アルディス3世の葬儀のひと月後、冬の気配が近づいた頃、改装されたばかりのヴィスタネージュ大宮殿大広間にて、晩餐会が行われることとなった。

 所狭しと並べられた長テーブルに座るのは主だった貴族、閣僚、そして皇族の面々。帝都近郊に在住するものだけでなく、自領に戻っている者たちも、葬儀の後ヴィスタネージュに滞在し、この宴席に顔を出すことを求められていた。
 病気などを理由に欠席となった者もいたが、"百合の帝国"の支配階級の大多数が、この大広間に集まっていた。
 服喪中ということもあり、出席者は皆、華美な服装を控えていた。が、それでも最上流階級の面々が一堂に会せば、それなりに華やかな空気になる。
 長らく静まりかえっていた大広間は、久々に"百合の帝国"の宮廷らしい輝きに満ちていた。

「兄上の……陛下の喪も明けぬうちから、このような会を開くなんて……」
「仕方ありませんわ。長年引きこもりだった義姉上はそのあたりのことがよくわかっていないのでしょう」
「この馬鹿げた宴会だって、うかうかしてるとクロイスの女に地位を奪われるから、慌ててやったんだろうさ」
「まったく、あんな世間知らずの"鷲の帝国"の女に帝位を奪われるなんて。いったいこの国はどうなってしまうのでしょう?」
 
 そんな話を、誰にはばかることもなくをするのは、極めて高貴な血をその身体に流す3名であった。
 
 すなわち
 皇子クロンドラン伯レスクード
 皇子エルティール伯アロウス
 皇女ユーリア

 亡きアルディス3世の弟や妹たちだった。
 生前、1人しか子の残せなかったアルディス3世(しかもその1人は、ホムンクルスの影武者によって捏造された偽りの御子である)とは違い、父アルディス2世は4男6女と、多くの子を成した。
 とはいえ、マルフィア大公家を継いだ次弟リアン以外にはほとんど実権を与えられず、第3皇子レスクード、第4皇子アロウスは自領で狩りと美食にふける日々を送り、6人の妹たちは他国の王家や有力貴族に嫁いだ。
 第3皇女ユーリアのみは夫の死別でヴィスタネージュに戻っていたが、今回の後継者争いではほとんど蚊帳の外に置かれていた。

 そんな事情もあるから、新女帝マリアン=ルーヌを見る彼らの視線は辛辣である。

「お前たち、滅多な事を言うもんじゃないよ?」

 周囲の貴族をはらはらさせる放言を止めたのは、彼らより遅れて会場にやってきた兄、リアン大公だった。

「リアン兄様!」
「ご無沙汰しております、兄上」

 兄アルディス3世と折り合い悪く、ヴィスタネージュの宮廷社会でも浮き、ひとり帝都のベルーサ宮で暮らす皇弟リアン。意外にも彼は、弟や妹たちからは慕われていた。
 というより、彼らと仲良くする必要があったのだ。連れ子の噂が絶えないリアンは、いつ寝首をかかれるかわからない立場だった。だから、潜在的な敵になりうる彼らとは、より親密になる必要があったのである。

「お前たちは帝都にいなかったから知らないだろうが、皇妃陛下はあれでなかなか聡明な方さ。我が国を長年悩ませていた"獅子の王国"との戦争が終わったのも、彼女やその腹心たちの功績だからね」
「それは……私たちも聞いていますが……」
「順当にいけば、アルディス兄様の跡を継ぐのはリアン兄様だったはずではありませんか。それなのに兄様を差し置いて皇妃と寵姫が争っていたというのが、私は不満なんです!」
「はは、俺を想って怒ってくれていたのか。ありがとう」

 リアンは朗らかに笑い、妹ユーリアの頭を撫でる。

「けど俺はいいんだ。こんなせせこましい宮廷で書類と謁見者に追われる日々よりも、ベルーサ宮で美女と芸術に囲まれている方が、何倍も輝いて見えるからね。」

 ……それに、とても面白いものを見ることができた。

 リアンは心の中だけで続ける。
 3年前、リュデイスの短剣を携えてベルーサ宮に乗り込んできた少女がいた。彼女は何やら不穏な手で名門伯爵家を乗っ取り、孤立していた皇妃を籠絡し、ついにはその皇妃を女帝の座に据えてしまった。
 その活躍ぶりは実に痛快だった。

「皇妃様が参られたぞ」

 近くの席の誰かが言った。すぐにリアンを含めた周りの席の者たちが、観音開きの大扉を見る。他の席でも似たような事が起き、すぐに大広間のすべての視線が大扉の前に立つ女性に集中した。

 喪服の盲目の女性。彼女こそが"百合の帝国"の新たな君主、マリアン=ルーヌだ。形式上、戴冠式が終わるまでは皇妃ということになっているが実質的にはすでに、女帝である。
 リアンは2年前の新年祝賀会を思い出した。あのとき彼女は欠席しており、皇族専用のあの扉から出てきたのは兄アルディスと宰相クロイス、そしてその娘であり寵姫ルコットだった。
 それが今日はどうだ。盲目の次期女帝に寄り添い、ともに出てきたのはあの娘である。あれから2年で10代の娘とは思えぬ風格を身につけているが、それでもまだ若々しい。一方で、2年前に我が世の春を謳歌していたクロイス公爵は、長テーブルにつき他の貴族たちと共に皇妃を出迎える立場にある。
 この2年で宮廷の主人が入れ替わったのだ。

「皆様ごきげんよう」

 皇妃が、澄んだ高い声を大広間に響かせた。

「陛下のご葬儀から間もないこの時期に晩餐会など、不躾と思われるかもしれません。私がこの会を催したのは、あのお方のため。どうぞ皆様、今宵は陛下のご功績を語らい、偉大な皇帝の名が永遠のものとなるよう胸に刻みつけていただければと思います」

 その挨拶を合図に、給餌が続々と現れ出席者のグラスにワインを注いでいった。

「亡き陛下がお好きな銘柄です。この銘柄は陛下のお生まれ年が当たり年とされております。生前お陛下はこれをよくご愛飲されていました」

 皇妃の隣にいるあの娘、グレアン侯爵アンナが、各席のグラスに満たしていくワインの説明をする。
 今日の晩餐会を差配しているのも、おそらく彼女だろう。彼女は先日、長年空位にあった皇妃家政機関総監(シェランタン・ド・ラ・メゾン・ド・ランペラトリス)に任じられた。
 この極めて仰々しい名前の役職は、皇妃が主催する行事やパーティーを取り仕切る人物に与えられるものだ。その権限はあの宮廷女官長すら上回る。女官長の決定に、唯一Non(拒否権)を突きつけられる役職が、こよ家政機関総監なのだ。
 事実上、宮廷の支配者と言っていい。しかもこれは、あくまで皇妃直属の役職であり、マリアン=ルーヌが正式に女帝に即位した後、彼女の権力がどこまで及ぶかは、リアンにも想像がつかない。

「少し、やり過ぎかな……」
「え、何かおっしゃいましたか兄上?」
「いや、なんでもないさ」

 つぶやきに気づいた弟レスクードに、リアンは答える。

 そう、アンナ・ディ・グレアンはやり過ぎている。
 確かにリアンの望む通り、彼女は宮廷社会を思う存分引っ掻き回してくれた。クロイス派の悔しがる顔を何度も見せてくれたことなど、痛快の一言に尽きる。
 が、彼女から得ている見返りが少なすぎるようにも、近ごろリアンは感じていた。

 そもそも彼女を貴族に取り立てたのはリアンだ。そして、"獅子の王国"との和平にはリアン自身も協力している。
 もしかしたら、皇弟リアンの名を皇妃派の名簿に入れている者もいるかもしれない。

 が、それらの働きに対する正当な見返りを、果たして俺は受け取っているのだろうか?

 例えばリュデイスの短剣だ。元々、アンナはこの剣を一度リアンに譲っており、それを彼女に貸し与える形で預けていたはずだ。
 それを彼女は、リアンに断りもなく皇妃に与えてしまった。今、短剣は近衛連隊長ボールロワ伯爵の手にあり、今後は彼が大元帥として帝国軍10万を指揮することになるという。

 別に、短剣が持つ武の権威を欲しがっていたわけではない。自分では持て余してしまうことはわかっていたし、だからこそアンナに預けていた。
 しかし、あれが皇妃の手に渡ったとなると事情が変わってくる。その気になれば、ヴィスタネージュと折り合いの悪いリアンを逆賊として討伐することも可能なのだ。

「そこが最後のラインだぞ、アンナ。もしお前が俺の領分に踏み入ってくるのであれば、君との友情も終わりだ……」

 芝居好きリアンは一流の役者をこよなく愛する。が、その役者がもし観客に矢を射かけてくるというのであれば、舞台から下ろすしかない。
 
「お前は、良き役者のままでいてくれ……」
「お兄様? 先ほどから独り言が過ぎるように見えますが、どうなさったのです?」

 妹ユーリアが怪訝そうな顔で尋ねてきた。

「いや、なに。上質のワインで、さっそく酔ってしまったらしい」

 リアンはそう言っておどけながら、ルビー色の液体を喉に流し込んだ。この芳香、確かに兄が好きだと言っていたものだ。そしてかつて兄が愛していたあの女性も……。
 かつて義姉上と呼び慕っていたある女性のことを思い浮かべ。そうやってリアンは、胸の奥底にわだかまる不快感を消そうと試みた。