実の母親は生まれつき病弱で、鈴乃が四歳の頃に亡くなっている。それからは父親がひとりで育ててきたのだ。そんなある日、同じ職場で働く和香子に惹かれて交際に発展。鈴乃が八歳の時に再婚したと聞いている。
 だからこそ、鈴乃は和香子に依存している節がある。母親のようなウェディングプランナーを目指しているのもそれが理由なのかもしれないと、頭によぎった仮説を穂香はすぐに振り払った。
「敷島くん、ところでさっきのって……」
「俺の気のせいならいい」
「教えてくれないの? 私、敷島くんの頭に監視カメラつけた覚えはないけど、何かに引っかかっているのは顔を見ればなんとなくわかるよ」
「……お前、意外と突っ込んでくるよな」
 じっと見てくる穂香を前に、観念したように溜息をついた。
「別に……なんで最初から中止や延期の可能性を捨てきれなかったんだろうなって思っただけ」
 式場によっては、キャンセル料金に関する保険がない場所もあるのだという。和香子が働くこの式場でも従来のプランには入っておらず、オプションとして用意されている。最初の打合せの早い段階から決めていたという話から、二人――あるいはどちらかが、式を挙げることを迷っていたのではないか。
「今までの話を聞いている限り、仲が良かったことは充分伝わってくる。でもあの日記を見て、お前の姉さんはずっと前から秦野の秘密を知っていたんじゃないかって思った」
「ずっと前から……?」
「日記の存在を知らないことを前提に考えると、偶然、秦野の秘密を知ったとしたら、直接的な言葉ではなく、それらしい言葉を書き残すと思う。でも灰色の夢の話よりも前の日記には匂わせるような書き込みは一つも残っていなかった」
「で、でもそれって、孝明さんが日記を知らないと成立しないよね? 部屋の出入りは自由だったし、警察が捜索したときに出てきた可能性だってあるよ」
「わかってる。だからわからないんだ。秦野の何に気付いて、懸念していたのかって」
 オプションの追加を最初に提案したのは紗栄子だったとはいえ、孝明がそれに便乗した可能性も捨てきれない。集めた情報がどれもシンプルで、深く踏み込んで考えようとすると余計な不安要素まで入ってくる。
「お待たせ……って、どうかしたの?」
 和香子が温かいお茶を持って戻ってくると、考え込む二人から気まずい空気を感じ、不安そうな顔を浮かべた。
「ああ、いえ。すみません、大丈夫です」
「急に出て行ってごめんなさいね。はい、どうぞ」
「ありがとうございます。……あの、和香子さん。聞いてもいいですか?」
「なんでしょう?」
「身内とはいえ、プランについて他人に教えることはいけないことですよね? どうして話してくれたんですか?」
「……私も、警察の事情聴取を受けました」
 テーブルにお茶を置くと、和香子はまたスケジュール帳を開いて確認しながら話を続けた。
「最後に連絡を取ったのは、式の二週間前。提供するお料理のアレルギーについて再度確認をしたくて、私から連絡したの。でも返答に歯切れが悪かったのが気になって、何かあったのか聞いたら体調不良だと言っていたわ。体調が戻り次第、折り返すと言われて通話は終わったけど、それから一切連絡がなくて。その後警察が来て、初めて失踪したことを知ったの。連絡がつかなくて当然よね。……でも私は、人生で一番素敵な日にするために、一緒に式の準備を進めてきたプランナーとして、どうしても奥様が自ら失踪するとは思えなかった。誰よりも真剣に取り組み、選んだドレスや完成した招待状を手に取って目を輝かせていたのを、私は近くでずっと見てきた。だから、穂香ちゃんに電話で半年前の話を聞きたいと言われた時、力になりたいと思ったの。……二人の結婚式を楽しみにしていたのは、あなたやご親族、ご友人だけじゃないわ。この式場にいるスタッフ全員が、望んでいたことだった。だから出席者に延期の連絡を全員で対応したし、保険の適用も訴えた。……また、奥様と会えることを信じてる」
少し震えた声を抑えながら、和香子は二人を見る。開いたスケジュール帳の端に、くしゃりとしわが寄っている。
「それに、大切な娘のお友達のお願いを、無下に扱えるわけがないでしょう」
 和香子はそう言って、にっこりと笑った。

 ◇

【西川和香子の証言】
・連絡を取ったのは失踪の二週間前。電話で最終の打合せをしていた。歯切れが悪かったのでなにかあったのかと聞くと「体調不良」だと言われた。体調が整い次第、折り返すと言われていたがその後なかった。失踪したと聞いたのは警察の事情聴取の時。(失踪から二日後)
・孝明から延期の申し出があったのは事情聴取の翌日。上司を説得し、総出で各所へ連絡。キャンセルと延長料金は保険に入っていたこともあり、無事に支払いできたという。