(今日も疲れた。なんで私しか対応できないの。なんで他の人に仕事を任せないの。なんで信用できないような人を雇ってるの。本当に意味が分からない。それなのに私の給料が一番少ないなんて。確かに派遣だから仕方がない。でも、何にもしてないほかの人の方が給料いいなんて)

 私の仕事のイライラは尽きることがない。しかも、仕事のイライラだけでおさまらないのが、現状だ。

(はぁ。家に帰っても、ヒモ彼氏に「めしー」って言われて、作って、ダメだしされて。せめて働けよ。別にお前は働けるだろう。コンビニバイトでもしてろ。使う人が便利な分、仕事大変だから。そして社会に絞られて来い。私は十分絞られてるぞ)

 そう。私の彼氏は寄生するだけで何にもしていないヒモ彼氏。そんなの別れればいい話。でも、それができたら苦労しない。

 一度、私が痺れを切らせて別れた時。彼には家を出て行ってもらって、私は一人で暮らした。初めの一週間は楽園だった。仕事して、疲れて、ご飯作って食べて、寝て。でも、それは長く続かなかった。家に帰ると郵便受けに呪いの文章が書かれた手紙が10通入っていて、仕事帰りにはストーカーされてている気配がして、非通知から電話が仕事中でも家でも30回はかかってきて。

 手紙の字を見た時、元カレのだってわかったし、ストーカーが下手で時々見えた顔が元カレだったし。こんな面倒なことが続くなら、私が彼と付き合っていた方が全然いい。そう思うと私は、元カレに連絡をしてよりを戻すことになった。

 でも、やっぱり付き合うと私には重くて。責任を無駄に感じてしまう。しかも、何もやってくれないような人だ。私の悩みは絶えそうにない。


 ある日の仕事帰り、昨日までなかったと思われる場所にお店があった。そのお店を見た途端、家に帰らなければならないと頭の中ではわかっているのに、体がいうことを聞いてくれない。お店に吸い込まれていった。

チリンチリン。ドアを押すとベルの音がした。

「こんばんは、いらっしゃいませ。おひとり様でよろしかったですか?」
「はい、、」
「でしたら、こちらのカウンター席におかけください。お荷物、お預かりいたしましょうか」
「、、、コートだけお願いします」

 そう私が言うと、私よりとても丁寧な手つきで、コートをハンガーにかけてくれた。しかも、ロッカー付きで、鍵まであった。ついでにカバンもお願いすればよかった。今日に限って大事な資料がたくさん入っている。鍵なしだったた自分で持っている方が安全だと思ったのに。そんな私を見て店主が、

「よかったら御鞄もお預かりいたします」

 と言ってくれた。エスパーか?とりあえず、カバンを預けて席に着いた。そして、鍵をもらい、スラックスのポケットに入れた。

 そう言えばここは何屋さんなんだろう。店の雰囲気は、木で統一されていて落ち着く感じになっている。和食だろうか。魚は食べれるけど、物による。どうしよう。とりあえずメニュー、、、。ない。メニューがないお店なんて初めてで、とんでもなく高いのではないかと心配になってきた。

「あの、すみません。メニューってないですか」

 私がそう声をかけると店主が説明してくれた。

「この店は、お客様の希望を聞いてお料理を作らせていただいています。なので、メニューはありません。なので、お客様の希望を聞いてから献立を考えています。ちなみにお名前を伺っても?」
「はい。斎藤佳子です」

 私はそういって名刺を取り出した。すると店主は、名刺を出されるなんて思っていなかったのか、慌てた様子で自身の名刺を差し出してきた。名前は浅井翼。無事(?)に名刺交換をして、料理を考える。

(お店の雰囲気に合ったものが食べたいな。でも、和食は魚だったら食べられない。どうしよう。あ、スープとかもいいかもしれない。木のぬくもりに触れながら食べるポトフとか絶品だろうなぁ。どうしよう)

 しばらく考えてから浅井さんに話しかけた。

「すみません」
「はい」
「ポトフってお願いできますか?」
「できますよ。ほかに何か食べられますか」
「えーと、浅井さんのおすすめを一品ほどお願いします」
「承知いたしました」

 そういうと、浅井さんは厨房にこもった。その間私は、いつも持ち歩いている本を読んで待っていた。いつもと同じように本を読むだけなのに、お店と料理人の雰囲気だけでだいぶ印象が変わるものだ。

 しみじみそう考えていると、携帯が鳴った。メールだ。差出人を見るとヒモ彼氏。

『今日帰り遅い日だっけ?おなかすいた』

 今までの暖かな気持ちが一瞬で砕けた。いい気分だったのに。でも、これは私の事情であって、彼氏の事情ではない。それはは分かっているはずなのに、どうしても苛立ってしまった。

『ごめんね。会社の人と飲みながら仕事のこと話すことになって。連絡してなくてごめんね。ご飯は好きなとこで買って食べてて。普段より値段高いいいやつたべていいよ』

  返信する。連絡していなかった私が悪いんだから、多少贅沢はさせてあげたい。あぁ、こういうところだいけないんだろうか。でも、こうでもしていないと罪悪感に押しつぶされそうだった。結局、自己満足の世界なのに。

 自分で反省していると、いい香りが鼻腔をくすぐる。ふと顔を見上げてみれば、浅井さんがスープを持って立っていた。

「お待たせいたしました。ポトフと店主おすすめの一品です。ごゆっくりお楽しみください」
「ありがとうございます」

 運ばれてきたスープは、木のお椀に入っていて、スプーンまで木で作られていた。そんなスープの香りは、普通のポトフ。そして、店主のおすすめの一品は、まさかの梅が入った雑炊。こちらも温もりがある気のお椀に入れられていた。不思議な組み合わせだなと思い、浅井さんに聞いてみた。

「あの、どうしてポトフに雑炊を?」
「ポトフを作りながら斎藤さんの様子を少し見させていただきました。その時、携帯を見てため息をつかれることが多かったように思いました。疲れているとき、体調を崩しやすいです。だから、胃に優しい雑炊を。そしてその中には梅を入たものにしました。お口に合わなかったらすみません」
「えっと、、お気遣いありがとうございます。でも、なんで胃に優しいものを?」
「直感的なことなのですが、体調を崩すと、お腹が痛くなる人もいるので、その時に、刺激物が入っていると、少し治りにくい気がしたので。友人の経験談です」

 そういうと彼は、とても優しい顔で笑った。なんだか犬が尻尾を振って喜んでいる様子みたいだな。そんなことを考えながら、浅井さんに感謝を告げ、食べた。

「いただきます」

 スプーンを手に取って一口食べる。すると、とても短時間でできないであろうブイヨンの風味と、くたくたに煮込まれた野菜や肉が混ざり合って、とても家では作れないような味がした。なのにどこか家庭的な味がするのはなぜだろうか。そして、雑炊。ポトフと一緒に食べる日が来るとは思わなかったけれど、案外合う。梅がいい意味で目立ち、口の中を引き締めてくれる。

 あぁ、こんなに心が温まるおいしいご飯を食べたのはいつぶりだろう。彼氏にご飯を作らず、食べたいものを作ってくれる。そして、自分の体調を気遣った料理。こんなにも心がこもった料理は本当に久しい。そう思うと、なぜだか頬が濡れていた。

 驚いて携帯のカメラで顔を見ると、私は泣いていた。突然のことに驚いた私は言葉を失う。

 そんな私を見ていた浅井さんが遠慮がちに声をかけてきた。

「もしよかったらお話、聞きましょうか。何かアドバイスできるとかはないので、聞くだけになるかもしれませんが」

 こんな優しい言葉を聞いたら、信用してしまいそうになる。『初対面の人に話してはいけません』という天使と、『ちょっとぐらいはなしちゃえ!』という悪魔が脳内で戦っている。少し考えた結果は悪魔の勝ち。

 私は、職場と彼氏の不満を浅井さんに打ち明けた。途中、言っていいのか迷ったりもしたけど、話していくうちに心が落ち着いていった。そう思うと、口が勝手に自分のつらいことを話していた。話し終わった後、私は言った。

「私以上につらい思いをしている人がいるのも知っているし、こんなことでつまずいてたらいけないことは分かってるんですけどね、、、。どうしても、つらいと感じてしまうみたいです。やめる方法ないですかね」

 無意識のうちに、困ったことのような言い方をしていた。自嘲するように笑うと、ずっと静かに話を聞いてくれていた浅井さんが話しかけてきた。

「斎藤さん、それは違います。あなたにとってのつらいことはつらいこと、なんです。だから、『自分よりつらい思いをしている人がいるから、我慢しなければならない』と考えるのは傲慢です。あなたにつらいことはつらいこと。別に、そう思うのは悪いことではありません。だから、どうかその考え方を改善してほしい」

 そう話す彼は、どこか悲しそうな顔をしていた。

「あ。あと、斎藤さんの彼氏さん、ストーカー規制法違反に違反するので別れてもいいと思います。もう一度別れて、ストーカーされるようでしたら、警察に連絡してください。それが、あなたが自分で自分を守ることにつながると思うので」

 そんなのがあるのか。今日家に帰ったら別れ話をしてみよう。そこからまた考えていこう。

「話を聞いてくださりありがとうございます。それに加えてアドバイスまで。少しずつ自分を変えていきます」
「そうなると願っています」

 浅井さんはそういうと、「落ち着くまでゆっくりしていってください」と言って厨房に戻った。

 目の腫れが引いてきたころ、お会計をお願いした。食べた量や技術に見合わないほど安かった。驚いてこんな値段でいいのかきくと、

「斎藤さんの心の傷が少し治ったお祝いです」

と、笑顔で言っていた。さすがに安すぎたので、私はひそかにまた来ようと決めた。

「ごちそうさまでした。ありがとうございました」
「またのお越しをお待ちしております」

 そういってて店を出たころには、家に帰る足取りが軽やかになっていた。

 話を聞いてもらっただけ。でも、その行動が私の心を癒してくれた。