ペガサスという名前を聞けば翼のある馬を想像すると思う。
空を駆ける姿は神聖かつ優雅な印象を受けるけど、実際はそんなメルヘンチックな生物じゃなかったりする。
父親である海神は荒々しい気性の持ち主らしいから、その性質を引き継いだのかもしれない。
乗り手を選び、気に入らなければ振り落とすという、筋金入りの利かん坊。単純な話、暴れ馬。
本来なら天界で雷鳴と雷光を運ぶ使命を負っている。それが下界で珍獣扱いされれば腹も立つだろう。
いずれにせよ、速やかな問題解決が望まれる。
同行者がふたり増えたので、探し人はあっさり見つかった。
「あれ、ない? なんで!? ここに入れておいたのに!」
背中からでもわかるほど狼狽した姿を披露する伯爵だった。
「見つけたわよ! フィリップ!」
ダンッと踏み鳴らして宣言するソーニャは肩が小刻みに震えている。呼吸が乱れたわけじゃない。これはかなり怒っている。爆発も近いかもしれない。
伯爵は一瞬まずいって顔をしたけど、すぐに柔和な笑顔を浮かべる。器用だと思う一方、その表情にはわずかな焦りが見えた。
「や、やあ、ソレルベリー侯爵令嬢。今日も、ご機嫌麗しいね」
「そんなわざとらしい挨拶は結構よ。というか、今の私がご機嫌に見えるのならアンタの目は間違いなく節穴だわね」
表情を険しくさせたソーニャは腕組みする。
本来ならここで貴族の挨拶なら手にキスするんだろうけど、それを断固拒否ってことかな。うわぁ。これは怒りなのか嫌悪なのか。知らない方がいい案件だ。
「さぁ、とっとと返すものを返してもらいましょうか」
ソーニャは強気に、ずいと手を差し出す。
その仕草で伯爵は少なからず動揺する。心当たりがある人の反応っぽい。
それでも伯爵はにこやかな笑みを浮かべる。
「な、なんのことかな? 僕は、なにもしてないよ。人違いなんじゃないかな?」
「すっとぼけるだけ時間の無駄よ。アンタが【アテナの鍵】を盗んだことは、ちゃあんとグレース様から聞いてますからね」
出てきた名前にぎょっとする。
グレース様は教会の第三聖女だ。彼女が絡んできたとなると話は大事である。
伯爵の顔色も変わった。
「げ……」
「げ、じゃないわよ! 見なさい! この騒ぎは間違いなくアンタの仕業でしょ! さっさと【アテナの鍵】を渡しなさい! でないとようやく昨夜に完成した新技をお見舞いするわよ!」
ソーニャがあさっての方向を指をさす。爆発して悲鳴が聞こえてきた。いよいよ余裕がなくなってきたかもしれない。
本来なら、こんなことしている場合じゃないだろうに。
伯爵は焦った表情で口を開いた。
「し、知らない! 僕は無関係だ! 本当に鍵なんか知らないんだ!」
「鍵?」
ここで重要っぽいキーワードに反応する。
伯爵が落とした鍵と何か関係があるんだろうか。
再び、ふたりに視線を向ければぎゃいぎゃい言ってる。
ソーニャが伯爵の髪を掴んで引っ張っていた。子供のケンカみたい。
というか、このふたりはいつもこんな感じだ。伯爵が絡んできたり騒ぎを起したりして、ソーニャを怒らせている。
あのふたりから話を聞くには時間がかかりそう。仕方がないので殿下に向き直った。
赤銅色の髪は鮮やかに映え、端正な顔立ちは気品と優雅さを兼ね備えている。
王者の風格。これで第七皇子とか嘘でしょ、といった貫禄。
「あのう、殿下……」
おそるおそる声をかければ、視線だけで返事をされた。
うう。迫力がある。
よくソーニャは怒鳴り返せるなぁ。
下っ腹に力を入れる。ついでに気合も入れた。
「パスヒューム伯爵は何をしてソーニャの逆鱗に触れたのでしょうか?」
「あそこの坊ちゃんは、どうやら聖女が管理している【アテナの鍵】を盗んだらしい」
「【アテナの鍵】ですか」
聞きなれない名前だ。文脈からして重要なアイテムだと思われる。
ベルストラスかリーヴィレスで作られたものだろうか。教会にも大陸各地の術式が組まれたアイテムが保管されている。
それも教会の人間がそれぞれ責任者を任命して管理している。
ここまで考えてハッとなった。
殿下の話では【アテナ鍵】をグレース様から盗んだという。ここから導き出される疑念は伯爵には窃盗の容疑、グレース様には管理不行き届きの責任が生じる。ましてやそれで騒動に発展したとなると、その責めも加算される。
ソーニャの攻撃はさらに激化していく。
伯爵の胸倉につかみかかり、首を前後左右に振り回している。
それを見ながら殿下は淡々と続けた。とめる気はさらさらないようだ。
「【アテナの鍵】はペガサスを拘束する重要な捕獲アイテムなんだろう。ソーニャは、制御に失敗して拘束を緩めたと思っている」
一連の説明を聞いて頷く。
「それでペガサスが暴走してる、と」
こりゃ、面倒なことになるぞ。
そもそもペガサスはベルストラスから友好の証として贈られた経緯がある。
他国からの贈りものの管理不行き届き。その後の対応によっては国際問題に発展するかもしれない。
「捕獲するにしろ、屠殺するにしろ、【アテナの鍵】を回収しないと始まらん」
「そんな……他に方法はないんですか? 鍵の複製とか」
捕獲はともかく、屠殺はあんまりだ。
他の手段はないのかと訊ねてみても、鍵はひとつしかないのだろうか。
ふとわいた疑念に殿下は首を横に振る。
「【アテナの鍵】はペガサスとともにベルストラスから送られた。術の構築式が複雑らしくて複製品が作れないそうだ」
さすがは魔法の国。
簡単に技術は渡さない仕組みになっているわけね。
もともと何の保険もなしにペガサスと対峙するのは論外っぽい。
ただでさえ空を飛んでるし。それだけで二の足を踏むってもんだ。おまけに電撃をくらうかもしれない。動きをとめるなり、攻撃するなりしておとなしくさせるのは人力だけでは難しいときたもんだ。
どうしようか途方に暮れた時、
「ん?」
ふと気が付く。
鍵。確かに、鍵だな。あれも。
伯爵と接触した時、去り際に発見したものを思い出す。
ポーチの中にあるものに触れた。ひんやりとした感触と固い質感。
もしやと思ったその時、絶叫が響いた。
驚いて声の発生源を見る。
「早く鍵を渡しなさいよぉッ!」
「いだだだだだ! 何だ、その技! まさか、それが新技とかいうんじゃないだろうな!?」
「そんなわけないでしょう! これは前座よ! とっておきを喰らいたくなかったら、とっとと出すもん出しなさいーッ!」
「痛ーッ! 肩が外れる! 腕が折れる! さっさとのけよ、この怪力女!」
「なんですって!?」
ソーニャの形相がさらに険しくなった。
で、でも、なにしてるんだろう。
説明することが難しい。
とりあえず、ふたりは地面に倒れ伏している。
ソーニャが伯爵の胸部付近を足で拘束していた。さらに右腕を掴んで背中をのけぞらせる。
早い話、伯爵の肩と腕に激痛が走っている模様。ソーニャの力の入れ方によっては脱臼、骨折もありえた。恐るべき技である。
ただし、その前に問題は他にも存在していた。
侯爵令嬢としてあるまじき体勢ではないだろうか。
男性にのしかかり、腕をがっちりと掴んでいるのだ。
修道会には、ソーニャに憧れる少女たちも多い。彼女たちをガッカリさせること間違いなしの現場に見えなくもない。
どうしよう。止めさせるにしても、あの勢いに声をかけづらい。
「なんだあれは。異大陸の技か?」
そっちが気になりますか。
殿下は結構のんきだ。ソーニャが繰り出している技が気になるらしい。
腕組みして静観を決め込む。すごい余裕。
そこで、ぼそりと呟く声が聞こえる。
「……腕ひしぎ十字固め」
「ええ?」
見れば、コンラッドの真剣な表情。
あの技をどこで修得したんだろって顔かな。
殿下とふたりで見つめるも、それ以上は深く語らなかった。
彼はイーストレアという東の最果てにある異大陸出身者だ。師匠である祖父とともに各地を渡りながら、剣の腕を磨いたコンラッドなら見たことがあるのかもしれない。
ただし、語ってくれることは稀。もともと口数が少ない人だ。そもそも、あれがどんな技だとかどの流派だとか知ったところで意味はない。時間が経過するごとに伯爵の怪我するリスクがあがるだけだ。
とうとう我慢の限界に達したらしい伯爵は自棄ぎみに叫ぶ。
「濡れ衣だ! よく見ろ、何も持ってないだろ! 証拠もなしに他人を疑うなんて騎士団の名折れだぞ!」
「は? この期におよんで言うことそれ!? 今さら、そんな理屈が通るわけ……」
鍵を持っていないと主張する伯爵に対し、ソーニャは眉をひそめるだけ。いや、むしろ両腕にぐっと力を込めた。
まずい。このままでは伯爵の血を見るだけになる。
わたしは慌ててポーチの中を探った。複雑な細工の鍵を勢いでとりだす。
「あの! これに見覚えある方はいらっしゃいませんか!?」
手にした鍵を天上に掲げた。
その場にいた面々の動きが、ぴたりと止まる。
ぽかんとしか顔から一転、目を見開いたソーニャが口を開いた。
「ジェシカ! それどうしたの!」
「なんで、おまえがそれを持ってるんだ!」
ソーニャが飛びあがった。しかも伯爵を蹴りながら。
彼の発言は、その……認めてるよね。少なくとも自分が【アテナの鍵】を持ってたってこと。しかも紛失したことまで。嘘がヘタとかのレベルじゃない。
「てっきり、パスヒューム伯爵の落とし物かと……」
親友の剣幕に気圧されながらも事実だけを話す。
さっきまでなら伯爵が鍵を盗んだか確証はなかった。しかし、わたしの発言であきらかに事態は動いた。
ソーニャからすっと表情が消える。
背後には、そそくさと逃走を図る伯爵の背中が見えた。
親友はガシッと彼の襟首を捕まえる。
「ほ~。なに? つまりアンタは【アテナの鍵】盗んだだけじゃなく、落としてシラを切った挙句に逃げた出したってワケ?」
「違う、僕じゃない!」
「何が違うってのよ、このホラ吹き伯爵が!」
もはやフォロー不可能。
絶対に認めようとしない頑なな伯爵。それをも黙らせるソーニャの怒声。
おのれの危機を悟ったのか両腕をのばし、手を振る。
距離をとって怒りを鎮めてくれってポーズ。でも、そんな時間はとうに過ぎた。
「待ってくれ! 話せばわかる!」
「問答無用! 目覚めなさい、【星の女王】!」
大声を張りあげながらソーニャが細剣《レイピア》を引き抜いた。
「瞬きなさい! 【聖流閃】!」
彼女の声に呼応したかのように白銀の閃光が周囲を覆った。
電撃と見紛うばかりのスパークが迸り、伯爵の絶叫が響く。
その後もソーニャの気が晴れるまで制裁は加えられた。
あまりの過激さについていけずに、そっと目を逸らす。殿下やコンラッドのようにスルーはできない。
その後、伯爵の心身はずたぼろ。見るも無残な姿になった。
思うに彼にとってソーニャは最も関わってはならない人物なのかもしれない。
にじむ涙をこらえながら伯爵は叫ぶ。
「畜生! 覚えてろ!」
そんなお約束の捨て台詞を吐いて帰っていった。
気の毒だけど、それを黙って見送るしかない。
あらためてペガサス捕獲作戦を展開するために。
空を駆ける姿は神聖かつ優雅な印象を受けるけど、実際はそんなメルヘンチックな生物じゃなかったりする。
父親である海神は荒々しい気性の持ち主らしいから、その性質を引き継いだのかもしれない。
乗り手を選び、気に入らなければ振り落とすという、筋金入りの利かん坊。単純な話、暴れ馬。
本来なら天界で雷鳴と雷光を運ぶ使命を負っている。それが下界で珍獣扱いされれば腹も立つだろう。
いずれにせよ、速やかな問題解決が望まれる。
同行者がふたり増えたので、探し人はあっさり見つかった。
「あれ、ない? なんで!? ここに入れておいたのに!」
背中からでもわかるほど狼狽した姿を披露する伯爵だった。
「見つけたわよ! フィリップ!」
ダンッと踏み鳴らして宣言するソーニャは肩が小刻みに震えている。呼吸が乱れたわけじゃない。これはかなり怒っている。爆発も近いかもしれない。
伯爵は一瞬まずいって顔をしたけど、すぐに柔和な笑顔を浮かべる。器用だと思う一方、その表情にはわずかな焦りが見えた。
「や、やあ、ソレルベリー侯爵令嬢。今日も、ご機嫌麗しいね」
「そんなわざとらしい挨拶は結構よ。というか、今の私がご機嫌に見えるのならアンタの目は間違いなく節穴だわね」
表情を険しくさせたソーニャは腕組みする。
本来ならここで貴族の挨拶なら手にキスするんだろうけど、それを断固拒否ってことかな。うわぁ。これは怒りなのか嫌悪なのか。知らない方がいい案件だ。
「さぁ、とっとと返すものを返してもらいましょうか」
ソーニャは強気に、ずいと手を差し出す。
その仕草で伯爵は少なからず動揺する。心当たりがある人の反応っぽい。
それでも伯爵はにこやかな笑みを浮かべる。
「な、なんのことかな? 僕は、なにもしてないよ。人違いなんじゃないかな?」
「すっとぼけるだけ時間の無駄よ。アンタが【アテナの鍵】を盗んだことは、ちゃあんとグレース様から聞いてますからね」
出てきた名前にぎょっとする。
グレース様は教会の第三聖女だ。彼女が絡んできたとなると話は大事である。
伯爵の顔色も変わった。
「げ……」
「げ、じゃないわよ! 見なさい! この騒ぎは間違いなくアンタの仕業でしょ! さっさと【アテナの鍵】を渡しなさい! でないとようやく昨夜に完成した新技をお見舞いするわよ!」
ソーニャがあさっての方向を指をさす。爆発して悲鳴が聞こえてきた。いよいよ余裕がなくなってきたかもしれない。
本来なら、こんなことしている場合じゃないだろうに。
伯爵は焦った表情で口を開いた。
「し、知らない! 僕は無関係だ! 本当に鍵なんか知らないんだ!」
「鍵?」
ここで重要っぽいキーワードに反応する。
伯爵が落とした鍵と何か関係があるんだろうか。
再び、ふたりに視線を向ければぎゃいぎゃい言ってる。
ソーニャが伯爵の髪を掴んで引っ張っていた。子供のケンカみたい。
というか、このふたりはいつもこんな感じだ。伯爵が絡んできたり騒ぎを起したりして、ソーニャを怒らせている。
あのふたりから話を聞くには時間がかかりそう。仕方がないので殿下に向き直った。
赤銅色の髪は鮮やかに映え、端正な顔立ちは気品と優雅さを兼ね備えている。
王者の風格。これで第七皇子とか嘘でしょ、といった貫禄。
「あのう、殿下……」
おそるおそる声をかければ、視線だけで返事をされた。
うう。迫力がある。
よくソーニャは怒鳴り返せるなぁ。
下っ腹に力を入れる。ついでに気合も入れた。
「パスヒューム伯爵は何をしてソーニャの逆鱗に触れたのでしょうか?」
「あそこの坊ちゃんは、どうやら聖女が管理している【アテナの鍵】を盗んだらしい」
「【アテナの鍵】ですか」
聞きなれない名前だ。文脈からして重要なアイテムだと思われる。
ベルストラスかリーヴィレスで作られたものだろうか。教会にも大陸各地の術式が組まれたアイテムが保管されている。
それも教会の人間がそれぞれ責任者を任命して管理している。
ここまで考えてハッとなった。
殿下の話では【アテナ鍵】をグレース様から盗んだという。ここから導き出される疑念は伯爵には窃盗の容疑、グレース様には管理不行き届きの責任が生じる。ましてやそれで騒動に発展したとなると、その責めも加算される。
ソーニャの攻撃はさらに激化していく。
伯爵の胸倉につかみかかり、首を前後左右に振り回している。
それを見ながら殿下は淡々と続けた。とめる気はさらさらないようだ。
「【アテナの鍵】はペガサスを拘束する重要な捕獲アイテムなんだろう。ソーニャは、制御に失敗して拘束を緩めたと思っている」
一連の説明を聞いて頷く。
「それでペガサスが暴走してる、と」
こりゃ、面倒なことになるぞ。
そもそもペガサスはベルストラスから友好の証として贈られた経緯がある。
他国からの贈りものの管理不行き届き。その後の対応によっては国際問題に発展するかもしれない。
「捕獲するにしろ、屠殺するにしろ、【アテナの鍵】を回収しないと始まらん」
「そんな……他に方法はないんですか? 鍵の複製とか」
捕獲はともかく、屠殺はあんまりだ。
他の手段はないのかと訊ねてみても、鍵はひとつしかないのだろうか。
ふとわいた疑念に殿下は首を横に振る。
「【アテナの鍵】はペガサスとともにベルストラスから送られた。術の構築式が複雑らしくて複製品が作れないそうだ」
さすがは魔法の国。
簡単に技術は渡さない仕組みになっているわけね。
もともと何の保険もなしにペガサスと対峙するのは論外っぽい。
ただでさえ空を飛んでるし。それだけで二の足を踏むってもんだ。おまけに電撃をくらうかもしれない。動きをとめるなり、攻撃するなりしておとなしくさせるのは人力だけでは難しいときたもんだ。
どうしようか途方に暮れた時、
「ん?」
ふと気が付く。
鍵。確かに、鍵だな。あれも。
伯爵と接触した時、去り際に発見したものを思い出す。
ポーチの中にあるものに触れた。ひんやりとした感触と固い質感。
もしやと思ったその時、絶叫が響いた。
驚いて声の発生源を見る。
「早く鍵を渡しなさいよぉッ!」
「いだだだだだ! 何だ、その技! まさか、それが新技とかいうんじゃないだろうな!?」
「そんなわけないでしょう! これは前座よ! とっておきを喰らいたくなかったら、とっとと出すもん出しなさいーッ!」
「痛ーッ! 肩が外れる! 腕が折れる! さっさとのけよ、この怪力女!」
「なんですって!?」
ソーニャの形相がさらに険しくなった。
で、でも、なにしてるんだろう。
説明することが難しい。
とりあえず、ふたりは地面に倒れ伏している。
ソーニャが伯爵の胸部付近を足で拘束していた。さらに右腕を掴んで背中をのけぞらせる。
早い話、伯爵の肩と腕に激痛が走っている模様。ソーニャの力の入れ方によっては脱臼、骨折もありえた。恐るべき技である。
ただし、その前に問題は他にも存在していた。
侯爵令嬢としてあるまじき体勢ではないだろうか。
男性にのしかかり、腕をがっちりと掴んでいるのだ。
修道会には、ソーニャに憧れる少女たちも多い。彼女たちをガッカリさせること間違いなしの現場に見えなくもない。
どうしよう。止めさせるにしても、あの勢いに声をかけづらい。
「なんだあれは。異大陸の技か?」
そっちが気になりますか。
殿下は結構のんきだ。ソーニャが繰り出している技が気になるらしい。
腕組みして静観を決め込む。すごい余裕。
そこで、ぼそりと呟く声が聞こえる。
「……腕ひしぎ十字固め」
「ええ?」
見れば、コンラッドの真剣な表情。
あの技をどこで修得したんだろって顔かな。
殿下とふたりで見つめるも、それ以上は深く語らなかった。
彼はイーストレアという東の最果てにある異大陸出身者だ。師匠である祖父とともに各地を渡りながら、剣の腕を磨いたコンラッドなら見たことがあるのかもしれない。
ただし、語ってくれることは稀。もともと口数が少ない人だ。そもそも、あれがどんな技だとかどの流派だとか知ったところで意味はない。時間が経過するごとに伯爵の怪我するリスクがあがるだけだ。
とうとう我慢の限界に達したらしい伯爵は自棄ぎみに叫ぶ。
「濡れ衣だ! よく見ろ、何も持ってないだろ! 証拠もなしに他人を疑うなんて騎士団の名折れだぞ!」
「は? この期におよんで言うことそれ!? 今さら、そんな理屈が通るわけ……」
鍵を持っていないと主張する伯爵に対し、ソーニャは眉をひそめるだけ。いや、むしろ両腕にぐっと力を込めた。
まずい。このままでは伯爵の血を見るだけになる。
わたしは慌ててポーチの中を探った。複雑な細工の鍵を勢いでとりだす。
「あの! これに見覚えある方はいらっしゃいませんか!?」
手にした鍵を天上に掲げた。
その場にいた面々の動きが、ぴたりと止まる。
ぽかんとしか顔から一転、目を見開いたソーニャが口を開いた。
「ジェシカ! それどうしたの!」
「なんで、おまえがそれを持ってるんだ!」
ソーニャが飛びあがった。しかも伯爵を蹴りながら。
彼の発言は、その……認めてるよね。少なくとも自分が【アテナの鍵】を持ってたってこと。しかも紛失したことまで。嘘がヘタとかのレベルじゃない。
「てっきり、パスヒューム伯爵の落とし物かと……」
親友の剣幕に気圧されながらも事実だけを話す。
さっきまでなら伯爵が鍵を盗んだか確証はなかった。しかし、わたしの発言であきらかに事態は動いた。
ソーニャからすっと表情が消える。
背後には、そそくさと逃走を図る伯爵の背中が見えた。
親友はガシッと彼の襟首を捕まえる。
「ほ~。なに? つまりアンタは【アテナの鍵】盗んだだけじゃなく、落としてシラを切った挙句に逃げた出したってワケ?」
「違う、僕じゃない!」
「何が違うってのよ、このホラ吹き伯爵が!」
もはやフォロー不可能。
絶対に認めようとしない頑なな伯爵。それをも黙らせるソーニャの怒声。
おのれの危機を悟ったのか両腕をのばし、手を振る。
距離をとって怒りを鎮めてくれってポーズ。でも、そんな時間はとうに過ぎた。
「待ってくれ! 話せばわかる!」
「問答無用! 目覚めなさい、【星の女王】!」
大声を張りあげながらソーニャが細剣《レイピア》を引き抜いた。
「瞬きなさい! 【聖流閃】!」
彼女の声に呼応したかのように白銀の閃光が周囲を覆った。
電撃と見紛うばかりのスパークが迸り、伯爵の絶叫が響く。
その後もソーニャの気が晴れるまで制裁は加えられた。
あまりの過激さについていけずに、そっと目を逸らす。殿下やコンラッドのようにスルーはできない。
その後、伯爵の心身はずたぼろ。見るも無残な姿になった。
思うに彼にとってソーニャは最も関わってはならない人物なのかもしれない。
にじむ涙をこらえながら伯爵は叫ぶ。
「畜生! 覚えてろ!」
そんなお約束の捨て台詞を吐いて帰っていった。
気の毒だけど、それを黙って見送るしかない。
あらためてペガサス捕獲作戦を展開するために。