幻のレストラン 代償は記憶です

 ここは幻のレストラン。夕暮れから夜にかけて営業している不思議なレストランです。
 普通のレストランとちがうところは、過去か未来を体験でき、ねがいを1つかなえることができるレストランというところなのです。

 皆さんが良く食べるお食事やスイーツなどが用意されていますが、店に選ばれた人だけが利用できる風変わりなレストランなのです。

 ここには、過去、未来が体験できる虹色ドリンクがあります。虹色ドリンクは無料ですが、《《代償は記憶》》です。ずっと過去や未来に滞在することはできません。そして、最後にねがいをひとつかなえることができるのです。ねがい次第で結局過去も未来も変わります。記憶は時を動かすエネルギーとなるので、レストランでは大変価値のあるものです。

 ひとつ忠告です。ここで体験したことは必ずではないのです。虹色のように選択次第で人生は何通りもの道があり、未来が《《必ずそうなる》》という保証はできません。虹は7色でできているわけではなく、もっと複雑な色が重なってできています。それくらいちょっとしたことで未来は変わります。

 レストランの店長は、18歳の男性。名前は「アサト」と名乗っております。
 従業員は、10歳の女の子です。こちらは「まひる」という妹でお店を手伝っています。

 選ばれた人しか入ることのできない幻のレストランなので、探しても見つかるものではありません。料金はお料理全てが100円という破格の値段です。100円レストランとでもいいましょうか。時の国では妥当な相場ですが、日本世界のお客様は安いとおっしゃいますね。

 さて、あなたはどんなメニューをお望みですか? シンデレラのオムライス? 人魚のムニエル? 白雪姫のりんごラーメン? ねむり姫の納豆ご飯? 人魚姫のパイシチュー、天使と悪魔のおにぎり……デザートからお料理までなんでもございます。

 素敵なメニューをたくさん用意していますよ。さて、今日のお客様はどんな方でしょうか?

「いらっしゃいませ」
 こんな素敵なレストランがあったなんて知らなかった。しかも、全部100円ってどういうこと? メニューは不思議な名前のものばかり。美しい店舗の雰囲気とおいしそうな香りのする店内に入ると、異世界へといざなわれそうな気持になる。うきうきした気持ちで店に誘われるように気づくと足を踏み入れていた。ドアを引くとカランカランと心地いいベルの音が鳴る。いい香りがする。私の嗅覚は比較的当たることが多い。当たりのお店に出会った予感がする。

 もうすぐ夜ご飯の黄昏時に、時間素敵なレストランを見つけたので、つい入店したのだが、店長さんもとても素敵なお兄さんだ。ここから素敵な恋が始まるかもしれない。なんてすぐ考えてしまう。

 高校生1年生の女の子。時野夢香《ときのゆめか》。自分で言うのもなんだが、白馬の王子様に憧れているタイプの恋愛脳の女子高校生だ。常に出会いを求めているし、惚れっぽいと思う。どちらかというと、これから素敵な男性に出会って、そのまま結婚して、素敵な人生を歩みたいと勝手に思っている。愛があればいいのだ。特に夢も将来への展望もないどこにでもいる女子高校生だ。

「メニューはどちらになさいますか?」
 素敵なお兄さんにメニュー表を見せられたのだが、なぜか目に飛び込んできたのはシンデレラのオムライスという文字だった。
「シンデレラのオムライス……?」

 思わず、聞いてみる。こんなメニューは他のお店で見たことはない。シンデレラは、小さい時からずっと大好きだった物語だった。まさに、恋愛脳を構築したという原点ともなった絵本だった。頑張っていれば素敵な王子様に見初められ裕福な暮らしができる。でも、シンデレラの王子様は彼女のどこを好きになったのだろう? 顔なのか? スタイルなのか? 話が合ったのだろうか? 正直シンデレラの見た目が王子を虜にしたのかもしれないとしか思えなかった。だって、あんなに短時間で話が合うから求婚されるという理屈も変だし、魔法使いのおばあさんに王子が惚れる魔法でもかけてもらったのではないのか? そんなことを最近思うようになった。幼稚園児の頃は何も思わず受け入れていたストーリーも歳と共に見方が変わるものだ。

「こちらは、シンデレラをイメージしたオムライスでございます。きっとお客様のような王子様を待っている女性のお口に合うかと思われます」

 私のこと、知っているかのような見透かした発言。値段を見て驚いた。全て100円なのだ。どんなに立派な料理でも甘美なスイーツでも100円だ。

「これ、全部100円ですか?」
 イケメンなお兄さんに全てを見透かされていそうな不安もあい混じりながら、質問してみた。
「当店のメニューは全て100円でございます」

 にこやかな店主と共に小学生くらいのかわいい少女がオーダーを確認した。
「シンデレラのオムライス1つ入りましたー」

 小さな少女に向かってほほ笑みながら、お兄さんに質問してみる。
「どういった感じの食べ物なのでしょうか?」

「カボチャライスが中に入っているオムライスです。ガラスの靴をイメージしたソースをかけています。百聞は一見にしかずですよ」

 イケメンのお兄さんが、オムライスを作っている少女のほうに目をやった。後ろのほうで、少女がなにやら作っている。小学生に作ることができるのだろうか? しばらくすると、見たこともない美しいオムライスが目の前に現れた。透明なガラスの靴を彷彿させる比較的小さいオムライスが、美しい透明なハイヒールの形の入れ物に入っているのだ。しかも、ソースは透明なゼラチンで作られていて、表面には金色や銀色で彩られた飾りもついていた。よくお菓子の上に乗っている金色の粉のようなものだ。

「いただきますっ」

 一口ほおばると、カボチャ味のライスが口の中で優しく広がる。甘さは自然な味わいで、カボチャの甘さとソースの甘さが甘党の私には絶妙だった。ほっこりした甘さに心奪われ、食事に夢中になってしまった。この店は不思議なことばかりだ、何か質問してみようかな。

「こちらは材料は何か特別なものを使っているのですか?」
「ゼラチンと砂糖を使っていますが、あなたは特別なお客様なので、今日はおもてなしの特別メニューを作りました。現実甘くはないですが、せめて食べ物くらい甘くてもいいと思うのですよね」

 本音を見せないイケメンのお兄さんはスキのない笑顔でほほ笑んだ。きっと私をからかっているのね。そう思うことにした。

「お客様はもしも、あの時……という後悔はございませんか?」
「えぇ、もしも高校入試に落ちていなかったらっていうことはいつも頭をよぎります。あの時合格していれば、もっといい高校生活や未来が待っていたと思うのです」
「もしも、合格していたらという世界を当店はご用意可能ですが」
「どういうことですか?」
「ここは、もしもが体験でき、ねがいがひとつかなうレストランとなっております」
「またまたご冗談を」

 イケメンのおにいさんにからかわれているのだと思い、笑って聞き流そうと思った。しかし、おにいさんは真剣な顔をして、メニュー表を出してきたのだ。ひときわ目を引くドリンクがあった。

「虹色ドリンク?」 
「これを飲むと、過去か未来のもしもの世界が体験できます。実際、虹色程度に人生の道はたくさん広がっています」

「もしもの世界、面白そう」
「もしかしたらこうなったかもしれないというひとつ別の人生を体験できるのです。もしもを体験するならば、ひとつだけ、あなたの記憶を私にください」

「記憶ですか、ひとつくらいあげてもかまいませんよ。おいしいものは大好きです。虹色ドリンク、おいしいですかね?」

 好奇心でドリンクを飲んでみたくなった。無料だし、飲むだけならば、どんな味なのか見た目も気になる。写真に撮って友達に自慢しちゃおう。

「見た目は虹のような色合いです。味についての表現は難しいですね。何かを得るためには、何かを捨てることも必要です」 

 細かいことを気にしない性格なので、無料ドリンクを飲んでみようという気持ちで、頼んでみた。

「いらない記憶はありますか?」
「結構どうでもいい記憶ってあるけど、なくなると困る記憶って何かなぁ?」
「初恋の記憶は必要ですか?」
「そうね、初恋は小学一年生のときだったけど、その人転校して二度とあえなかったし、あげちゃってもいいかな」

 すると魅惑的なおにいさんの微笑みが私の心に突き刺さる。
「初恋の記憶いただきます。虹色ドリンク1杯承りました。素敵なもしもを体験してください」

 すぐに、虹色ドリンクが出てきたのだが、見た目は7色の層になっていて、とてもきれいな色合いだった。色は毒々しくないパステルカラーの色合いだった。カクテルで、2色が2層になっているような感じに近いだろうか。見たことのない魅力的な不思議な色合いだった。1口飲んでみる。

「いただきます」
 その1口目は、何とも言えないこの世のものとは思えない味わいだった。

 甘いのだが、ほどよい果実感があり、飲んだことのない味わいを感じさせるジュースだ。多分、この世界にはない味だろう。でも、大好きになりそうなおいしさがある。

 ひとくち飲むと、少し意識がふんわりする。なんだろう。この感じ……。

 気づくと、高校入試の合格発表当日の朝だった。そんなはずは普通はないのだが、虹色ドリンクの効果だろうか? 実際に自分が体験した高校入試の合格発表の自宅と全く同じだったから、よくわかる。それは、第一希望の共学の高校の発表日だ。第二希望の女子高校に進学することになる、苦い思い出の合格発表の当日だ。これから発表をネットで確認しようとしている時間帯だ。

 いつもと何もかわらない日常がそこにあるが、この後、人生初の不合格という烙印を押された日だ。15歳にして、はじめての他人からの評価。それは、この高校に来ないでくださいという悲しい評価だった。人生の烙印を押されたような気がしていた。それは、失格という名前の烙印だった。それから、その烙印を背負って生きてきた。だから、もしも合格していたら、歓迎を受けていたら価値観、人生、全てがきっと変わると思っていたのだ。

 きっとこの第一志望の進学校でもあり、文武両道をかかげる第一高校で、素敵な彼氏を作って、頭のいい友達に囲まれて過ごしていたはずなのだ。

 そして、発表の瞬間だった。
「合格だって!!」
 一緒に見ていた母親が急いで、父に連絡をはじめた。そして、祖父母や親せきに喜びの報告をしている。まず、この時点で、だいぶ現実と「もしも」の世界は違うようだ。

 喜びに震えた。たとえ夢だとしても、夢にまで見た合格を手に入れたという喜びだ。性格はもっと前向きになれるのだろうか? 明るくなることができるのだろうか? この合格がきっと人生を変えてくれると信じて疑わなかった。

 この世界は早送りができるらしい。気づくと、あっという間に入学式当日で、喉から手が出るほど着てみたかった第一高校の制服を着ていた。憧れのブレザー。憧れのスカート。別人になったみたいに、誇らしげに歩く。通学している女子高校とは全然違う。男子が6割だから、女子よりも多いし、顔面偏差値も高いと評判の第一高校。親も喜ぶ市内一番の進学校だ。私の鼻はだいぶ高くなっていたように思う。女子高だから彼氏ができないけれど、この高校ならばきっと恋愛ができるだろう。どんな素敵な出会いがあるのだろう? 胸を躍らせて入学式に臨んだ。好みの顔立ちの男子生徒も同じクラスにいた。顔はアイドルにいそうな顔立ちだし、スポーツをやっていたらしく、さわやかそうだ。

 友達もできた。でも、ここの生徒はみんな成績優秀な人の集まりなのだ。だから、成績がちょっといいだけの人は成績の底辺になるという事実を知ることになった。会話をしていると、プライドの高い人が多く、お金をかけて、習い事をしてきた人が多かった。家もお金持ちだとか、親の職業は年収のいい開業医だとか、弁護士だとか、会計士だとか、なんとなくみんなが自分のプライドを高く掲げている人ばかりだった。今通学している女子高のほうが、ずっと気楽だった。
 勉強勉強で、ここの毎日は大変だった。地頭がいい天才肌は、勉強をそんなにしなくても、1を聞いて10を知るタイプばかりで、テストの成績は上位だ。しかし、地頭の良くない私のような生徒は、ついていくのに精一杯で、いくら勉強しても上位には程遠い。どんなにがんばっても底辺なのだ。人生は不平等の連続だ。毎日が苦しい。恋愛どころでもなく、親は成績が悪い私に対して、推薦で大学に行くこともできないと焦りをあらわにした。

 自分自身が一番焦っていた。ついていくのが精一杯。赤点ばかり。小テストも周りは100点ばかり。どうしたらいいの? 私って頭が悪いの? 勉強なんて大嫌いだ。大学に行きたくない!! そう思っていた。今の私よりも、辛い毎日だった。

 ♢♢♢

「もしもの世界はいかがでしたか? 必ずしもシンデレラストーリーが待っているわけではないということがおわかりいただけたでしょうか? ただ王子様を待っているだけでは何もはじまらないということです。あなたのねがいは何ですか?」
 お兄さんの声が聞こえた。ゆっくり瞳を開けてみる。ここは先程の不思議なレストラン?

「ひとつお願いがあります。私をここで雇ってください!! 今のほうがいいです。今を否定することって自分から逃げているみたいだから、否定はしません」
 私の必死の懇願にお兄さんは少しびっくりしているみたいな顔をした。そして、にこりとほほ笑む。

「こちらはかまいませんが……」
「ここの味、とっても気に入りました。過去に戻るより、今、何かを成し得たいと思いました」
「面白い方ですね。じゃあ好きな時にボランティアとして手伝いに来てください。うちのメニューを毎回お礼として出しますよ」
 やっぱりお兄さんは優しい。

「僕の名前はアサトです。18歳です」
「あたしの名前はまひる。10歳だよ。よろしくね。ボランティアのおねえさん」
「こちらこそ、よろしくお願いします。時野夢香と申します」
 これからお世話になるであろう2人に深々とお辞儀をした。

「これ、うけとってください。幻のレストランに入るにはこのネックレスの宝石が必要になります。これを持って入りたいと願うとこの店は現れます」
 アサトさんは、自分がつけていた赤い宝石がついたネックレスを私にくれた。高価な品物をもらってもいいのか、少し戸惑う。

「これがないと入ることができないのですか?」
「幻のレストランは、普通の人間は入ろうと思っても見つけることができません。しかし、これがあれば行きたいと思った時に行くことが可能となります」

 この不思議なレストランでお手伝いをすることが決まったのだ。相手の素性も何もわからないというのに。素敵な恋の予感とまだ見ぬ素敵なお客様たちとの未知なる遭遇を感じながら、私は過去を振り返ることなく、新たな一歩を踏み出したのだ。
「ごちそうさまでした!!」
 精一杯のお礼の気持ちを込めてごちそうさまと言って、お店を後にした。


「まひる、あの子は本当は今日、初恋の人と再会する予定があったのに、初恋の記憶を消すなんてもったいないことをしたように思います」

「おにーちゃんってば、夢香に説明しないで、もしもを体験させちゃうなんてさ。ちょっとひどくない? 偶然の再会で初彼氏になるなんて、普通思わないじゃん」

「夢香は僕たちに必要な人だからね。彼氏ができて、彼女がこちらに来てくれなくなると我々が困るんだよ」




 ※【シンデレラのかぼちゃごはんオムライス】
 かぼちゃの甘みと米が絶妙にマッチ。かぼちゃごはんをたまごで包み、透明なゼリー状のソースをかける。ソースに混じる金銀の粉が美しい。
 
「いらっしゃいませ」
 ボランティア1日目、月がきれいな夜だった。
 カランカランという優しい鈴と共にここには不似合いな男が入ってきた。

「ぐひひっ、未来にいくことができるって本当?」

 店に入るとすぐに男はすがるように聞いてきた。猫背で背は低めで、長い前髪で目が隠れた不気味な男だった。身なりも部屋着のまま歩いているようだし、髪の毛をとかしたり整えた形跡は全くなさそうだ。起きたばかりの姿のままここへ来たようだ。

「本当ですよ。未来を体験できます」
「マジか? ぐひひ……ねがいもかなえられるって本当か?」

 若干暗い雰囲気を漂わせる男は髪の毛もぼさぼさしていてやぼったい印象だ。18歳から20歳くらいだろうか、年齢も不詳だ。いちいち「ぐひひ」とかいう謎の声を発するあたりも気味が悪い。

「本当ですよ、代償は記憶の一部ですが」
「ぐひひ、俺氏は作家になりたいんだよね。それで生計を立てたいからさ。未来でヒットしている作品を読んでさ、過去に戻って書けばヒット確実だよな、ぐひひひ……」

 上下黒いジャージだが、どう見ても運動をしているスポーツマンという風貌ではない。部屋着として楽だから着用しているといったオーラ―が出ている。筋トレとは無縁といったやせ細った男の体型を見れば、特殊能力がなくても正直誰にでもわかる。俺氏と自分を呼ぶあたりも変な人だ。

「それ、盗作になりますよね?」

「なりませんよ。事実これから書くのは目の前の男性。未来を見た事実は誰も知りませんし」
 アサトさんは涼しい顔をして答える。

「それじゃあ罪に問われないのですか?」
 確認する。

「もちろん。未来に行って盗作したといったことに関する法律は現在の日本にはないですよね。時空移動したという証拠もないし、そういったことを禁止した法律はないので」

「ずるくないですか?」
 私は楽して名誉を手に入れようというずる賢い男の良心を少しでもよび起こそうと言葉をかける。

「俺氏……ひきこもり予備軍なんだよね。ぐひひ……会社勤めとか人間とのコミュニケーションは絶対無理だし。今、定時制高校の4年生だから来年卒業だし、一発当てて印税生活したいんだよね」
 やっぱりか。そんな感じがする。こういった独り者は友達を作るという願いのほうがいいのではないだろうか、と思ってしまう。

「いいですよ。あなたがそれでいいのならば。ただし、未来の本を持ってくることやコピーやメモも持ち込めませんよ」
 アサトさんは優しく説明する。

「ぐひひ……かまわない、どういった内容かがわかればいいんだよ。じゃあヒット作品を読みに俺氏を未来に飛ばしてちょ!!」
 調子に乗ったひきこもり気味の男が少し明るい表情をみせる。と言っても口元が大きく開き、にやけたということしか確認はできないが。鼻筋は通っていて高めの鼻しか見えないのが不気味さを増殖させる。

「とりあえず何か食べ物を注文しませんか?」
「じゃあ、納豆ごはん、たまごかけで」
「了解です」
「納豆ご飯もあるんですか?」
 私は材料の幅に驚く。普通このような洋風なレストランに納豆はないだろう。
「僕たちの台所は何でも手に入る、そういう便利な空間だから」

 何でも手に入る台所、本当に無敵だ。
 目の前の上機嫌なひきこもり男はどこか不気味な雰囲気だった。暗い性格の中の野望を垣間見せる男はプロの作家になって何をしたいのだろう? 文章で何かを伝えたいのか? はたまた何かを表現したいのか? 社会的地位が欲しいのだろうか? 

 正直割に合わない仕事のような気がする。書くことが苦手な人間にとっては文章を考え出し、面白いストーリーを生み出すことは苦難の業だ。それを好き好んで仕事にしようと思うのは奇特な人種のような気がする。時間を書くことに費やし、それを発表しても誰も認めてくれない、読んでくれないほうが多いのが現実だ。正直目の前の男は見た目も髪型も奇特だ。道端で会ったら、絶対関わりたくないタイプだが、今日はお客様なので笑顔で対応する。

 まひるが心を込めてごはんを器に盛りつける。普通の納豆ご飯がここのレストランの手にかかるとあっという間に美しい料理になる。ごはんのつやがいいのはもちろんだが、生たまごの色と形もよく光っている。納豆も上品に盛り付けられていて、品がいいという一言に尽きる。

「眠り姫の納豆ご飯たまごがけでーす」
 まひるが優しく器を机に置いた。
「いただきっ!! うまそうだな、ぐひひ……。なんで眠り姫なんてネーミング?」
 まるで麺でもたべるかのような音で男はあっという間に平らげた。痩せの大食いとはこのことだろうか。納豆のねばねばが口のまわりについているのだが、男はそんなことも気に留めてもいないようだ。上品な食べ物が一気に下品な分類に変化したのを私は見逃さなかった。

 アサトさんは平等な笑顔で丁寧に説明をする。
「あなたは今まで社会的に眠っていたけれど、これから活躍する人ですよね。ごはんを炊くときに艶出し効果でオリーブオイルを少し加えています。僕は食材にもこだわりを持って栄養価を計算してメニューを考案しています。成功の秘訣は健康ですよ」
「俺氏の境遇を料理にしたってことか、ぐひひ……おもしろいねぇ、ねむりの王子ってか、俺氏、不健康に見られがちだけど、こう見えてめっちゃ健康だし。ぐひひ……」
 自分で王子って言っているけれど、正直王子ではない、と私は冷たい視線を投げかけた。アサトさんは冷ややかな視線を投げかけている私のことはお構いなしに説明を始めた。
「眠り姫の物語ですが、なぜ王子はひとめ見た女性にキスをしたのでしょうか? 眠りから覚めると知っていたのでしょうか? 王子のように、人に惹かれることに理屈はありません。いばらの垣根は朝の光、姫は夜、王子は昼を象徴しています。この場合、あなたが夜ですね。眠り姫のいばらを海藻で表現してみました。そして、たまごは太陽を表し、納豆は眠っている才能、すなわちあなたの秘めた才能を表現しています。あなたの場合、いばらは自分が無意識に張っているパーソナルスペースの壁ではないでしょうか。あなたもいずれ誰かの口づけで目が覚める、そんな朝が来るかもしれませんね」

 正直納豆まみれの唇の本人を目の前に想像すると、口づけのロマンチックさがゼロになってしまう。アサトさん、そんな奴にメルヘンな料理は必要ないし。心の中で突っ込む。

「いらない記憶はありませんか?」
「小学校とか中学校生活の記憶は小説のネタになるから、あげられないなぁ。じゃあ小さい時に俺氏を捨てた親の記憶はいらないな」
「親の記憶はとっておいたほうがいいですよ」
「ぐひひ……思い出すと吐き気がするんだっけ、だからいらない」

 この男になにがあったのかは知る由もないが、きっと嫌なことがありトラウマになったのかもしれない。彼の話し方や奇行もそんな悲しい過去がそうさせているのかもしれない。彼の謎に満ちた生い立ちや不思議な存在感が彼のミステリアスな部分を照らし出すような気がした。一見、ただの根暗男だけれど、きっとそうなったのには原因がある。彼は被害者なのかもしれない。

「虹色ドリンクできましたー、おにいさんにしあわせが訪れますように」

 まひるが明るい声を出し、にこりとほほ笑む。まひるも誰にでも平等な愛想を振りまく。

「これが、虹色ドリンクか、ぐひひ……飲み干してやるぞ」

 男が確認するように笑い気味に低い声を発した。生唾を飲み込み唇をベロで舐めながらコップを丁寧に持つ。コップの持ち方すらも個性的だ。飲むというより、この男の場合まずはベロをコップに入れて舐める。やはり飲み方も変わっている。飲み方がまず特殊だが、とても興味深そうに見つめているまなざしは前髪に隠れて確認することはできない。マナーやしつけを身につけずに大人になったさびしい人なのかもしれないし、奇行に関しては目をつぶろうと思った。

「夢のような味ですね、俺氏、これ飲んで天下取っちゃいますから、ぐひひ……」

 気が弱そうな男だが、この言葉には自信と勝利を確信したような力強さが感じられた。未来の作品を盗作して天下を取ると主張する男は馬鹿としか言いようがないが、証拠があるわけでもなく盗作された作家が気の毒な話だと思われた。男はズズズ―――と不気味な音を立ててドリンクを飲む。ラーメンのスープを飲み干すときのようだ。この男、行動が何もかもが変わっている。たしかに社会生活が容易ではなさそうだし、コミュ力があるとも思い難い。

「ううっ」

 不気味な声を出しながら男は眠りについたようだ。正確に言えば未来の世界に行ってしまったのだ。もちろん未来の世界に居続けることはできないので、戻ってくることにはなるのだが、ねがいは小説家になることなのだろうか。アサトさんが用意したモニターで確認する。男が大手書店をうろうろしている。一見不審者にしか見えないのが変人奇人のこの男だ。

 レストランではモニター越しに彼を見守る。

「ここは、本屋かあ。ケケケ……ベストセラーをまずは見学するぞ、ぐひひっ」
 大きな書店の一番目立つ場所に置いてあるベストセラーの本を手に取った。
「おっ、これは知らない名前だな。ぐははっ、黒羽さなぎと書いてある。今はまだデビューもしていない新人だろうか? まあいいや」

 独り言を言いながら、俺氏はその本を手に取った。その本はどちらかというと俺氏が好きなジャンルで、こういった物語が書きたいと思っているような内容だった。ホラー要素のある頭脳戦を展開する物語は、コミカライズ化、アニメ化、映画化、フィギュア化までしており、幅広い年齢層に好かれている作品ということが表紙に書いてある。ぐはは……作品に興味を持ったので、黒羽さなぎのプロフィールを見てみると本名非公開。新人賞を取り、瞬く間に大ヒット。国民的な小説家になると書かれている。たしかに、さなぎはこれから成虫になるのだから、いいペンネームだな。ぐひひ……そんなことを思い、本を読んでみた。

 異空間に閉じ込められた主人公たちが頭脳戦でそこからの脱出方法を考える。それまでのドキドキの展開とアクションやバトルもみずみずしい文体で描かれている。文字なのに映像で見える、そんな「ぐひひ」な作品だ。「ぐひひ」という意味は俺氏の中では様々な意味で使われる。例えば、感嘆語、擬音語、擬態語、うれしさ、驚きもすべて「ぐひひ」で片づけてしまう。便利な言葉であり、くせになって使っているという理由もある。この超絶ぐひひな物語を舐めるように読む。閉じ込めた組織の解明や対決の様子も後半にはだいぶ面白く練りこまれていた。この作者は頭がいいのだろう。ぐひひという言葉も発せずその本を読みふけっていた。何時間たったのだろうか。集中しすぎて時がたつのを忘れていた。読み終わり、内容を頭にインプットした後、いつのまにか俺氏は先程の不思議なレストランに戻っていた。

「おかえりなさい」
「ぐひひ、めちゃくちゃ面白い作品があってさ。もう少し読んでいたかったんだけどさ」
「盗作できそうですか?」
 ずるいことが嫌いだから、わざといじわるな言い方をしてみる。

「ひととおり読んだし、ストーリーは把握したけど。正直コピーして持ってくるか盗んできたい気持ちになる傑作だったけどな、ぐひひ」
「未来から物を持ち出せない決まりになってましてね」
 アサトさんが念を押す。

「仕方ない、ねがいはベストセラー作家になって成功でいいかな。とりあえず100円置いておくよ、ぐひひ……またくるぜい、ごっちそうさん!!」
 男は不気味に歯を出しながら笑う。歯がやたら白くきれいなので目が見えない顔に白い歯が光り、不気味さが漂う。男はスキップ気味な足取りで帰宅した。ため息が出た。

「お待ちしておりますよ。あなたは福の神の能力を持っているようですね。商売繁盛の神オーラがあふれていますよ」
「そうか、じゃあ、また来たいときは電波送るからさ、食べにくるよ……ぐひひ」

 不気味な微笑みで店を去る男。電波を出す発言も不思議だ。電波なんて出せるのだろうか? そもそもここは石がないと普通の人は入れないし、アサトさんに選ばれないと来ることなんてできない。

「アサトさんあの人、いいんですか? 簡単にベストセラー作家になるなんて世の中舐めすぎです。ありえないですよ」
「彼は本当に才能のある男ですよ。もし、才能がなければ、1発屋で終わるだろうけれど、彼は終わらないだろうね」
「なんでそんなことが言えるのですか?」
「彼の才能は本物さ。彼が見てきた未来は自分の作品なのだから」
「もしかして黒羽さなぎって今の不気味な男?」

「そう、本名は黒羽なぎさ。彼は文才もひらめきも時代を先取りするセンスも持ち合わせているますよ。もし、本当に他人の作品を盗むとしてもあの短時間で読んだくらいでは人気作は書けないだろうしね。表現力文章能力がなければ読者はついてこないでしょう。仮に盗作された作家がいたとしよう。その人の実力が本物ならばもっといい作品を何作だって書くことができるでしょう」

「あの人、見た目は気持ち悪いけど、将来性はあるんですよね。人は見た目で判断してはいけないとはこのことですか」
「それに、彼は実写映画で主演した女優と結婚するんですよね」
「そんなことまでわかるんですか?」
「彼、前髪あげると男前なのです。奇才だから変人気味なのかもしれないけど、才能に惚れる女性って割といますよね。嫌な親の記憶を捨てたことで結婚へのふんぎりがつくのかもしれません。我々は幸せのお手伝いをしているだけなので」

 アサトさんがモニターを指さす。風に吹かれておでこ全開の男は、たしかに男前だった。切れ長な瞳の鼻筋が通った端正な顔立ちだ。くまがあり、顔色も色白で顔色がいいとは言い難いが、それはそれで守りたくなる存在になるのかもしれない。日陰男は近いうちにさなぎから成虫になり光を浴びることになる。これは決定している事実なのだ。

 未来のベストセラー作家はぐひひという言葉を端々で発する目を隠した猫背ジャージ男だった。ある意味奇才という点ではあの奇行は納得できなくもない、変に納得してしまった。人はどこに惚れるかわからないものだ、変な悟りを開いてしまった。そして、男が本物ならば近いうちにその名が耳に入ることとなるだろう。今はまだ、彼は原石なのだ。

 ※【眠り姫の納豆ご飯】
 ごはん、納豆、生卵、海藻。炊飯時にオリーブオイルを少々混ぜて艶をだす。
 最近売れっ子の若手美人女優の「姫野美雪」がやってきた。若干20歳のアイドル上がりの女優だ。芸能人に接するのは初めてだ。こんなに何不自由なさそうな女性でも悩むのだろうか。順風満帆に思えたメディア越しに見た様子とは違うようだ。本当はサインや握手を求めたいところだが、そんなことをしたら接客業失格のような気がして、気が付かないふりをする。実際街中で有名人にあっても気づかないふりをするパターンはわりとありそうだ。子供の学校の保護者に有名人がいたとしてもきっとみんな本人の前で騒ぎ立てないだろう。本人も黄色い声をかけられるよりは、みてみぬふりをされるほうがいいのだろう。

「過去に戻ったり未来を見ることができるって本当?」
 女優が話しかけてきた。テレビでしか見たことがない人が目の前にいて、話していることに私は緊張していた。テレビで見るよりきれいと聞くが、実際その通りだ。

「本当ですよ」
 アサトさんはどんな相手にも対応を変えない。神対応のスペシャリストだ。

「でも、普通はタイムトラベルなんて無理ですよね」
「ここのレストランは普通じゃないので」
「そうですか、少し怖いですが、未来を見たいのです。ねがいはかないますか?」
「ねがいがあるのですか? 未来を見てねがいをかなえる代償は記憶の一部をひとついただくことになります」
「理想の男性に出会ってみたいのです。私、人を好きになる自信がないのです。以前嫌な経験をしてから、なかなか私がイメージする男性に出会えないのです。記憶ならば必要がないものを差し上げます」

 出会えない、それは女優ゆえの高望みのような気がした。どう見てもモテそうだし、出会いもあるだろう。それなのに、好きになれないなんて、一般的な彼氏を求める出会いのないモテない女子からはブーイングの嵐だろう。

「ちゃんと恋人ができて、結婚しているのかどうか知りたくて」

 あんたさえ妥協しなければ、結婚したい男山ほどいると思うのに。私の心の声は鋭い。鋭利な刃物だ。

「あなた、美人なのに、どうしてそんな心配をするんですか?」
 耐えかねて思いをぶつけてしまった。

「正直私の外見ばかり見て内面を見ない人ばかりです。顔目当ての男性も多くて、男性不振なのです。人間として魅力あふれる人に出会えないかもしれないから独身かもしれないし。女優の仕事も辞めたいと思っています」

 つい私は、女優と対等に対話してしまった。なんて贅沢な人なのだろうと一般女子代表で説教したくなってしまったのだ。女優になりたい人がごまんといるのになぜ辞めたいのだろう、やはり贅沢な女なのだ。

「その美貌なら言い寄ってくる人の中に良い人だっているはずですよ」
「私は狭い世界しか知らない鳥かごの鳥です。そんな私は普通の人と出会うことは確率が低いのです」

 自分で鳥かごの鳥といっているあたり、苦手なタイプだ。
「理想が高すぎるのかもしれませんよ」
 核心を突く。

「そうですね、私結構理想は高いので」
 ほら、やっぱり理想が高すぎるのだろう。この女優はわがままなのだ。

「お食事はどうしますか?」
 アサトさんがタイミングを見計らって注文を取る。

「おなかすいたので、がっつりで」
 意外なことを言う。

「ラーメンなんかいかがですか?」
 ラーメンがあることに私は驚く。ここはレストランというより何でも屋食堂と言ったほうがいいだろう。

「ラーメンが食べたかったの。食事制限があって、あまりがっつりしたものは食べられなかったので」
「じゃああっさりとりんごラーメンはいかがですか? ヘルシーで低カロリーな一品ですよ」
「じゃあおまかせします、100円で何でもありなんですね」

 女優はとてもうれしそうに微笑む。やはり美しい。
「このラーメン、りんごの果汁を練りこんだ麺に醤油スープをベースにして、りんご果汁が入っています。本物のりんごが上にのっています」
「名付けて白雪姫のりんごラーメン。これを食べると病みつきになってしまう恐ろしい一品ですよ。毒入りではないですが、中毒性があるので気を付けてください」
「まぁ面白い、いただくわ」

 この女優さんは顔に似合わずチャレンジャーで珍味好きな変わり者なのかもしれない。私が感じたその予感は当たることになるのだが――
 
「白雪姫のりんごラーメンですよ」
「面白い!! こんな素敵なラーメンに出会えるなんて。いただきます」

 それは、ここでしか食べられそうもない一品で、りんごを切ったものが上に乗っている。冷やし中華で言う、すいかが乗っているような感じだ。たしかに冷やし中華の上のすいかは中華に合う。ラーメンの麺の中にりんご果汁が入っているとはなんと手が込んでいるのだろう。そのさっぱり感があっさりとした味わいを醸し出すのかもしれない。

「ベースは醤油なのね。一見、合いそうもないりんごとラーメンという組み合わせが素敵だわね」
「一見合わないと思われるものでも、相性がばっちりというパターンもあるので」

 まひるが心を込めて作ったドリンクが出来上がったようだ。
「虹色ドリンクできましたー」
 まひるが小さな体でコップを運ぶ。
「きれいなドリンクね。本当に虹色。見たこともない色合いだわ。私、一度だけ好きになった人がいるの。でもね、その人暴力的で怖い思い出しかないの。白雪姫は一度死んでも王子様が助けてくれたでしょ」

 あんなに美人なのに好きになった人に暴力を振るわれるなんて、美人だから幸せとは限らないのかもしれない。意外と豪快に虹色のジュースを一気飲みをする女優姫野。人は見た目だけではわからない。繊細そうに見えて実は豪快だったり、神経質そうに見えて実は鈍感だったりするのかもしれない。人の奥深さを知ったと思った。

「ドリンクおいしいですね~」
 そう言うと、ドリンクがなくなるころに美人は眠りに落ちた。
 私たちはモニターで彼女のタイムトラベルを見守る。

 本当にタイムトラベルしたのだろうか? ここは撮影場所かな? たくさんのスタッフが忙しそうに働くスタジオには大道具がたくさん置かれている。女優姫野は1人の独特な雰囲気の男性に目を奪われた。

「あの素敵な男性は?」
 近くにいたスタッフに聞いてみる。
「あの方は、映画の原作者の小説家の先生ですよ」

 そこにいたのは、奇才と思われる不気味な男だった。背は低めで猫背で目が前髪に隠れて見えない顔。上下黒いジャージの風貌はある意味とても目立っていて異彩を放っている。老けているのか若いのかも顔が良く見えずわからない。この人が原作者?

「はじめまして」
 少し警戒しながら原作者にあいさつをする姫野。

「ぐひひ……原作者の黒羽さなぎだ」
 不気味な黒羽は白い歯をきらっとさせながら猫背気味の姿勢で語り掛ける。座り方も個性的な黒羽は自分の世界に入っているようだった。
「私、女優の姫野美雪です」
「あっ、そう」
 興味なさそうに男は台本を読み始めた。そう言った反応は姫野には新鮮だった。みんながちやほやしてくることに疲れていた。握手を求められサインを求められるそういったことが日常茶飯事の女優にとって関心を持たれないということがドキドキするきっかけになったのかもしれない。きっかけなんて些細なことだ。

 よく見ると猫背気味の暗そうな男は意外と若く、前髪は隠れているが、澄んだ瞳がちらりと見えた。そんな不思議なオーラにひとめぼれしたのだった。俳優やアイドルにはいないタイプ。ましてや芸能業界やテレビスタッフにもいない、自分を貫く職人気質な男。姫野は萌えていた。萌えるという意味もよく知らないが、きっとこういった胸キュンをいうのかもしれないと心のどこかで感じていた。ひとめぼれした姫野は黒羽を熱いまなざしでみつめていた。

「ぐひ? 何か用?」
 黒羽が熱い視線に気づいたのか、姫野を見る。相変わらず話し方が個性的だ。ズボンのポケットに手を突っ込んで前かがみな姿勢で椅子に座る姿は独特だった。
「あの……黒羽先生みたいな人、私はじめてです。先生ともっとお話がしてみたいのですが」
「映画のこと? 俺氏も映画ってはじめてだからさ。まぁ世界観を損なわなければ基本OKだけどねぇ、ぐひひ?」

 相変わらずこの男の擬音語が良くわからない。ぐひひの場所ってそこで使わないだろうと突っ込みを入れたくなる。しかも疑問形。でも、この人の話し方は心をわしづかみにした。

「連絡先です。具体的に指示してください」
 自分から連絡先を渡す。普通の男ならば、ましてや初のヒット作となった新人作家ならば普段絶対にない素敵な出会いに心を躍らせることは間違いない。
「ぐひひ、俺氏友達いないからさ、連絡先の登録の仕方もわからないし、コレ返すわ」

 面倒でも調べて女優の連絡先を登録するのが普通の男だろう。それを顔も見ずに返す男は鬼対応とでも言おうか。失礼にもほどがある。

「私が登録しますからそのスマホ貸してください」
「このスマホ、仕事で使うから買ったけど、全然使いこなせないんだよね、ぐひひ」
 普通の女性ならばホラー風な歯だけが妙に白く光っている男に近寄ろうとはしないだろう。しかし、姫野は普通ではなかったのだ。

「先生のスマホに私の番号登録しました。先生の番号も確認したので、私から連絡します」
 塩対応というか、どうでもいいような対応をされた姫野は意地になっていたのかもしれない。そして、黒羽の禁断の前髪をつかんで目を見つめた。彼の瞳は切れ長で美しい。睨み付ける鋭い眼球に心を奪われる。
普通出会ったばかりの原作者である男に普通はしない大胆な行動だろう。黒羽は自分の領域に人を極力入れない主義なので、パーソナルスペースに入ってきたこの女優を非常に警戒していたように思う。普通ならば黒羽という不審者を女優が警戒するのであろうが。

「先生、私、もっとお話ししたいから電話します」
「ぐはぁ? 話すなら今でいいでしょ」
 やっぱりぐはぁの使い方も変だが、この男が使うと普通に感じるのが妙な話なのだが。
「先生の顔立ち、素敵ですね」
 そういうと、姫野はストレートに
「ひとめぼれしました」
 と耳元でささやいた。

普通の男ならば、もっと舞い上がったり顔が赤くなったりするものだが、黒羽は反応がない。彼は幼少時から日かげの世界にいて、異性などと接したこともなく友達もいない男だ。人として何かが欠けているからなのかもしれないし、変人だからなのかもしれないが、黒羽は悪寒を感じているようだった。上下ジャージでぼさぼさ頭の男だ。身なりは気にしていないのだろう。そして、その悪寒は的中し、毎日姫野は連絡をして、撮影に黒羽が来れば、めちゃくちゃ話しかける。自宅まで突き止めて遊びに行くが、煙たがられるそんな状態だった。女優姫野はお高く留まるどころか、ストーカー女のように思いを寄せていた。意外過ぎる事実だった。

 ♢♢♢

「あれ? ここは……?」
「おかえりなさい。ここは幻のレストランですよ。未来はいかがでしたか?」
「衝撃でした。めちゃくちゃいい男に出会ったんですよ」
「あの、個性的な作家さんですか?」
 モニターで様子を見ていた夢香は、確認してみる。言葉を遮るように、姫野は熱弁する。
「クールな作家です。少し影はあるけれど職人気質なタイプで……ひとめぼれです」
 クール? 暗いの間違いでは……?
「理想高いんですよね?」
 確認する。

「私、彼みたいな人に出会えるならばこの仕事もう少しがんばります。芸能界に疲れていて、引退したいとか辞めたいとかばかり考えていました」
「もったいないですよ、演技力もあるし、かわいいのに」
「私は有名になったと思っていましたが、彼は私のことを知らないし、私に興味もないんです。そんなツンデレな彼に会うべくもう少し頑張ります。この仕事をしていなければ絶対にあんな素敵な男性に会えないのだから」
「はぁ……」

 あの得体のしれない不気味男がツンデレなのかも謎だが、女優の趣味が個性的なのだろう。ため息が漏れる。

「私、ねがいが決まりました。あの人の恋人になって結婚したいです」
「白雪姫のように幸せになってくださいね。ねがいがかなうようにしておきましたよ」

 瞬時にアサトさんが魔法をかけたらしい。やっぱりアサトさんはすごい人だ。

「ありがとうございます。素敵なラーメンごちそうさま」

 女優姫野はこれから仕事があるらしくつかの間の休息を楽しんで店を出た。


 ♢♢♢

「アサトさん、姫野さんならねがいをかなえなくてもうまくいったのではないでしょうか? だって相手はあの不気味な黒羽ですよ」
 畳みかけるようにアサトさんに詰め寄る。

「もし、ここでねがいをかなえられなければ姫野さんは失恋していましたね」
「あのキモイ男が美しい女優を振ったのですか?」
「黒羽は人が嫌いなのです。だから執拗に近寄る彼女に警戒して断るところでしたが、彼女のねがいによって、黒羽ははじめて人に心を開くのでしょう。一見釣り合いが取れそうもない二人が実は相性がいいということは先程のりんごラーメンで実証済みですよ」
「でも、ねがいって本当にかなうのですか? 未来のことなんてわからないじゃないですか?」
「ここでのねがいはかないますよ、確実にね。姫野さんはDVの記憶を消すことによって純粋な気持ちで人を愛することができる。私は黒羽さんにとって良い結果になったと思います。一生一人よりは誰かに愛されていたほうが幸せだと思いますし、幸せをつかむきっかけを与えられたのだから」

 魔法使いアサトさんは夢香にとっての王子様なのだが、女優の姫野にとっての王子様はあの猫背の不気味な黒羽なのだろう。でも、才能がある人に惹かれるのはわかるし、意外と何かがかっこよかったりするとそれが惚れる行為につながるのかもしれない。

人の趣味嗜好なんて誰にもわからない。本人だっていつ誰を好きになるのかなんてわからないのだから。好きになろうと思って好きになるものではないのが人の心なのだ。


 ※【りんごラーメン】
 りんごの果汁を麺に入れ、本物のりんごをトッピング。りんご果汁が入っている醤油をベースにしたラーメン。あっさりした味わい。中毒性あり。
「おひさしぶりでーす」
 女性の元気な声が店内に響く。久々の来店、女性の方は二回目の来店だ。印象深い二人なので記憶に残るお客様だ。一人は人気女優の姫野美雪、もう一人は常連客となってしまった人気作家の黒羽さなぎだ。

「今日はおそろいでお越しですか?」
「はじめてのデートはここで、と思ってこの店探していたんですよ」

 美人女優は以前よりも生き生きしていた。実際、さらに売れっ子になってテレビで見かけない日はないくらいCMにも複数出ているし、ドラマでは高視聴率をたたき出し、映画でも主演を務めるなど活躍は幅広い。

 でも、横にいる黒羽という不気味な雰囲気の男はまだまだ世間的には認知度は低く、ウェブ小説で拾い上げされ書籍化の打診がきたという程度にしかまだ時間は流れていなかった。少々未来が変わっており、新人賞ではなくウェブ小説での拾い上げということがまず違う。未来は虹色程度には果てしなくパターンがあるという話の通りになった。見た未来が全てではない。しかし、二人の願いはかないつつある。

 女優、姫野美雪はどこで黒羽と知り合ったのだろう。まだ映画化されるまでには至っていないはずだ。姫野は明るく楽しそうだが、横にいる暗そうな雰囲気と不気味さしか醸し出していない男は迷惑そうな感じで、どう見ても楽しそうではない。しかも、二人が並ぶと外見的には釣り合いが取れそうにない。黒羽は相変わらずの上下黒ジャージといういでたちにぼさぼさの髪の毛、目は前髪に隠れていて全く見えない。猫背姿勢も変わらずだ。黒羽は背が低い上、猫背なのでハイヒールを履いた姫野と並ぶと同じくらいかもしれない。いや、姫野よりも黒羽は小さく見える。

「いらっしゃいませ。今日は二人でのご来店ですね」
「ぐひひ……どうも。おかげで夢はかなったけれど、この女が付きまとう未来は知らなかったし、迷惑っすね、ケケケ……」
 相変わらずのくせのあるしゃべり方をする黒羽。白い歯が光る。
「あの日、未来で読んだ本、未来の俺氏の作品だろ、ぐひひ……」
「気づいていましたか?」
 アサトはいつもどおりの涼しい顔だ。

「ぐひひ……俺氏の本名って黒羽っていうんだよ。本名は「なぎさ」なんだ。なぎさを並び替えれば「さなぎ」、これは以前から考えていたペンネームだし。ケケケ……頭脳戦な生き残りの話も考えていたんだよねぇ。未来の世界で見かけてさあ、これ、俺氏の作品だってテンション上がったよ」
「じゃあ未来を見て、確信したのですね、自分には才能があるって」
「ぐはは……まぁ、才能はあるっちゃあると思ってたさ。でも、それってうぬぼれとかよくある勘違いってやつかもしれないしね。あんたらのおかげで自信が持てたよ、ぐひひ……」

 薄ら笑いを浮かべながら猫背気味で椅子に腰かける男は、目が髪に隠れたままで、髪の毛を整えることもしない、見た目なんてどうでもいいという雰囲気全開で初デートに来たようだ。

「デートですか、おめでとうございます」

 それを聞いて、女優の姫野が残念顔をする。
「デートっていうより、無理やり連れてきたというのが正解なのよね。映画化されるまでは数年かかるだろうし、少しでもこの世界のどこかにいる彼に早く会いたくて、ネットで黒羽さなぎって検索したらさ、ウェブサイトで小説書いていたんだよね。だから、毎日彼にメッセージを送って会いたいと口説いているの。口説いているのは現在進行形。今日は編集部に用事があるっていうので外出するのを見計らって待ち伏せしただけなんだから」

「ぐひひ……この人、まじで怖いし……自宅も特定されるし」
 悪寒を感じるしぐさをする黒羽の言うこともわからなくもない。普通はストーカーな女に付きまとわれたら迷惑だろう。しかし、相手は名の知れた美人女優だ。

「私、毎日彼にメッセージを送っているのですが、鬼対応なんですよね」
「ケケケ……この人、ドン引きするくらい怖い女っす」
「有名女優だということも知らなかったの?」

 まひるがあきれながら質問した。

「ぐひひ……俺氏、あんまりテレビとか見ないし、芸能人わかんないっつーか、この人本当に有名人か? ケケケ……」
「この人、普通の男ならば会えただけで泣いて喜ぶレベルの有名人よ。好かれているんだから少しは彼女に関心持ちなさい」

 まひるが彼女がいかに有名ですごい人なのかを説明する。本当に黒羽にはもったいない女だ。豚に真珠、馬に念仏とはこのことだ。

「黒羽さんもこのレストラン来たことあるの?」
 姫野が意外な顔をする。
「ケケケ……常連客だし」
「常連客? 私は二回目なの。ここで未来に行ってあなたに会って一目惚れしたっていう流れなんだけど」
「ぐはっ? どんな流れだよ。俺氏、人間に興味ねーし」
「私が黒羽さんに興味あるんだから、二人でこの店に来たかったの。黒羽さんを知るきっかけになった店なんだから」
「姫野さんがここに来たいと念を送ってくれたので、今日は招待しました。無料でごちそうしますよ」
「ぐははっ!! ここの料理超うめーからな。今日の気分はお茶漬けだ。お茶漬けを出しておくれぃ!!!」

 食欲だけは人一倍ある黒羽はさっそくお茶漬けを催促する。黒羽が食べたい食事は基本、家でも食べることができるメニューが多い。黒羽は食べ物に関しては大食いで雑食系なので基本何でも食べる。好き嫌いがないことがこの男の自慢かもしれない。しかし、人間に対しては絶食系らしく、ヒトに興味がない。重大な欠陥を持ち合わせた奇才だ。

「私も同じお茶漬けを。生の黒羽様に会えてうれしゅうございます」
 この女優は本当に変わった性格であり変わった感覚を持ち合わせているようだ。不気味な奇才にはこの手の風変わりな女性がお似合いなのかもしれない。

「今日は幸せ茶漬けでも作りましょうか?」

「幸せ茶漬けかぁ? ぐひひ、初めての一品だ。どんな味だろ……ぐひひ」
「黒羽さん、あなたは能力者ですよね。記憶力が普通ではない。確かに過去に戻って読んだのは黒羽さん自身の作品ですが、全部の文章を記憶していましたね。その時に、記憶能力が特殊で、頭の回転が速い方だということに気づきました。いつか僕たちが困ったときにあなたの能力が必要になるかもしれません。その時は助けてください」

「ぐひひ、コミュ力ない分そういった能力には優れているんだな。うまいもんが食えるならば、手伝ってもいいしな、ぐはっ」
「そんな知的でハイスペックな黒羽様も好きです」
 そう言うと、黒羽の腕に自分の腕を絡めてくっつこうとする。

「ぐっおいっ、俺氏の領域、パーソナルスペースに入るなって」
 黒羽が本気で嫌がるが、美雪は全く離れる気配がない。美人女優はさっきから黒羽に告白しかしていない。むしろ本当にこの人はあの有名美人女優なのだろうか。惚れた弱みなのだろうか。黒羽に弱みでも握られているのではないかと一般的には心配になる案件だ。

「幸せ茶漬けができあがりましたよ」
 二人の目の前に夫婦茶碗が並べられた。何かの儀式のようだ。そこには、つやつやした米粒が食べてほしいといわんばかりに二人を魅了する。そこには梅干しとシャケと海苔が入っていた。だしの香りが部屋に漂う。

「ぐひひ、いただくぞいっ。腹が減ったぞい」
 といってまっさきに箸をわしづかみにしながら懸命に食を欲する男が黒羽だ。その食べっぷりは豪快で胃に流し込むかの如くすすりながらまるでスープでも飲むかのような勢いでお茶漬けを食す。ズズズという音を立てた食べ方は正直上品な食べ方ではないが、見ているほうは食欲が増す食べ方でもあった。とても豪快においしそうに食べる黒羽はお腹が空いていたのだろう、飢えていたのだろうということが容易に想像可能な食べ方だった。無言で食べる黒羽。

「梅干しにシャケ、二つともしょっぱいのに二つともしょっぱすぎない味付けが絶妙ですね」
 姫野が食レポしているような絶賛をする。仕事で食レポの機会もあるのかもしれない。

「これは、程よく減塩しています。しょっぱすぎないように加減して味付けしているので」
「何事もほどよくがいいのですね」

「実はこれはお二人をあらわしています。海苔は二人の間にある壁です。梅干しは天才黒羽氏、シャケは人魚姫のように一途に愛を貫く姫野さん。姫野さんは相手のしょっぱさを引き立てるためにあっさりした味を出す。姫野さんをみていると全てをなげうってでも傍にいたいと願う人魚姫のストーリーを思い出します。人魚姫は声を失ってもいいからと人間になりたいとねがいましたよね」

 あっという間に黒羽の少し大きめの茶碗には米粒ひとつなく完食されていた。お茶漬けもこんなにも、ぺろりとたいあげられて幸せにちがいない。
「ごちそーさま、ケケケ」

「黒羽さん、私、あなたのために毎日ご飯をつくりますので、会いに行ってもいいですか?」
「ぐひひ? ごはん? おまえ料理うまいのか?」

 本当に小説家なのだろうか? 日本語が片言だ。黒羽は変人で変わり者だ。変人イコール変わり者だから、2回も言う必要はなかったが、2回も言いたくなるほど変な人だということだ。黒羽は人間には興味がないが、食欲だけは人の10倍くらい欲深い男だった。その男に、毎日おいしいものを作ってあげるという口実はまさに餌づけにはもってこいのセリフだ。まさに動物をおびき寄せる餌作戦だ。

「私、料理は得意なんです、そのかわり、好きな時に会いに行きますよ」
「ぐはっ? 俺氏の領域にこいつが入るっていうのは気に食わないが、うまい飯にありつけるのならば、背に腹はかえられぬ、ぐひひ」

 何かを覚悟した変人人嫌いの黒羽は食欲には勝てないようだった。人間嫌いよりもおいしいご飯のほうが彼の中で勝利したようだった。

「女優さんだから忙しいでしょ? 無理することないわよ、こんな奴のために」
 相変わらずの毒舌まひる。

「今後は仕事のペースも落とすつもりだし、私は彼に人生を捧げてもかまいません」
「でも、こいつがとんでもなく嫌な奴だったら人生棒に振るわよ」
「私が選んだ道だから後悔はしません」

 美人女優の顔はすがすがしく、まるでドラマのワンシーンのようであった。

「深夜にもお腹に優しいお茶漬けは心と胃をあたためてくれますよ。きっとお二人はうまくいくと思いますよ」

 アサトは笑顔でほほえましく二人を見つめる。月が二人を照らし出す。そんな夜も悪くない。

 ※【お茶漬け】
 ごはん、梅干し、しゃけ、のり、だし汁が食欲を誘う。程よい塩加減がお茶漬け全体のおいしさの秘密。

作品を評価しよう!

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:3

この作品の感想を3つまで選択できます。

この作家の他の作品

一日という時間を君と

総文字数/10,126

現代ファンタジー1ページ

本棚に入れる
表紙を見る
最高の生死

総文字数/9,677

ヒューマンドラマ1ページ

本棚に入れる
表紙を見る
君と痛みを分かち合いたい

総文字数/20,450

現代ファンタジー2ページ

本棚に入れる
表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア