授業に使用するものを抱え、鈴乃と別れて理科実験室に向かう。早めに着いたわりには、すでに半数くらいの生徒が来ていて黒板に群がっていた。上半期の選択教科でも授業を受けているため、実験室の勝手はある程度把握しているが、誰も席に座っていないのは珍しい。
実験室に入ってくるたびに生徒が足を止めて黒板を見つめる。それは穂香も例外ではなかった。黒板に貼られた図面には、八つのテーブルにそれぞれ生徒の名前が書かれていた。
「今日のメインは実験だってさ!」
「マジかよー……サボれねぇじゃん」
近くにいた男子生徒が面倒臭そうにぼやいた。黒板の上に大きく「実験のため、グループを分けます。この座席で座ってください」と書かれている。学校の備品に限りがあるのは仕方がないが、内容が変わるなら事前に告知してほしい。
一部不満の声が聞こえてくる中、穂香は自分の席を探し出す。一つのテーブルに四席。一番後ろのテーブルで、備品が置かれている棚のすぐ近くの席だった。
人混みを抜けて、まだ誰も座っていないテーブルの自分が座る席に荷物を置こうしてと、突然背筋がぞっとした。
(誰かに見られてる……?)
そっと後ろを向くと、機材や薬品が置かれている戸棚とちょうど穂香の目線と同じ高さに、ホルマリン漬けにされた得体の知れない生物がこちらに目を向けていた。蛙か蛇かもわからない。魚だったらどれほどよかったことだろう。
「………」
穂香は絶句した。最悪だ。なんの生物にせよ、どうしてこちらに顔を向けて置くのか。なぜ戸棚の、しかもガラス張りの段に入れたのか。言い出したら不満しかなくて、そっと顔を背けた。
戸棚には鍵がかかっているため、化学担当の若狭先生の許可なく動かすことができない。もちろん先生に事情を話して開けてもらうことは可能だろうが、いつも授業開始のギリギリに入ってきて、終わりと同時に次の授業準備で慌しい先生に話しかけるのは一苦労だ。
鍵だけを借りられたとしても、穂香自身が動かすことに抵抗がある。移動させる際に中が揺れ、得体のしれない生物と目が合ってしまったら――。
ああ、考えたくもない!
「――あれ、今朝の人だ」
頭を抱えていると、今朝聞いたばかりの声がした。見れば、穂香の座る前の席に荷物を乱雑に置く敷島尚がいた。
「あっ……⁉」
「そんな化け物見たような顔するなよ。傷つくじゃん」
選択授業は今日までに数回――片手で数える程度だが――受けてきているが、穂香の記憶には敷島の姿がない。廊下で先生と話しているだけで噂が立つほど目立つ彼が、同じ教室で授業を受けていたらすぐにわかるはずなのに、まったく覚えがない。
ただ、今朝の時点でお互いが初対面で初めて言葉を交わしたことは、彼が穂香の名前ではなく「今朝の人」と認知していることで証明された。
「この間、選択授業を変更したい奴は申請するように、ってアンケート用紙が配られただろ? 古典が飽きたから化学に切り替えたんだよ。若狭センセーの授業、楽しいし」
「……アンケートなんてあった?」
「あったよ。一週間前に全クラスに配布されたやつ。覚えてねぇの?」
全くもって覚えがない。懸命に思い出そうとしても、いろんな記憶が混雑して確実にあったとは断言できない。次第に穂香の顔色が青くなるのを見て、敷島は首を傾げた。
「さっきからしかめ面ばかりだな。もしかして教科変えたかったとか?」
「ううん、そうじゃないんだけど……アンケ―トを受け取った覚えがなくて」
「別に変更がなければ用紙を失くしたって問題ないだろ。変えたい奴だけが出せばいいことになってるし。……そんなことよりさ」
敷島が突然前のめりになって穂香に近付いてくる。急に距離が近くなって、驚いて息が詰まりそうになる。
そんなことも知らず、敷島は小さな声でこっそりと問う。
「席、交換してくんない?」
実験室に入ってくるたびに生徒が足を止めて黒板を見つめる。それは穂香も例外ではなかった。黒板に貼られた図面には、八つのテーブルにそれぞれ生徒の名前が書かれていた。
「今日のメインは実験だってさ!」
「マジかよー……サボれねぇじゃん」
近くにいた男子生徒が面倒臭そうにぼやいた。黒板の上に大きく「実験のため、グループを分けます。この座席で座ってください」と書かれている。学校の備品に限りがあるのは仕方がないが、内容が変わるなら事前に告知してほしい。
一部不満の声が聞こえてくる中、穂香は自分の席を探し出す。一つのテーブルに四席。一番後ろのテーブルで、備品が置かれている棚のすぐ近くの席だった。
人混みを抜けて、まだ誰も座っていないテーブルの自分が座る席に荷物を置こうしてと、突然背筋がぞっとした。
(誰かに見られてる……?)
そっと後ろを向くと、機材や薬品が置かれている戸棚とちょうど穂香の目線と同じ高さに、ホルマリン漬けにされた得体の知れない生物がこちらに目を向けていた。蛙か蛇かもわからない。魚だったらどれほどよかったことだろう。
「………」
穂香は絶句した。最悪だ。なんの生物にせよ、どうしてこちらに顔を向けて置くのか。なぜ戸棚の、しかもガラス張りの段に入れたのか。言い出したら不満しかなくて、そっと顔を背けた。
戸棚には鍵がかかっているため、化学担当の若狭先生の許可なく動かすことができない。もちろん先生に事情を話して開けてもらうことは可能だろうが、いつも授業開始のギリギリに入ってきて、終わりと同時に次の授業準備で慌しい先生に話しかけるのは一苦労だ。
鍵だけを借りられたとしても、穂香自身が動かすことに抵抗がある。移動させる際に中が揺れ、得体のしれない生物と目が合ってしまったら――。
ああ、考えたくもない!
「――あれ、今朝の人だ」
頭を抱えていると、今朝聞いたばかりの声がした。見れば、穂香の座る前の席に荷物を乱雑に置く敷島尚がいた。
「あっ……⁉」
「そんな化け物見たような顔するなよ。傷つくじゃん」
選択授業は今日までに数回――片手で数える程度だが――受けてきているが、穂香の記憶には敷島の姿がない。廊下で先生と話しているだけで噂が立つほど目立つ彼が、同じ教室で授業を受けていたらすぐにわかるはずなのに、まったく覚えがない。
ただ、今朝の時点でお互いが初対面で初めて言葉を交わしたことは、彼が穂香の名前ではなく「今朝の人」と認知していることで証明された。
「この間、選択授業を変更したい奴は申請するように、ってアンケート用紙が配られただろ? 古典が飽きたから化学に切り替えたんだよ。若狭センセーの授業、楽しいし」
「……アンケートなんてあった?」
「あったよ。一週間前に全クラスに配布されたやつ。覚えてねぇの?」
全くもって覚えがない。懸命に思い出そうとしても、いろんな記憶が混雑して確実にあったとは断言できない。次第に穂香の顔色が青くなるのを見て、敷島は首を傾げた。
「さっきからしかめ面ばかりだな。もしかして教科変えたかったとか?」
「ううん、そうじゃないんだけど……アンケ―トを受け取った覚えがなくて」
「別に変更がなければ用紙を失くしたって問題ないだろ。変えたい奴だけが出せばいいことになってるし。……そんなことよりさ」
敷島が突然前のめりになって穂香に近付いてくる。急に距離が近くなって、驚いて息が詰まりそうになる。
そんなことも知らず、敷島は小さな声でこっそりと問う。
「席、交換してくんない?」