今にも泣きそうにゆがめる顔を見て、穂香は頭を下げようとする敷島の腕を掴んで止めた。
 当時六歳の子どもにできることなど何もなかったはずだ。警察に任せろと周りの言葉に言いくるめられて、病室でじっと待つことしかできなかったことを考えると、彼が謝る必要はどこにもない。
「敷島くんは逃げたんじゃない。助けを呼びに行ってくれた」
「でも」
「敷島くんが倉庫の中でお月さまを見つけてくれなかったら、私はあの場所で待っていられなかった」
 あの時、敷島が月を見つけてくれなかったら――真っ暗で寒い倉庫の中で動けず、泣いてばかりだっただろう。
 ――お月さまが見てくれているから、きっと大丈夫。
(そう、あのときから……)
 敷島の言葉は、ずっと穂香を支えてくれた。
「助けてくれたのに、今まで忘れていてごめんね。傍にいてくれてありがとう」
 お互いの顔を見合わせると、どちらからともなく噴き出して笑い合った。十一年という月日を越えて、再会する奇跡があるとは思ってもいなかっただろう。
 すると、敷島が鞄から何かを取り出して穂香の前に差し出した。
 手のひらに置かれたのはところどころ錆び付いた、二つの星飾りが並んだヘアピンだった。
「え……? あっ!」
「大切なものなんだろ。返すの遅くなった」
 それは十一年前、穂香の誕生日の一週間前に紗栄子からプレゼントされたものだ。ずっと失くしていたと思っていたが、誘拐された当時に着けていたことを思い出す。敷島が逃げる際、お守りとして持たせていたのだ。
 穂香は手のひらで優しく包むと、胸元へ持っていった。
「よかった……っ、ずっとなおちゃんを守ってくれていたんだね」
「……その呼び方やめろ」
 ムスッとした表情の敷島は不服そうで、思わず穂香は口元を緩めた。
「いいじゃん。あ、でもくん付けのほうがいいよね」
「あーうるせぇな。ほら行くぞ」
「ちょっと待って……って、駅はそっちじゃないよ?」
「まだ時間あるんだろ? 家でも食うだろうが、ちょっと寄り道したって怒られねぇよ」
「え?」
「……ショートケーキの日、なんだろ」
 一瞬、キョトンとした顔で敷島を見ると、さらに耳を赤くして先を歩いてしまう。
 最近のドタバタですっかり忘れていたが、今日は穂香の誕生日だ。
「……待って尚くん! 私も行く!」
 慌てて敷島に追いついて、穂香はしれっと左側に並んで腕を掴む。少し驚いた顔をした敷島だが、呆れたように笑った。
 二人並ぶ影がどこまでも伸びていく。この先たとえ辛く下を向くことになっても、迷うことも恐れることもないだろう。
 あの夜、二人を照らしてくれた月のように。
 あなたと一緒なら、どこへだって行けるのだから。

【完】