幻のレストランは過去か未来へ行くことができる

 時の国の宮殿にはあっという間に着く。アサトと18歳の姿のまひるが対話する。

「どういうつもりだ?」
 珍しくアサトがきつい口調で問いただす。

「いつもの丁寧語じゃないのね、怖いよアサト」
 まひるはいつもとは違う兄の表情に気づきながらもさらっと会話をする。

「怖いのはお前のほうだ。平気な顔をして銃を使って怪我をさせるし、人を騙すし、とんでもない妹だ。丁寧語を使う義理はない」

 壁ドンといわれる体勢になっているが、ここは修羅場のような場面なので、同じ体勢でもラブコメとは色合いが違う。

「妹と言っても、私は連れ子だから、兄弟じゃないし。血がつながっていたらもっと無能な女だったと思うけど」
 嫌味たっぷりなまひるの言葉には毒矢のような威力がある。

「前からお前の言動には違和感があったんだよ。大人びているし、時々冷めた目をしているし、子供らしくないというか。本当は普通の18歳として生活したいのではないのか?」

「子どもを演じることって気楽で楽しいからそれでいいけれど。アサトも良い人ぶっているあたり、本当は鬱憤がたまっているんでしょ? 普通の男みたいに弾けたことも楽しいこともなく国のために記憶をけなげに集めているなんて、ばかげているわ。あんな少しずつ集めてもたいした力にはならないのにね」

 痛いところを突かれたように思うアサトは仕方なく反撃する。
「僕はできることをやっているだけだ。それに、夢香のことは好きだと思っているよ」

「でも、ヨルトに取られそうじゃない? アサトフラれちゃうんじゃない?」
 するとアサトが珍しく怒りの表情を見せ、壁に両手をつけて、顔を近づけて、まひるに向かって睨みつけた。

「アサトの怒った顔初めて見た。そういう顔もするのね」
 そう言うと、まひるは10歳の姿に変化して、逃げてしまった。

「私は、昼の女王になるんだから、手荒な真似はしないでよね」
 かわいい声でそんなことを言いながらまひるは自分の部屋に戻ったようだった。

 アサトはこれからのことを悩んでいた。夢香が来れないとしたら、他の能力が高い女性を日本のどこかで探してみるか。場所を変えて店を開店するか。そう思いながらも、まひるがいないと虹色ドリンクが作ることができないという事実に直面していた。そして、ヨルトが夜の王を拒むのであれば別の誰かを探すしかないのか、そういったことで悩みあぐねていた。迷宮入りと言ってもいいかもしれない。しばらく宮殿の廊下の椅子に腰かけてアサトは沈黙を続けた。

「能力の高い人間を探す手伝いをしてもいいよ」
 しばらくすると同じ場所に戻ってきた子供の姿のまひるが提案した。

「ヨルト、夜の王になりそうもないし。別な能力ある人間を探してみようよ。虹色ドリンク作ってあげるから、そのかわり、ちゃんと私にバイト代支払いなさい」

「僕は夢香を諦めない。彼女は時の国の王の一人として時間を操る能力を持っている。だから、少し時間を置いたら、もう少しここに来てもらえるように説得する」

「それは、国のため? 自分のため? あの子の能力が欲しいの? あんなに時の力を持つ人間、そうそういないわよね」

「自分のためだよ。時の力はすごいと思うけれど、一人の女性として大切だと思えるんだ」

「アサト、もっと賢い男だと思っていたけれど……これでは時の国の末路も見えたわね」
「好きなんだから、仕方ないだろ」
「珍しい。あなたが感情をあらわにするなんて」
「もう一度告白するの? アサトのことだからプロポーズかな?」
「もう少し、彼女の様子を見て告白と謝罪をしてみるよ」
「チキンよね」
「なに……?」
 アサトが珍しく睨みつける。

「あの子のこととなるとすぐムキになるのね」
「これからは、まひるには敬語は使わない、元々同じ歳だしな」
 ぶっきらぼうな物言いのアサト。

「ほんと、アサトって子供みたい」
 こどもの姿の18歳のまひるに言われたアサトは、少し拗ねているように思えた。これからは、夢香に会うために誘ってみよう。店以外の場所でデートに誘ってみよう。そして、ちゃんと謝らなければいけないとアサトは心に誓うのだった。

 アサトさんからメッセージが届いた。連絡先を知っているので、アサトさんが日本にいるときはいつでも連絡は取れるのだが、あの後なので少々気まずいと思っていた。最近は、レストランに顔も出していなかった。
「この前のことを謝りたい。お詫びの印としておいしいものをおごらせてください」とのことだった。

 少し考えたけれど、あのまま時間がたつともっと気まずいような気がして、アサトさんが私を利用しようとしていたということも気になって、一度会って確認しようと思った。

 レストラン以外でアサトさんに会うことはとても珍しい出来事だった。
 今日は普段行かない喫茶店に向かう。アサトさんは几帳面な性格通り10分前行動で、早めに来ていたようだ。私が手を振ると、アサトさんは手を振り返す。兄弟なのに、ヨルトとは違うな。

「この前はごめん」
 会うとすぐにアサトさんが私に謝った。

「薬を光に詰め込む技術すごいね、あっという間に治ったよ」
「あの銃でヨルトを撃つつもりはなかったんだ。でも、結果彼を傷つけてしまった。僕の責任だ」
「でも、謝るのは私ではなくヨルトに謝ったほうがいいと思うよ」
「わかっている。でも、第三者である夢香にまずは謝りたかったし、会いたかったんだ」
「会いたかった?」
「もう夢香はレストランには来ないと思ったから」
「私の力が必要だったの?」
「たしかに、夢香の特別な力を察知してレストランに呼んだのは僕だけど、でも、だんだん夢香の人柄に惹かれていったのは本当だよ。だから、国のためではなく、自分のためにまた手伝いに来てほしいと思って。今日、ちゃんと伝えたかったんだ」

「手伝いは楽しかったけれど、記憶の代償はどうなのかなって疑問はあったよ。あとまひるちゃんがちょっと怖いというか」

「まひるは大丈夫。ちゃんとバイト代払う代わりに口出しさせないと約束したから」

「記憶の代償は確かに申し訳ないけれど、品物を買うときにお金を払うことと一緒なんだ。同意の上だから、同意しない人からは、いただかないし」

 たしかに、お金のかわりが記憶と言われると、相応の支払いが必要なのは私でもわかる。ただで売る店はない。

「記憶喪失とか認知症の人ってアサトさんが絡んでいたりしないよね?」

「僕は絡んでいないけれど、父親はそのことで母と別れているからね。今は無理に人から記憶を奪うことはしていないけれど。でも、僕は原則、時の国の住人からは記憶をいただかないつもりだよ。愛国心があるからかな。それに、最近はエネルギーを作り出す機械が開発されているから、人から奪わなくてもエネルギーを量産できるようになってきた。まだ今生産されているのはわずかなエネルギーだけれどね。時代が変わったんだよ」

 ヨルトが言っていたのは、事実なんだ。お父さんが罪もない人の記憶を奪っていたということが、時の国への嫌悪感につながったのかもしれない。

「素敵な喫茶店があるので、ケーキでも食べませんか? ごちそうします」
「いいのですか?」
「もちろん。いちごのショートケーキはお好きですか?」
「はい、もちろん」

 私は、流れで一押しの喫茶店に行くことにした。アサトさんと人ごみを歩く。アサトさんは背が高く目立つので、振り返られることも多いし、若い女の子はアサトさんを見ている確率は高い。少し鼻高々に歩いてみる。別に私がみられているわけでもないのに。茶色の柔らかで少しくせ毛なアサトさんの髪質は兄弟のヨルトとは違う。ヨルトはストレートの金髪だ。兄弟でもだいぶ違うものだと思いながら、横を少し距離を置いて歩いてみる。それは、街中から比較的近いのだけれど、森林に囲まれた木の家という風格の建物だった。知る人ぞ知るという喫茶店なのかもしれない。

 メニュー表を見ると美しい彩られたケーキがたくさんあり、紅茶の種類が豊富でフレーバーティーがたくさん並べられていた。ストロベリーティーってあまり飲んだことがないので、正直おいしいのかどうかもわからなかったが、いちごのショートケーキに合いそうな気がして頼んでみた。コーヒーの味わいがまだわからない私には紅茶のほうが選びやすいというのもあった。

「ストロベリーティーといちごのショートケーキをお願いします」
 いちごづくしの注文をウェイトレスに頼む。

「僕も同じものをお願いします、夢香と同じ味を味わいたいので」
 そんな表情変えずに赤面するようなセリフを言ったりするアサトさんはずるい。

「僕は色々な喫茶店などに行って研究ばかりしています、常に自分の店のために行くのですが、今日は夢香のために来ました。以前来た喫茶店ですが、一度味わってほしかったんです。いつも僕の手作りばかりなのでホワイトデーのお返しは喫茶店のスイーツです」

「ありがとうございます」
 私のためなんて言われるとちょっと照れるな。

 すると、まじめな顔をしてアサトさんが私に言った。
「僕はあなたが好きです。だから、ちゃんと付き合ってほしいのです」

「……でも、私が時の国に行きたくないと言ったら? それならば付き合いたくないですよね?」
 ヨルトが言っていた。アサトさんは無駄なことをしない主義だと。時の国に行ってくれる人以外付き合わないという事実を確認してみる。

「僕は夢香と一緒にいられるだけでいいので、時の国に来なくてもかまいません。一緒にお店をやったり……笑顔を見ていたいだけです」

「まひるがいると、ちょっと気まずいかな」
 本音を明かす。

「まひるは過去や未来に行けるドリンクを作る特殊能力があるので、従業員としては必要です」

 アサトが真剣なまなざしを向ける。とてもきれいな宝石のような瞳だった。

「夢香、僕と結婚前提につきあってもらえませんか?」

「え……? 結婚前提? 普通の恋愛ではないということですか?」

「いえ、結婚を考えるくらい真剣ということで、見返りは求めません。自分のための告白です、僕には夢香が必要だと感じたのです」

 まさかこんなに美しい人に2度も告白されるなんて。しかも、こんなに優しい人が彼氏になるなんて。それにしてもアサトさんは緊張しないのかな、表情が変わらない。

「おつきあいしてもいいですよ、普通の恋人として恋愛をしてみたいです。国とかそういったことは関係なく。朝の王にはなりませんがそれでもよければ」

「ほんとうですか? もちろん能力や国は関係なくあなたと一緒にいたいので」

 アサトさんはうれしそうに手を差し出し、握手を求めた。私も、うれしくなり、舞い上がってしまった。彼が時の国という異世界の住人だとかそういったことは関係ないと勝手に思っていた。国が違うことはたくさんのリスクがあるだろう。でも、今はそんなことは関係なく恋愛を楽しみたいという気持ちだけだった。

 そして、お目当てのケーキと紅茶が届いた。
「ここは記憶をとられたりする喫茶店じゃないですよね」
 小声で聞いてみる。

 アサトさんは笑いながら、
「大丈夫ですよ。普通のおいしい喫茶店です」

 そう言った。あれ? 笑った顔が少しヨルトに似ている。やっぱりなんとなく似ているという点が兄弟なのだと確信した。ヨルトの場合はもっと野性的で毒気のある笑みだけれど。

 おいしそうなひとくちをまず頬張ってみる。生クリームがやわらかい。そして、甘さ具合がちょうどいい。生地のスポンジも柔らかく甘いものだった。スポンジの中にいちごが入っていた。そして、スポンジはピンク色でいちごの果実が入っていると書いてあった。なるほど、いちご尽くしなのか。生クリームの上にはいちごの乾燥した粉がかけられていた。見た目もかわいいし、おいしいし、とても幸せだ。天国の喫茶店かもしれない。

 イチゴのフレーバーティーは優しい香りがするいちごの紅茶だった。紅茶に詳しくないけれど、渋みもなく初心者でも味わえる優しい味だった。酸味があまりなく、くせもない。

 アサトさんも微笑みながらケーキを味わっていた。どちらかというと仕事のための調査で食べているような感じがした。メモを真剣にとりながらケーキを食べる人はアサトさんくらいだろう。写真も熱心に撮っている。

「いちごづくしですね。店内もいちごの模様のテーブルクロスにカーテンにイチゴを前面に推している感じだ」
「ここの紅茶は優しい味なんだよね。口の中に広がる香りとか味わいが贅沢な時間を感じるよ」

 私には味の違いとか難しいことはわからないが、ただ、おいしくて、ほっとできる空間がここにはあるということを実感した。これ以上、おいしいものには出会えないかもしれないと思える喫茶店を知ることができた。

 ヨルトってこういったお店って行くのかな? なんとなく、ヨルトは食べられればなんでもいい、みたいなイメージがある。男っぽい感じがアサトさんとは違うかもしれない。アサトさんは繊細で優しくて気配りができる人だ。

 まひるが何か悪いことたくらまなければいいけれど。本当は18歳なのに10歳と偽る少女に警戒を怠らないようにしていた。

「以前、私を時の国で利用できるという話を耳にしたのですが、そのために呼んだのですか?」
 アサトさんにもう一度ちゃんと確認をした。

「今の国王が退任したときに、朝の王である僕が国王になります。すると朝の王がいなくなります。そこで、夢香は潜在的に時の力を持っているということを知っていたので、スカウトのために店を手伝ってもらいながら様子を見ていたのです。すみません。でも、あなたのことをもっと知ったうえで朝の王の候補を見極めたかったのです。最初からそんなことを言ったら、変に思われるし、性格を作ってしまう可能性もあったので、ありのままを見たかったんです。すみません。今は夢香に強制するつもりはないですし、ヨルトにも強制しないつもりです」

「じゃあ夜の王はどうなるのですか?」

「夜の王も朝の王も、候補をこれから店をやりつつ探します」

「夢香が時の国に来ることが嫌でなければ候補としたいと思っています。でも、今は1人の女性として大切なのです」

 こんな恥ずかしい台詞を顔色変えず言えるアサトさんは大人なのだろうか。言われている自分が恥ずかしい。

「時の国は一度行くと帰れないのですか?」

「帰ることは可能ですが、手続きなど少し時間がかかるので、やはり気楽に行くべき場所ではないと思います。誘っておきながらすみません。あなたの大切さを失いそうになって初めて気づきました」

 恥ずかしくなるセリフを普通に話すアサトさんは、感情の一部が欠落しているかのようにも思えた。

「またお店を手伝いながら色々考えてみます」
「ありがとう、うれしいですよ。もしよかったら美術館に行きませんか?」
「もしかして新しくできた美術館ですか?」
「はい、あそこの建物の構造や内装などを店づくりの参考にしたいのです。かなり有名な建築家やデザイナーが作ったと話題になっていましたから」

「ホワイトデーの倍返しごちそうさまでした」
「喜んでいただけて、うれしいですよ」
「まひるには何かあげたりしないのですか?」
「あの子は妹ですが、いけ好かない奴なので、必要以外の物品のやり取りはしません」

 まひるに対してはいら立ちや怒りを時折見せるアサトさん。やはり兄と妹だからなのかな。私はしょせん他人だ。

 美術館ってあまり行ったこともなくて、私はとても緊張していた。さっき私なんかに告白して来たアサトさんは顔色一つ変えずに普通に歩いている。日曜の昼下がりの優しい日差しが気持ちいいが、緊張で体が硬くなっている。緊張がばれたら嫌だな。

「モダンアート展ですか」
「芸術は平等だと思うんだよね」
 時々アサトさんは哲学的なことを普通に言う。

「私、芸術ってよくわからないんです。こんな変な銅像がなぜすごいのかっていう疑問は持ちますが」
「見る人が見たら変じゃなく美しい、それが芸術です。そして、感じ方はそれぞれ違っていいし、創造された世界は平等なのに描ける人と描けない人がいる、それだけなのです」

 やっぱりアサトさんは小賢しいというか、何も考えていない私とは違う。でも、隣にいるだけでみんなが振り向く美を持つ男性と歩ける私は幸運だ。というようなバカげたことを考えながら鑑賞をしていた。アサトさんは建物内のデザインやインテリアを含めアートと言われる作品を目を凝らしてみていた。勉強熱心なんだな。そう思った。

 このオブジェ、何だろう? 動物? 宇宙人? ヨルトだったらきっと笑って「何だこれ?」とか言いそう。私もなんだこれ状態だし。アサトさんは良さがわかるのかな? 美しいアサトさんを芸術品のように眺めながら、ヨルトの反応について考えていた。
 夜の王の跡継ぎ候補のヨルトが時の国に戻る気がないということがわかったアサトさんは新たな候補を日本で探すということだ。

 日本と時の国は昔から関わりが深く、驚くほど近い時空にあるらしい。だから、探しやすいらしい。今のところアサトさんと付き合ったとしても時の国の住人になるつもりはない。日本を捨てる覚悟まではないが、アサトさんのことは好きだ。それはアサトさんは理解してくれている。

 アサトさんが国王になった時に席が空く、次期朝の王となる候補も探すという話だ。アサトさんは時の国を大切に思う気持ちは理解できる。だって、そこで生まれ育ったのなら当然なことだろう。私も日本が好きだ。それと同じなのだろう。

「今日は夜の王となりうる力を持つ男を客として呼びます」
「さすが、アサトさん、まさか奇才黒羽じゃないですよね」
 アサトさんに確認する。

「彼は能力は高いですが、王に向いているとは思いません。我が道を一人で行くタイプですから、人のいいなりになるような男ではありませんしね」

「ちゃんとした人かどうかあたしがチェックするから」
 厳しい目を向けるまひる。見た目は子供だけれど実は大人である、まひるのチェックは厳しそうだ。どんな人だろう?

 カランカラン――ベルの音がなる。入り口のドアが開く。足を踏み入れたのは、髪の毛の毛先を遊ばせたチャラそうな男だ。ロックバンドとか何かをやっていそうな革ジャンに革パンで、実生活でも髪以外も遊んでいるそんなイメージだ。

「いらっしゃいませ」
 3人の声が一斉に響く。私たちのほうが緊張している。

「ここ、コーヒーある?」
 軽そうな風貌の革ジャンの男が腰のあたりにシルバー系のじゃらじゃらしたものをたくさんつけている。キーホルダーや財布などをつけているのだろうか、ファッションなのかもしれない。じゃらじゃらと音を鳴らしながらカウンターに座った。

「ありますよ」
「アイスコーヒーで。100円なんだろ」
「うちは、食べ物も100円ですが」
 まひるがじっと男を見つめながら観察する。
「小学生が作ってるのかよ? 大丈夫か?」

「何にしますか?」
 アサトさんが優しくかつ注意深く話しかける。

「和食が食べたい。俺、家庭の味に飢えてるんだよな、こう見えてもわりと忙しくてさ。今話題のネット発のボーカルしてるんで」

「もしかして、動画から一気にメジャーデビューしたというYASHYAさんじゃないですか?」
 私が最近友達に見せてもらった歌手の動画を思い出した。

「そうそう、俺、本名が夜叉竜だから、ローマ字でヤシャってつけたんだよね」
「夜叉って変わった苗字ですね」
「よく言われるよ」

 芸能人を見て少し浮かれてしまう。
「じゃあ、和食が食べたいな……ってここにあるのか?」
「ありますよ、かぶの煮物でいいでしょうか?」

「別に構わねー、うまければな」
 ロッカー男がコーヒーを飲みながらかぶの煮物を頼む。これ、合わないでしょ。

「かぶとひき肉の煮物はいりましたー」
 まひるが子供らしい声をあげた。

「なんでも作ることができるのですね」
 一応年上だということを知ってから敬語を使う。

「私、何でもできるから」
 クールな瞳で受け答えするまひるはやはり大人びていると思った。本当の10歳はこんな表情はしないだろう。

「そうね、私は料理は小さい時から趣味で作っていたから。甘やかされて育ったあなたよりは上手なのも当然よね」
 さらっと胸が痛いことを言ってくるまひる。でも、まひるの母親の再婚前は生活が苦しかったのかもしれないし、苦労人なのかもしれない。

「大きなかぶという話をご存知ですか」
「知ってるけど。みんなで力を合わせてかぶを抜く話だろ」
 ロックな男はアイスコーヒーを飲みながら相槌を打つ。

「アサトのうんちくが始まったわね」
 小声でまひるが言う。

「1人の力ではできないことも、みんなでやれば成し遂げることができるって結構素晴らしい話ですよね」

「赤信号、みんなでわたれば怖くない的な?」
 夜叉はからかうように言う。

「バンドで例えるならば1人欠けるといい音が作り出せないことに近いかもしれませんね」
「それなら、納得かな。俺の場合メンバーいなくても機械で音色を作り出せるから1人で充分なんだけれどね」

 少し神妙な顔をしてヨルトが声をかける。
「あなたは過去に戻ってやり直したいことや未来を見てみたいということはありますか?」
 夜叉は少し考えて、
「ない」ときっぱり断言した。
 想定外の言動にアサトさんは少し驚いた顔をしていた。多分、こういった回答をする客はあまりいないのだろう。今回は悩みがある人ではなく、能力がある人を呼んだというのもあるのかもしれない。夜叉は思い悩むようなタイプでもなく、楽天的な感じだった。

「今の俺があるのは、過去があったからであって、未来は自分で作るからさ」
「実はここは異世界と日本世界の間にあるレストランなのですが、あなたに用事があり呼び出しました」
「たしかに、ここに足を踏み入れた時に違和感を感じたな。時の流れが変わった感じがする」

 当たり前のようにいう夜叉は普通の感覚の人ではないのだろう。能力に秀でた男だということがわかった。

「かぶとひき肉の煮つけできたよお」
 まひるが作ったものを夜叉の元へ運ぶ。

「おお、うまそうだな、100円なんてありえないだろ、いただくぞ」
 そこに置かれた一品は白くて柔らかいかぶを煮詰めたもので、ほどよく片栗粉のとろみがついたひき肉がかけられていた。目を輝かせて舌をペロッと出す夜叉は子供のようだった。温かい一品は彼の心を動かしたようだ。

「まじでうまい、この煮つけ。おふくろの味みたいな感じだよな。って俺はおふくろがいないんだけどさ。この店、来たいと思って来れる店じゃないんだろ?」
「わかりますか?」

 意外と話はうまく進むかもしれないと少し皆が期待した。
「入り口に過去や未来にいけるドリンクありますなんて書いてある店、普通じゃないだろ」

「そうです、時の国の住人が開店した不思議なレストランなのです」
「でも俺、音楽活動するんで、ここで働くことは無理だぞ」
「ここで働くのではなく、時の国の夜の王の仕事をしてみないかとスカウトしています」

「なんで俺? というか夜の王ってなんだよ?」
 驚いた夜叉が聞いてくる。

「あなたには特別な力が宿っているからです。時をつかさどる仕事を時の国でしないかとお誘いしています」

「マジか、俺はたしかに特別な人間だってことは自覚しているけどな」
 中二病のような発言をするが、たしかにこの男は特別な力があるようなので彼を否定するところではない。

「でも、その力は時の国でないと生かせません。我々の国の王の一人になって仕事をしてみませんか?」
「ヘッドハンティングってやつか? でも、俺には音楽があるしな」

「うだうだうるさいわね。音楽活動をしながらでも構わないから、手伝いをできるかどうかの確認よ。とりあえず能力的には候補だから、今後のあなたの態度を観察して決定するけどね」
 まひるがいらいらしたらしく、いつの間にか18歳の姿に戻っていた。

「あれ? 小学生だったのに、急に色っぽいねーちゃんに変身してるのか?」
 夜叉が驚いて重心を後ろにしたので、椅子から落ちそうになった。少々まぬけなところがあるらしい。

「いっしょに仕事をするかどうか、考えておきなさい。内容は説明するし、見学だけすることも可能よ。最近、一時入国制度を新設したから」

 何言ってるのかわからない、という顔をしていたが、目の前の色気のあるまひるに心を奪われた夜叉が
「ねーちゃんと一緒に働けるならば、俺、夜の王ってやつを考えてやってもいいぞ」
 なぜか上から目線の承諾だった。

「来たいと思ったときに僕たちを心の中でよんでください」
「候補じゃなくなったら、和食も食べられないってことか?」
「そうなりますね」
「ねーちゃんにも会えないってことか?」

「やっぱりこいつ却下だわ」
 腰に手を当てながら、まひるが怒りをあらわにする。

「俺、命令されると胸がきゅんとするっていうか……ねーちゃんみたいな人、すげー好きだ」
「私は、ねーちゃんじゃなくて、まひる。普段は10歳やっているけれど、本当は18歳なのよ」
「いいな、そういうところも大好き。ギャップ萌えみたいな感じでさ」

 まひるとアサトさんは前途多難なこの男を見つめながらため息をついた。

「ねーちゃんのことは割とタイプだけどさ、やっぱりこの国で音楽を成し遂げることが俺の使命ってやつだと思うんだよな。全国のファンも待っているしな」
「音楽は売れ続けるとは限りませんよ。不安定でも先行きが不安ではないのですか? 未来を見たくないのですか?」

「未来はたくさんあるんだろ。成功する未来もあれば失敗する未来もある。正解なんてないんだろ?」
 馬鹿そうな顔をしているのに、正論を述べるあたりがやっぱり王の資格を持つ器ということだろうか? 少し納得する。

「あなたの言う通りです」
「じゃあ俺は音楽をやり続けるよ。成功しようが失敗しようがかまわねぇ」
「では、時の国の王の一人になることは拒否するということでしょうか?」
「残念だけど、王になったら片手間で音楽活動なんてできね-だろ」
「あなたは日本人の中でも能力が高いので、是非我々が困った時には力をかしてください。今日の料理代は無料にします。王にならなくてもあなたの力は時の国では役立つと思います」

「まあ、音楽が一番だけどさ、ねーちゃんに会えるならば手伝う程度ならば考えてやってもいいぞ。もう一杯かぶの煮つけおかわり。白飯もつけてくれよ」

「あなた、本当にずうずうしいわね。神経太いタイプよね。遠慮という言葉を知らないというか……」
 まひるがあきれ顔だ。

「では、日本のお米にみりんを少々入れておいた白米があるので、召し上がっていってください」

「おう、気が利くじゃねーか。みりんなんて入れてうまいのか?」
「つやを出すためにみりんを入れています。調理酒を入れるときもあります。一工夫ですよ」
 あつあつで、つやつやの白米を間の前に香りを堪能する夜叉は米粒にキスをして「いただきます」というと、あっという間に平らげたようだ。
「ごちそうさん」食す時間はわずかだったと思う。

 食欲旺盛な若い男性らしいが、痩せている体を見ると大食いには見えないし、普段はあまり食べていないのかもしれない。痩せの大食いというやつなのかもしれない。かと言って、黒羽ほどの豪快さはないが。



 ※【かぶとひき肉の煮物】
 大きなかぶ、ひき肉、片栗粉、醤油、みりん、砂糖、調理酒。
 白米はみりんや調理酒を炊飯時に入れると艶が出る。



「僕の後継者も含めて王候補を2人探さないとね。今日はまた新たな候補者を一人呼んでいます」
「どんな人が来るの? また一癖あるキャラクターの濃いタイプだったりして」
 恐る恐る聞いてみた。昨日は夜の王の候補者選びに失敗している。

「今日は女子高校生。後継者候補は多いほうがいいから、今後も人柄を見ながら探して行くつもりだよ」
 静かなカフェに少し緊張がほとばしる。今日は特別なお客様なのだから。

「ちょうど色々思い悩んでいるみたいだし」
 アサトさんが冷めた目で窓の外を見つめる。

「ったく、ちゃんと見極めてよね、昨日の男みたいなロックバカは勘弁だわ」
 まひるが子供の姿でため息を漏らす。

 カランカラン。心地いいベルの音が鳴る。アサトさんが選んだ候補者が来たのだ。
「こんにちは、お店やってるか?」
 入ってきたのはショートカットのボーイッシュガール。服装も男性が着てもおかしくないシンプルなTシャツにジーンズといういでたちだった。なんとなく運動部に入っていそうな感じの女子だ。

「いらっしゃいませ、何にしますか?」
 私が声をかける。私たちはじっとそのボーイッシュガールを見つめる。
 私は、緊張しながらメニュー表を差し出す。すると、ひとつの文字が浮かび上がり、それが食べたくなるというアサトさんの技があるのだ。

「うーん、じゃあ目に入ってきた桃太郎のジェラートってやつをもらうよ、本当に100円かい?」
「はい、すべて100円です。部活の帰りですか?」
「わかる? ボクさ、バスケやってるんだけど、喉が渇いて疲れたなぁと思った帰り道に偶然いつも通らない道を通ってここをみつけたんだよね。100円だなんてラッキーだな」

「ボク?」
 つい私は聞き返してしまった。女の子なのに僕なのかな?

「ボクのくせなんだよね。つい私って言わないでボクって言っちゃうんだ」
 人懐っこい雰囲気で優しい笑い方は好印象な人だと感じた。

 アサトさんの物語ネタがはじまる。
「桃太郎って知ってますよね。鬼ヶ島で鬼を退治するのに仲間を募って退治に行きますが、僕たちも今、仲間を探しています。桃太郎って退治したあとどうなったのでしょうね?」
「めでたしめでたしだろ?」

「でも、その先の日常は読者は知らないですよね。桃太郎が本当に幸せだったのか、そうじゃないのか?」
「言われてみればそうだな」
「物語には終わりがありますが、我々の日常って生きている限り終わりって基本ないですよね」
「あんた正論いうな」
 ボクっ子がつっこむ。

「犬やキジやサルとずっと仲良く助け合っていてほしい、そんな願いを込めた桃太郎ジェラートです」
 そう言うと、アサトさんは、まひるがササっと作った桃のジェラートを出す。
 桃の果実100%で作ったジェラートは甘いけれどさっぱりしていて、舌触りはなめらかで最高だ。というのも実は味見をさせてもらった。あまりにも輝きが宝石級でつい食べたくなってしまったから。

「まじか、うまそうだな、ええ? きなこがかけてある? いただきますっ」
「これはキビ団子のキビをかけています、ここのレストランは物語から発想を得てメニューを作っているのです」
 育ち盛りという感じの女子と男子の間にいるような女子が大きな口をあけて頬張る。
「う、うますぎる!!!! これ、罪だな」
 その様子を見ながらアサトさんが質問する。

「あなたは何か悩みがあるのですか?」
「え? そんな風に見えるか?」
「いえ、なんとなくですが、誰しも悩みはつきものなので」

「まぁ、大学をバスケの推薦で行くか、バスケを続けていくべきか、すっぱり辞めるかっていうことで悩んでいるんだけどね。けがの後遺症もあるし、体をケアしながらなんだけどさ。悪化したらバスケを辞めざるをえなくなるしな。でも、好きなことは続けたいっていう悩みがあるってことだよ」

「もしも、あなたがバスケで後遺症がなければ――の世界があれば見てみたくないですか?」
「ケガをしなかったらという世界に連れて行ってくれるのか?」
「そうです。ねがいをかなえることも可能ですよ」
「入り口のところに書いてあったドリンクだろ」
「ええ、無料ですが代償は記憶の一部です」

「やっぱり昨晩の夢で見たとおりの展開だな」
 女子高生がにやりと微笑みながらみつめてくる。予知夢だろうか?

「ボクはいつも予知夢を見る。子供の頃からだが、昨日はここにきてあんたらに記憶を取られる夢を見たんだ、過去には戻らないよ。記憶はなくしたくないしな」
「いらない記憶で結構ですよ、ねがいはケガの後遺症をなくすでもいいですし」
「バスケをはじめるきっかけの記憶を奪われるっていう展開だろ?」

「あなた、本物の能力者ですね」
 アサトさんが驚いた顔をした。
「僕にもあなたの予知夢のことは読めませんでした。あなたは知っていてここに来たのですか?」
「気になったんだよ。それに、とても重要な事項を伝えたいという夢だったしな」

 度胸のある女子高生だ。しかし、アサトさんは自国のためならば人の夢のきっかけになる記憶すらも奪う。夢を奪ってこちらの世界に未練を残さないようにするためだろう。確信犯みたいなところがヨルトとは違うのかもしれない。でも、アサトさんはいつも真面目に一生懸命仕事をこなす。方向さえ間違えなければ良い人なのだと思う。根本的に良い人なのだけれど、一瞬冷徹な瞳を介間見せる理由は何だろう? 少しだけ違和感がある。

「実はここは時の国と日本との間に位置しているカフェなのです」
「だから時間の流れがゆっくりなのか」
「よく感じましたね。その通りです」
「元々不思議な能力は幼少のころからあったから、今更驚かないよ。異世界が存在していることもずっと感じていたからな」

 はじめてここへきて、ここまで驚くことなく冷静に理解する人間はなかなかいないだろう。この女性のことを心強い味方だと感じていた。

「実は、時の国では国王の下で3つの王が仕事をしています。国王、朝、昼、夜の王です。しかし、夜の王の候補者は後を継ぐ気がないので、他に能力ある人材を探しています。朝の王は僕なのですが、僕はいずれは国王になるので、朝の王が空席になります。そこで人材を求めているのです」

「ボクは面倒なことは断るよ、日本の人間だからね。時の国で能力者を探したほうが絶対にいいに決まってる」
「しかし、時の国には能力者が不足しているので。あくまで候補者を探しているだけなので、複数人と接触中です」

「記憶を奪うとか、そういったことはボクはやりたくないしね。日本で生きたいから」
「そうですか、一応気が変わったら夢の中で僕を呼んでください。いつでも待っていますよ。ケガだって完治できますよ」

「過去に戻らず記憶を渡さず、ねがいだけかなえるっていうのは無理か?」
「時空移動とねがいはセットになっているので、どちらかだけというのはないのです。代償なしという契約もできません」

「まぁ、人生そんなに甘くないよな。ごちそうさま。めちゃくちゃうまかったぞ」
 能力の高い女子高校生は100円を置いて、何の未練もなく帰宅してしまった。あどけない笑顔と共に。

「彼女は能力は高そうだけれど、ちょっと難しいわね」
 まひるが冷めた瞳でため息をつく。

「なかなか異世界に行きたい人なんていないですからね」

 アサトさんが少し難しい顔をして悩んでいる。

「さっきの桃太郎ジェラートでも食べて今日は店を閉めましょう、まひる、作ってください」

「ったく、人使いが荒いわね。記憶をもらうって難しいものよ。アサト、候補者選びは少し作戦考えないと。やみくもにあたるのは良くないわ」
 まひるが文句を言いながら作り始めた。

 桃のジェラートはやはり食べた事の無いような甘いのにさっぱりした味わいで、本当にほっぺが落ちてしまいそうだった。アサトさんとは結局ここで会うだけだ。恋人らしさはゼロ。デートをしたり連絡したりということはなにもなかったりする。これって付き合っているって言えるのだろうか? 以前と特に何も変わらない距離が少しさびしい。

 あれ以来ヨルトの店に行くのは遠慮している。彼女に悪いというのが第一の理由だが、ヨルトはたまにアサトさんの様子やまひるの様子をメッセージで聞いてくる。そんな時は、最初は連絡事項を返事しているだけなのだが、いつのまにかどうでもいい雑談メッセージになったりする。その時間は笑いもあるし、とても近い関係に錯覚してしまう。ヨルトは無駄な時間を楽しもうという気持ちがある。どうでもいい時間を作らないアサトさんとは対照的だ。アサトさんは仕事第一の関白亭主というやつなのかもしれない。
「たんぽぽコーヒーでも飲む?」

 まひるがコーヒーを注ぐ。たんぽぽコーヒーとはたんぽぽの根を使ったハーブティーの一種だ。コーヒーと言ってもお茶の一種でノンカフェインなので、妊婦さんやカフェインが苦手な人におすすめだ。湯気が体を温めてくれる。少しずつゆっくり熱いたんぽぽコーヒーを飲む。

「まひるが入れてくれるものは何でもおいしいな」
「褒めても何も出ないわよ」 

 夢香が帰ったあと、店を閉め、たんぽぽコーヒーを飲みながらアサトとまひるが相談していた。

「こんな調子で候補者見つかるの? 複数候補は必要だと思うけれど、日本からよりも時の国で探したほうがいいんじゃない?」
 まひるは冷静な目で意見する。見た目は10歳なのに。

「時の国の住人ならば王になるリスクが少ないからな」
「だって今時、家族を捨ててまで異世界に行きたい人なんていないでしょ」
 急に元の18歳の姿になって意見するまひる。

「なんで18歳の姿になってるんだよ?」
 アサトがつっこむ。

「だってこっちが本来の姿よ、結構子供の姿って疲れるんだから」
 髪の毛をかき上げながら足を組んで立つまひるは一般的な18歳よりも色気がある。

「国王にはずっと秘密にするのか?」
「いずれちゃんと話すわ」
「ったく、小さいからかわいがっていたのに、まさかの生意気な同じ歳とはな」
 アサトが柔らかなくせのある髪をかき上げながらうんざりした顔をする。

「アサトってあたしには丁寧語を使わないし優しくないのね」

「同じ歳の、生意気な妹に優しくする必要ないだろ」
 アサトが唯一、丁寧語を使わない相手がまひるというのは確かだ。アサトは誰にでも常に丁寧語を使うし優しい。

「10歳の時のほうが丁寧語だったじゃない」

「生意気な奴には丁寧語は使わねえ」
 まるでヨルトみたいな口調だった。

「夢香がいないとずいぶん素がでるのね、彼女に見せてあげたいわ。夢香のこと本気なの? デートも1回くらいでしょ? 捨てられるわよ」

「僕は本気だよ」
 アサトは店内の時計を見つめながら言う。

「アサトの素の口調で話したら、口の悪さが災いして嫌われるかもよ。結婚前に素は見せないと詐欺っていわれるんじゃないの?」
「夢香はどちらの僕も愛してくれているはずだ」
「やだやだ、そういう思い込み気持ち悪いわよ」

「まひるは18歳らしい生活しなくていいのか?」
「別に。私は人と関わることもめんどくさいほうだから」
「男に困っているならば、僕の知り合いを紹介するからな」
「結構。男は面倒よ。それよりヨルトって、夢香のこと好きなのかもね」
「夢香はかわいいからな。好きになるのはわかるが、夢香は僕のものだし」

「キモイ、キャラ崩壊してる、絶対あんたキモイわ」
 時折コントのようなやり取りを見せる義理の兄妹は以前より距離が縮まったようにも思える。
「明日は大事な面接日だ」
 学校帰りにお店によると、店内はいつもより緊張感が走っていた。理由を聞くと今日は特別な日らしい。未来の朝と夜の王となるかもしれない人が来るのだから。

「候補者を呼んでいます。まひるもよく知っている人たちですよ。2人呼んでいます」
「私の知り合いで能力が高い人いたかな?」
 かわいらしい10歳の姿になったまひるは少し考えたようだが、それらしき人物は思いつかなかったようだ。まひるは営業モードになる。

「こんばんはー。お招きされたライチ参上!!」
 元気に店に入ってきたのは時の国のライチという10歳くらいの女の子だった。

「アサト、美味しいの食べたい! 腹へったよ」
 言葉づかいは男っぽく育ちがいいとはいいがたい。この女の子を候補として考えているのだろうか、まひるは少し疑問だった。

「ライチ、今日はドリアでいいですか?」
「うまいメシが食べたいなぁ」

 不思議な異世界の客がやってきた。時の国から来た常連客のようだが、見た目は小学生くらいの女の子供だ。名前はライチっていうのかな? 一見普通なのだけれど、髪の毛の色がピンクだ。やっぱり私たちとは違う人種なのだろう。

「新人か?」
 私に対する言葉遣いは荒く、ぶっきらぼうな女の子だ。男っぽいとでも言ったほうがいいのかもしれない。見た目は、かわいい顔をしているので、しゃべらないほうが人気が出そうなタイプだ。

「こちらは、日本世界からやってきた夢香さん。2時間程度のボランティアをしてくれています」
「日本の国の住人か。料理ができるのか? 日本世界はすごく飯がうまいっていう話だ。期待するぞ」

 期待されても、ほとんど料理初心者ですが。そう思い、苦笑いを浮かべた私。
「私、家では全く料理ってやらなくって……。今修行中です。アサトさんに教えてもらっているから」

 私のいいわけに、
「なんだ、使えないなぁ」
 直球な言葉で言われると正直辛い。それにしても毒舌ガールだ。本当にお腹が空いているらしく、元々やせっぽちな少女は少々ぐったりしているようにも思えた。

「はい、召し上がれ。トマトづくしですよ」
 アサトさんがおいしそうなドリアをテーブルに並べた。熱々だ。

「ジューシートマトドリアです。たっぷりとろーりチーズが乗っているので、チーズが大好きなライチにぴったりのドリアですよ。さらに、中身はトマト入りのジューシーライスが入っています。フルーツトマトとリンゴも横に飾りました」

「冷凍トマトをすりおろして、はちみつをかけたしゃりしゃりデザートよ。カルシウムとビタミンがたっぷりよ」
 まひるがデザートを運ぶ。

「わあ、おいしそー。めっちゃ腹減ってるからさ、いただきっ」

 一口食べると、ライチが目をつぶって大きな口をあけて叫ぶ
「めっちゃジューシー!! やっぱりうまいよ、ドリアっていう食べ物」
 艶やかなメニューをひとくちひとくちあっという間に口の中に運ぶ。見た目は小さいけれど早食いなのか、皿の中身があっという間になくなっていく。そのとき、ライチがスプーンを床に落としそうになった。

「やべ」
 と言った瞬間たしかに、スプーンは手のひらから離れて床に落ちたと思った……のだけれど、手に戻っていたのだ。

「ライチちゃん、今、スプーン落ちなかったの?」
 私が不思議な現象に質問する。
「落ちそうになったけれど手のほうに戻したんだぞ」
「そんなことができるの?」
 私はライチという少女の超能力のような不思議な力を見せられたという印象しか残らなかった。
「オイラ、ものを自由に動かす力を生まれつき持っているんだよな」
「超能力者?」
 私は目を見てじっくり尋問したくなってしまった。

「それは初耳だわ」
 まひるが友人の意外な一面を知ったらしく興味深そうに見つめていた。
「オイラの能力は秘密にしておけってかーちゃんに言われていたからな。今はうっかり使っちまったがな」
「すごい力を秘めた少女ですよ。ライチ。あなたには素質があります」
 アサトさんが公認するような言葉をかけた。
「冷たいデザートもトマトなんだけど、甘いんだよね。はちみつがトマトの酸っぱさを抑えていていい感じだ」

「お母さんは、今日も仕事が忙しいのかな?」
 アサトさんが優しく聞いた。
「まあね、うちのかーちゃんは仕事がかなり忙しくて、料理は自分で作れっていうけれど、あんまり上手に作れないから、アサトのごはんが恋しくなるんだな」

「なんだか、子供食堂みたいですね。今、子供の貧困って結構問題になっていて、お金もないし、栄養のあるものを食べることができないという子供がたくさんいるんですよね、そういった子供たちに無料で食事を提供している場所が私の世界にはあるんです」

 私はふと最近ニュースで目にした話を思い出して、アサトさんのやっていることと同化させていた。

「たしかに、うちは子供からはお金はとらないし、ボランティアレストランみたいなものだからね」

「今日はザクロ君は来ないの?」
 まひるが同年代の友達らしく気軽に話し始めた。

「手伝いが終わったら来るって言ってたよ、まひるも毎日大変だなぁ」
「私は、お兄ちゃんのお手伝いが楽しいから手伝っているだけだよ」

 まひるはこんなときばかり、アサトさんをお兄ちゃん呼びする。化けの皮を被るのが本当に上手だ。

「ザクロ君って誰?」
「ザクロってのはあたしの幼馴染で家が近所の男子なんだけどさ」
 ライチが説明するとすぐに本人がやってきた。百聞は一見にしかずだ。

「こんにちはー」
 水色の髪の毛をした男子がやってきた。もしかして、ザクロ君? やっぱり地毛なんだよね、水色の髪の毛なんて間近で見るのは初めてだ。

「はじめまして、僕の名前はザクロです」
 八重歯がかわいい子供だ。こちらの世界の小学生くらいだろうか。

「いつも無料でおいしいご飯をありがとうございます」
 手を合わせたザクロ君は、とても礼儀正しくて、ライチとは正反対のタイプだった。例えるならばザクロは優等生。ライチは不良生徒のようだ。

「ザクロ君にもおいしいトマトドリアを作ってあげるよ」
 アサトさんとまひるの手際よさには驚くばかりだ。あっという間に、ジューシートマトドリアの出来上がり。横に添えた色とりどりのフルーツトマトとりんごもとってもおいしそう。栄養バランスもよさそうな一品だった。

「いただきます」
 お辞儀をしてから、ザクロ君は食べ始めた。
「今日は僕たちに話があったのですよね。僕はあなたたちの心が読めるので、話さなくてもわかります。僕はあなたたちに従います。将来の国王様」

「ザクロ君はすごい能力を秘めていることは感じていたけれど、まさかここまでとはね」
 アサトさんは予想以上の大物がいたことにすこし驚いていたようだった。

「基本は日本世界の食材を使っているんですか?」
 ザクロ君は食材に興味があるらしく色々質問する。
「そうだね、日本の食材は天下一品だと思うよ。僕たちの世界の料理は見た目こそきれいだけれど、味は日本に比べたら劣ることは確実だから。だから、時の世界の住人は日本世界の食事が食べられるということで、僕たちのレストランを利用する者が多いんだ。僕たちの国にはないものばかりだからね」

 ふと見ると、口のまわりにごはんつぶをつけたまま、ライチが完食していた。食べる速さがかなりの速度だ。飢えているのだろうか。そういえば、ここのお客さんは早食いで大食いが多い印象だ。おいしいからかもしれないが、そう言った人をここの空間が寄せ付けているのかもしれない。

「ごっちそうさまー」
 やんちゃ全開で、ライチがお腹をさすっていた。満腹という至福の笑顔だった。もしかして、この子は貧しい家の子で、生活が大変なのかもしれない。そう感じた。ゆっくり丁寧にザクロ君がデザートの最後のひとくちを食べ終わると満足な表情を見せる。
「ごちそうさま」
 ここを手伝っていて一番幸せな瞬間は食べたあとに見せる笑顔をみることだと思った。一番幸せを感じる瞬間だ。
「いただきます」から「ごちそうさま」に至るまでの時間。食べた人がいかに幸せになれるのか、それは食べることの尊さを感じる出来事だった。人はおいしさを感じることで満足感を得て、幸せになることができる。魔法ではないけれど、不思議な力だと感じた。

「この子たち、お腹空かせているのかな?」
「この国は、貧しいからね。国王がなんとかしなければならない問題なのだけれど、僕はできることをやっているよ」
「この子たちの親も仕事で忙しいの?」
「この子たちの親は片親だったり、仕事をしても裕福にはならないことが多くてね、大変な時代だよ。子供も仕事をしているよ。王室は裕福な暮らしをしているのにね」

 何となく、苦労を知らないおぼっちゃまという印象だったアサトさんの優しさとボランティア精神が伝わってきた。人間として良い人だ、と思えたのだった。

「君たちは将来お金に困らない暮らしをしてみたくない?」
「そりゃ、お金がいっぱいあればうまいもん食えるからな」
「じゃあ、もしもお金に困らなかったらという未来を見てみない?」
 アサトさんはもしもの世界を見せるつもりなのだろうか、記憶を奪うということだろうか? 不安な気持ちになる。
「噂の虹色ドリンクなら飲んでみたいぞ」
 ライチがまだまだお腹に入るぞというポーズをとる。ザクロが優等生らしい意見を述べる。
「僕は母さんたち家族が困らない仕事に就きたいと思っているけれど、なかなか時給が低い仕事しかないからね、勉強はしているけれど進学は難しいと思っているよ」

「あなたたち、特別夢がないならば、将来、朝の王と夜の王になってみない?」
 まひるが提案した。

「僕はここに来るまでに承諾する覚悟を決めてきました。特別な夢なんてまだ僕にはないですよ。大学で研究してみたいとは思っているけれど」
 ザクロが述べる。

「大学で研究したあとに、朝の王になったら? 今の国王の後釜がアサトお兄ちゃんなの。国王が逝去したあとにアサトお兄ちゃんが国王になると朝の王の席が空くのよね」
 能力の高さを評価したまひるがスカウトする。

「毎日食べるものに困らないなら、どんな仕事でもやってやるって」
 ライチが力こぶを作るポーズをする。

「あなたたちが前向きに検討してくれるならば、記憶をなくす必要はないから虹色ドリンクは飲む必要なんてないのよ」
「うまいなら飲みたかったなぁ、虹色ドリンク」
 ライチががっかりする。

「あれは、危険なドリンクなのよ。記憶がなくなるということはとても怖いことなのよ。できればお勧めはしないわ」
 まひるが冷静に諭す。やはり頼りになるお姉さんのような存在だ。

「ライチには礼儀作法を1から訓練します。能力を伸ばして将来夜の王となるべく勉強しませんか?」
 アサトさんは厳しい家庭教師のようなまなざしだった。

「オイラやってみる!!」
「じゃあ、近々ご家族にご挨拶に伺います。ライチ、オイラではなく、私と言う習慣を身に着けてくださいね」

 きっとライチの指導には時間がかかりそうだけれど、アサトさんならばしっかりじっくり面倒を見そうだと思えたが、ライチが音をあげなければいい、それだけが気がかりだと思えた。


※【ジューシートマトドリア】
 トマトを混ぜたごはんにとろーりチーズをかけたドリア。
 カラフルなフルーツトマトとりんごを添えて。
 カルシウムとビタミンが豊富。

【冷凍トマトのしゃりしゃりデザート】
 冷凍トマトをすりおろしてはちみつをかけたひんやりデザート。
 駅前を歩いていると、黒服に身を包んだモデルのような男が占いをしている。そうそういないであろう端正な容姿を併せ持つヨルトがいた。少し目立つ彼の風貌を見た瞬間、久々のヨルトに少し興奮してかけよった。

「ヨルト、今日はここでバイト?」
「今日は休業日だからな」
「そっか、今日は水曜日だもんね」
 週に一回はここでヨルトと話す時間が楽しかったりもする。
「まひる悪いことしていないか?」
「相変わらず10歳の姿で子供のふりをしながら生意気だけれど、悪いことはしてないよ」
「アサトは……元気か?」
「うん、元気だよ」
「そうか」

 いがみ合っていても、やっぱり実の兄弟なのだろう。ヨルトは実は情に厚い。だからこそ、人から記憶を奪いたくないのかもしれない。仕事に徹するアサトさんとは正反対の性格だな。

「久々に占ってやろうか?」
「じゃあ、私の将来の運勢について占ってよ」
「アサトのお嫁さんってとこか?」

 笑いながら、からかうヨルトは見た目がミステリアスなのに実は親しみやすいキャラクターだったりする。アサトさんとはミステリアスなところは似ているのに、光と影のように違うタイプだということは話しているだけでよくわかる。

「どれどれ、生命線長いな~、夢香は長生きするな」
 なんて私の手相を見ながらほほ笑むヨルトは反則だと思う。何が反則かって? 説明が難しいのだが、私の心情の中で反則なのだ。

「将来はキャリアウーマンか?」
 カードを並べながらヨルトは話し始めた。
「おまえ、なかなか就けない仕事に就いてるって出てるぞ。喜べ、孤独ではないみたいだな。結婚して仕事をして子供に恵まれて……アサトとうまくいくってことかもな」
「予知能力で本当は見えるんでしょ?」
「そこまで細かい未来は見ることはできないよ。割と先の話だしな。今日明日ならば見ようと思えば見るけれど、基本見ないんだ」
「なんで?」
「だって、明日死ぬのがわかっていたら嫌だろ?」
「納得」
「予知能力はそこまで万能ではないんだよな。おまえは俺の姉になるかもしれないからな、ひいきにしておかないとな」
「バカ、ヨルト。あなたこそどうなの? 彼女は?」
「とりあえず付き合ってるけど」
「まだ未成年なんだから健全な付き合いにしなよ」
「わかってるって」

 無駄話をしていたら、突然雨が降ってきた。通り雨なのかもしれないが、徐々に雨足が強まる。予想外の豪雨だ。
「とりあえず、店じまいだな。俺の店近いから雨宿りしていけ」

 たしかに、裏通りにいけばすぐ古書店なのだけれど、雨の強さが半端なくって、私は走りながら制服も髪の毛もびしょぬれになってしまった。
「制服のブラウス、透けてるから、このまま電車に乗るのはまずいだろ」
 私は自分の胸をちらっと見ると……ブラウスが雨で濡れて透けている。たしかに、恥ずかしい。
「見ないでよ!」
 私は多分頬を赤らめていたと思うけれど必死で平静を装った。

「ちょうど視界に入って見えたのだから仕方ないだろ! 店で制服乾かしていけよ。乾燥機に入れている間、俺の服を貸すから」

 必死で弁解するヨルトが少しおかしくも思えた。ヨルトが私なんかを異性として見ることはないなんてことは自分が一番よくわかっている。突然のお店訪問だったが、奥の部屋に入るのは初めてだった。奥には自宅になっているスペースがある。

「時々、一人になりたいときはここに泊ったりするんだ。普段はマンションに母親と住んでるんだけどさ」
「生活家電もちゃんと一通りそろってるんだね」
「乾燥機に入れて、乾かすと結構速く乾くぞ、そこの奥にあるから使ってみて」
「ありがとう」
「これ、俺のTシャツと短パン、ちゃんと洗ってあるから安心しろ」

 何が安心しろよ。別にヨルトのことが嫌いなわけでもないのに、そんなこと言われると私が嫌っているみたいじゃない。ヨルトは男性だけあって洋服のサイズが大きいけれど、ヨルトの香りがする。なんだか安心するなぁ。って私は何を考えているんだろう。そういえばアサトさんはどんなにおいがするんだろう? 私は料理のにおいしか知らないということに今頃気づく。

「サイズ大きくて悪いな。俺の服しかここにはないから」
「でも、助かったよ。透けているのを見られたのは災難だったけれど」
「仕方ないだろ、あれは誰でも目に付くぞ。むしろ俺様に感謝してほしいな。それこそ、透けた状態で電車なんて危険だ」
「いやらしいこと言わないでよ」

 ヨルトの顔をまともに見ることができなかった。話を逸らすかのようにヨルトが提案する。

「ホットミルクでも飲むか? 体が温まるんだよな。眠れないときに砂糖を入れて飲むと安心する定番商品だよな」
「ヨルト、眠れないときってあるんだ?」

「俺だってそういった夜くらいあるよ、夜の王を継承しないことは罪じゃないよな、とか心のどこかで自由に生きていることに罪悪感があるのは本当だよ。アサトは自分の運命から逃げないで仕事をこなしているのに、俺は投げ出している、だめな人間だからな」
 気にしているのか。意外と繊細なんだな。

「ダメなんかじゃないよ。ヨルトは優しすぎるんだよ。人から記憶を奪うことに抵抗があるからあえて関わらないのでしょ?」
「そんなこと言われたのははじめてだ。俺、優しすぎるのか?」
「いや……それはわからないけれど。きっと優しさが邪魔することだってあると思うの」
「ほれ、ドライヤー使え。風邪ひくぞ」
「ヨルトだってずぶ濡れでしょ、先に乾かしなよ」
「俺は、いつもドライヤー使わない自然乾燥派だからな」

 ヨルトはまるで風呂上がりのような髪の濡れ方をしていた。バスタオルで濡れ髪を拭く姿はいつもと違う雰囲気の大人っぽさがあって、いつもよりもさらに美しく見えた。

「ありがとう。先にドライヤー使わせてもらいます」
「おう、ホットミルク飲んで、体温めろよ。俺も着替えて来るから」

 やっぱり優しい人なんだ。いつも優しさを見せないのだが、この人は秘めた優しさがある。まるで優しさを隠すかのように普段は見せている、他人のことばかり、自分のことは後回し、そんな人なのだろう。私はほんのり甘いホットミルクを飲みながら自分の制服が乾燥するのを待つ。優しい甘さが心地いい。ヨルトの香りに包まれながら。

「実は、次期朝の王と夜の王の候補が決まったの」
 ヨルトに報告する。
「本当か?」

「日本人にも候補者はいたのだけれど、断られたんだ。まぁ、普通断るよね。時の国の住人の子供の二人が高い能力者だったんだ。快諾してくれたんだ、ヨルトに伝えようと思っていたの」

「これで時の国も安泰だな。夢香もアサトとの結婚は国が違うと色々障害があると思うけどさ、愛があればなんとかなるって」
「掛け持ちで時の国とこちらの生活ってできないかな?」
「できるとは思うけど、実質日本だとおまえは独身だよな。アサトは日本に国籍がないからな」
「今はまだ高校生だから大学に進学だってするし仕事もするし、結婚なんてずっと先の話だけどね、ヨルトは夢とかあるの?」

 すぐにでも結婚って思っていたのに、将来のビジョンを描けるようになってる? 短期間で働く楽しさを感じられたからかもしれない。社会の一員として何かをすることは労働であり対価がある。自立した大人になりたいと漠然と描くことができたように思う。

「そんなこと言ってたらあっという間にばばあになっちまうぞ。俺は日本で勉強して仕事をするという夢がある。断固、時の国には戻らないという気持ちは変わらないけど」
「じゃあ、別な人が夜の王を継承することはOK?」
「大変だろうけれど、アサトが認めた子供なら大丈夫だろ。俺は継承権を放棄しているから今更意見する権利もないし」

 強い意思を見せる瞳はきれいな透き通ったブルーのような色を放つ。長い手足に端正な顔立ち、つい見とれてしまいそうになる。私はうっかり見とれてしまった自分を正すようにとりあえず会話をはじめる。

「この服着ていると、ヨルトに包まれているみたい」
 Tシャツの裾をつまみながら茶目っ気たっぷりに言ってみる。

「はぁ? 何言ってるんだよ。馬鹿かお前は」

 意外にもヨルトは照れる。女性慣れしていそうなのに、変にピュアなところがある人だ。二人だけの空間はちょっと緊張と甘い空気が漂う。目と目が合う。Tシャツ姿のヨルトはいつもとは違って、部屋着という雰囲気が近い存在に感じられた。一定の距離を保ちながらおしゃべりを続ける。

「今は成り行きだけど、二人でいるんだから、楽しもうよ。だって……なかなか会えないし」
「そうだよな……俺たちって結構波長合うと思わないか?」
「アサトさんと一緒にいると緊張するんだよね。ヨルトは同級生みたいで壁がないんだけどさ」
「だいたい、彼氏にさんづけってどうかと思うぞ。なんで俺のことは呼び捨てなんだよ」

「アサトさんは年上だし、見えない壁があるの。デートも1回謝りたいと言われた時だけだし。優しいけれど、遠いんだよね。アサトさんは私に対しても丁寧語だし。まひるには丁寧語は辞めたみたいだけど。義理だとはいえ、妹だから近いのかな?」

「ああみえて18歳の美女だからな。まひるに妬いてるのか?」
「ち、違うよ。そういった感情にならないんだよね。アサトさんが聖人君子みたいな存在で」
「アサトってさ。小さい時は俺よりも悪ガキだったんだぞ。いつのまにか聖人君子になったみたいだけれど」
「意外!!! 小さい時の話を聞かせて」

 ヨルトの話は芸人並みに面白くて思わず聞き入ってしまう。もっと聞きたいと没頭していると、乾燥機の終了音が鳴る。これで帰りの時間が近づくさびしさが心の中で芽生えていたが、決して顔には出さない。

「乾いたな、着替えてこい」
「もっと話聞きたい!!」
「じゃあ今度店に来いよ」
「でも……彼女さんいるでしょ?」
「彼女は最近来てないんだ」
「うまくいってないの?」
「そうじゃなくて。彼女の部活が忙しいから」

 うまくいってるんだ……。別に人の不幸を願っているわけではないのだけれど。甘く酸っぱい時が流れた。長いようで短い時間だった。時間の流れはその時によって早く感じたり長く感じるもので不思議だと思う。そういった時をつかさどる国の王になる血筋なのはすごい人なのかもしれない。肩と肩が触れ合わない程度の距離で私たちは離れることもなくそれ以上近づくこともない関係を保つ。それは、とても心地の良い時間だった。

「制服も乾いたし、洋服貸してくれてありがとう。これ、洗ってくるよ」
「いいよ、俺が洗っておくから」
「じゃあ今度お礼するね」
「期待してるぞ」
 雨が少し弱くなってきたのだが、ヨルトの傘を借りた。そして、ヨルトは最寄りの駅まで送ってくれた。
「暗いから気ぃつけろ」
 やっぱり優しい。浮足立っていたと思うが、それを悟られないように帰路についた。
 アサトさんがまひるにデートを促されたらしく、デートをすることになった。たしかに、あれ以来一度もデートはなく、恋人らしいことは何一つなかった。一応、口では付き合っていると言っても、実質メッセージを送りあうことも時の国に帰ったアサトさんとはできないし、そんなにどうでもいいことを送ることなんていう間柄には進展していなかった。まひるは18歳だけあって女心をわかっている。アサトさんは恋愛に関しては淡白だ。

 結局前回と同じいちごのカフェにいったのだが、行ってみるとそこには良く見慣れた金髪長身のヨルトがいた。ありえない、なんでこんなところに。しかもヨルトの彼女まで。

 アサトさんは奥のほうの席に座ろうと、すたすた歩いていく。私は、みつかりませんように、なんて無駄な願いを唱えながら忍び足で歩く。この店は狭いので、見つからないなんていうことは絶対にありえないのに。

「ヨルトじゃないか」
「アサトかよ」

 久々の再会だがヨルトがいることをアサトさんは店に入る前に気づいていたように思った。もしかしたら後継者が決まったことを話すいい機会だと思っているようなそんな感じだ。アサトさんは常にビジネスモードで、私はそんな彼にはたとえデート中でも、プライベートな隙間がないように感じていた。彼との壁はそこなのかもしれない。本当に愛されているとか好かれているという自信はゼロだ。

「もしかして、おにーさま? それに夢香ちゃん、久しぶり」
 相変わらずテンションの高い彼女に少し閉口する。

「デートか? ラブラブだな」
 ヨルトのからかいは相変わらずだ。
「後継者は決まったよ」
「そうか」

 ヨルトはあえて後継者が決まったことを初めて聞いたふりをした。そうか、私と頻繁に連絡していたということはアサトさんには内緒にしているのか。今更だが、あまり気にしていなかったけれど、アサトさんは私がヨルトの服を借りたとか、メッセージを送りあっていたと知ったらやっぱりやきもちを妬くのかな? アサトさんはそこまで私のことが好きじゃないだろうから、もし知ったとしてもそうなんだ、という程度の反応のような気がしていた。あえて隠していたわけでもなかったけれど、普通の男性ならば他の男と仲良くしていたら不機嫌になるだろう。ヨルトは私のことを恋愛対象に見ていないし、超絶かわいい彼女がいるのだから問題ないのだろうけれど。

「なに? 後継者?」
 ミサが聞く。
「身内の話だから気にしないで」
「お兄様、お話聞きたいからここに座ってくださいませ。夢香さんも」
「あ、はい」

 断る理由もないので、言われるがままに座ったが、少々気まずい。ヨルトも視線を合わせようとしない。

「ヨルト、いつも《《僕の夢香》》が世話になっているようだね」
 意外なことを口にする。しかも、僕の夢香という表現が少し意外だ。この組み合わせ、微妙。だいたい、この兄弟は不仲だと思うし、ヨルトの彼女と私もそんなに仲良しでもない。

「ヨルトお気に入りのお店なのよね。フレーバーティーがおすすめよ」
「じゃあ炭酸ピーチティーにしようかな」
「僕も夢香と一緒で」
 店員さんにオーダーする。
「ヨルトはコーヒーが好きだからってブレンド注文したんだよね」
 ミサ、距離が近い。ヨルトにくっつきすぎだって。心の中でつっこむ。

「俺さ、将来はアンティーク古書カフェをしようと思ってるんだ。アサト、母さんがたまには顔見せろって言ってたぞ」
「こちらのことは僕に任せて、ヨルトはこの世界で夢を実現しろ」
 腹をくくったアサトさんは覚悟を決めたようだ。もうヨルトとは違う世界で生きていくということを。

「そのつもりだ。アサト、そちらのことは任せたぞ」
 兄弟の誓いを私たちの目の前で行っていいものだろうか? 正直ミサさんなんて意味もわからないだろう。まさか、この人たちが時の国の王子様なんて思うはずがないのだから。
「俺、大学で建築学を学ぶつもりだ。自分の店を設計してみたいっていうのが夢のきっかけだよ」
 ヨルトが夢を語る。

「夢のきっかけなんて、ささいなことかもしれないよね、何かと出会ったことがきっかけで夢が見えて、そのためにがんばるっていうのって素敵だよね」
 同意をする。

「僕は父の後を継ぐよ。今、帝王学を学んでいるんだ」
 アサトさんの自国愛は深い。

「炭酸ピーチティーお持ちしました」
 あまくて酸っぱい香りがたまらない。フレーバーティーって不思議だ。酸味、甘みが絶妙な香りや味で口の中に広がる。じゅわっとした食感と味覚に口全体が支配される感じが病みつきになる。冷たい紅茶の炭酸は初体験だった。

「ミサさんは? 進学とか考えているの?」
「私は、女子アナウンサーになりたいんだ。だからなるべく偏差値の高い大学を狙ってるの。やっぱりマスコミにOB,OGがたくさんいる大学がいいでしょ」
「夢香さんは?」
「私は、図書館司書と栄養士に興味があるんだ。何か資格がほしいなって」

「ヨルトは来年受験だから、カフェをするならば僕が手伝っても構わないよ」
 アサトさんが兄らしい優しさを見せる。

「アサトには幻のレストランがあるだろう? 俺は普通のカフェがやりたいだけだし。それにしても、夢香いつもよりおとなしいな、やっぱり恋人の前だと緊張してるとか?」
 ヨルトの意地悪な口調でいじってくる。恥ずかしい、アサトさんの前なのに。

「僕は夢香が大好きだから、ヨルトには渡すつもりはないよ」
 アサトさんが珍しく独占欲丸出し発言をする。珍しい。

「いらねーし」
 あっさり興味ない発言のヨルト。

「ちょっと!! いらないとか私を全否定するのはやめてくれない!!」
 ムキになってヨルトに絡む。

「だいたいアサトはこいつのどこに魅力を感じているんだ?」
 本当に意地悪発言しかしないヨルトは小学生男子のようだ。

「見ての通り、全てが素晴らしい女性だからね」
 こんなに優しい言葉をかけられたら砂糖のように私は溶けてしまうかもしれない。アサトさんとヨルトは飴とムチのようだ。美少女のミサさんが蚊帳の外になっている不満げな感じが出ていたので、ミサさんに話題を振ってみる。

「ミサさんは美人だし、やっぱりヨルトは優しいの?」

「とーっても優しいよ、ねぇヨルト」
 ヨルトに寄りかかる。恋人同士の距離だ。見ているこちらが恥ずかしくなりそうだ。ヨルトはミサさんには優しいのか……。ヨルトはまるで天使と悪魔のように二面性を持ち合わせた男なんだな。

「僕たちも仲良しですよね」
 アサトさんがはじめて私の手を握る。
「ラブラブなお兄様と夢香さん」
 ミサさんが私たちを盛り上げようとひとこと放つ。でも、アサトさんって普段こんなに積極的じゃないよね。意地を張っているだけ?

「夢香、今夜、僕の部屋に泊っていかない?」
 アサトさんが意味深発言をする。

「え……?」
 ダメに決まってるのに私は動揺する。

「じゃあミサたちもお泊りしよう」
 ミサさんが便乗してヨルトを誘う。

「何言ってるんだよ」
 ミサの提案に戸惑うヨルト。若干気まずい空気が漂う。

「冗談ですよ、高校生の思いあう異性同士がお泊りなんて不謹慎だからヨルトもだめですよ」
 アサトさんが笑った。本当は笑っていなかったのかもしれない。私はアサトさんの本心を気づけないでいただけなのだ。

「ここでお茶をしたら、僕たちは二人きりでラブラブタイムなので」
 アサトさんが挑発する。今日は何かが変だ。アサトさんは少しむきになっているような気がする。

「不謹慎とかいっている傍でなんだよラブラブって」
 ヨルトはいつも通り突っ込みを入れる。

「じゃあ今日はこれで。僕たちは二人っきりで楽しみます」
 アサトさんが立ち上がり、私の手を引いて店を出る。こんなに強引で積極的な人だったかな?

「今日のアサトさん、ちょっと変じゃない?」
 いつもの冷静なアサトさんに戻ってほしくて話しかける。
「そうですか?」
 公園で立ち止まって話をする。
「いつも、手をつないだり好きだとか言わないのに、今日に限ってどうして?」
「僕は自信がないんです。夢香の視線の先にヨルトがいると胸がざわつくのです」
 さびしそうなまなざしで私を見つめる。

「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの、ただ話の合う友達という位置づけが心地よくてヨルトのお店に行っていたのは謝ります」
「夢香はヨルトが好きですか?」
「そんなわけないですよ。ありえません」
「きっぱり否定するのですね」
「どこかであなたの心の近くにいるヨルトがうらやましかったのかもしれません、僕らしくもないですよね」

素直に話すことを決意した。アサトさんに申し訳ない気持ちが込み上げてきたから。
「多分アサトさんの言う通りで、いつも私の中にヨルトがいるんです。彼女もいるし、私なんて相手にされていないけれど、一緒にいると心地よくて楽しくて……アサトさんのことは好きですが、ヨルトのほうが多分もっと好きなんです。これ以上嘘はつけません。アサトさん、付き合うという話はなかったことにしてください。私は、アサトさんをはじめてみた時になんて美しい人だと思い、好意を持ちました。しかし、なぜかアサトさんとの間には壁があって心が通わなかったです。アサトさんは完璧すぎて大人ですが、一緒の目線で笑ったりできない。価値観とかそういったものが違うのだと思うのです。本当に私のわがままでごめんなさい。もう、お店のお手伝いも辞めます。さようなら」

 一方的にアサトさんに別れを告げた。多分いつか言おうときっかけを伺っていたのだと思う。私の中ではヨルトといる時間が楽しくて大好きだという確信があって、これ以上作り笑いをしたくなかったのだ。

 アサトさんは美しい男性だからいくらでも代わりになる女性はいるだろう。ヨルトには彼女がいるし、振り向いてもらえないけれど、自分にもアサトさんにも嘘をつきたくない。そのまま振り返らず帰宅した。

幻のレストランは過去か未来へ行くことができる

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