私の心が奪われてから二度目の桜が散った日、先輩が進学した高校を知った。そこを迷わず第一志望にした。理由は好きな人がいるから。恋だって、立派な動機だ。
 加えてそこは吹奏楽の強豪校らしい。また一緒にトロンボーンが吹けるかもしれない。またあの旋律が聞けるかもしれない。私の心は最大級に踊っていた。

 かつて教わった基礎と三年間の努力とあの人への想いを駆使して臨んだ、吹奏楽推薦受験で無事に合格することが出来た。受験で吹いた曲は勿論『トロンボーン協奏曲 変ロ長調』だ。

 春風が頬を撫でる。慣れない制服を纏った身体は信じられないくらい軽かった。髪を耳にかけて、スキップで駆けていく。あの輝かしい太陽のもとへ。

 『吹奏楽部』という名札を付けた人から渡された案内表に従い、校内を巡る。かなり大規模なここの吹奏楽部では、部活見学と仮入部を兼ねて多くの教室を楽器ごとに割り振っているらしい。
 私は中学の頃を思い出していた。人波に押され、辿り着いた日向。今思えば、あれは運命だったに違いない。あの時体育館に入っていなかったら。声を掛けられていなかったら。仮入部をしていなかったら。どれか一つでも欠けていたら、咲かなかった恋の花。高校では、この花を先輩に渡せるといいな。

 弾んだ空気に囲まれて、宙に浮いた心を抑えるように息を吸った瞬間、まっすぐすぎる音の羅列が私の耳に飛び込んだ。ひこうき雲のような清々しさに身体が熱くなる。頭でそれを認識する頃には、足はもう動いていた。
 導かれるままに辿り着いた教室。乱れる呼吸を整えて、重いドアをゆっくりと引いた。開いた窓から風が吹き抜けた。顔にかかった髪の隙間。誰かと目が合った。窓際にもたれる男子生徒。トロンボーンを手に、こちらを見て固まるその瞳は相変わらず大きかった。

「ふ、古谷…?」

 すっかり大人っぽくなった声を聞くのは卒業式ぶりだった。久々に見る彼は、少し変わっていた。若干の寝ぐせは変わらずとも、襟足が以前より長い気がする。露出した耳には、小さなピアスが光っていた。髪はこんなに茶色だったかな。
 それでも見覚えのある楽器ケースと髪をそっと撫でる仕草は、目の前の人物が想い続けた高柳日和先輩であることの何よりの証拠だった。

「貴方を追いかけて来ちゃいました!!」

 ずっと言いたかった言葉を学校中に響く声で叫んだ。それだけ想いは強いのだから。
 外見がどうであろうと、彼の中身は何も変わっていなかった。私だと認識するや否や、部活の説明を聞いてもないのに話し始めた。まだ高校でも吹奏楽部に入るとは一言も言っていないけど、なんて捻くれたことを言うのはやめた。変わらない強引さも愛くるしい。

 高校での日和先輩は、驚くほどに注目されていた。端的に言えば、モテていた。現に私も校舎裏に呼び出されているのを何度も目撃したことがある。
 別に昔から想っているから偉いとか強いとか、そんなことはない。と思う。事実として、気持ちを伝える勇気が未だに出ない私より、頑張って本人に全力を注いだ人の方が何倍も立派に決まっている。
 けれど先輩は今まで誰にも首を縦に振ったことはないそうだ。私にはその理由が分からなかった。