なにをするにしても騒動の元を突きとめないことには始まらない。
 レッグポーチの中をがさごそと漁った。中から紫色の透明なカードをとりだす。
 リーヴィレスお手製の通信端末だ。これで業務連絡や給金の支払いをするシステムになっている。
 そのてのひらサイズの通信端末を見ても、画面に緊急性の高い通知はなかった。
「コンラッドにはなにか連絡きた?」
「いいや」
 向き直ったコンラッドは首を振る。
 彼とは所属する隊が違うので、連絡系統も違っていたりする。
 どちらも非常招集がかからないところをみると、まだ事態の把握と指揮権をどこに委ねるか決まっていないのだろう。
 とにかく現状把握が一番だと思われる。
 きょろきょろと周囲を見回していると、木々と宮殿に囲まれた空に現れた。
 思わず、目をこする。自分の目にしたものが信じられなかったからだ。
「……コンラッド。わたしの見間違いかな」
「大丈夫だ。きっと俺も同じものを見ている」
 コンラッドに確かめてみても幻覚の類ではないようだ。
 それは優雅に空を飛行し、視界から消えた。
 その直後に、再び爆発。今度は悲鳴とかも聞こえてきた。飛び去った方角である。
 間違いない。
 騒ぎの元凶はあれだ。
 わたしが見たものは、翼の生えた馬。ペガサスである。
 最近ベルストラスから友好の証に送られたけど、あれが脱走した……と考えるべきなんだろうな。
 晴天だった空も雲行きが怪しい。
 嫌な予感もした。あれを捕獲となると難しい気がしたし。
「……」
 コンラッドとふたりで途方に暮れる。
 ちょっと見なかったことにしたいとか、思ったり。
 もちろん、そうは問屋がおろさないわけで。
「ジェシカ!」
 声をかけられ、ふり返る。
「ソーニャ?」
 見れば、絶世の美少女が駆けてくる。
 名前はソーニャ・ロット・グリフィス。
 騎士見習い以前からの親友だ。
 しかも背後にいる人物にぎょっとする。
 赤銅色の髪に青磁の瞳。鍛え上げられた長身にはライフルケースを背負っている。
 第五分隊の隊長ではないか。しかも武器装備とは、事態はかなり深刻かもしれない。
「フィリップ様を見かけなかった?」
「え、パスヒューム伯爵?」
 何を考えるよりも先に見たままを答える。
「伯爵なら北宮殿の方に向かって行ったけど……」
 彼が去っていった方角を眺めながら呟く。
 様子は、いつもと変わりはなかった。
 まぁ、普段よりは挙動が怪しかったかもしれないけど。
 というか彼の通常運転など、わたしには判別がつかない。
 パスヒューム伯爵は、あの通り気難しい性格だから顔を合わせる度に態度がコロコロ変わる。山の天気と女心より移ろいやすいかもしれない。
 そんな人物観察はおくびにも出さないつもり。けれども、ソーニャはお気に召さない様子だ。
 形の整った眉を盛大につり上げ、鼻息も荒く歯ぎしりする。
「あんのエセ貴族詐欺師が~」
 歯の間からもれ出る恨み節。
 ソーフェン修道会騎士団きっての美姫と謳われた相貌が台無しだ。
 彼女はソレルベリー侯爵の令嬢である。ラスウェルが建国された当初より存在していた一族の家系という尊き血筋。本人もそれを強く心得ている人物……のはず。時々、令嬢らしからぬ言動をする時があるけど。ちょうど今みたいな。
 そうはいっても彼女が激怒するには必ず理由がある。間違っても気まぐれで周囲に当たり散らしているわけじゃない。
 なので素直に訊いてみる。
「なにが起きてるの?」
「見ればわかるでしょ、あのトラブル自動製造機がペガサスを脱走させやがったのよ!」
 とりあえず、トラブル自動製造機とは伯爵のことなのかな。
 侯爵令嬢ともあろう淑女が「させやがった」発言はスルーの方向でいこう。
 パスヒューム伯爵といえば社交界の中では有名人物である。
 振る舞いはスマートだし、容姿だって悪くない。寄宿学校でも優秀な成績だったようだ。
 ただし卒業してからの功績はいまいちパッとしない。
 父親は公爵で親類は議会の議員。華麗なる一族の末裔として後を継ぐかと思いきや、いっこうにその気配はない。
 司祭や騎士になるつもりもなさそう。真面目にこつこつと努力していれば、なにかしら報われそうなものなのに、たまに騒動を起こしては逃げ回っている。
 それが同じ貴族として気に入らないらしいソーニャとの折り合いは決してよろしくない。伯爵の方はソーニャに気があるみたいだけど。諦めない不屈の精神力でソーニャを口説こうとしている。はた目からしたらちょっと不毛と思わなくもない。
 もちろんそれどころではないらしいソーニャが、困った様子で口を開いた。
「ジェシカも手を貸して。きっと人手が欲しくなると思うから」
「それは構わないけど……」
 ちらりとコンラッドを見る。
 一緒に居合わせた彼としては迷惑なのではないか、そんな考えが頭をよぎった。
 視線が合った彼は、じっと見つめ返してくる。左手は剣の柄を握っている。いつでも準備は万端という彼なりのサイン。
 付き合ってくれるらしい。頼もしいかぎりだ。
 すると次の方針も固まってくる。
 まずは伯爵を探すべきなのだろう。さっきの鍵も返さないといけないし。
 あとの問題は……。
 おずおずとした上目遣いになってしまう。
 突っ込むべきか迷って口にする。
「それで、あの、殿下の方は?」
「いつものごとく勝手についてきただけよ」
 はっきりと吐き捨てた。
 ソーニャの目は明らかに迷惑がっている。
 それもそのはず、彼女の後ろにおわす人物は、ザカライア帝国の皇子様である。
 見分を広めるために大陸中を旅していたらしいけど、なんの道楽かソーフェン修道会に所属してしまった。
 語学は堪能、剣に銃も扱える。上昇気流に乗ったドラゴンのように短期間で実績を作り、分隊長までのぼりつめた。おまけに超がつくほどの美形である。いまや修道会に属する女子の憧れ的存在だったりする。
 そんな殿下が、ライフル装備で親友と行動を共にしているのだ。なにかあったと思うのが当然の流れではなかろうか。
 しかし、張本人はしれっとした口調で補足説明をはじめる。
「なに。爆発騒ぎが起きたのなら事態の収拾を図るのが騎士団の務めだろう。でなければ、どこぞの侯爵令嬢がクロスフォード公爵のご子息を血祭りにあげかねんと思ってだな」
 うわ。
 辛辣なお言葉。
 血の雨が降る予想してますよ。この方。
 もう少し控えめな表現にできないものかと考えて打ち消した。丁寧な口調にしたところで事実は変わらない。それどころかもっと怖くなるかもしれなかった。
 殿下のあんまりな発言にソーニャの怒声が響くかと思ったが、にこりと優雅な笑顔で向き直る。
 すごい。目が笑ってない。
「それはそれは。帝国の皇子殿下に骨を折ってもらうほどのことではございません。即刻、回れ右していただいてご自分の職場にお戻りください」
 丁寧な口調に騙されてはいけない。
 言外に、他国の皇子相手に「アンタに貸しは作りたくないんじゃボケ。兵舎に帰って書類にサインでもしてろ」みたいなメッセージを仕込んでいる。
 怖い。
 こんなに罵りあっても、どうして一緒にいるのか。
 ちなみにあれが通常運転。付き合いも長いらしい。
 双方、優秀だし?
 共同で任務を受けることもあるだろうけど。仕事の支障にならないのか、いつも不思議。
 慣れない針のむしろにくるまれたせいか、話が脱線しかけた。
 緊張が走る空気にも、殿下は動じない。
「ふっ、今さら取り繕っても」
 鼻で笑った。
 皇子も鼻で笑うんだ。かなりバカにしくさった態度。
 おまけに、やれやれといった口ぶり。見ているだけで胸にぐさりとくる鋭い攻撃だった。
 一方のソーニャも笑顔を崩さない。
 さすが。めげてない。
「ご安心ください。殿下。伯爵を発見したら、穏便かつ適切な対処をするだけですので。それにこれはグレース様より秘密裏に最小限の人数で当たるように厳命されております。殿下はどうかお気になさらずに」
 伯爵には、ただ聞きたいことがあるだけ。そんな乱暴なことはしませんよ。
 アンタには貸しは作りたくないだけだから、とっととどっか行け。
 手を借りる気は一切なし。もう近くにもいてほしくない感じだ。
 対する殿下の反応はというと、目を閉じて片笑んだ。皮肉たっぷりに。
「おまえのその短すぎる怒りの導線からして子息から事情を聞きだせるとしたら奇跡の(わざ)だな。せいぜい半殺しが関の山のくせに、穏便にすませようなどと口にしない方がいい。おまえの人格や信頼を損ねるだけだ。そもそもこれだけの騒ぎになってしまえば秘密裏に処理することなど不可能だろうに。聖女の判断が聞いて呆れる」
「なんですって?」
 ソーニャの眉がぴくりとはねた。
 いかん。
 殿下の発言は間違いなく彼女を不快にさせた。
 仕事第一のソーニャにとって、教会のシンボルともいえる聖女を侮辱したとも思える発言である。
 ソーニャの前で聖女を侮辱するということは、教会も侮辱したも同然。ましてや同じ修道会の人間が発言したことは許しがたい所業であろう。
 実際、柔和な笑顔でソーニャは自身の胸に手を当てる。
「殿下。もう一度、言ってくださいますか? 先ほど、聞き捨てならない発言を耳にした気がするのですが」
「鈍いのは頭か耳か、はっきりしろ。そんなだから貴族は回りくどい影口が得意になるんだ」
 もう一度、言ってみろの挑発に皇子殿下はにべもない。
 殿下も一体なにがしたいんだろう。
 先ほどの発言を好意的に解釈しても「冷静になれ」あたりだろうけど、自分も火に油を注いでませんかね?
 大体、一番やんごとなき身の上であらせれるのはイヴァン皇子殿下だと思われるのですが。世界各国共通の貴族のいやみを切って捨てるとは。
 殿下のまとめる第六分隊は、確かに実力主義の精鋭揃いではある。殿下にとって負の不文律は通用しないためであろう。それがいいのか悪いのかはともかく。
 両者、無言のにらみ合い。
 周囲の空気がどんどん冷えていくのを感じた。ついでに緊張感で呼吸もしづらくなっている。
 逃げたいなーなんて思い出した頃、大事なことをまるきり忘れてることに気付いた。
「あの、そろそろパスヒューム伯爵を探しにいきませんか?」
 多少上擦ったかもしれない声音で提案すれば、ソーニャが「そうだった!」と踵を返す。
「あのニセモノ坊ちゃんめ! 見つけ次第とっちめてやる!」
 ソーニャはそう言うなり肩を怒らせて歩き出す。
 当然のように殿下はそれに続く。さっきまでの言い合いはなんだったのか。
 どうあっても伯爵を名前で呼びたくないご様子。
 ここまでくると前世でなにかあったのだろうかと勘繰ってしまう。
 彼女の後ろ姿を追いかけながら内心、思った。
 ソーニャの怒りの導火線。
 最後に火をつけたのは間違いなく殿下だ。
 伯爵の身が心配である。
 コンラッドと並んで歩きつつ、これから降りかかるであろう伯爵の災難に同情した。