毎朝お弁当を作っているから夜はかなり早く寝る私だけれど、今夜この時間まで起きていたのには理由がある。
いいタイミングで双葉が部屋に戻ってくれてよかった。彼女には不快な場面は見せたくない。悲しい妄想に囚われず、穏やかな気持ちのまま眠りについてくれるといい。
結んだ髪をさらりと左に流し、玄関に向かう。電気をつけずにパンプスを履き、静かにチェーンを外してドアノブを握った。
勢いよくドアを開けると、目の前には庭に向かってスマホをかまえている女の子が立っていた。
「アンズさん? あ、白川杏華さん、だったかしら」
白川杏華は驚いた様子で私を見つめ返した。
背が小さくてかわいらしい、今どきの女の子だった。肩までのボブの髪を緩く巻いている。クラスにいたらそれなりにモテるタイプだろう。
インターホンも鳴らしていないのに人が出てくるなんて思わなかったのか、彼女はスマホをかまえていた手をゆっくりと下げ、そのまま体を硬直させた。
「……え。なんで、私の名前」
「もうこんな時間よ。おうちまでのタクシー代は払ってあげるから、早くお帰りなさい。きっとご家族が心配してるわ」
「は? ……なに言ってんの?」
「昨日、あなたのお母さんとランチに行ったの。新潟のお料理教室で知り合ってね、ずっとあなたのこと心配してたわ。成績はとてもいいのにおうちでは喧嘩ばかりなんですってね。まぁ、ご家庭の状況を考えたらしかたないかもしれないけれど」
後ろ手に持っていたスマホを見せる。そこにはSNSの、あるアカウントを表示させていた。
〈アンズ @12Pqxw4xcFMx
好きな人に好きな人がいるっていう地獄〜。許せん。アカウント発見したからとりあえず調査開始するわ〉
〈アンズ @12Pqxw4xcFMx
住所把握した! 私の特定能力すごすぎない? Yくんちから結構近い。行けない距離じゃないかも〉
〈アンズ @12Pqxw4xcFMx
やっぱり今日凸するわ! まずは様子見〜。動物園行ってからまた移動って、今日のスケジュール半端ないんだけどw〉
〈アンズ @12Pqxw4xcFMx
ライバルのお宅到着〜。外観は普通の一軒家、いや、どっちかというとお金持ちかも。腹立つぅ〜〉
彼女は私のスマホを凝視してから、そっと私の顔を見上げた。
さっきまで私と戦おうと息巻いていた彼女は、今は年相応というか、少しだけ怯えた表情をしている。不意打ちがだいぶ効いているようだ。
軒下に設置している防犯カメラを指差してみせると、彼女の顔はさらに青ざめた。
「あなたが今すぐこの家の敷地内から出ていくなら、私はなにも見なかったことにするわ。さっき撮ってたうちの庭なんかの写真は消してちょうだい。あと、双葉にはもう二度と近寄らないでね。できたら〝優くん〟にも関わらないでくれたらうれしいのだけど」
そう伝えると、白川杏華は踵を返し逃げていった。その後ろ姿を見送り、門を閉め、花壇やなにかが荒らされていないかを確認する。念のためあとでカメラの映像も確認しておこう。別になにされたからって、訴えたりする気はないけれど。
私が白川杏華のことを知ったのは、双葉のスマホがきっかけだった。
小さな頃から学校生活がうまくいかず、常に悩んでいた双葉。それでも家では明るく振る舞っているものだから、私はいつしか、双葉がお風呂に入っている隙にスマホを確認するのが習慣になっていた。
だから、以前から双葉がDMで高校時代の友人に想い人のことを相談しているのも知っていた。それを受けて、私は探偵を雇い〝優弥くん〟に恋人がいるかどうかを調べた。恋人がいなかったのは幸いだけど、彼の従兄妹の〝白川杏華〟という人物が度々上京して原田優弥に会いに来ているらしい。白川杏華は原田優弥の全ポストにいいねをしていたからアカウントはすぐにわかった。探偵の調査で裏アカウントも発見すると、彼女は双葉の存在を知っていて、おもしろいことに今夜うちに来てくれるとポストしている。だからお出迎えをすることにしたのだ。
私は、双葉の幸せを願ってる。
双葉が幸せになるなら、白川杏華の地元まで行って母親から情報を聞き出すなんてわけのないこと。高校の校長の過去のセクハラ疑惑を盾にして、大がかりな同窓会だって主催させてやる。すべては双葉のために。双葉のために。
でも私は双葉にとっていい距離感を保っている親なのだから、双葉にはすべて、内緒だ。
空を見上げると、きれいな月が出ていた。
深夜に外に出ることはないから、その美しさについ見惚れてしまう。まるで私の心の中のように、澄んだ、透明感のある色をしている。
「今夜は気持ちよく眠れそうだわ」
わざとつぶやいた。
私の意味のないひとりごとは、吸い込まれそうな漆黒の闇に溶けて消えていった。
いいタイミングで双葉が部屋に戻ってくれてよかった。彼女には不快な場面は見せたくない。悲しい妄想に囚われず、穏やかな気持ちのまま眠りについてくれるといい。
結んだ髪をさらりと左に流し、玄関に向かう。電気をつけずにパンプスを履き、静かにチェーンを外してドアノブを握った。
勢いよくドアを開けると、目の前には庭に向かってスマホをかまえている女の子が立っていた。
「アンズさん? あ、白川杏華さん、だったかしら」
白川杏華は驚いた様子で私を見つめ返した。
背が小さくてかわいらしい、今どきの女の子だった。肩までのボブの髪を緩く巻いている。クラスにいたらそれなりにモテるタイプだろう。
インターホンも鳴らしていないのに人が出てくるなんて思わなかったのか、彼女はスマホをかまえていた手をゆっくりと下げ、そのまま体を硬直させた。
「……え。なんで、私の名前」
「もうこんな時間よ。おうちまでのタクシー代は払ってあげるから、早くお帰りなさい。きっとご家族が心配してるわ」
「は? ……なに言ってんの?」
「昨日、あなたのお母さんとランチに行ったの。新潟のお料理教室で知り合ってね、ずっとあなたのこと心配してたわ。成績はとてもいいのにおうちでは喧嘩ばかりなんですってね。まぁ、ご家庭の状況を考えたらしかたないかもしれないけれど」
後ろ手に持っていたスマホを見せる。そこにはSNSの、あるアカウントを表示させていた。
〈アンズ @12Pqxw4xcFMx
好きな人に好きな人がいるっていう地獄〜。許せん。アカウント発見したからとりあえず調査開始するわ〉
〈アンズ @12Pqxw4xcFMx
住所把握した! 私の特定能力すごすぎない? Yくんちから結構近い。行けない距離じゃないかも〉
〈アンズ @12Pqxw4xcFMx
やっぱり今日凸するわ! まずは様子見〜。動物園行ってからまた移動って、今日のスケジュール半端ないんだけどw〉
〈アンズ @12Pqxw4xcFMx
ライバルのお宅到着〜。外観は普通の一軒家、いや、どっちかというとお金持ちかも。腹立つぅ〜〉
彼女は私のスマホを凝視してから、そっと私の顔を見上げた。
さっきまで私と戦おうと息巻いていた彼女は、今は年相応というか、少しだけ怯えた表情をしている。不意打ちがだいぶ効いているようだ。
軒下に設置している防犯カメラを指差してみせると、彼女の顔はさらに青ざめた。
「あなたが今すぐこの家の敷地内から出ていくなら、私はなにも見なかったことにするわ。さっき撮ってたうちの庭なんかの写真は消してちょうだい。あと、双葉にはもう二度と近寄らないでね。できたら〝優くん〟にも関わらないでくれたらうれしいのだけど」
そう伝えると、白川杏華は踵を返し逃げていった。その後ろ姿を見送り、門を閉め、花壇やなにかが荒らされていないかを確認する。念のためあとでカメラの映像も確認しておこう。別になにされたからって、訴えたりする気はないけれど。
私が白川杏華のことを知ったのは、双葉のスマホがきっかけだった。
小さな頃から学校生活がうまくいかず、常に悩んでいた双葉。それでも家では明るく振る舞っているものだから、私はいつしか、双葉がお風呂に入っている隙にスマホを確認するのが習慣になっていた。
だから、以前から双葉がDMで高校時代の友人に想い人のことを相談しているのも知っていた。それを受けて、私は探偵を雇い〝優弥くん〟に恋人がいるかどうかを調べた。恋人がいなかったのは幸いだけど、彼の従兄妹の〝白川杏華〟という人物が度々上京して原田優弥に会いに来ているらしい。白川杏華は原田優弥の全ポストにいいねをしていたからアカウントはすぐにわかった。探偵の調査で裏アカウントも発見すると、彼女は双葉の存在を知っていて、おもしろいことに今夜うちに来てくれるとポストしている。だからお出迎えをすることにしたのだ。
私は、双葉の幸せを願ってる。
双葉が幸せになるなら、白川杏華の地元まで行って母親から情報を聞き出すなんてわけのないこと。高校の校長の過去のセクハラ疑惑を盾にして、大がかりな同窓会だって主催させてやる。すべては双葉のために。双葉のために。
でも私は双葉にとっていい距離感を保っている親なのだから、双葉にはすべて、内緒だ。
空を見上げると、きれいな月が出ていた。
深夜に外に出ることはないから、その美しさについ見惚れてしまう。まるで私の心の中のように、澄んだ、透明感のある色をしている。
「今夜は気持ちよく眠れそうだわ」
わざとつぶやいた。
私の意味のないひとりごとは、吸い込まれそうな漆黒の闇に溶けて消えていった。



