声を失った令嬢は、次期公爵の義理のお兄さまに恋をしました

 お兄さまに連れられて会場をあとにした私は、その足で自分の部屋に送り届けてもらいました。

「今日は疲れただろう。クリスタを呼んでくるから少し休むといい。そのまま寝てしまっていいからね」

 お兄さまはそう言って離れていこうとしました。
 どうしましょう。まだお兄さまと一緒にいたい……。
 そう思ったときにはもう私の右手は動いてしまっていて、お兄さまの袖をぎゅっと握って引き留めてしまいました。

「ん? どうかしたかい?」
「…………」

 お兄さまは怒るでも去るでもなく、私の目をじっと見つめて私の思いをくみ取ろうとしてくれています。
 傍にいてほしい、なんてわがままを思ってしまいお兄さまを困らせてしまいました。
 名残惜しいですが、ゆっくりと握った袖を離して笑顔を見せます。

 するとお兄さまは私の頭を優しくなでで、「もう少し一緒にいようか」と言ってくださいました。
 あまりに嬉しくてつい喜んでしまいました。
 その時、胸が大きくドクンッと飛び跳ねるようなそんな感覚がしたのです。



◇◆◇



 今日は冷えるからとお兄さまはホットミルクを入れてきてくださって、私に手渡します。

「さっきは嫌な思いをしただろう。ごめんね」

 私は静かに首を振って否定します。
 お兄さまが助けてくださったからどんなに心強かったか。

 ホットミルクで身体がだいぶあたたまってきた頃、私は思い出して自分の頭についている髪飾りを触って見せました。

「ん? ああ、母上の蝶の髪飾りだね。気に入ってくれたかい?」
「(ふんふん)」
「よかった。母上は私が小さな頃に亡くなってしまって、その形見は父上から譲ってもらったんだ」

 悲しい物語というより懐かしい思い出を語るようにお兄さまは話します。

「父上は仕事に真面目な人でね、なかなか家でも会うことがなくて。それでも時間を見つけては10分でも5分でも私や母上に会いに来てくれたんだ。だから母上が亡くなった時は父上も大層ふさぎ込んでしまってね」
「……」
「初めてだった。父上の泣く姿を見るのは。本当に母上のことが好きだったんだなって思ったよ」

 私は素敵なご夫婦だなと思いました。それをきちんと言葉にはできないですが、伝わればいいなと、私はお兄さまの手に自分の手を添えました。

「ローゼ?」
「(私が傍にいます)」

 きっと悲しかったのはお父さまだけではなかったはず。
 お兄さまも悲しくて、寂しくて、辛かったに違いありません。
 私にお母さまの代わりはできませんが、こうやって少しでも傍にいたら寂しくないのではないでしょうか。

「傍にいてくれるのかい?」
「(はいっ!)」
「ありがとう、ローゼ」

 私はお兄さまに気持ちが届いたことが嬉しくて、こんな夜がいつまでも続いたらいいのになと思いました。
 でも、私はお兄さまにこの時聞けなかったことがあります。


 お兄さまにはそんな風に好きな人はいるんですか?


 心の中でそんな質問が出て聞きたかったけれど、なぜそう思ったのかは今の私にはわかりませんでした──

「では声を出してみてください」
「(あーーーーー)」

 私は大きな口を開けてお医者さまに向けて声を出そうとしますが、やはりシンとした空気が流れるだけ。

「やはりまだ出ないですね。根気強く様子を見てみましょう」
「(こく)」

 お医者さまはクリスタさんに案内されながら、お部屋をあとにしました。

「大丈夫だよ、焦らなくていいから」

 隣に付き添っていたお兄さまが私を慰めるように背中をさすってくださいます。


 社交界デビューを果たした私はその後もマナーの練習や読み書きの勉強を重ね、少しずつではありましたが前に進んでいきました。
 ですが、最近はお仕事が忙しく、お兄さまと勉強ができていません。
 もっと言うと食事のときもいらっしゃってないので、会うこともできていないのです。
 寂しい、なんて思うのは私の単なるわがままかもしれません。

『お仕事をしている様子を見てみたい』

 そう思ってしまって、以前の私ならご迷惑になるからとすぐにその考えを止められたのですが、最近はどこかおかしいのか、お兄さまのことになると身体が勝手に動いてしまいます。
 いけないとわかっていても、好奇心や欲望が勝ってしまう。
 何か私に悪い変化が起こっているのでしょうか。

 そう思いながらも、ちょっとだけなら、という気持ちで私は廊下に出てしまいました──


 お兄さまのお部屋は私の部屋を出て左に進んだ突き当りにあります。
 何かあればいつでもおいで、と言われていますが、実際に行くのは初めてです。

 扉の前に立って耳を澄ませますが、お部屋にいるのかどうかもわからないほど静かです。
 私はそっと扉を開いて中の様子を見てみます。

 扉から見える真っすぐのところに、机に向かっているお兄さまがいました。
 何か文字を書いているようでそのお姿は凛々しく、背筋の伸びた美しい姿勢です。
 日の光が窓から差し込み、お兄さまをより輝かしく照らしています。

 かっこいい……。

 自分ではっとします。
 幸いにも声には出ていませんが、思わず口を開いて話す仕草をしてしまっていました。
 最近はなんだかお兄さまのことが気になってしかたなく、いつもお兄さまのことを考えてしまっています。

「ローゼ、入っておいで」
「──っ!!」

 私は突然のお兄さまの声に驚き、ドアを押し開けてしまいました。
 当然私の姿は丸見えとなり、顔を上げたお兄さまに見つかってしまいました。
 いえ、もう声をかけてくださったということはすでにバレていたのでしょうね。
 私は観念したように少し申し訳なさそうに小さく縮こまりながら入りました。

「もっとこっちにおいで」
「(ふんふん)」

 誘導されるままに私はお兄さまの近くに行くと、お兄さまはニコリと笑って「どうしたの?」と聞いてくださいます。
 なんでもないというように首を横に振る私ですが、お兄さまは何かを察したようです。

「最近読み書きを教えにいけていなかったからね、ごめんね」
「(そうじゃないんです!)」

 お兄さまを責めたくて来たわけじゃないのですが、どうしましょう。
 一生懸命に首を振るもので、お兄さまは「わかった、わかった」といった感じで私を止めます。
 すると、お兄さまの近くにあった本を取って私に渡してくださいました。

「これ、絵本なんだけど、読めるかな? 難しいお話ではないからソファに座って読んでごらん」
「(ふんふんっ!)」

 表紙は淡い感じで書かれていて女の子が一人お庭のような場所で座っている絵です。
 私はさっそくお兄さまのお部屋の椅子に座って読み始めました。

 最初はなかなか苦戦して読めないので、う~んといった感じで悩んでいると、その様子に気づいたお兄さまがたまに身に来て教えてくださいました。
 後半は段々すらすらと読めるようになり、内容もわかってきました。

 絵本の内容は、女の子が冒険をしていろんな街にでかけるお話ですが、途中で素敵な王子様が出てきました。
 その女の子が言うには、すらっとして背が高くてとてもかっこいい素敵な王子様だそうです。
 女の子は段々王子様のことが好きになっていって、毎日王子様のことが気になって仕方がないとのこと。

 ん? 気になって仕方ない? いつも? 毎日?

 私はお兄さまのほうを見て自分の胸に手をあてて考えてみました。
 なんだか、私とお兄さまみたいです。

 そして、絵本に目を移してまた読み始めます。

『女の子は王子様のことが好きになってしまいました。初めて恋をしたのです』

 その文章を見てはっとしました。

『恋』

 この文字をみて私の心臓は飛び跳ねました。
 絵本の女の子は最後王子様と結婚するのですが、私はずっと『恋』という文字が頭から離れなくて仕方ありませんでした。

 そうか、私、お兄さまに恋してるんだ。

 真剣な面持ちでお仕事をされるお顔を見ながら、私は自分の気持ちに気がつきました──


「ローゼマリー様、なんだか最近は嬉しそうですね」
「(ふんふん!)」
「何かいいことでもあったんでしょうかね~」

 髪を結ってくれながらクリスタさんが私に尋ねてきます。
 お兄さまに恋をしているんです、っていったらクリスタさんはどんな反応をしてくださるでしょうか。
 でも、血は繋がっていないとはいえ兄妹ですから、絵本の女の子と王子様のようにはいかないかもしれませんね。
 傍にいられるだけ、私は贅沢な気がしています。

「はい、できましたよ~! クリスタ特製豪華スペシャルです~」

 わあっ! 今日はみつあみもあってふわふわな髪になってます!
 こんな波打つような髪はどうやってやるんでしょうか。
 私は気になって自分の髪を触りながらじっと見つけてみます。

「ふふ、このウェーブはみつあみをしてしばらく置いてから解くと、こんな感じにふわふわになるんですよ~」

 そうだったんですね!
 すごくかわいくて、そうだっ! 絵本で見た女の子の髪みたいです!

「さあ、これでラルスさまとのお茶会を楽しみましょう!」
「(はいっ!)」