そんな葛藤に悶える私にクスリと笑った水谷くんは、「朝乃ってほんと面白いな」と呟いて、こちらに近づいてきた。

 トン、トンと小さな音が床に響く。


 目の前に来るとやっぱり背の高い水谷くん。


 少しだけ見上げるようにしないと、どんな顔をしているのかわからない。



「だからびっくりしたよ。朝乃がキャラ設定の紙持ってたから、もしかしたら朝乃が名高先生なんじゃないか、って思ってさ」

「じゃあ私たち、同じこと思ってたってこと?」

「そうみたい、だね」



 ははっ、と苦笑いを浮かべる水谷くんは、「その紙、どこから入手したの? 自作?」と首を傾げた。



 それで私は、ヒラヒラと紙が落ちてきてから今までに至った経緯を話してみた。

 しばらく腕を組んで考えるそぶりをしていた水谷くんは、「あやしいな」と呟く。



「なにが?」

「この紙、田中にも見せたんだよね」

「羽花ちゃん? うん。見せたよ」

「そのときの反応は? 何かおかしなところなかったの」

「別に? 呆れてたと思うけど」



 特に変な反応はしなかったはず。

 いやでも……まって。


 私が、名高先生の名前を出した瞬間、その一瞬だけだったけれど。



「ああああっ! あやしい反応、してた!! 羽花ちゃんだぁぁぁぁ」

「ちょ、うるさっ。いったいなによ!?」



 神様、あなたは歯車をうまく噛み合わせてくれるものですね。

 ちょうど良いところに、ご本人登場。


「羽花ちゃんっ! よくも、私にずーっと黙っていましたね!? この名探偵未理の手にかかれば……」

「で、何の話」


 部活の服を着たまま、眉根にしわを寄せた羽花ちゃんこと田中羽花。


「私がずっと探してた、名高先生って……羽花ちゃんだったんだね!!」



 ビシッと指までさして、「これは決まった……」とドラマの主人公みたいに決めポーズ。


 何度かパチパチとまばたきをした羽花ちゃんは、まいったというように頭をかかえて薄い唇を開いた。


「違うけど」


……違ったらしい。


 あっけなく撃沈してしまった私の代わりに、後ろにいた水谷くんが質問してくれる。



「以前、朝乃が出した『名高』って作家の名前に反応してたみたいだけど、それはどうしてなの」



 キョロキョロ。

 わかりやすく目を泳がせた羽花ちゃんは、小さく息を吐いて床に視線を落とした。


「知り合いなの。残念ながら名高は私じゃないけど」

「え……」

「まさかこんな近くに、名高を熱狂的に応援する人がいるなんて思わなかったから、びっくりしただけ。本当に、それだけ」



 推理、大外れ。

 探偵の世界に生まれなくてよかったよ本当に。

 ヘボ探偵でのたれ死んでたよきっと。


「なんだよ探偵の世界って」

「……っ!? 水谷くん、いま心読んだでしょ! エスパーなの?」

「違うよ。なんとなく、そう思ってそうだなって」


 ははっと満面の笑みを浮かべる水谷くん。

 そんな水谷くんと、私の顔を交互に見た羽花ちゃんは、「案外お似合いかもね」とぼやいて、引き出しからノートを取り出した。


「それっ、ネタ帳!?」

「ただの部活のノート。名高は私じゃないって言ったでしょ。これ、忘れたから取りにきただけなのに、変な疑いかけられてさんざんよ。じゃあね」


 ひと息で言い切ると、羽花ちゃんは身を翻してスタスタと去っていった。



 水谷くんでも、羽花ちゃんでもなかった。


「じゃあ結局、この学校に先生はいないんだ……大チャンスだと思ったのに」


 期待したぶん、落ち込んじゃうよ。

 でもでも、まだ分からないよね。



 あれだけの文章力があるんだもん、子供じゃなくて大人の可能性だってあるんだから。

 たとえばほら、汐●先生は国語の先生をしながら小説を書いていたわけで。



 そうだ、明日は国語の先生にちょっとだけ探りを入れてみよう。



「朝乃、一緒に帰るか」

「え、部活は?」

「行こうと思ってたけど、予定変更。サボることにしました」



 いいの?という言葉は、向けられた人全員気絶するんじゃないかレベルの彼の微笑みによって消されてしまった。



「どこ行く?」

「えー、どこ行こう」



 たいして意味のないこの会話も、なんか青春っぽくていいぞ。


 シチュエーション的には完璧なんだが……!


 名高先生、もし今この近くにいて私たちを見ているのであれば、ぜひとも新作のネタにどうぞ…!



「……とか思ってる?」

「だから、エスパーですかあなたは。ぴったり当ててくるのほんとによくないです、やめてください」


 相当きもい思考回路を見事に当てられた私は、恥ずかしがることも項垂れることもなく、白状して開き直っていた。



「やっぱり面白い。そういうとこわりとね、うん」

「……わりと?」

「あ。これから本屋さん行くのはどう?」

「……あり。大あり。ありすぎる」



 なんだかうまくかわされてしまったような気がするけど、ナイス提案だったので許そう。



「いいねえ、最近行けてなかったんだよね」

「新刊たくさん出てると思うよ」

「スタート出版の御本はぜんぶサイトで把握済みです!!」

「なんとなくそんな気がしてた」


 あはは、と笑う水谷くんと一緒に教室を出て、廊下を曲がると。


 桜色の風とともに、ドンっと肩に走る衝撃。



「うわ……っ!」



 思わず尻もちをついてしまった。


 普通、ここは水谷くんの出番じゃないのか。


 曲がり角で誰かとぶつかるという、これまた物語らしいあるあるシチュエーション。


そこを颯爽と助ける王子様ポジでしょ君は!

……いや、ないか。



「すみません」



ぶつかった拍子に床に落ちたのは、一冊の文庫本。


カバーがかけられていて表紙は見えなかったけれど、扉の部分にあった題名と作者名に、逃せない文字が並んでいた。



「え……!? 名高先生のデビュー本?! まってもう出てるの、うっそでしょ!?」



 オタクとして失格だ。


 発売日を見誤っていたのだろうか。



「大切な御本を本当にすみません! もし汚れたり折れたりしてたら弁償しますんで!!」



 ガバッと顔を上げた先、あったのは塩顔フェイス。


「じゃあ私急用ができましたのでこれで! 水谷くん行くよ緊急事態!!」

「え、でも発売日ってまだ……」

「はやく! はやくしないと!」



 もう少し冷静になっていれば。


 落ち着いて考えることができていたのなら。



 きっと私は、いまの段階で第二の仮説を立証できていただろう。



「先生も名高先生のファンなんですね! また語り合いましょー!!」



 叫ぶようにして廊下を走る。


 待ってて文庫本、いや名高先生。


 今すぐ迎えに行きますからね!!



「廊下は走ってはいけませんよ」



 と私たちの背中に向かって言う塩顔────数学教師の言葉を聞き流し、水谷くんの手を引いて駆ける。



「未理……たぶん大チャンス逃してると思うんだけど」

「え、なんのこと? 今そんな場合じゃないんだけど」

「……なんでもない」



 呆れたように肩をすくめる水谷くんは、どこか嬉しそうだった。


 そしてさらっと呼ばれた名前に、不覚にも胸がときめいた。



「おもしろ。んで……かっわい」



 小さく呟かれた言葉は、私の耳には届くことはなかったけれど。





 先生がいてくれるから、私の世界は色づいていく。


 先生の小説があるから、どんなにつらいことがあってもまた立ち上がることができる。


 先生の存在が、私に力を与えてくれる。


 先生の連載があるから、私は───…。




「なんか嬉しそうじゃん」

「幸せそー」



 通りすがりのお友達の声掛けに、私は思いきり叫ぶ。



「推し作家様、連載中につき、今日も私は幸せです!!!」



って。











「水谷くんと朝乃さんですか……なかなか面白いですね」



 ものすごい勢いで駆け出した背中を見つめながら、数学教師……田中は小さく息を吐いた。


 ふと床に落ちた視線の先、小さな紙切れ。

 拾い上げてみると、それはキャラクター設定のメモだった。


「朝乃さん、これ落としましたよ……って、ただ戻ってきただけですね」


 丁寧に畳んで、ポケットにしまい込む。



(気づくのはいつになるんでしょうね。鋭いようで鈍いんですから)



「それにしても危なかった。発売日はまだなんだから、持ち歩くものではないですね。気をつけないと」



 どうか良い青春を、と二人の未来に思いを馳せ、田中は"見本誌"と呼ばれるそれを大切そうに腕に抱えた。








推し作家様、連載中につき。 了