穂香の自宅に到着したのは、診療所を出てから一時間ほど経った頃だった。
「あ、そうだ」
家の前に車を停めて降りる直前で、穂香は鞄からスマホを取り出す。
「敷島くん、連絡先を交換してくれない?」
「……いいけど」
気怠そうにポケットを探る敷島を横目で見ながら、穂香は切ったままにしていたスマホの電源を入れる。
相変わらずメッセージは溜まっていたが、最後の通知は鈴乃で、穂香が朝一で返信してすぐに送ってくれたらしい。
【よかったー! 無理しないでね。また学校で!】
いたって普通なメッセージに安堵する。心苦しいのは山々だが、これで週明けまで鈴乃からの連絡は来ないだろう。
「どうした? 親御さんから?」
首を傾げる敷島に、穂香は「なんでもない」とだけ答えて連絡先を交換した。画面には『nao』の名前と、真っ黒な背景に満月のような黄色の丸いものが光っている画像が現れる。
「月が好きなの?」
「まあな。昔から好きだな。これも意外だったか?」
根に持つような言い方で嗤う敷島に、穂香はふと、最近見た夢を思い出す。
――「お月さまが見てくれているから、きっと大丈夫」
今まで灰色の夢を見てきたなかで初めて聞こえた、幼い子どもの声。性別も判別できないほど中性的で、姿も覚えていない。
しかしなぜか、穂香は無意識のうちに敷島を重ねて見ているような気がしてならなかった。顔も名前も知らない、あの夢に出てきた子は、穂香の知っている人物なのか。
「藤宮?」
「う、ううん! 大丈夫。ごめんね、それじゃあまた学校で!」
ただの思い過ごしだろう。そう考えることにして、車を降りる。玄関の戸を開こうとすると、「藤宮!」と後ろから声をかけられた。振り返れば、敷島が車から降りて駆け寄ってくる。
忘れ物でもしただろうか。心当たりのない穂香の前に、敷島はまっすぐ見据えた。
「もしお前が調べたいなら、俺が手伝う」
「え……?」
「まだ生きている可能性も、この世にいない可能性も全部、曖昧なままで終わるかもしれない。それでもお前が諦めたくないなら、俺はいくらでも手伝う。……それが、最悪な結果だったとしても」