌がらずに聞いてくれていたのだ。
 強くは、否定できない辺り凛花も自覚していた。

「遂に、凛花がゆうさんを卒業する時が来たか。ゆうさん寂しがるだろうなー」

 駿が、笑っている。

「凛花ちゃん、誰か気になる人でも出来たの?」

 穂香が、珍しく揶揄ってくる。

「別にそんな人いないよ。パパは、今まで通り好きだよ。ただ、少しだけ大人になっただけだよ……」

 凛花はそう言いながら、自分でも考えていた。パパが好きなのは変わらない。ただ、それだけじゃなくなっただけだ。
 それに、パパより好きな人がいるかと言われても、いないと言える。

「そっか、じゃーそう言う事にしておこう」

 穂香が、何かを含んだ曖昧な言葉を呟く。

「そうだな。まー、今はそれで充分だろ」

 駿も、一人で納得している。凛花は、二人の態度が気に食わなかったが突っ込むのはやめておいた。




 ある日、凛花は例のクラスの女子三人に呼び出される。
 屋上の入り口に連れて行かれた。そこは、鍵がかかっていて屋上には出られない。人目に付かずに話すにはうってつけの場所だった。

 リーダー格の女子が、話を切り出した。

「ねえ、宮下さんさー。松本君と仲良過ぎない? 好きなの? 付き合ってんの?」

 腕を組みながら、凛花を威嚇している。

「好きとかじゃないよ。ただのクラスメイトだよ」

 凛花が、怖さを押し隠して言葉を返す。

「じゃあさ、邪魔なんだよね。私達が、松本君狙ってるの分かっているよね? 邪魔しないで欲しいんだけど?」

 凛花は、何でこんな事言われなくちゃいけないのか理解出来ない。
 松本の事が好きなら、さっさと告るなりなんなりすればいいじゃないかと怒りが沸く。でも、今それを言ったら火に油を注ぐだけだと自分を必死に押しと止める。

「分かった。話さなきゃいいわけ? それで貴方達が上手くいけばいいね。迷惑だから、こう言うの止めてよね」

 凛花は、それだけ言うと三人をすり抜けて自分のクラスに戻って行った。
 クラスに戻ると、穂香達が心配していた。一緒に付いて来ると言ったのを、凛花が断ったから。

 何を言われるか、大体予想はしていた。その通りだったので、呆れる。
 一度話を聞けば、気が済むだろうと思った。とりあえず、暫く松本と関わらないようにしておけば大丈夫だろうと軽く考えていた。

 テスト勉強を教えるまでは、殆ど会話なんてした事なかったのだ。それに戻るだけだと。

 それから凛花は、松本と極力関わらないように努力した。席が丁度遠い為、自分から近づかない限り接点はない。
 松本の方を見ない様にしていれば、目も合う事はなく松本も近づいてこない。

 例の三人組は、他の女子達を牽制するように常に松本の周りを固めていた。
 クラスの女子達は、そんな風景を遠巻きにしながら、誰もがあれで好かれると本気で思うのかと心の中で笑っていた。

 そんな生活が一、二週間続いた頃、凛花がそろそろ寝ようかとスマホをチェックしていると松本からDMが来ていた。

『なあ、俺なんかしたか?』『しゃべりかける隙が、全くないんだが……』

 凛花は、そのメッセージを読んで溜息をつく。そうだよね……。結構しゃべる様になってたのに、最近わざと避けてるんだし……。私だって、反対だったらきっと凹むよな……。
 あの三人が面倒くさくて、松本を避けてしまっていたが申し訳ないと思ってくる。それに、凛花自信も松本としゃべらなくなって寂しさを感じていた。

『松本は何も悪くないよ』『ごめん。こっちも色々あって……』

 凛花が、考えた末にメッセージを送る。暫くすると、松本から返信が届く。

『もしかして、あの三人に何か言われたとか?』

 やっぱりわかっちゃうかーと、凛花は頭を悩ませる。はー面倒くさいなー。あの三人は、一体どうしたいのだろうか? 松本だって、あれは迷惑だろうし……。だからって、私が言うのは告げ口したみたいで嫌だし……。

『……ごめん。私からは、何とも……』

 凛花は、もうどうすればいいのよ! とクッションを引き寄せバンバンとベッドに打ち付ける。

『そっか……。遅い時間にごめん』『おやすみ』そして、いいねが付いた。

 凛花も、『おやすみ』と送り、いいねを付けた。

「はぁー」っと大きな溜息をつく。もう、こういうの本当に嫌。

 凛花は、ベッドに潜りもう考えないようにして眠りについた。




 次の日、凛花は寝坊してしまいギリギリの時間に教室に滑り込んだ。
「おはよう」と穂香達に挨拶をするが、教室の雰囲気がいつもと違う事に気づく。いつもなら、クラスのみんながおしゃべりしていたりして騒がしいのだが、何故だかシーンとしている。

 穂香達を見ると、アイコンタクトで松本の方を示される。凛花が、松本の方を見ると何やらいつもの三人と険悪なムードが漂っている。

「本当に悪いんだけど、君島達がいるとみんなと話せないから。少し自重して」

 松本が申し訳なさそうに、でもきっぱりと告げている。
 三人は、みんなの前でそんな事を言われて、気まずいのか顔を赤く染めて悔しそうな顔をしている。

「それは、悪かったわね」

 リーダー各の君島が、つんけんして自分の席に戻って行く。そこに丁度先生が来て、いつもの学活が始まった。

 凛花は、何が起こったのかわからず驚いていた。
 昨日のメッセージで何かを感じた松本が、君島達に何か言ったのかなと推測する。これで、普通に戻れるといいんだけどと凛花は、そっと松本の方を見た。

 その日の放課後、穂香と一緒に帰りながら朝の事を聞く。

「ねえ穂香ー、朝のあれって何だったの? 私遅く来たから、びっくりだったんだけど」

「あーあれねー。松本君が、とうとう我慢出来なかったみたいで怒っちゃったんだよね」

 穂香が、説明してくれる。何でも、今日も朝から三人で松本を囲っていたらしい。
 凛花は、あまり見ない様にしていたのでいつも四人で何を話しているのかは知らなかった。
 穂香曰く、三人で話している事をひたすら松本が聞いていただけらしいが……。

 で、今日は松本が、そんな三人を無視して前の席の男子としゃべっていたんだって。それが面白くなかった君島が、松本に「ちゃんと話聞いてるの?」ときつめに言ったのだそう。
 その態度に限界を感じた松本が、「俺は今、佐野と話してるんだよ!いい加減にしろよ」と大きな声を上げた。

 そして、凛花が教室に入って来た時のセリフに繋がるらしい。

「松本君が、大きな声出す事なんてないから、みんなびっくりだったよー」

 穂香が、その時を思い出しているのかびっくりした顔をしている。

「そっか。君島達も、あれで懲りるといいけどね……」

 凛花が、心配したように呟く。面倒くさい方向に走らなければいいけどと思う。

「大丈夫じゃない? 流石にあそこまで言われて、しつこくしたらクラスのみんなドン引きでしょ」

 穂香が、苦笑いを浮かべる。

「だよね……」

 凛花も、そうだよねと思う。

 次の日から、凛花や穂香が思った通り君島達は松本の近くに寄り付かなくなった。
 松本が、はっきり言ったおかげで目立っていた君島達三人の存在感が消えた。とても大人しくなった。

 クラスのみんなも、悪目立ちしていた三人が大人しくなって喜んでいた。それから元通り、凛花と松本は話すようになった。

 ある日、いつもの様に話していると松本が突然聞く。

「なあ、宮下って緊張してる時ってどうやって緊張を解く?」

 凛花は、松本が聞いてきた意味が分からずに聞き返す。

「場合にもよるでしょ? 何に緊張してるのよ?」

 松本が、そうだよなと思い返したのか言い直す。

「今度の日曜に、部活の試合なんだよ。スタメンで出るの、初めてなんだ」

 恥ずかしいのか、松本が目を合わせない。
 凛花は、試合かと思う。今まで、凛花は部活やスポーツをやって来た事がないので、ここ一番と言う経験をあまりした事がない。

 でも身近にいる、いつもスポットライトを浴びている人の言葉を思い出す。

「パパの受け売りだけど、大切な時は緊張しないといけないんだって。今まで積み重なって来たものが出るから、自分を信じると言うよりも、やってきた事を信じるんだって。だから日々の練習を、大切にするんだよって言ってた」

 凛花が、父親の言葉を思い出しながらしゃべる。松本が、真剣な表情をしている。

「そうか……。今まで練習して来た事か……。」

「松本、しっかり練習して来たんでしょ? 大丈夫じゃない?」

 凛花は、きっと大丈夫と心の中で思いながら言葉にした。

「わかった。ありがとう」

 松本が、笑顔を零す。不意打ちの笑顔に、何となく凛花は顔を逸らしてしまう。

「うん。何か答えになってなかったかも知れないけど……」

「いや、試合に臨む心構えみたいなのがわかった気がする」

 松本が、そう言って外に目をやってグランドを見ていた。きっと、試合当日の事を考えているのかもなと凛花は思った。


 それから、一週間があっという間に終わる。松本と話した事を、凛花は忘れていた。
 今日からまた一週間が始まるなーと、いつもと同じ時間に家を出る。
 今日は、どんよりとした雲が広がり今にも雨が降ってきそうな天気だった。天気予報は、夕方から雨となっている。
 帰るまで降らないといいなーと思い、傘を持って学校に向かった。

 その日の松本は、いつも通りだったが何となく元気がない気がした。特に何も聞かなかったが、どうしたのかな? と少し心配だった。
 凛花が聞いていい事なのかわからなかったので、今回はそっとしておく事にする。

 その日、凛花は委員会があり、帰りが遅くなってしまった。昇降口に着くと、すっかり雨が降っている。雨、嫌だなと思いながら昇降口を出て傘をさして歩き出す。
 門に向かって歩きながら、何となくグランドの方に目を向けた。

 すると、誰かが一人で雨の中サッカーゴールに向かってシュート練習をしていた。
 凛花が足を止めてよく見ると、厳しい表情を浮かべて、ひたすらシュートを打っている松本だった。

 その姿を見て凛花は、ああ試合負けたのかもしれないと悟る。
 きっと悔しくて悔しくて、雨で練習が中止になっても我慢出来なかったんだろうな。

 よく分からない気持ちが熱を帯びる。松本の練習する姿から、目が離せなかった。
 悔しいけど、格好いいと思ってしまった。あんなに一生懸命に打ち込む姿に、胸を打つ。パパ以外に、格好良いなんて思った人は居なかった。

 でも、パパ以上に好きだなんて……。まだ認めない……。意地っ張りな性格が、素直になろうとする気持ちに邪魔をする。

 凛花は、足を動かして足早に門に向かった。
 学校近くのコンビニで、タオルと温かい飲み物、それと菓子パンをいくつか買って学校に戻る。そして、サッカー部の部室のドアノブに、コンビニの袋を掛けて置く。

 あのまま、何もしないで帰れなかった。本当は一言、何か言ってあげたかったけど、何を言えばいいかわからなかったから。
 その代わりに、元気になるように気持ちだけ置いておく事にした。

 次の日、朝一番に松本に声を掛けらる。

「おはよう。宮下」

 凛花は、いつもと同じ笑顔で挨拶を返す。

「おはよう。松本」

 松本が、言いづらそうな微妙な表情で聞いてくる。

「なあ、昨日、サッカー部の部室に何か置いて行った?」

 凛花の胸が、ドキンっと跳ねる。まさか、自分だとバレると思わなかった。何て言っていいか言葉を用意していなかったので、とぼける事にする。

「え? 知らないけど?」

「そうか……」

 松本が、違うのか……と残念そうな表情をしている。

「じゃーさ、ずっと伸びてたテストのお礼、今日出来ない? 今日も雨で、部活無しなんだよ」

 松本が、思い出したかのように提案してきた。凛花は、そう言えばそんな事言っていたなと思い出す。
 今日の予定を考えてみるが、特に何もなかった。

 断る理由も特に思い浮かばなかった。

「うん。今日は特に何も予定ないから大丈夫だよ」

 凛花が、返事をする。

「じゃー、今日は一緒に帰ろう。帰りまでに何食べるか決めといて」

 そう言って、松本が自分の席に戻って行った。凛花は、ドキドキしてくる。駿以外の男の子と一緒に帰るなんて、初めてかもしれないな。

 松本と、寄り道か……。楽しみだな。

 凛花は、一日中考えていた。何を食べに行こうかと。折角なら、凛花の好きなパフェが食べたいのだけど……。松本って甘い物大丈夫なのかなと、疑問だった。

 帰りの時間になり、松本と一緒に教室を出る。一緒に歩きながら、どこに行くか話合う。

「私、パフェ食べに行きたいんだけど、松本って甘いもの食べるの?」

 凛花が、不安げに聞く。

「パフェかー。正直、そんなに甘いもの食べないんだけど……。まあ、今日はお礼だし宮下の好きな所に行こう」

 松本が、爽やかに述べる。凛花は、良いって言ってるし遠慮し過ぎるのも悪いよねと思う事にする。

「ありがとう」

「いや……。なあ、あの人やけに格好良くないか? オーラが凄いって言うか」

 門の外に出た所で、道路の向こう側に立ってこちらを見ている男性がいた。松本は、その人を見て言った。
 凛花が、松本が見ている方を見た。

 凛花の目に飛び込んで来たのは、凛花の父親だった。

「パパ」

 凛花が、呟く。何で、こんな所にいるんだろう?

「ごめん。松本、ちょっと待ってて」

 凛花は、松本に断りを入れてから車道を渡って父親の元に駆けよる。

「パパ、何でこんな所にいるの?」

 父親が、娘が気づいてくれて嬉しそうに笑顔を零している。

「いや、偶々この近くで仕事だったんだよ。丁度、下校時刻に終わったからもしかしたら凛花と一緒に帰れるかと思って」

 凛花は、えっ……と渋い顔をする。

「パパ、ごめん。今日は、友達と一緒に寄り道して帰る約束しちゃったの。だから一人で帰って」

 父親が、とても残念そうな顔をしている。いつもなら、物凄く喜んでくれていたのに……。友達ってと、凛花が歩いて来た方に目をやる。
 何と、そこにいたのは知らない男の子だった。

「凛花……。あの子かい?」

 父親が、松本の方を見て言った。

「そう。クラスメイトなの。じゃー、待ってるから行くね。また家でね」

 そう言って、凛花はもう一度、車道を渡って松本の方に駆け寄った。

 凛花は、自分でも驚いていた。今までなら、絶対にパパと帰っていた。でも今日は、迷う事なく松本と一緒に帰りたいと思ってしまった。
 むしろ、何でいるの? くらいに思ってしまった。パパの事が嫌いになったとかそうじゃない。ただ、パパより優先したい人が出来てしまった。

 もう、自覚せざる得ない。

 私は、きっと松本の事が好きなんだ。
 雨の日に見た、松本の事がずっと頭から離れない。本当は、わかってたけど認めたくなかった。だって、悔しいくらい格好良いから。

「お待たせ。行こう」

 凛花が、松本に声を掛ける。

「いいのか? 迎えに来てくれたんじゃないのか?」

 松本が、申し訳なさそうに言う。

「うん。いいの」

 ――――だって、松本が好きだから。私の事も、好きになってくれるかな?

 凛花は、一番の笑顔で返す。

 凛花が、恋を自覚した日は残念ながら雨。傘を差しながら、ちょっと距離を開けながら二人で歩く。その距離が、少しずつ狭まって手を繋いで歩く様になるのは、また別のお話。