どこにいても、何をしていても、いつもどこか息苦しい――こんな自分のことが大嫌いだ



長い髪がなびく。

髪をなびかせるその風は冷たく、そろそろ冬であることを感じさせられた。


「さむっ。」


耐えきれず口に出すと足早に家に向かう。


見慣れた景色。


いつも同じ場所ですれ違うすれ違う会社帰りのサラリーマン、楽しそうに笑う親と小さな子供。



この毎日変わらない日々が凄くつまらない。



そんな普段の景色の一端に橋の上から海を眺める彫刻のように美しい少年の姿が映り込んでくる。


人口の少ない田舎にしては珍しく見慣れない彼の姿は遠くから見てもわかるほどに整った顔立ちをしており、そんな彼に対して夕日がスポットライトのようにあたるその様子が、わたしの奪う。


「綺麗な人」


そう思ってからしばらく寒さを忘れるほど、彼をずっと眺めていた。


初めは素直にそう思えていたが、ほんの数分後は、違っていた。 


こんなにきれいな人は私みたいな凡人、いや、それ以下の人間のことなんかなにも思っていないんだろうな。

とか、

なにも苦労しないでここまでも、これからもこの人は生きていくことが出来るのかと、そんなどろどろとしたくらい気持ちが私の心を覆った。


これは私の悪い癖だった。


しかし、全てが希望に包まれていそうな彼は、上を向くことはなかった。


首がいたくなるくらい長い間下を向き、
跳ねる魚、激しく音をたてて流れる川、釣り道具の片付けをしている数人の人、という自分的にはなんの面白味もないものを眺めていた。


何をしているんだろう。


不思議に思っていると、夕日が沈んでいること、時間が想像以上に経っていたことに気づいた。


「なにしてんだろ、私。帰ろ。」


と思い目を背けようとした




その時ーー




彼が、橋の柵を越えようと手を掛け力を込めていたーー


ように見えた。


確認なんてしている暇はなかった。


考えていると間に合わないかもしれない。


自分の勘違いかもしれない。


そんなことは関係ない。


だってもし、もし見間違いじゃなかったら…


なんで私がいるときこんなことが起きなければならないのか。


なんで自分ばかりこんな思いをしなければならないのだろうか。


このタイミングでも自分のことばかり考えてしまう自分に苛立ちを覚えつつも、体はその姿が視界に入った瞬間に動き出していた。


一刻も早く動きたかった。


邪魔なカバンを投げ捨てる。


自分は運動が得意ではない。


すぐに息は切れシャトルラン50回目のときの荒い浅い酸素の回らない呼吸へと変わ


私は体力のなさを強く恨んだ。


正直もう足を止めたかった。


でも、そんな気持ちに反し足は動き続ける。


「止まるな、止まったら、、駄目だ、絶対に、、一生後悔するから、、」


息を切らしながら何度も唱え折れそうな気持ちを鼓舞する。


「もぅ、、少し、、」


彼のそばに着く。


もう、何も分からなかった。


そんな中、彼の手をつかみ柵の内側に引っ張り込んだ。


「間に、、合った、、良かった、、」


まともに言葉がでない。


安堵からかその場に倒れ込んだ。


ぼやける視界の中、彼の驚いたような表情が見える。


しかし、すぐに彼は慌てる様子を見せ、走って何処かへ行ってしまう。


ふわふわする頭で、勘違いだったのか、止めるべきではなかったかもしれないといろいろ考えていると、遠くから誰かが走ってくる音が聞こえる。


まだはっきりしない意識の中で上を見ると彼がペットボトルを差し出し、横には自分のカバンが置いてあった。


少したつと、視界、音、思考、呼吸。


だんだんともとに戻るのを感じた。


それから喉の乾きに気付き彼から引ったくるように水を奪い浴びるように飲む。


疲れた体に冷たい水が染み渡る。


彼はずっと側で私のことを見ていた。


少し恥じらいを感じ顔を背ける。


近くでみる彼から、先ほどと違う印象を受けた。


先ほど水を買うために走り少々息が乱れ首筋に数滴汗を浮かべているところ、遠くから見る上でわからなかった目が今はよく見える。


遠目で見たときは明るいイメージをもっていたが、現実では黒く深い海の底のような目をしていた。


輝きなんて、明るさなんてお世辞にも一つもなかったし、感じられなかった。


冷静に考えると川に飛び降りようとしている人が輝かしい目、希望に満ちた顔をしていてもおかしな話だなと思いつつ彼が命を断とうとしていたのではないかという自らの予想が当たっていたこと、その上で、落ちることを阻止することができたことに安堵の息溢す。


それから、水を恵んでもらったこと、カバンをもってきてくれたことへの感謝を伝えていなかったことを思い出した。


「お水とカバンありがとうございました。」


「いえいえ」


軽い微笑みとともに彼は答えた。話すこと葉が浮かばず、車の音や木々の葉の擦れる音のみが響く気まずい沈黙がしばらく続く。



「あの、手、強く引っ張っちゃったんですけど。いたくなかったですか?痣とか、、なってないですか?」



「初めは痛かったですけどもう大丈夫です。心配ありがとうございます」


「あまりみない顔ですけど最近越してきたんですか?」


「そんなことないですよ、でも、あんまりここら辺うろうろしてなかったから知らない人多いかもしれませんね。」


当たり障りのない会話がしばらく続いた。


彼は名は、花園虹果(はなぞのにじか)。


綺麗な名前だと思った。


話し方は、ものすごく大人びているが、同じ学年の中学生だと言う。嘘だ!と言ったら嘘じゃないよと言っていたにわかには信じられない。


しばらく何気ない話をした。


初めてあったはずなのに、自分達を取り巻く空気は冷たいのに、心の中に暖かさ、心地よさを感じていた。


出会った理由は、あまり良いものではないけれど彼に会えて良かったとも思えた。


本当は問いたかった。でも、臆病な自分は聞くことができない。


「何かあったの?」



「どうして、、」


こんな短い言葉が声に出せない。


何度か聞こうと思った。


思ったけど、彼の目を見ると、それについて触れてはいけないような、これ以上初対面の自分に踏み込まれたくないと訴え掛けているような気がして、怖くなった。


何も触れることなくゆったりと流れる時間を過ごし、そのまま別れを告げた。


彼のことについて知っていること数えるほどしかはない。


彼の名前、雰囲気、別れ際に見せた辛そうな、無理をして微笑む姿がそれが、ずっと頭にこびりついて離れない。

自分の行動に大きな後悔はない。


でも、、でも、原因を聞くことで少しでも彼の辛さを取り除くことが私にできたのならそう思うと怯えていた自分が腹立たしく、情けなかった。


帰り際のさよならの声とともに意識が途切れるーー