チラシの効果もあり、問い合わせが少しずつ増えてきた。ネットのほうをみて問い合わせて来た人もいたようだ。申し込みは今のところ常連の小学生のゆらちゃんとそのお友達がひとり。そして、親が店をやっていて、休日は一人で過ごしているという近所の空君。空君の親御さんとは同じ町の商店街での顔見知りなので、申し込みは顔パスみたいな感じだ。
その他参加予定なのが、塾通いで忙しい秀才君。秀才君というのはあだ名ではなく、本名だということだ。秀才君は自分から申し込んできた。塾帰りに隣町に帰宅する途中、子ども食堂のチラシを見たとのことだ。お金はもらっているけれど、親はとても忙しく、塾の自習室で勉強していることが多く、一人ぼっちは寂しいのかもしれない。自ら人のぬくもりを求めて行動できる秀才君はとても人間らしいのかもしれない。見た目はメガネをかけていて、とても真面目そう。なんとなくパソコンとかIT機器に詳しそうで、見た目は冷静でクールな印象だ。でも、自らここへ足を踏み入れる彼は、実は温かい人なのかもしれない。
申し込み一覧を見る。主に小学生が多い。
「こども食堂って中学生でもいいんですか?」
知らない中学生が二人やってきた。男女二人でとても仲がよさそうだ。女子のほうは少しやせ形で色白だ。髪が長いけれど、あまり手入れしているような感じはしない。男子のほうは短髪の元気なスポーツマンタイプで小麦色に日焼けをしていて健康的だ。
「もちろん。申し込みしますか? こちらに名前と電話番号を書いてね」
「どんな食事がでるんですか?」
「第一回目はカレーの予定だけど。毎週違うんだよね。初回申し込みでいい?」
「実は、彼女の家は複雑な事情があって、子ども食堂を利用出来たら助かるなって思うんですよ」
「もしかして、親がひどい奴なの?」
「母が病気で寝てばかりの状態で、おいしいご飯を家で食べることは難しいの」
「だから、俺の家で一緒に飯を食べたりしているんだけどね。高校になったら給食がなくなると厳しいよな」
「うち、貧しいからあまりお金をかけて料理をしたりは難しいんだよね」
「もしよかったら、うちで余った食材をあげてもかまわないぞ」
エイトがいいタイミングにやってくる。
「定食屋だから、作り置きしているものが余ることもあるし、食材も使いきれないときもある。そして、この商店街には余りものがたくさんある。例えば、パン屋では食パンの耳が余るし、野菜や肉や魚は売れなければ古くなる。見切り品として店頭に置いても、売れ残れば捨てるしかない。大手チェーンだと処分するしかないが、個人の店ならば店主の判断次第で分け与えることも可能だ。俺はこの辺の店長とは顔見知りだから、お願いすることはできるよ」
「よかったな。やっぱり水瀬エイト先生は神様だな」
少年は拝むように手を合わせる。
「本当にありがとうございます」
少女も深々とお辞儀をする。
「君たちは恋人同士?」
エイトがさらりと聞く。
「違いますよ。ただの友達です」
ふーんという感じで腕を組むエイトは二人を見つめる。ただの友達というワードに対して疑っているかのような笑顔だ。その視線を感じて、二人は恥ずかしそうに目を逸らす。
「名前を書いてね」
ナナが促すと、少年はボールペンを握り整ったきれいな字を書く。緑屋彩太《みどりやさいた》というらしい。少年は彼女の分もついでに書く。彼女の名前は清野咲《きよのさき》らしい。
「お母さんは、どういった病気なんだ?」
エイトが遠慮なく聞く。
「心の病気です。私が小さい時に病気になって、ここ最近は寝てばかりなんです」
「お父さんは?」
「家出したので、帰ってきません」
「なるほどな。お父さんのことは好きか?」
「お父さんは良い人だったと思います。でも、小学生の時に突然いなくなったんです。もし、可能ならばお父さんと暮らしたいって思っています。お母さんと一緒に生活するのには疲れてしまって……」
「咲のお母さんはとんでもなくヒステリーで二面性があるんだ。学校の担任には優しい体が弱い母親を演じている。でも、娘の目の前では罵りがひどい。咲がかわいそうだよ」
彩太は同情する。
「俺が咲を支えなければ、彼女はつぶれてしまうと思うんだ」
「咲ちゃんが大事なんだな。俺たちは怨みを晴らす仕事をしている。相手の素性を調べることも可能だよ。咲ちゃんのお父さんを探して今何をしているのかを調べてみようか」
「それってもしかして、噂の命の半分を差し出すっていう話?」
少し警戒しているようだ。
「怨みを晴らさないなら、命をいただけないよ。子ども食堂の手伝いをしてくれるのなら、お父さんを探して説得してみようか? 探し出しても必ずうまくいく保証はないけれどね」
「おねがいします」
咲がお辞儀をする。お父さんを怨んでいる様子はない。むしろお母さんのことを嫌っているような感じだ。未成年の子供というのは親を選べない。そして、まだ自立ができないから、どんなに不満があっても帰るべき場所は自分の親の元だ。仕方のないことだが、今の日本では逃げるということは難しい。大人になれば自立ができるのに……。ナナは、保護者と呼べる人間はエイトしかいない。でも、まだ保護者なしで生きるには早い年齢だ。そして、エイトに対して不満はない。そして、今の生活がわりと好きだったりする。自分自身は親に対してマイナスのイメージはないけれど、マイナスのイメージで埋め尽くされている子供がいるとしたら……エイトは少しでも力になりたいのかもしれない。
「樹、今日余っている食べ物があったらこの娘さんにわけてあげてくれ」
「了解です」
樹は笑顔で何かを準備している。
「一緒にいい方向に行けたらいいな。彩太君も、咲ちゃんも」
二人は笑顔で見つめあう。結構いい感じなんじゃないかな。多分、二人は恋愛感情があるけれど、いい意味で支え合える同級生でもある。この距離がいいのかもしれない。ふと、エイトを見る。エイトとの距離は今の距離が一番心地いいと感じる。
変に父親面をするわけでもなく、友達にしてはちょっと年上で、兄とは言っても最近知り合った仲で。普通ではないこの家族としての距離がとっても居心地がいい。
一般的ではない関係だけれど、エイトはいつもまっすぐで人のためになることをやろうとする。そして、仕事に対して真摯だ。半妖としても彼の考えはぶれることがない。いつも真剣に仕事をこなす態度はどの人よりも真面目なのかもしれない。知れば知るほど人間としてとても良い人だということがわかる。最初見た時の怖そうでちゃらちゃらした第一印象とは全然違う。人の内面を知ることはとても大事だと思える。
「じゃあ今日はお父さんのことを調査しておくよ。接触して、咲ちゃんの現在の状況を話してみる。そして、今のお父さんの状況を聞いて咲ちゃんに会えるのならばセッティングするから」
「出ていったということは、もう私には会いたくないんじゃないかな」
「色々事情があるのかもしれない。本人しかわからないことってあるからね。娘のことは忘れることはないのだから」
少し不安げな咲ちゃんの手をにぎる彩太君は本当に咲ちゃんのことを思っているのだと思う。ナナはそんな経験は一度もない。今現在だってナナを好きだと言って来る男子がいるわけでもなく、好きな人がいるわけでもない。まぁ、あえて言うのならば樹の笑顔に癒されるとか、エイトの寝顔は案外かわいいとかそういったことでどきりとすることはあるけれど。しかし、これは心の奥底にしまっておく案件だ。エイトに知られたら、からかってくるに違いない。弱みを見せることはありえない。
店を閉めると、深夜にエイトと樹が咲ちゃんのお父さんのことで動き始めた。半妖ではないナナが関わってはいけない案件なので、何も手助けすることはできない。エイトは夜も漫画家の仕事をしているか、半妖として仕事をしているので、滅多に家でゆっくりしていることはない。
そんな彼は自分の生活に満足しているのだろうか。不満がないのだろうか。売れっ子漫画家の仕事以外に人助けをするなんてお人好しだ。半妖であれば、体力も普通の成人男性よりもあるだろうし、睡眠もたくさんとる必要はないと聞いた。でも、過労で彼の寿命が短くなったり、体調を崩してしまったら、唯一の家族であるナナは心が痛む。いつの間にか少しずつ存在が大きくなっているのは確かだった。いつもそこに居る人がいなくなる恐怖は誰よりも知っている。だからこそ、無理はしないでほしかった。
エイトはにこりと笑うと闇夜に消えた。どうやら半妖の力で居場所を突き止めたようだ。会えなくてもこの世のどこかに家族が生きているのは嬉しい出来事だ。ナナの両親は二人ともこの世のどこにもいないのだから。
エイトと樹は二人で咲のお父さんの居場所を突き止めた。お父さんは県外にいることが判明した。半妖の力で県外に行くことはあっという間にできる。普通に歩くと、道ができ、高速移動が可能だ。その道を縁道《えんどう》という。縁のある人をつなぐという縁道には光が差し込み依頼人の探す人へと導く。それは、現実では考えられないことだが、何万キロ離れていようと、たどり着くことが可能だ。
「清野誠さんですか」
和装をしたエイトたちは清野父の元へ直接伺う。清野さんは工事現場で警備員の仕事をしていた。作業着姿の清野さんは日に焼けており、筋肉はついていたが顔色はあまりよくない印象だった。名前を呼ばれ、少し驚いた顔をした清野さんは警戒する様子でエイトと樹を見つめる。ちょうど仕事が終わる時間だったので、立ち話をする。
「あなたたちは誰ですか?」
「定食屋を営む水瀬と言います。最近、清野咲さんが客として店に来て、お父さんと一緒に住みたいと言っていました。あなたは咲さんのお父さんですね」
「でも、なぜ居場所がわかったのですか?」
「我々は特別な力があります。だから、探し人の居場所を突き止めることが可能なのです」
何を言っているのかわからないといった様子の清野。
「咲は怒っているでしょう。母親と二人で仲良く生きていってほしいです。家出の場合は一方的に離婚も可能ですから、もう離婚しているはずです」
「離婚はしていませんよ。今も清野姓です。奥さんは病気で寝ているそうです。咲ちゃんはお母さんとうまくいっていません」
「そんな……。昔は母と娘はとてもなかよしでした。むしろ私が邪魔でした」
「お母さんのヒステリーがひどいそうです。そして、心の病になったお母さんは寝てばかりでお金がないし、おいしい食事にもありつけない。だから、我々が主催する子ども食堂に来たのです」
すると清野は重い口を開いた。
「実は、借金を抱えてしまって、離婚を考えました。しかし、妻は離婚はしないと言ってね。法律で、家出を3年した場合、妻が離婚を申し出れば離婚が成立すると聞きました。だから、私は存在を消しました。妻はしっかりしていたし、一人で子育ても仕事もやっていける人間です。借金を家族に迷惑かけないために縁を切って、見知らぬ街で働き始めたのです」
「だから、ずっと連絡していないのですか」
「居場所も教えておりません」
「今でも二人は待っていますよ」
「もうすぐ借金の返済が終わります。すっかり離婚が成立していて二人は幸せになっていると思っていました」
「あなたに捨てられたと思った奥さんは心の病気になり、育児も家事も仕事もできていません。娘さんはお父さんと住みたいと言っています」
「勝手に家出をしたのに私が戻ってもいいのでしょうか」
「いいと思いますよ。たった一人の夫であり父親なのですから」
「仕事がひと段落したら会いに行きたいと思います。借金もあと少しですし」
「今すぐ、会いに行ってほしいんですけどね」
「でも、電車代もばかになりませんし。明日も仕事です」
「俺たちの力を使えば、あっという間に会えますがね」
「どういう意味ですか?」
「俺たちは半妖怪。つまり、普通の人間にできないことができるってことですよ。実際ものの数分であの町から来たのですからね」
「数分?」
驚いた清野は開いた口がふさがらない。
「実際にない道を通ると早いんです。人と人との縁を結ぶ縁道っていうのがあるんです。光を伝っていくと道が開くんですよ」
「縁道?」
「まぁいいから、つかまってください。僕たちは怪しいものじゃありません。あなたの町の定食屋のオーナーと店長です」
樹が促す。
「はぁ」
きつねにつままれたような顔をした清野が不思議な顔をして首をかしげたが、強引に腕をつかんで連れていく。すると、道がない場所に光がともる。これが縁道だ。縁の糸をたどって進む。半妖の二人が空を飛ぶように移動するので、清野は飛ばされないように必死につかまる。
気づくと、清野が昔住んでいたアパートの前に着いた。
「本当に、私が住んでいたアパートじゃないか」
清野は驚き立ちつくす。
「まずは会って、説明するんだな」
エイトが促す。
「殴られるかもしれない」
若干顔がこわばる清野。
「でも、それ相応のことを勝手になさったんですよね?」
樹がにこやかな顔でたしなめる。
「どうせ縁を切ろうと思っていたんだ。つながっていただけ儲けもんだろ」
エイトがあと一歩を踏み出す言葉をかけた。
勇気を持ってドアノブに手をかけ、玄関に入る。
「……ただいま」
「お父さん?」
驚いた顔の咲。
「あなた? どこにいっていたの?」
妻も驚いている。
「実は、借金があって遠くの町で働いていたんだ。もうすぐ借金は返すことができそうだ。そうしたら、またここで一緒に暮らしてもかまわないかな」
「当然だよ」
咲はすかさず返事をする。
お母さんは泣いている様子だ。
「とっくに離婚されていると思っていたよ。借金の迷惑をかけたくないから縁を切ったんだ。明日も仕事ですぐ帰らなければいけない。あと、これが連絡先の電話番号と住所だ」
「こんなに遠くから来たの?」
「不思議な定食屋の二人が送ってくれたから数分で到着したよ。これからまた送ってもらうから外で待ってもらっているんだ」
「水瀬エイト先生ね? 有名な漫画家なのよ」
「只者ではないと思ったが有名な漫画家先生か」
どこかその話に納得した様子の父親は少しばかりのお金を財布から抜いて咲に手渡す。
「少しばかりだけど、このお金で食べ物でも買ってくれ。あと一か月ほどしたらここへ戻るから。父さんは帰るぞ」
「必ず帰ってきてね」
「漫画家先生に誓って帰って来るよ。じゃあお母さんと仲良くしてくれ」
そう言うと、清野はエイトたちと元の町へ戻っていった。そんな不思議なできごとは魔法のような現象を咲に与えた。お金をもらってその月は食べることに不自由をしなくなったし、余裕ができた咲は彩太とのお付き合いの申し出を受け入れたらしい。母親の体調も良くなって家庭の雰囲気が良くなったというのは幸運だ。
その後、お父さんと三人で暮らし始めた咲は、三人で定食屋にやってきた。そして、お礼がてら客として食事をしていった。
「サンタクロースみたいな素敵な贈り物をありがとう」
咲はお礼をしても、し尽くせないといった様子だ。
エイトは終始笑顔で、死神というより生きるための神として存在意義が見いだせていけたらいいのにとナナは感じていた。
いよいよ子ども食堂本番間近だ。そのためにナナと樹、サイコは準備を進めてきた。樹は主に商店街から見切り品になる野菜などの食材を安く仕入れることに尽力した。簡単に言えば食料調達の交渉役だ。
サイコはホームページやSNSでの宣伝を担当する。ナナと言えば、特別な役割はなかったが、当日に向けて色々な準備を手伝っていた。目に見えない雑用担当だ。仕入れた肉などの食材を小分けにして冷凍保存したり、味付けのたれを作ることもナナの仕事だった。分量を間違えないようにソースを作る。以前より台所に立つ時間が増え、自然と料理を苦痛に感じなくなっていた。それは自分のためにも将来のためにもプラスになる経験だった。
全体的な監督はエイトだ。主なレシピはエイトと樹が担当していた。カレーなのでチーム半妖にはなじみ深いレシピだった。家庭の味を提供したいという気持ちがあり、いつもの味に甘みをくわえる。子供にも辛くない味付けだ。今のところ、定員よりも下回ったが4人ほどの申し込みがあった。周知されていないこともあるだろうし、どういうものかわからないから、参加はやめておこうというような人もいたのかもしれない。
申し込みの名簿を見る。中学生の緑屋彩太君、清野咲ちゃん。小学生で親が忙しい青野空君と塾通いで忙しい山野辺秀才君。今のところまだ4人かぁ。
「すみません。高校生もこども扱いでいいでしょうか?」
見知らぬ高校生が定食屋ののれんをくぐる。
「大丈夫ですよ。まだ定員は空いています」
にこやかにナナは接客する。
「実は私、小学生の妹と一緒に参加しようと思って、SNSで見つけて直接来てしまいました」
「まだ定員は空いております」
「ウチのメッセージを見てくれたんだ」
サイコはにこやかだ。誰もが見ることができる情報を今は個人がウェブ上に投げることができる。それは危険と隣り合わせではあるが、情報や個人の作品、意見などを発表できるいい場所となっている。誰が見るかもわからないけれど、だからこそこういっためぐりあわせも訪れる。
「ここに名前と電話番号を書いてください」
女子高校生の名前は「織原みく」というらしい。そして、妹の名前は「ゆい」。スマホの番号を流暢に書き出す。流れるような文字の形だ。
「こども食堂って貧しいとか何か理由がないとダメとかあるの?」
女子高生は申し訳なさそうに聞いてきた。
「大丈夫です。理由は問いません。無料で提供しております」
「ここってエイト先生の食堂だよね?」
「そうですが、ファンの方ですか?」
「妹がファンでね。私もまぁファンと言えばファンだけどね」
美人な女子高生がファンとはエイトも隅に置けない。やっぱり客観的に見るとイケメンだということだろうか。もちろん世の中の人が言うイケメンという基準をナナはわかってはいるつもりだ。でも、距離が近すぎてそういった目で見ることは避けていたというのもあるのかもしれない。顔立ちが整っているということは認めよう。そんなことを勝手に思う。
「みくじゃねーか」
エイトがにこやかに懐かしそうに話しかける。
「久しぶりだな。エイト」
みくの口調は男勝りだ。年下なのに対等な話し方をする。
「娘ができたっていう話を聞いたんだけど、もしかしてこの子?」
「まあな。俺の大事な娘だよ」
大事な娘という言葉にナナは反応してしまう。気恥ずかしいにもほどがあると思うが、エイトはそういったことを自慢げに語る。そして、同時に大事な娘という言葉に反応したのがみくだった。
「みくさんは、エイトとお知合いですか?」
「幼馴染というか、腐れ縁みたいな感じだよ。私とは5つ歳が離れているけれど、小さい時はよく遊んだんだよね」
「こいつ幼馴染なんだよな」
うなずくエイト。
「エイトは結局独身なんだ?」
みくは身を乗り出す。
「まぁそうだな。結婚しようと思った相手の子どもと住んではいるが、未婚の独身だ」
直感だった。この男っぽい口調は照れを隠すため。気持ちを悟られないためにあえてなのかもしれない。みくはエイトが好きなのだろう。だから、いちいち些細な言葉に反応するし、それを隠そうとしている。子どもの時はきっと男言葉で遊んでいたのかもしれない。今は見た目がかわいらしい女性らしい雰囲気だけれども、エイトとのかわらぬつながりを言葉づかいで表していたいのかもしれない。
エイトは元々はここに住んでいたわけではない。だから、少し遠いこの店までみくはやってきた。でも、18歳の女子高校生とならば5歳差だ。エイトと恋人になってもおかしくない。でも、エイトに恋人ができるとナナの立場は危ういものとなる。子供でもなく居候というだけでここにとどまれないとは思っている。
「子ども食堂、妹と申し込んだから」
「久しぶりだな。大きくなったじゃねーか」
ナナは感じる。みくがここへ来るまでに何度鏡を見て、髪を整えて、薄化粧を施して、ほんのり桜色のリップを塗ったのか。女心はそういうものだ。ばっちり完璧な髪型は直前に鏡でチェックしてきたのだろう。でも、幼馴染みという関係を抜け出すというのは生半可なことじゃない。そして、一言が関係を破壊するかもしれない。諸刃の刃だ。だから、本気であればあるほど本当の気持ちを言うことは自滅を意味する。きっとみくは告白することはないのだろう。その代わり、ちょくちょく顔を出してエイトにちょっかいをかけるタイミングを狙っているのだろう。一目会えればそれでいい。そういうことだろう。長い付き合いになりそうな女子高校生の登場に少しばかり警戒するが、きっと仲良くなれるだろう。そう自分に言い聞かせ、ナナは準備をする。
エイトの笑顔が誰かに独占されませんように。保護者であるエイトへの勝手な願いをナナは無意識に心に秘めていた。
漫画のアシスタントの鬼山と愛沢にも手伝ってもらい、準備をする。
材料の下準備はしてある。肉を自然解凍しておいたし、食材は切るだけだ。カレールーはいつも使っているものを使用した。隠し味の牛乳やりんごやバナナも忘れずに用意している。野菜はじゃがいも、にんじん、たまねぎ、という一般的なものを用意した。見切り品になる野菜や果物を中心に安く商店街の店から仕入れた。おかわりできるように少し多めに用意する。
実際に作ってみるとじゃがいもの皮むきに悪戦苦闘したり、土のにおいを感じたり、芽がでている場所を取りだしたり、ひとつひとつが経験となる。球の形をしているので皮を剥く際には手を切らないように要注意だ。主にピーラーを使うがそれでも刃物は危ないので、女子高生のみくにお願いした。
たまねぎが目に染みてギブアップする空は戦闘に敗れた戦士のようだ。料理は戦いなのかもしれない。じっくり見極めて調理をする。肉や野菜の火の通り方を見極め、煮る時間も気を休めずじっと鍋と食材と対面する私たちは立派な戦士だ。
最初は火の通りにくい肉とジャガイモを中心に炒め、その後他の食材を入れる。たまねぎがあめ色になったら、水を入れて中火で煮る。20分ほど煮るが、この間も気を抜けない。私たちはその間料理する食材と対面する。
時々かき混ぜながら味見をする。部屋全体に立ち込めるカレールーの香りは食欲をそそる。匂いだけでも食べたような錯覚に陥る。気を抜かずにじっと見つめながらカレールウを入れてことこと弱火で煮詰める。最終対決までやってきた。この時に、牛乳を少々入れる。ゆっくりかきまぜるととろみが出て、カレーに重圧感が生まれる。コクが出て来たような気がする。料理は戦いで、その食材は大切なパートナーでもある。大切に大切に扱う。
大人がサポートしながらみんなで作る。お皿や水やスプーンの準備はレオと小春がやってくれた。ごはん担当は緑屋だ。真っ白な大きな白いお皿にごはんをよそう。すると、湯気が立ち込めお米の香りが香しい。
白いご飯粒は一粒一粒真珠のように光っており、よく見ると宝石のように思えてくる。できたカレーをよそうのは咲だ。真珠のような米と戦いの成果である野菜を煮詰めたカレーが混じりあい最上級のカレーが夕食時にできる。
この地球で最もおいしいカレーを作ったと自負するくらいみんなが愛情を込めて作ったカレー。空腹は最高のスパイスだというけれど、実際戦いを終えた全員が残さずきれいに完食したことは言うまでもない。
エイトがにこやかに笑顔でいただきますとごちそうさまの音頭を取った。そして、食事中は子供たちの話に耳を傾ける。それはアシスタントのみんなも同じで、そばにいる子どもの話を真剣に聞いた。これは、子ども食堂の大きな特徴であり、使命だった。なにかしら生きていて辛いことや困ったことがあれば聞いてあげる。解決できそうなものは一緒に解決に導く。そういう場所であり存在でいたいとエイトは言っていた。普段の食堂ではできない行為でもある。来てくれた子供たちの心の中を見せてもらうことが対価なのかもしれない。
各々が悩みを抱えている。それは、受験へのプレッシャーだったり、人間関係だったり様々だ。本当に困った子供を見つける手段として対話は有効だと小春が教えてくれた。
ちらりと横を見るとみくはエイトの隣で談笑していた。思い出話に花を咲かせているのだろうか。最近はあまり会ってはいなかったみたいだから、これをきっかけに仲良くなりたいのだろう。エイトは誰にでも優しい。そして、平等に愛を注ぐ。胸がきゅんと痛くなる。裁縫の時に指に間違えて針を刺してしまった時のような不意打ちの痛みが重くのしかかる。なぜだろう。もし、この心の痛みの意味がわかったとしても自分がどうにかできることでもない。だから、あえてナナは感じた痛みについて触れないようにしていた。
「ナナ、どうした?」
エイトが声をかける。
「別に何でもないよ」
エイトはナナの表情をよく見ている。
「今日夜、大事な話をしたいんだけれどいいか?」
真面目な表情でエイトが声をかけて来た。
みくは少しばかり複雑な表情を隠しきれない様子だ。やっぱりエイトを独占したいのだろう。なんだか罪悪感すら感じてしまう。エイトはいつもナナのことを気にかけてくれる。保護者であるから当然だけれど、世界中でエイトにしか現状は頼れないというのが未成年であるナナだったりする。だから、とても心強いし、支えられていると感じていた。家族愛というものだろう。これを手放したくない。思った以上にエイトに対する信頼と愛情が深くなっていることに気づく。
「ずっと7《ナナ》の隣は|8でいてほしいって思うよ」
「家族として、これからもそばにいてほしい」
エイトとナナの誓いの約束がここで結ばれた。それが、恋や愛かって? 長い人生、先のことなんてわからない。人の気持ちは変わるものなのだから。愛ならば家族愛なのかもしれないし、もしかしたらもっと別な好きな気持ちが隠れているのかもしれない。でも、今はただ隣にいるだけで幸せだ。