友恵の用意した土鍋いっぱいの雑炊を二人で平らげると、穂香は風呂を借りて制服に袖を通し、敷島の伯父の診察を受けることになった。
 熱も下がって、喉や鼻にも異常がないことを伝えられると、穂香自身もホッと胸を撫で下ろした。
「診察料は昨日、一緒に来た秦野さんって人が置いていたから、安心していいからね」
「孝明さんが……?」
「ああ。一晩預かることになったときにね、起きたら診察を受けさせてやってほしいと頼まれたんだ。処方箋も出すように倍の料金を受け取ったんだけど、ちょっと多かったかな。余った分を返しておいてくれるかい?」
「はい。あの、領収書もいただけますか?」
 釣銭を受け取って、寝ていた部屋に戻る。穂香が使っていたベッドに乗って、敷島がスマホを片手に待っていた。
「敷島くん、ありがとう。診察終わったよ。熱も下がったから問題ないって……?」
「…………」
「敷島くん?」
 反応がない。穂香が入ってきたことに気付かず、ただじっとスマホを操作し、集中して何かを調べている。
 気になって視界が入るところまで近付くと、敷島はハッと顔を上げた。
「うわっ! ……びっくりした、いつからいた?」
「ついさっき戻ったけど……気付かなかった?」
「あー……うん、ちょっと調べもの。それより診察は? 伯父さんはなんて?」
「問題ないって」
「……そっか。よかった」
 ホッと胸をなでおろす敷島に、穂香は違和感を覚える。数キロ離れているわけでもないのに、戸を開けた音も聞こえていないのは、本当に集中していたからだろうか。
 敷島はスマホをポケットにしまいながら立ち上がった。
「兄貴がもうすぐ来るって。出る準備しといて」
「え、お兄さん?」
「そう。家まで送るって言っても、病み上がりの奴を歩かせるわけにはいかねぇだろ。そんなに驚くことか?」
「だって敷島くんの家族構成なんて知らないし……」
 何度も言っているが、穂香が敷島と関わるようになったのは最近で、世間話をする程度だ。だから敷島に兄がいたことなど知る由もない。
「そうでもねぇと思うけど」
「え?」
「俺とお前の家、結構近いらしい。もしかしたらどこかで会ってたかもな」
(そんなの知らないって!)
 敷島がケラケラ笑いながら部屋を出ていくのを、穂香はただただ口を開いたまま固まって見送った。
 荷物をまとめて遅れて部屋を出ると、玄関にはジャケットを片手に持つ敷島と、彼と同じくらいの長身の男性がいた。穂香が来たことに気付いて、敷島が手招いた。
「藤宮、こっち。兄貴、コイツが……って、どうした?」
 長身の男性はかけていた眼鏡を直しながら、穂香を見て驚いた表情を浮かべる。まるで怪訝そうな視線に、穂香は一歩後ろに下がると、それに気付いて我に返った。
「あ、ああ……ご、ごめん。ちょっとびっくりして」
「びっくり?」
「尚が女の子を連れてくるなんて思っていなかったからさ。ごめんね」
「い、いえ……」
「敷島恵(けい)です。よろしくね」
 そう言って笑った恵に、穂香は宜しくお願いします、と頭を下げた。
 外に出ると、空気の澄んだ清々しい快晴だった。それでも風は冷たく、羽織ったコートの上から腕を擦る。診療所の前に止められた軽自動車まで行くと、恵が思い出したように忘れ物を取りに戻っていく。鍵を渡された敷島は穂香に問う。
「前に乗るか? それとも後ろ?」
「えっ……う、後ろがいい、です」
「そう。じゃあ先に乗って。あ、運転席側な」
 鍵を開けて扉を開くと、穂香は言われた通り、運転席側の後部座席に座った。他人の車だからか、どこか落ち着かない。ひとりそわそわしていると、反対側の扉が開いて敷島が乗り込んできた。
「し、敷島くんが前に乗るんじゃないの?」
「俺が助手席に乗ると、長身に加えて姿勢が悪いからサイドミラーが見えないんだと。それに、お前の話聞けないじゃん」
「……なんで私を右側に座らせたの? それも身長の問題?」
「さぁ? 気分かな」
 思えばバスの時もそうだった。後ろに座った穂香に、彼は隣に来させようとしていた。断った後も体を大きくねじって後ろを向いて話しかけてくるくらいだから、そのときはただ話したがりなだけだと思っていたが、そうではないのかもしれない。