「やっと終わったなぁ〜」
「そうだね。」
そう一ノ瀬くんと言い合っているとふと、あることに気がついた。まずい。作業に集中しすぎて結構な時間が過ぎてしまった。慌ててスマホを見ると親からの着信がたくさん来ていた。さすがに怒ってるかな。緑さんから予想外のメッセージが届いていた。
「お父さん、今日仕事で嫌なことがたくさんあったみたい。相当怒って帰ってきて、詩音ちゃんがいないって伝えたら遅くまで何やってんだって怒ってた。それで迎えに行くって。止めたんだけど聞いてくれなくて行っちゃった。だから、気をつけてね。」
まずい。本当にまずい。早く帰らないと。お父さんに見つかる前に。
「ごめん。もう帰らなくちゃ。お父さんが心配してる。」
「じゃあ送るよ。お父さんもその方がいいだろ。」
それが一番まずい。でも一ノ瀬くんの親切心を無下にする訳には。お父さんに見つからなければいい話だし。大丈夫かな。どうだろう。
「でも…」
「大丈夫だって。行こ?」
あー。これはもう一ノ瀬くん譲らないな。
「ごめんね。ありがとう。」
お父さんに見つからなければ大丈夫。お父さんと口論にならなければ大丈夫。お父さんが頭を冷やしてくれていたら大丈夫。そう言い聞かせて学校を出た。
「一ノ瀬くん、なんで文化祭実行委員になったの?めんどくさいの嫌いそうなのに。」
ふと気になった疑問を聞くと一ノ瀬くんの顔が明るくなった。
「だって文化祭とかぜってぇ楽しいじゃん!!やるしかないだろ!」
満面の笑みで私の顔をのぞき込むようにして_一ノ瀬くんが言った。少し胸がドクンとなった気がした。それは綺麗という言葉が似合う笑顔だった。その笑顔に見とれてしまった。
「どうかした?」
あまりにも私が反応しなかったため、一ノ瀬くんが心配そうに見てきた。
「いや、なんでもない!!一ノ瀬くん、そうゆうの面倒くさがりそうだなあって思ってたからびっくりしちゃって!」
慌てて適当な理由を探して言うと一ノ瀬くんの顔が少し呆れたような顔になった。
「俺をなんだと思ってんだよ…文化祭好きなんだわ。」
「そうだったんだ。」
意外だった。一ノ瀬くんと関わるようになってからイメージと違うところが見つかる。もっと適当な人かと思っていたから。何にも興味がなさそうな人だと勝手に思っていた。
「めんどくさくてもさ、楽しくていい思い出になったら良くない?」
心底楽しそうだった。それが結構羨ましかったりする。私は好きが分からないから。いや、違う。好きだけじゃない。感情が分からないのかもしれない。それすらも定かではない。そして、この時に私の中で一ノ瀬くんはいつでも楽しそうな人と決まってしまった。それをのちのち、とてつもなく後悔するということも知らずに。
一ノ瀬くんと帰るのは楽しかった。一ノ瀬くんの考えは爽やかだ。私には到底思いつかないようなことを思いつく。素直に尊敬してしまう。きっと彼はこうやって人を魅了してきたのだろう。私とは真逆に思えた。そんな楽しい帰り道も終わりがやってきた。前から男がやってきた。もうすっかり日が暮れていて周りも暗かったのでその男が父だと分かるまでに時間がかかってしまった。私が父だと認識してすぐ、パァンと私の頬から音がなった。頬を平手打ちされたのだ。驚きのあまり声が出せなかった。父は隣に一ノ瀬くんがいるのにも関わらず怒鳴った。
「詩音!!てめぇ!!遅いから心配して来てやったのに男といたのか!!!文化祭の準備だとか嘘までついて!!親不孝者が!!どれだけ俺が苦労してお前を育ててきたと思ってんだ!!」いくら父でも世間体は気にする。だから外で、ましてや人の前で大声をあげることなんて無かった。そこで緑さんが今日は一段と怒っていると言っていたのを思い出した。やっぱり一ノ瀬くんと帰るんじゃなかった。幻滅しただろう。いつも笑って愛想を振りまいている私が家ではこんなに怒鳴られていると知ってしまったから。父がもう一度手を振りあげた。もうダメか。避けたら避けたで胸ぐらを掴まれるか髪を引っ張られるかするのだろう。だったら潔く受けるしかないか。そう決心し目を強く閉じる。パシッ乾いた音だった。けれど私の体をどこも痛くない。恐る恐る目を開けると父の手が一ノ瀬君に払われていた。
「なんで…」
私がそう言うと同時に父の顔が曇った。そして一ノ瀬くんの胸ぐらを雑に掴み怒鳴った。「てめぇなんのつもりだ!!詩音をたぶらかしといてその親にもこの態度か!てめぇらいい加減にしろ!!」
この時の父の顔は何年経って忘れられないだろう。それくらいには狂気じみていた。けれどそんな父に臆することなく一ノ瀬くんは冷静に口を開いた。
「あなた…佐々木のお父さんですよね。いつもこんななんですか?」
「んなわけねぇだろうが!!俺は詩音を、家族を大切に生きてきた!!お前に何が分かる!!」
大切になんかされていない。そう言いたかった。でもやっぱり声が出ない。こうなってしまった父には誰も歯向かうことは出来ない。それでも一ノ瀬くんは冷たい目で父を見ていた。ただただ哀れなものを見るように。
「でも、さっき叩いた時妙に手馴れてましたよね。初めてじゃない。絶対。それに佐々木、たまに腕とか目の周りにアザあるんですよ。本人は隠してるみたいですけど。あなたがやったんですか?」
なんで君は知ってるの。なんでそこまで見ていてくれてるの。泣きたくなった。でもやっぱり涙は出なかった。だから多分私は本気で泣きたいなんて思っていないのだろう。
「これは躾だ!!詩音がダメなやつだから!!こうしないと分からないから!!」
すると一ノ瀬くんは口調を荒らげ、声を少し大きくして食い気味に言った。
「それは躾なんかじゃない!自分の都合がいいように、自分を正当化させるための言葉です。もしも本当に佐々木がダメなやつで言ったことを聞かないのなら、それはあなたの伝え方のせいです。あなたの愛し方に問題があります。子供は…どんなに親が狂ってしまっても、昔にくれた愛を忘れないんです。いつかまた同じように愛してくれるのを願うんです。そんな願いを踏みにじるのが親です。子供と向き合わず、自分の感情に支配される。周りが見えなくなってしまう。それでも…子供は親が好きなんです。」
自分はもう父を捨てていると思っていた。父を好きだなんて思っていなかったと思う。私は好きなの?違うでしょ。あれはもう途方もないクズだから。だから私はもう涙も出ないんでしょう?頭がグルグルして頭痛がする。
「俺が悪いってのか?お前何様だよ。何も知らねぇくせによぉ!人様の家庭に首突っ込んでくんじゃねぇ!」
やめて欲しかった。もう静まって欲しかった。でも私に止めることができるほどの勇気はなかった。
「そうですね。でも他人が首を突っ込みたくなるようなことをあなたはしているんです。娘に。」
その時父は一ノ瀬くんの胸ぐらを離した。無言の肯定と言うべきか、深くため息をついて、まだ怒りに満ち溢れたような顔をしながら私の手首を思いきり掴んだ。重心が傾いた。父は私を引っ張り家の方に向かっていった。戸惑い一ノ瀬くんを見ると悲しいような道場のような怒りのようななんとも言えない顔でこちらを見ていた。もう止めてもどうにもならないと思ったのだろう。最前の判断だと思う。一ノ瀬くんと帰ったのは間違いだったと深く後悔した。やはり、酒を手にした父は誰の手にも負えない。