今にも大雨が降りそうな空。
 嵐の前みたいに湿った風も出てきた。
 事態の悪化は食い止めなければならない。
 ソーニャが伯爵に制裁を加えたあと、北宮殿へやってきた。
 爆発の音を追っていったら、そうなった。
 修道会には結界が張られているから、ペガサスからすれば一定エリアに封じ込められた形になる。幾度となく進路を阻まれて苛立っているだろう。
 遠くからでもわかる。明確な怒気。嘶きと足運びに表れている。
 そろそろ雷を落としてくるかもしれない。
 捕獲アイテムがあるとはいえ、伝説クラスの幻獣をどう相手にしたらいいのか。 
「決まっている」
「へ?」
 考えていることを読まれたのか。
 殿下が背後でライフルをかかげている。いつの間に。
 というか、まさか?
「ああいう類は撃ち落とすにかぎる」
 端的にまとめ、スコープを覗いた。迷いなく引き金を引く。
 銃声とともに、ペガサスが身じろぎをした。直撃した様子はない。
 ソーニャが慌てて殿下に駆け寄った。
「おおおお、お待ちください、殿下!」
「意外に狙いにくいな」
「イヴァン殿下、ペガサスを殺す気ですか!」
「安心しろ。ああいう幻獣は銃火器くらいじゃ死なない」
「どっから来るんですか、その根拠!」
 もはや駆除を試みているとしか思えない殿下隊長。
 ソーニャは青ざめたまま勢いよく突っ込んでいる。
「国際問題って知ってますか!」
 そりゃそうだ。
 しかも、グレース様からは穏便にすませるように言われているみたいだし。殿下の行動は果てしなくアウトだ。
 今さらだけど、よく一緒にいられるね。ソーニャ。
 もう、あのカップルは放っておこう。加わったところで解決する可能性は薄いし。
 どうしたもんかと思いながら空を見上げる。
「とりあえず引きずり下ろすしかないかな」
 当たり前すぎるくらい平凡な処置を口にするとコンラッドが頷いた。
 すでに柄に手をかけている。次に、すいと手の甲を見せる。「後ろに下がって」のサインだった。
「ジェシカは鍵を」
「あ、うん」
 そっけない態度なのに絶対的な安心感がある。
 素直に後ろへと下がった。
 殿下がペガサスを攻撃したことで、向こうも敵として認識したのだろう。
 空中を蹴って突進してくる。
 嘶き、足音、風の音。
 かすかに耳に届く。
 吐き出される息の音。深く、ゆっくりと呼吸する。
 コンラッドの戦闘態勢の合図。
 次いで、ザッと大きく踏み込んだ。姿勢を低くする。同時に柄に手をかけていた。
 最初に踏み込む一撃。ただそれだけのために全力を込める姿勢。
 ざわざわと感覚が浸食されていくのを感じる。コンラッドが術の構成を編みはじめた。
 ペガサスが突進してくる。
 コンラッドは動かない。目視することもない。
 距離は、どんどん近づいている。コンラッドは攻撃するつもりがないんじゃないか、そんな風に思ってしまうほど、微動だにしない。
「斬り裂け。【疾風(はやて)】」
 低い声音が耳に届いた瞬間、強風が吹き荒れる。反射的に目を覆ってしまう。
 ほんの一瞬の出来事だった。
 ペガサスの嘶きに、強風。
 視界が開けた時には、コンラッドとペガサスの位置が反転していた。
 両者、にらみ合ったまま動かない。
 おそらく、ペガサスとコンラッドがすれ違いざまに攻撃をして相殺したのだ。
 太刀筋は読めなかった。
 おそらくコンラッドは剣を鞘から抜くと同時にペガサスへ斬りかかったはず。
 彼の剣筋は独特だ。
 レシュトフォン最強と謳われるダートダルクの剣技とは違う。
 余計なものをそぎ落としたような、初撃の早さに特化した技。
 その早さは騎士団でも一、二を争う。
 ペガサスと対峙するコンラッドは剣を構えたまま動かない。その表情はなんの感情も読み取れなかった。
 でも、きっと次の一手を考えている。
「外したか」
「コンラッドの剣でも当たらないとなると別の手段を講じる必要がありますね」
 観戦している風に感想をもらすのは殿下とソーニャだった。
 いつの間にケンカを終了させたらしい。
 コンラッドの戦いぶりに感心してる場合じゃなかった。
 わたしたちも彼の加勢をしなければ。
 そう思った時、ソーニャがこちらに手を差し出してくる。
「ジェシカ、【アテナの鍵】を!」
「え」
「こうなったら私が鍵を使っておとなしくさせるしか……」
 それはそうだ。
 確かに、ソーニャの方がいろいろ上だ。剣といい、神霊力といい。
 彼女に任せれば、ペガサス捕獲などたやすいはず。
 淡い期待をいだいて鍵を親友にわたそうとした。
「やめておけ」
「んな……!? どうしてですか!」
 制止する殿下に食ってかかるソーニャ。
 ふたりともそんな場合じゃないとわかっているのに、あえて口にする意味。
「さっきからおまえがひとりで騒ぐから見ろ。警戒どころか興奮している。コンラッドの攻撃で、いよいよ後がなくなったと思っているだろう。ここでおまえの直線的な捕獲術が成功する見込みは低い」
 イヴァン殿下は現実的だ。その冷静な判断力で隊をまとめてきた。
 つまりは生半可な力では無理ってこと。
「やってみなければわかりません!」
 ソーニャ食い下がるも相手にされない。
 殿下はライフルを構えた。
「くるぞ」
 カッカッと蹄の音がした。
 見れば、興奮したペガサスがこちらに向かって突進しそうだ。今にも。すぐ。
「ジェシカ! 鍵の使い方はわかるわよね⁉」
「ええ!?」
 大声で叫ぶソーニャが十時の方角へ走り出した。
「私と殿下が囮になるから、ガッツンとやっちゃって!」
 殿下はもとよりそのつもりだったのか、彼女とは反対方向へ飛び出す。走りながらペガサスを狙撃。
 天馬の方は鎧のような皮膚で銃弾を弾く。どんな仕組みなのか。
 それでも驚いたり、迷っている暇はなさそうだ。
 鍵をつよく握り、術の構成を編む。
「『黄金(きん)(くつわ)』」
 パキンッ――。
 呪文で封印が解けたのがわかった。
 鍵が重く感じる。
 たぶん大量に神霊力吸われている。
 ペガサスは殿下の方へと鼻先を向けた。一気に跳躍して襲いかかろうとする。
「唸れ、【星の女王(セレーネ)】!」
 今度はソーニャが叫ぶ。細剣(レイピア)を引き抜き、振りあげた。
「【聖覇斬(せいはざん)】!」
 カッと閃光が走り、ほぼ直線状の光が現れてペガサスにぶつかる。
 攻撃は直撃したと思った。
 よろけた天馬にダメージはなさそうだ。威嚇のような鳴き声で曇り空が鮮やかに光る。
 ゴロゴロと雷鳴が響き、暗雲から雷光が走る。
 しまった。
 何気にここは広い空間。避雷針的なものがなにもない。
 カッと視界が光った瞬間、左に跳ぶ。足元には焼け焦げた跡。喰らっていたら即死だ。
 死への恐怖よりも今は術の制御で手いっぱい。
「『天駆ける蹄、雷光を運ぶ翼、ふたつ星の欠片』」
 ペガサスを追いながら、呪文を詠唱する。
 鍵の形状が変化する。
 光が煌めいて、大剣へと形が変わる。白銀の光が鎖を編み、幾筋にも伸びてペガサスに絡みつく。足や翼、首に食い込み、動きを鈍らせる。
 嘶きと共に天馬が力任せに抵抗した。さらに鍵の握る手に神霊力を注ぎ込む。決して、逃さぬように。
 身体の内側を探られるような。撫でまわされるような、不快感。
(術の制御に失敗したら、内臓破裂するかも……)
 かなり気持ち悪い。
 反動のない奇跡はない。術は必ず代償が伴う。
 それが強力であれば、あるほど。
 綱引きのような状態で膠着に持ち込む。その時、ペガサスが突進しきた。
(嘘――――!)
 とっさに重心を前に傾ける。
 さっきまで互いに引っ張りあっていたのだ。そこで相手だけが力の方向を変えてきた。反動で尻餅でもついたら内臓破裂は確実だ。ぞっと心臓が縮みあがる。
 じゃない。反撃もしないと……
「ジェシカ!」
 ソーニャの声が遠くに聞こえる。
 それがやけにゆっくりだなと思った時、目の前を強風が通り過ぎる。さっきのように目を駆けていられない。かすかにこじ開けた視界には驚いて身をのけぞらせるペガサスの姿。
 ただの偶然にはできすぎている。
 もちろん、この風を発生させたのは――――、
「コンラッド!」
 二時の方向にはコンラッドがいた。剣を構えたまま静かに告げる。
「神の遣いだろうが、ジェシカに危害をくわえるのは許さない」
 そ、そんなに?
 さっきまではいつも通りだったのに。ペガサスは知らないうちに彼のご機嫌を損ねていたようだ。
 でも、コンラッドの援護で隙ができた。
 このまま押し切る!
「『戦姫神アテナが命じる。荒ぶる天馬よ、我が呼び声に応えよ』!」
 膨らんだ神霊力を爆発させるようなイメージで、鍵を後方へと振り回す。白銀の鎖が引っ張られ、ペガサスもろとも地面へ叩きつける。
 鍵の重さが増していく。ペガサスが抵抗しているからか。
 でも、ここまできたら力でねじ伏せるしかない。
 ドンッ!
 衝撃とともにペガサスが地面に倒れた。光る鎖がしっかりと天馬をとらえている。
 それを確認して嘆息がもれた。
「なんとか……」
 ほっとする間もなく、どしゃ降りの雨が降ってきた。
 あっという間にずぶぬれ状態。
「ジェシカ。お疲れ」
「コンラッドもありがとう」
 短い労いの言葉に安堵する。
 今度こそ、本当に終わったんだなと実感した。
 その後方では、
「寒い……」
「兵舎に浴室があるだろ」
 髪をかきあげた殿下が意地の悪い笑みを浮かべる。
 その姿は扇情的だ。見てはいけないものを見てしまった気になる。
「一緒に入るか?」
「遠慮します」
 すたすたと前を通り過ぎるソーニャ。鮮やかすぎる。
 そんな微妙な空気だったのでコンラッドと一緒に聞かなかったことにした。

「今回は、お手柄だったんじゃない?」
 数日後。
 再び、食堂で遅い朝食をとっている。
「ペガサスの捕獲なんてすごいね。他の騎士は右往左往してたってきいたよ」
「うーん。それがね」
 スプーンをくわえたまま、ぼやく。
 カイル特性のシェパーズパイの出来は素晴らしい。
 パイ生地のかわりのマッシュポテトが玉ねぎやトマトのうまみを吸っていて美味というしかない。
「街にも宮殿にも被害もないってことで内部処理扱いになっっちゃった」
「え、じゃあ……何も起きなかったこと?」
「そゆことですね」
 もちろん、それには深いわけが隠れていたりする。
 ことの子細を知った修道院は当然、グレース様とパスヒューム伯爵に事情聴取しようとするが思わぬ人物が割って入ってくる。
 伯爵の父親クロスフォード公爵である。
 あれだけぼんくらな息子でも、差し出すのは躊躇われるらしい。自分の監督不行き届きであることを認め、謝罪。被害を受けた宮殿の修繕費を保証すると約束。伯爵も自分の監視下において反省させると言われては修道院も強くは出れない。よってグレース様の責任も問うわけにいかなくなり、緘口令だけが敷かれた。つまりは何も起きなかったことになる。
 実害はないのだから穏便に済ませたい魂胆が目に見えてる。
 ソーニャが聞いたら怒り狂いそうにな気もするけど、これが実情なのかもしれない。
 戦乱から長く続く平穏な日々。
 変化のない暮らしは、いつしか怠惰と腐敗を呼び寄せる。
 けれど、わたしは自分の職務を全うするだけだ。
 パイをひとくち頬張って、視線を横に流す。
 そこには、同じく黙々と食事をこなす彼がいて。
 当たり前のように助けてくれる。そのことに感謝を忘れない人間でいたいから。
「コンラッド」
 名前を呼ぶと、食事の手がとまった。視線だけを向けてくる。
 お礼を口にしようとしたら、目の前に差し出される魚のムニエル。
「これも食べるか?」
「あ、ありがと……」
 ついつい受け取って一緒に食べる。
 そんな日常もたまらなく好きだから、わたしはここにいるんだと思う。

 素晴らしき創造主を信仰する神の国ラスウェル。
 今日もごくごく平和である。