たった二時間の授業を終えると穂香は荷物をまとめ、鈴乃に何も告げずに教室を飛び出した。
学校の外ではすでに父親の車が停まっており、助手席に母親がいるのを見てから後部座席に乗り込む。二人とも顔が真っ青で、母親にいたっては震える手を祈るようにして握っている。
「せっかく登校したのに悪いな、穂香」
「大丈夫だけど……ねぇ、本当なの? お姉ちゃんは?」
「……それをこれから確認しに行くんだ」
父親はそう言って、言葉を絞り出すと車を発進させた。警察署までの道のりは一時間ほどかかったが、その間の車内はしんと静まり返っていた。
穂香もできるだけ考えないように音楽を聞いたりスマホを見たりするが、途中で車酔いになりそうだったので諦めて窓の外を見ると、河川敷が見えてきた。
学校近くの河川敷で今朝、警察が捜索していたからと、新田が隠し撮った写真の中には目ぼしい物は見つからなかった。せめて画像を送ってもらうべきだっただろうか。
警察署に着いて中に入ると、受付近くですでに到着していた秦野孝明の姿があった。ここ数ヶ月ずっと捜しいたせいか、先日会った時よりも目元の隈が濃くなっている。
「お義父さん、お義母さん……穂香ちゃんも、来てくれたんですね」
「確認はもう終わったの?」
「いえ、全員集まってからのほうがいいと、警察の人が」
しばらくすると、担当者がやってきて空いている会議室に案内された。
話によると今朝方、ランニング中の男性が河川敷を差し掛かったところで人が河に半身浸かった状態で倒れていると通報があり、警察が現場に急行。確認するとそれは人ではなく、ジャケットが流木や岩に引っかかっていただけだった。念のために辺りを捜索すると、そこから数キロ離れた下流でスニーカーの片方を発見する。
調べたところ、現在捜索中の女性のDNAが検出されたことと、スニーカーが特注品で購入者リスト内に女性の親族の名前があったため、本人の持ち物か確認してほしいという。
机の上に並べられたのはベージュのスーツジャケットと、所々に花らしき模様が浮き出た薄ピンク色スニーカーの右足だった。両親と孝明は食いつくようにそれらを見るも、しっくりこないのか何とも言えない顔をした。
「これ……持っていたかしら?」
「一年も離れて暮らしていたんだ。俺たちが知らないものを持っていてもおかしくはないが……」
「このジャケット……いなくなった日に着ていたものと同じです。一緒に家を出たし、よく覚えています。それこそ、駅の防犯カメラに映っている姿と同じかと」
「ええ、ジャケットはカメラに映っていた姿と一致したことがわかっています。……妹さん、このスニーカーはどうですか?」
担当者に呼ばれても、穂香はスニーカーを見つめたまま動かない。手を伸ばしてスニーカーに触れようとすると、孝明に止められた。
「穂香ちゃん、むやみに触っちゃ……穂香ちゃん?」
空中で止まった手が震える。孝明の声など届いていないように、ただじっと、まだらに浮き出ているガーベラの模様を見つめた。
「妹さん、辛いかもしれません。知っていることがあれば教えてください。お願いします」
穂香は躊躇った。この事実を告げたら、両親も孝明はもう立ち直れないかもしれない。それでも、このスニーカーは彼女と持ち主にとって大切なものだと知っている。
知っているからこそ、答えなければならなかった。
このスニーカーは、穂香が姉に贈った誕生日プレゼントだったのだから。
「……間違いありません。姉のものです」
穂香の言葉に、その場にいた誰もが俯いた。