「気分悪くなったら寝てていいから。着いたら起こす」
それからすぐに恵が戻ってくると、何事も無かったかのように車を発進させる。
道中の車内は静かで、敷島はどこか遠くを見るように車窓を眺めている。無言が耐えられなかったのか、恵がラジオを流すと、ちょうど地元のラジオ局と繋がった。聞いていると、昨日の河川敷の話について対談している途中だったらしい。
『――✕✕市を流れる○○川の河川敷で、女性の持ち物らしきジャケットとスニーカーが見つかったとことですが、どう思われますか?』
『所持品がどこから流れてきたかはまだ不明ですが、この川は山から続いています。上流から流されて、平坦な発見場所に引っかかったというところでしょう。それを着ていたのは誰か、にも疑問ですがね、少なくとも見つかっていない靴の片足が出てこない限り、命の保証は――』
穂香は耳を両手で強く塞いだ。これ以上聞くには堪えられない。しかし、どれだけ聞こえないようにしても、音は反響して聞こえてくる。
すると突然、頭にジャケットを被せられて何も見えなくなった。心なしか、音も小さくなった気がする。
「兄貴、ラジオ止めて」
「えっ?」
「早く」
穂香の頭の上から聞こえた敷島の低い声に、恵が焦った様子で慌ててラジオを切った。
「ごめん、気付かなくて……藤宮さん、大丈夫?」
「兄貴、ちょっと時間がほしい。駐車場に入ってしばらくどっか行ってて」
「わ、わかった」
弟の苛立った声色に動揺しながらも、恵は近くの本屋の駐車場に入る。ちょうど予約していた本が届くことになっていたため、元々立ち寄る予定だったという。
車を降りる恵に、敷島は申し訳なさそうに「兄貴、ごめん」と謝ると、見通していたように微笑んだ。
「ついでに飲み物買ってくるね。何かあったら連絡して」
恵が車の戸を閉めて、車内は静まり返る。穂香がゆっくりとジャケットから顔を覗かせると、敷島がジャケットを引っ張って外した。
「悪い。兄貴は河川敷でのことを知らないんだ」
「……ううん。私も、露骨に嫌がってごめんなさい」
そもそも、昨日の今日でニュースに流れること自体、誰にも予測できなかったはずだ。ラジオの声に気を取られなければ恵に迷惑をかけなかったと後悔した。
穂香は横目で敷島を見る。ここまで自分を庇ってもらう理由がない。お節介な性格だと思えば納得できるのに、どうしてかそれだけではないような気がした。
「どうして、私を助けようとするの?」
そう問うと、敷島の表情がピシッと固まった。
率直に思ったことを聞いただけなのだが、と不思議がるも、よく考えたら自分の口から問うには痛い内容だったと痛感する。
短い沈黙が続いて、敷島は口を開いた。
「体調が悪いのを知っていて素通りするの、気分良くねぇじゃん」
「…………」
「意外そうな顔をすんな」
「ちがっ……すごく、驚いていて」
「同じだっての」
外見だけで決めつけるなと、ずっと前に教師の誰かが言っていたのを思い出す。身だしなみが整っているから優等生ではないし、逆に荒れていたら不良だと考えるのは滑稽だという。
特に敷島は標的になりやすい容姿をしている。長身で目つきが悪くて、低い声が脅しているように聞こえるのも偏見でしかない。
敷島はずっとそう見られてきたのだろう。気付かぬうちに発した言葉で何人ものの人を傷つけられるのに、彼はどちら側に立っても目立つ存在だ。
「ごめんね。でもなんかすっきりした」
「すっきり?」
「うん。全然話したことなかったけど、敷島くんは優しい人だなって思ったの。バス停に行くときも助けてくれたし、選択授業の時も席を代わってくれたでしょう?」
「いや、席は俺が頼んで代わってもらっただけだろ」
「ううん。些細な事を気付いて声をかけられるって素敵なことだよ。敷島くんにとっては当たり前のことを、私には救いだった」
そう、彼は自分を救ってくれた。姉が死んだかもしれないという事実を叩きつけられ、朦朧とする頭で何度諦めようと思ったことか。それでも敷島は希望論でも前を向けるなら、と寄り添ってくれた。ずっと一人で溜め込んできた穂香にとって、どれだけ救われたことか。
「……だから少しだけ、私の独り言を聞いてくれるかな」
それからすぐに恵が戻ってくると、何事も無かったかのように車を発進させる。
道中の車内は静かで、敷島はどこか遠くを見るように車窓を眺めている。無言が耐えられなかったのか、恵がラジオを流すと、ちょうど地元のラジオ局と繋がった。聞いていると、昨日の河川敷の話について対談している途中だったらしい。
『――✕✕市を流れる○○川の河川敷で、女性の持ち物らしきジャケットとスニーカーが見つかったとことですが、どう思われますか?』
『所持品がどこから流れてきたかはまだ不明ですが、この川は山から続いています。上流から流されて、平坦な発見場所に引っかかったというところでしょう。それを着ていたのは誰か、にも疑問ですがね、少なくとも見つかっていない靴の片足が出てこない限り、命の保証は――』
穂香は耳を両手で強く塞いだ。これ以上聞くには堪えられない。しかし、どれだけ聞こえないようにしても、音は反響して聞こえてくる。
すると突然、頭にジャケットを被せられて何も見えなくなった。心なしか、音も小さくなった気がする。
「兄貴、ラジオ止めて」
「えっ?」
「早く」
穂香の頭の上から聞こえた敷島の低い声に、恵が焦った様子で慌ててラジオを切った。
「ごめん、気付かなくて……藤宮さん、大丈夫?」
「兄貴、ちょっと時間がほしい。駐車場に入ってしばらくどっか行ってて」
「わ、わかった」
弟の苛立った声色に動揺しながらも、恵は近くの本屋の駐車場に入る。ちょうど予約していた本が届くことになっていたため、元々立ち寄る予定だったという。
車を降りる恵に、敷島は申し訳なさそうに「兄貴、ごめん」と謝ると、見通していたように微笑んだ。
「ついでに飲み物買ってくるね。何かあったら連絡して」
恵が車の戸を閉めて、車内は静まり返る。穂香がゆっくりとジャケットから顔を覗かせると、敷島がジャケットを引っ張って外した。
「悪い。兄貴は河川敷でのことを知らないんだ」
「……ううん。私も、露骨に嫌がってごめんなさい」
そもそも、昨日の今日でニュースに流れること自体、誰にも予測できなかったはずだ。ラジオの声に気を取られなければ恵に迷惑をかけなかったと後悔した。
穂香は横目で敷島を見る。ここまで自分を庇ってもらう理由がない。お節介な性格だと思えば納得できるのに、どうしてかそれだけではないような気がした。
「どうして、私を助けようとするの?」
そう問うと、敷島の表情がピシッと固まった。
率直に思ったことを聞いただけなのだが、と不思議がるも、よく考えたら自分の口から問うには痛い内容だったと痛感する。
短い沈黙が続いて、敷島は口を開いた。
「体調が悪いのを知っていて素通りするの、気分良くねぇじゃん」
「…………」
「意外そうな顔をすんな」
「ちがっ……すごく、驚いていて」
「同じだっての」
外見だけで決めつけるなと、ずっと前に教師の誰かが言っていたのを思い出す。身だしなみが整っているから優等生ではないし、逆に荒れていたら不良だと考えるのは滑稽だという。
特に敷島は標的になりやすい容姿をしている。長身で目つきが悪くて、低い声が脅しているように聞こえるのも偏見でしかない。
敷島はずっとそう見られてきたのだろう。気付かぬうちに発した言葉で何人ものの人を傷つけられるのに、彼はどちら側に立っても目立つ存在だ。
「ごめんね。でもなんかすっきりした」
「すっきり?」
「うん。全然話したことなかったけど、敷島くんは優しい人だなって思ったの。バス停に行くときも助けてくれたし、選択授業の時も席を代わってくれたでしょう?」
「いや、席は俺が頼んで代わってもらっただけだろ」
「ううん。些細な事を気付いて声をかけられるって素敵なことだよ。敷島くんにとっては当たり前のことを、私には救いだった」
そう、彼は自分を救ってくれた。姉が死んだかもしれないという事実を叩きつけられ、朦朧とする頭で何度諦めようと思ったことか。それでも敷島は希望論でも前を向けるなら、と寄り添ってくれた。ずっと一人で溜め込んできた穂香にとって、どれだけ救われたことか。
「……だから少しだけ、私の独り言を聞いてくれるかな」