「十一年前の誘拐事件で誘拐されたもうひとりは、敷島くんだよね」
 時々穂香を突き放そうとした違和感は、耳が聞こえなかったからではないと気付いたのはつい最近のことだ。なぜ敷島が、夜の倉庫の様子を知っていたのか。――もし彼が、穂香とともに孝明に誘拐された子どものひとりならば、すべての辻褄が合う。
「あの頃は髪が長くて痩せていて、顔つきが女の子みたいだったから勝手に『ちゃん』付けで呼んでいた……でもやっと、あの子の名前を思い出した。敷島くんと同じ、『なお』ちゃん。月が好きでよく話してくれたのも、全部思い出した」
「…………」
「これって偶然? ううん。敷島くんはわかっていて私に近付てきたんだよね。難聴になった原因が同じ誘拐事件なら時間軸も合う。違う?」
 確証はない。不安そうに彼の顔を見ると、躊躇うように唇を噛んでいた。
「もう、私に嘘つかなくていいよ」
 まっすぐ見据える穂香の目に耐え切れず、一度は目を逸らすも、敷島は溜息をついて向き合った。
「……そうだよ。俺の一側性難聴は、十一年前の誘拐事件が原因だ。……と言っても、あの日は雨で濡れていたから、斜面で足を滑らせて転んだんだ。当たり所が悪かった」
「敷島くんは、全部覚えているの?」
「まぁな。まさか高校で再会するとは思ってなかった。十一年も経ってんだ、顔つきも声も変わった俺を覚えているわけがない。事件のことを忘れているのは病院で聞いていたから、俺から極力避けようとは思っていた」
 一方的に知っているということもあって、話しかけることはしなかったが、教室から見えたグラウンドで懸命にハードルを飛び越える姿も見て、無意識に目で追っている自分がいることに気付いていた。しかし紗栄子が失踪して、いろんなものに追い込まれている穂香に声をかける勇気はなかった。
 だからあの日、駅前で車道に飛び出しそうになったときは、皮肉にもチャンスだと思った。
「あの日からずっと、穂香が困っていたら助けたいって思ってた。……まさかそれで、事件のことを掘り返すことになるとは想像すらしなかったけどな」
「敷島くん……」
「……俺は、ずっとお前に謝りたかった」
「え?」
「事件のあの日、穂香を一人にして山を下りたことを後悔した。熱で苦しんでいるのに、心細いはずなのに、お前は人の心配をしてばかりでさ。挙げ句の果てに逃げろって言いだした。……それなのに俺は、自分のことしか考えていなかった。……ごめん。ひとりにして、本当にごめん」