「ご無沙汰しております、ルコット様」

 失意のうちに宮廷を追放されたウィダスだが、その凜とした佇まいは、以前と変わらない。
 トレードマークだった近衛隊の黒軍服をやめ、緑のウェストコートにスカーフという貴族の青年らしい装いになっているが、軍務で鍛えられ均整の取れた肉体は少しも変わらない。
 むしろ丁寧に仕立てられた平服を着ることで、軍人が持ちえない洒脱さが加わり、男性としての魅力は増したかもしれない。

「お元気そうで何よりです。子爵になられたのですね?」
「はい。郷里に戻って程なく、父が亡くなりましたので……」
「そうでしたの……お悔やみを申し上げます」
「こちらこそ、陛下が亡くなり大変な時期に出仕できず、申し訳ありません」

 お互いに故人を悼みながらの挨拶が済んだところで、使用人がお茶を運んできた。

「さあ、お掛けください子爵。帝都にはいついらしたのです?」
「つい昨日です」

 ウィダスはソファに腰を下ろしながら答える。すぐに使用人はカップを彼の前に置いた。クロイス家が出資する貿易会社が扱う、南方産の最高級茶葉だ。

「クロイス公爵閣下へご挨拶に伺ったところ、貴方様の護衛を命じられまして」
「まあ、そうでしたの。ありがとうございます」
「生まれるのは未来の皇帝陛下になりうる御子。ご出産には、どのような邪魔が入るかもしれません」

 言葉の外に、彼女の出産を望まないものがいる事を示す。言うまでもなく、皇妃派の連中だ。

「このウィダスが警備につくからにはご安心を。しかしながら……」

 ウィダスは心配するような目でルコットの身体を眺める。

「ご予定は年明けと聞いていますが……その、大変失礼ながら、お身体のご発達が……」
「……ええ。今はそれに悩んでおりますの」

 ルコットは俯き、自分の下腹部を撫でた。

「お医者様が言うには、御子は問題なく育っていると言うのですが、それにしては私のお腹、小さくありませんか? 私の友人の侯爵夫人が妊娠した時はもっと……!」

 ルコットはその友人の臨月の頃の姿を思い出し、言葉を詰まらせた。あの姿と今の自分をどうしても比べ、惨めな気持ちになってしまう。
 そしてあの悪夢だ。
 あの悪夢のように、お腹の中に何も入っていなかったとしたら……と考え、背筋が凍りつく。

「医者が問題ないと言うのであれば御子は大丈夫でしょう。それよりも私は、あなたご自身のことが心配です」
「私自身の……?」
「出産に見合わぬ身体で御子を産めば、体力のほとんどを奪われてしまう。下手すればお命の危険もございましょう」
「そんな……」

 ウィダスの言葉に、目の前が暗くなる。
 もし無事に子を産めたとしても、自分自身が死ぬのであれば、誰がその子を守れると言うのだ?
 父は駄目だ。白百合の間で、ルコットは父の変節を見た。今はこうして、母子の安全のために手を尽くしてくれているが、自分の保身のためなら皇妃やグレアンに平然と孫を差し出すだろう。
 悲しいが父はそう言う男なのだ。

 そして、父が駄目であれば他の宮廷の貴族たちもあてにはならない。私が死んだ時点で、この子の未来は詰んでしまう……。

「大丈夫です、私がいます!」

 ルコットの焦りや不安を全て払うような力強い声で、ウィダスは言った。

「私にしてみれば、あなた様の御子は、亡き友人にしてたった一人の主君が残した子です。命に変えても、あなた方母子をお守りします」
「ウィダス子爵……」
「そしてルコット様。あなた様のご不調は、激しい悲しみと怒りによる、精神的なものでしょう。それらを取り除けば出産にふさわしきお身体になれる事と思います」
「え? それは……どういう事ですの?」
「おりますでしょう? 殺したいほどに憎悪している相手が……」

 その言葉にルコットは、自分の心を見透かされている思いがした。確かにこの青年が訪れる直前、ルコットはあの女の死を強く願っていたのだ。

「ご安心ください。私はかつて、アルディス陛下の命でとある女の命を奪ったことがあります。あなたも同じことを私にお命じになればいい」
「ある女……? 陛下の命……? いったい誰の事です?」

 確かに陛下は彼に、表沙汰にはできない命令を数多く与えてきたという。その中には暗殺も含まれていただろうから、そこに不思議はない。
 けどウィダスの口ぶりに何か引っ掛かるものを覚えた。

 女の暗殺……?

「まさか……」

 そうだ。ルコットは以前も同じようにある女性を強く憎んでいたことがある。陛下の寵愛を欲しいままにし、傲慢にも政治に口を出し、平民のくせして貴族を蔑んでいた。そんな女がいた。
 今にして思えば、グレアンはあの女にそっくりではないか……!

「陛下が私にフィルヴィーユ公爵夫人の暗殺を命じたように、あなた様も私にグレアン侯爵の死をお命じください」

 ウィダスの声は冷たく、鋭い。それこそ暗殺者が使うナイフを、ルコットは連想した。