うつくしい教会の庭で、一人のシスターが子供たちを前に慌てふためいていた。

「ああ、あなたたち! 危ないですよ!」
「大丈夫だよーっ」
「そーだよ! シスターは心配性だなぁ」

 狼狽えるシスターを余所に子供たちは、やりたい放題だ。今も、大人の身長より高い木の上に登り降りし、言うことを聞かない。

「もうっ」

 今日も、教会には様々な人がやって来ていた。
 病める者も、健やかなる者も。
 富める者も、貧しき者も。

 教会に来る者は様々だ。服装一つ取っても、違いには枚挙に遑が無い。それでも歓談し、交遊する姿は皆一様に同じで────。

「きゃっ……!」
 木の上ではしゃいでいた少女がバランスを崩す。

「っ……!」
 子供を見守っていたシスターの顔が険しくなり、そのまま間髪入れず走り出した。
「あっ……!」
少年が手を伸ばすが、間に合わない。

「きゃぁあああっ」
 少女は体勢を立て直すことも出来ず、木から落下した。────が。

「ぁ、れ……?」
「……大丈夫ですか?」
 シスターが寸でで、少女の下敷きになり受け止めていた。
「ふぇっ……シスタぁぁぁあああっ……」

「ふふ。もう大丈夫ですからね……?」
 抱き留められ、安堵から泣き出す少女を、シスターは微笑んであやす。
 この光景に、固唾を飲んで見守っていた周囲は、ほっと息を付く。

「アメリ!」
 そこへ人垣を縫って駆け付ける中年の男がいた。男を見るなり少女は今泣いていたのが嘘だったように、ぱぁっと顔を輝かせる。
「ローラン!」
 少女はシスターの膝から降りると、男に駆け寄り抱き着いた。

「ああ、アメリっ、アメリっ。僕を驚かせないでおくれ!」
「ごめんなさい、ローラン……」
 自らを抱き締め頬擦りする男に、目を閉じこの背へ回した手で撫でる少女。

 一見すれば、抱き合う二人は、無茶をする娘と案じる父親に見える。
 ……だが、それにしては……。

 男は子供の如く必死に縋り付き、男の背を摩る少女は大人びた面持ちで宥めている風に映った。
 まるで、怖い思いをした息子を慰める母親みたいに。

 奇妙なのは、その状景に違和感を覚えない周りの人間たちだ。シスターも、微笑ましそうに眺めていた。
 ……と。

「────」

 一瞬、シスターの面差しが歪められた。……俺は、観察のために乗り出していた顔を引っ込める。

「……どうかしましたか?」
 教会から、神父らしき老人が出て来てシスターへ話し掛けた。

「……。いいえ」
 そちらを見向きもせず、シスターは笑みを消したまま、たった一言そう答えた。






 しん、と静まり返った深夜の教会内ではシスターが一人、祈りを捧げている。
 わざと、大きな音を立てて扉を閉めた。

「随分、乱暴な方ですね」
 シスターは、祈ることをやめて振り返り、俺を咎めた。俺は無駄な問答をするつもりも無く、単刀直入に尋ねた。
 銃を構えて。
「……ここには『ドール』がいるはずだ。何体いる?」

「『ドール』狩り……“『ドール』ハンター”ですか」
 銃口を向けられていると言うのに、シスターは微塵も動じない。
 昼間、木登りする子供たちに慌てふためいていた者と同一人物には見えない。

「……昼の親子……中年の男と少女だが、
 アレは、『ドール』と人間の親子だな?」

 昼の騒動。抱き合っていた二人。
 木から落ちた娘とこの父親に見えた二人は、実際には真逆だ。
 少女が『ドール』で在り、男のほうが、育てられた子供。

『ドール』────まだ文明が栄えていた時代、『新人類』とまで謳われた『生体機械』。
 最新医療の粋を集めて造られたはずのそれは、人工知能の例に洩れず、人類保護の観点から戦争の肩代わりをさせられた。

 ヒトのために戦ったのに、いつの間にか衰退した現代では一部で高値の賞金が懸けられる程、憎まれていた。

「『ドール』だけ、素直に引き渡せば不要な暴力を振るうことはしない。人間に用は無いからな」
「……引いては、いただけませんか」
「無理だな」

 シスターの言うことへ答えるのに、間が空いたのは、別に迷ったからじゃなかった。
「何せ、金が良い」
 たっぷり余韻を持たせて笑ったのも、丸腰の相手に余裕が在って酔い痴れて演出した、とかじゃなかった。

「……そうですか」

 シスターがどう行動するか、読めなかったから。
 シスターに、隙が一切無かったからだ。

「────っ、」
 思わず、引き金を引いた。
 でも、弾が飛ぶころにはシスターは足を踏み出していて。

 弾はシスターの頬を掠って通過し、シスターは怯むこと無く突進して来た。
 数歩だった。俺の懐に入るまで。

 顎への攻撃。すかさず身を引き避ける。
 しかし。

「っがっ……!」
 膝蹴りには対応が遅れ、腕を隙間に入れて腹を庇うも諸に食らって吹き飛ばされてしまった。衝撃で音を立てたのは、俺の背骨だったか激突した壁だったか。
「ぐ、ぅ……」

 俯き呻く俺の頭上、陰が差して上向く。
「……」
 シスターが、壁に凭れる俺を見下ろしていた。
「……ぁ……」
 月明かりの下、窓から差し込まれた光に映し出された彼女の面に、俺は声を洩らす。

 彼女の、弾が掠めた頬には一つの線が刻まれていた。傷ではない。
 真珠色の線だ。

「あんた……
戦闘型『ドール』だったのか……」

 戦争に借り出された『ドール』を主に、“戦闘型”と言う。
 彼ら彼女らは人間と一目で区別するため、真珠色のコーティングが為されていた。弾が掠めたせいで、擬装の塗装が剥がれたのだろう。高度な防護機能も備えているコーティングは、きれいな真珠色を湛えている。

「アンタも『ドール』、だったんだな……」
 ならば、マスターはあの神父だろうか。

『ドール』は機械らしく基本ヒトを殺しはしないけれど、一度マスターが登録されると優先順位が出来、ヒトを殺すことが可能だ。
 マスターを守るために、抗えないと困るからだとかで。三原則も無いらしい。
 だから、戦争ではマスターの仮登録をさせて投入したと聴く。

「……いいえ」
 俺の考えを、シスターが否定した。

「私に、マスターはいませんよ。
 すべては、私の意志。

 あの子は、ただ、私が育てた子供の内の一人に過ぎません」

「……はっ、」
 年若く、うつくしい容貌のシスターが、神父の老人を“あの子”と呼ぶ。
「『ドール』の意志……?」
 あんた、いったい……そう零す前に、シスターが……彼女が言った。

「……。

 私は、『マザー』。
 私は、あらゆる『ドール』の姉妹であり、
 あらゆるヒトの、母たる者。

 ……昔から、ただ、生物の生活を守るのが私の役目でした。
 この[(からだ)]を得た、今の私も、同じ。

 私は、『ドール』とヒトの……
“家族”の『共生(エデン)』を守る者」

 語るシスター……や、マザーに俺は、幼児期に爺さんより聞いた話を想起していた。

 衰退前、人々はライフラインを人間の脳波によく似た新規格の電子機器で管理していたそうだ。
 その管理している有機電脳は、『マザー』と言った。

 遠い過去から情報を拾いつつ、朦朧とする意識。容赦無いマザーの一撃に、恐らく内臓は潰されて余命幾許も無いのだろう。
「……」
 マザーは無慈悲に俺を見据えていたが。

 ……不思議と、『家族』を守れた安堵や勝ち誇った風情は無く。
 どこか、申し訳無さそうな、堪えるみたいな面持ちをしていた。

 俺の見解は、外れていなかった。

「ごめんなさい」

 そう彼女は、囁いたから。
 彼女の懺悔を聞き届け、俺は瞼を閉じた。



   【 了 】