口を開いた途端、灰色の夢が脳裏にフラッシュバックして、幼い子どもの声が反響した。どこかで聞き覚えのある声に、思わず立ち上がって周囲を見渡す。
 しかし子どもの姿はなく、店内は心地よいBGMが流れ、談笑する客の姿しか見受けられない。ふてくされていた敷島も、ポテトをつまんだまま眉をひそめる。
「どうした?」
「……う、ううん。なんでもない」
(気のせいだった? でも確かにあの声は――)
 座りなおしながら思い浮かぶのは、いつかの夢で見たあの子どもの声。やけにはっきりと覚えている声とよく似ているが、あくまでもこれは夢の中での話。似ているなんて感覚は自分のさじ加減で変わってしまう。
「藤宮、その顔でなんでもないって言われても心配なんだけど」
 先程まで何度呼びかけても応じなかった敷島が、まっすぐ穂香を見て問う。揺らいだ瞳を前に、なぜか顔も名前も知らない誰かと重ねてしまう。
「……私たち、どこかで会ったこと、ある?」
「は……? どこかでって、学校で会っているだろ」
「そうじゃなくて、もっと前……小学生とか、保育園とか小さい頃」
「待って、落ち着け。どうしてそう思う?」
「実は私、幼い頃の記憶が曖昧なの」
 十年も前のことなど鮮明に覚えている人のほうが少ないだろう。しかし穂香は、保育園から小学校に上がってから約一、二年間の記憶がごっそりと抜けているのだ。入学式や運動会の写真がどこにも見当たらず、気になって母親に聞いたことがあるが、カメラを落とした衝撃でデータが消えてしまったとしか聞かされていない。
敷島にそう話すと、苦虫を噛んだ顔をした。
「……家が、近いって話しただろ」
「え?」
「顔見知りだった可能性はあるけど、少なくとも俺は小中一貫校で二駅先の私立に通わされたから、面識はない。お前は?」
「えっと……地元の、小学校だったけど」
「だよな。交流する機会なんてない。それに俺が初めて認知したのは、あの朝、交差点の信号待ちでガキに突き飛ばされそうになったのを助けたときだ」
「……そっか、そうだよね、ごめん」
 自分でも気付かないうちに、姉の失踪と灰色の夢を関連付けて考えていたせいか、夢の中で聞こえたあの声の子どもが敷島だと決めつけるには安直すぎる。
(私の思い過ごしならそれでいい。でも……)
 ただ一つ気になったのは、いつもまっすぐ目を見て話してくれる敷島が、このときばかりは目線を逸らしていたことだった。