「おはよう、朝乃」
「お、おはよう……」

 一緒にクレープを食べに行ってからというもの、私たちの距離は縮まる……ことはなくむしろ遠くなった。
 なぜなら、私が一方的に避けているから。


 あれ以来、水谷くんの顔を見ると心臓がドキドキして、ううん。
 ドキドキなんてものじゃなくて、ドコドコドコドコ暴れ出して苦しくなるし、勝手に赤くなっていく耳は隠せないし、なにより身体も心もおかしくなってしまうから。

 目が合ったら頬がだらしなく緩んでしまうので、極力目は合わせないように。
 かと言って無視もできないから、中途半端な返事だけ。

「ねえ、朝乃」
「…なに……?」
「こっち向いて」
「え、なんで」

 向いてくれないから、という声とともにぐいっと掴まれた肩。


「っ……!」


 反射的にかちあった、瞳。体温が上昇していく。


「俺、朝乃に何かした?」

 水谷くんは、悲しそうだった。

「ち、ちちち違うの。私の問題だから、水谷くんは関係ないから!!」

 バッビューンと教室を飛び出して女子トイレに向かう。
 鏡の前には、ほんのりと顔を紅潮させる女の子がいた。


(リップ、塗ってみたんだけどな……)


 少しでも、と思って。

 ん?
 少しでも、なに?


「おかしいな……しっかりしろ! 私!」


 パンっと頰をたたいて気合いを入れる。


 水谷くんは近くで見れば見るほどキレイな顔をしている。
 そんな美顔を歪ませてしまうとなると、ものすごく心が痛い。

 けれど私がどうにかなって爆発するのに比べたら、最善の策だと言えるはず。



「……朝乃!!」

「っ……!!」


 なのに、なのに!!

 あっさりつかまってしまった放課後、目の前には細められた水谷くんの瞳。


「水谷くん、部活は……?」
「今それどころじゃない」


 はへ……と変な声が口から洩れる。

 じりじりと近づいて距離を詰めた水谷くんは、


「俺のこと避けてるよね?」


 と言って唇を噛んだ。


「えっ……」
「どうしてか教えてくれない? 嫌な気持ちにさせたんだったら謝る」
「いや、ちがくて……!」
「なにが違うの?」



 両者、必死。

 距離を縮められるたび、心臓がぎゅっと縮み上がって、顔に熱が集まる。
 どくどく、どくどくと血液が循環しているのがわかる。

「……あ、あーーーっ、! 今日は名高先生の連載が更新される日だーーっ!!」

 大声を出して、水谷くんと壁の間をするりと抜ける。

「え?」
「ってことで、私は推し作家様の急用を思い出したので、世界を明るくするために帰りますね!! 水谷くんさようならっ!」
「ちょっと、朝乃!?」

 ここは逃げ一択。
 名高先生、口実につかってしまってごめんなさい。

 心の中で謝罪して土下寝をしつつ、鞄が揺れるのもお構いなしで走る。そしてそのまま帰り道をたどる。

 その道中で、また私はとある事件に巻き込まれることになる。


 なんと、なんと。私の前方、制服のまま歩く羽花ちゃんのとなりに。

 怪しげな男が1人、立っていた。



「あやしい……」


 だって、どうみても寄り添って歩いている。距離感が他人じゃない。

 もしかして通話相手の人なんじゃ…??

 そう思ったら、それ以外の考えなんてひとつも思い浮かばなくて。


 私の頭に浮かんだのは、


「羽花ちゃんのこと、助けなきゃ…!!」


 これだけ、だった。


 わりと長身。格好からして大人の人だ。

 顔はよく見えないけれど、なんだか危ないにおいがする……。


 私は人混みをかき分けながら二人に近づいていって、はしっと羽花ちゃんの腕を掴んだ。


「だめだよ羽花ちゃん……っ、いくらなんでも危ないよ!」
「えっ……」

 思わずパッと掴んだ腕を引くと、くるりと振り返った親友。

 困惑が浮かぶその顔は、少し驚いた表情をしつつも、いつもどおりの彼女だった。


 焦りとか、不安とか、緊張とか。


 普通ならなにかが混ざっていてもいいはずなのに。
 まったくと言っていいほどに、そんなようすが微塵もみられないから、逆にこっちのほうが混乱してしまう。



「通話だけでとどめておくんじゃなかったのっ!? リアルでは会わないって約束したじゃん! なにされるか分からないんだから……っ」


 それはもう必死だった。


 少しでもはやく、この隣に並ぶ男から羽花ちゃんを救出しなければ。


 もしかすると、こんなに平気そうにしているけれど、内心助けてと叫んでいるかもしれない。


 そんな使命感に燃え、周りがまったく見えなくなって。
 たとえ殴られたり蹴られたりしても、羽花ちゃんを守るためなら、私はなんだってできるから。



「羽花ちゃんから、離れなさい…っ」



 喉までは大きな声で出かかるのに、実際に声にすると、震えとか、掠れとか、そんなものばかりが目立つ。
 それでもここで怯えるわけにはいかない。
 


「どこの誰か知りませんが、羽花ちゃんから離れなさい……!!」



 ちょうど隠れて見えなかった部分が見えたとき、私はたぶん、人生で一番驚愕することとなる。



 それは一瞬だった。
 強引に羽花ちゃんの肩を掴んで、ぐいっと自分の方に引き寄せたとき。

 彼の半分振り向いた横顔が、ちらりと視界に映って。



「……せん、せい?」



 そんな間抜けな声が、小さく響いた。