目の前に灰色の世界が広がっている。
グレースケールのように濃淡がハッキリと見える景色は、まるで自分が写真の中に閉じ込められた気分だった。
最近のカメラはカスタマイズしてしまえば、素人でも簡単にモノクロやセピア調の写真を撮ることができることもあって、誰が撮っても綺麗に映し出された一枚はモノクロでもセピア調でも、鮮明化されたカラー出力でも素敵な作品になるだろう。
しかし、藤宮穂香の目に映ったその景色は、お世辞にも綺麗だとは到底思えないものだった。
乱雑に押し込まれた荷物に圧迫された狭い空間で、ぎしぎしとハリボテの床がしなり、外の雨音が部屋をノックする。ごうごうと地響きのような音が聞こえる中、穂香は椅子の上に座って閉ざされた引き戸を呆然と見つめていた。
拘束されているわけではないが、ただ身体が重く、周囲を確認するために目だけを動かすことさえ一苦労だった。
すると突然、引き戸が開いて雨が入り込んできた。床に真っ黒な斑点が広がっていく。雨が降るたびに濃く染まっていくそれは、カンバスに色を落とす描き始めより、絵の具の先をバケツにつけて洗った水面に似ていた。一滴から始まり水面が揺れ、ゆっくりと底へ広がっていき、最終的にいくつもの色が重なって濃い色になる。
時折風が吹いて、雨が穂香の身体に直撃した。雨が当たっている感触はなかったが、心なしか身体が冷えてきた気がする。
床がほぼ真っ黒に染まった頃、ハリボテの床を踏む音が聞こえた。顔を上げれば、扉の向こうに大男が立っている。顔に靄がかかっていてよく見えない。その後ろから一人、女性らしき人物がこちらに歩み寄ってくるが、これもまた靄のせいで顔が分からない。一歩、また一歩。彼女がこちらに近付いてくると、口元が三日月のように歪んだのを見て身を強張らせた。
「……こ、こないで!」
小さく悲鳴を上げ、近付いてくる彼女に向かって叫んだ――つもりだった。
声をかき消したいのか、途端に雨音が強くなり、床に叩きつけられる音でかき消されて聞こえていない。来るなと叫ぶたびに、彼女はまた一歩近付く。
いよいよ穂香の正面に立つと、真っ黒な両腕が伸びてきた。
(……ああ、まただ)
穂香は口をつぐんだ。
雨はいつも、大切なものを奪っていく。小さな声を全部かき消して無かったことにしてしまう。
だからきっと彼女も、また自分から大切なものを奪おうとしているのだと思った。
「……ねぇ、どうして笑っているの?」
(私は雨も、あなたの笑みも嫌いなのに、どうしてそれを私に向けるの?)
答える代わりに小さく肩をすくめて笑ったのは、彼女なりの回答だったのかもしれない。
喉元に触れられると同時に、穂香の意識は深く、深く落ちていった。
グレースケールのように濃淡がハッキリと見える景色は、まるで自分が写真の中に閉じ込められた気分だった。
最近のカメラはカスタマイズしてしまえば、素人でも簡単にモノクロやセピア調の写真を撮ることができることもあって、誰が撮っても綺麗に映し出された一枚はモノクロでもセピア調でも、鮮明化されたカラー出力でも素敵な作品になるだろう。
しかし、藤宮穂香の目に映ったその景色は、お世辞にも綺麗だとは到底思えないものだった。
乱雑に押し込まれた荷物に圧迫された狭い空間で、ぎしぎしとハリボテの床がしなり、外の雨音が部屋をノックする。ごうごうと地響きのような音が聞こえる中、穂香は椅子の上に座って閉ざされた引き戸を呆然と見つめていた。
拘束されているわけではないが、ただ身体が重く、周囲を確認するために目だけを動かすことさえ一苦労だった。
すると突然、引き戸が開いて雨が入り込んできた。床に真っ黒な斑点が広がっていく。雨が降るたびに濃く染まっていくそれは、カンバスに色を落とす描き始めより、絵の具の先をバケツにつけて洗った水面に似ていた。一滴から始まり水面が揺れ、ゆっくりと底へ広がっていき、最終的にいくつもの色が重なって濃い色になる。
時折風が吹いて、雨が穂香の身体に直撃した。雨が当たっている感触はなかったが、心なしか身体が冷えてきた気がする。
床がほぼ真っ黒に染まった頃、ハリボテの床を踏む音が聞こえた。顔を上げれば、扉の向こうに大男が立っている。顔に靄がかかっていてよく見えない。その後ろから一人、女性らしき人物がこちらに歩み寄ってくるが、これもまた靄のせいで顔が分からない。一歩、また一歩。彼女がこちらに近付いてくると、口元が三日月のように歪んだのを見て身を強張らせた。
「……こ、こないで!」
小さく悲鳴を上げ、近付いてくる彼女に向かって叫んだ――つもりだった。
声をかき消したいのか、途端に雨音が強くなり、床に叩きつけられる音でかき消されて聞こえていない。来るなと叫ぶたびに、彼女はまた一歩近付く。
いよいよ穂香の正面に立つと、真っ黒な両腕が伸びてきた。
(……ああ、まただ)
穂香は口をつぐんだ。
雨はいつも、大切なものを奪っていく。小さな声を全部かき消して無かったことにしてしまう。
だからきっと彼女も、また自分から大切なものを奪おうとしているのだと思った。
「……ねぇ、どうして笑っているの?」
(私は雨も、あなたの笑みも嫌いなのに、どうしてそれを私に向けるの?)
答える代わりに小さく肩をすくめて笑ったのは、彼女なりの回答だったのかもしれない。
喉元に触れられると同時に、穂香の意識は深く、深く落ちていった。