翌日未明、宮内省から皇帝アルディス3世の死が発表された。
 皇妃マリアン=ルーヌの署名付きで出されたこの布告について、宰相クロイス公爵を筆頭とする閣僚たちは何ひとつ知らされておらず、それぞれが自分の邸宅の寝室でこの知らせを受け取ることとやった。
 同時に、皇妃から全閣僚の出頭が命じられ、彼らはヴィスタネージュ大宮殿の会議室である白薔薇の間に参集することとなった。

「これは一体どう言うことか、ベレス伯爵!」

 白薔薇の間に入ると同時に、宰相クロイスは宮内大臣ベレスの顔を見つけ、問い詰めた。

「わ、私にも何がどうなっているのかわかりません!あの布告は皇妃様から宮内次官に直接渡されたようで、私も後から知りました」
「次官を手懐けていなかったと言うことか!?」
「も、も……申し訳ありません!」
「自分の子飼いくらいしっかりと見ておけ」

 言いながら、クロイスは長い会議卓の一番端に腰を下ろした。そこが家臣たちの最上席だ。卓を挟んで反対側には皇妃や皇弟など皇帝の親族のみが座ることを許されている席がある。そして卓の中央が皇帝の専用席だ。

 クロイス公が着席したのを見て、他の閣僚たちも自席に座り始めた。自分たちの盟主の顔色を伺いながら……。
 彼は不機嫌の極みにあった。これまで帝国の重大事は全て自分で決めてきた。それが突如、自分の知らないところで何かが動きだしたのだ。彼にしてみれば、あってはならない事だった。

「そもそもあの布告は……皇帝陛下が亡くなられたというのは本当なのですか?」

 別の閣僚が言った。皇帝の動静の管理についても、宮内大臣ベレス伯爵の担当である。
 
「それについては調べさせておりますが、昨夜狩りに出たまま本殿にお戻りになっていないのは確かなようです」
「狩りに? そのような話、私は聞いていないぞ?」

 クロイス公が口を挟む。

「それが、お忍びでの狩りだったようで、護衛もほとんどつけず、わずかなお供のみで出かけられたと……」
「ちっ……あのお方にも困ったものだ……。で、陛下は北苑に直接向かわれたのか?」
「いえ、侍従の話ですと東苑の皇妃の村里に立ち寄られているとのことでした」
「皇妃の村里だと!? では、あの盲目女が何か企んでいるに決まっているではないか!!」
「さ、宰相閣下……その呼び方は……」
「構わぬ! この帝国を動かしているのは我らクロイス派だ! お飾りの皇妃にしゃしゃり出てこられては困る!」

 皇帝一家の家である宮殿の、それも中枢部で誰にはばかることもなく皇妃を侮辱する。極刑に処されても仕方のない行為だが、それが許されているこの状況こそ、クロイス公爵家が数十年にわたって宮廷を支配してきた証拠であった。

「そもそも、皇妃の村里などというふざけたものをみすみす作らせたのは……女官長、君の落ち度だだ」
「……申し訳ありません」

 押し黙っていた宮廷女官長は、自分の名前を呼ばれてすごすごと頭を下げた。

「言ったはずだ。あの女は危険だから、何もさせるな、と。なのにどうして奴らの拠点を作らせた?」
「面目……ございません。あの女……グレアンに出し抜かれまして……」
「まったく、どいつもこいつも……」

 その時、ドアが開き新たな出席者が現れた。

「お父様……」
「ルコット、身重のお前がなぜここに?」

 下腹部が大きく膨らみ、全体的な身体のラインもひとまわりふっくらとした寵姫ルコットだが、自らを飾り立てる事は忘れていなかった。体型に合わせて新調した豪奢なドレスを着て、これでもかというほど煌びやかなアクセサリーを身体の随所に身につけている。

「私も皇妃に呼ばれたのです。今後のことをしっかりと離したいと……」
「今後のこと? 知れたこと、お前が産む御子が帝位の継承者となり、私が後見人としてお支えする。それ以外の選択肢があるか?」
「で、ですが宰相閣下」

 法務大臣ブラーレ子爵が恐る恐ると手を挙げる。

「御子がお生まれになるのは来年のご予定。もし本当に、陛下が崩御あそばされたとあらば、現時点での継承権は皇妃様か、皇弟マルフィア太公殿下に……」
「私は現実的な話をしておる!」

 クロイスの怒声が白薔薇の間に響き渡った。

「奴らに皇帝が務まるはずがなかろう! それに新帝の戴冠は、先帝の喪が明けてから行うのが通例。数ヶ月の空位など問題にならぬわ! 私は……」

 クロイスの言葉を遮るように、侍従が高らかに宣言した。

「皇妃マリアン=ルーヌ陛下、ご入来です!」

 流石のクロイスたちも居住まいを正す。扉が開き、マリアン=ルーヌが入ってきた。その姿に、一同は思わず息を呑む。

「皇妃様、そのお姿は……!?」

 黒く飾りの少ないドレス。アクセサリーの類は一切つけず、頭にドレスと同じく黒い帽子。そこからはベールが垂れ下がり顔を覆っている。喪服だった。

「皆様には先ほど宮内省より通達を出した通りです。陛下は……我が夫、アルディス3世は昨日、亡くなりました」
「なっ……」
「そんな……」

 場がざわつく。

「うそ……嘘よそんな……」

 とりわけ寵姫ルコットは、顔面を蒼白にして震えている。
 事ここに至るまで、彼女は宮内省から出された訃報を信じていなかったのだ。父か、父の信任を受けた大臣の署名がない発表。そんなもの誤報に決まっている。そう信じ込んでいた。

 どう反応すればいいか決めかねている大臣たちをの横を通り、皇妃は会議卓の上席の方へと歩む。その手を取り彼女の歩みを手助けするのは、グレアン侯爵アンナ。そして、その後ろのは黒と金の軍服の壮年の男。近衛連隊長ボールロワ伯爵だ。
 なぜ彼が皇妃とともにいるのだ? クロイス公たちがそんな疑問を抱いているうちに、皇妃は思いがけぬ行動に出る。

「こ、皇妃様!?」

 彼女が座ったのは、クロイス公の向かい側にある皇妃のための席ではなく、皇帝の専用席だった。ただ一つ、金箔が貼られ宝石に彩られたその席を、グレアン侯爵が当たり前のように引き、皇妃もまた当たり前のように腰掛けた。

「ご自分が何をなさっているかわかっているのでしょうな、皇妃様?」
「もちろんです、クロイス宰相。陛下が亡くなった今、共同統治者であった私にはこの会議をまとめ、さらにはこの国を導く責務があります」
「共同統治者ですと?」

 クロイスは不満顔を隠そうともしなかった。
 確かに帝国法は、皇帝の配偶者を共同統治者と認めている。皇帝が病に伏せるなどして政務を行えない場合、配偶者に国政の決定権が委ねられる。また貴族同様、女性の相続も認められている。
 しかし、それはあくまで建前の話だ。

「失礼ながら、あなた様がこの国を統治してきた事実などありましょうか?」

 長らく自室に引きこもり続け、最近では東苑に人工の村を作りそこで遊び暮らしている女。そんな者が皇帝の代理などと、クロイス公にはとても認められるものではなかった。

「ええ。ずっと陛下やあなたに任せきりでしたものね、言いたいことはよくわかります。ですが、今我が国は存亡の危機に立たされています!」
「存亡の危機?」
「陛下は後継者を定めぬまま、この世を去りました。このままでは後継者を巡って醜い争いが起きます」

 その争いの当事者になるはずであろう皇妃は、まるで他人事のように語る。

「現在、継承権を持つのは皇弟マルフィア大公、そしてこの私。他に皇族の皆様もいますが優先度は下がるでしょう」

 言外に、まだ生まれてもいない赤子に皇帝になる資格はないとほのめかす。この女は、いつの間にこれほどの胆力を身につけたのだと、その場にいる誰もが思った。

「しかし、重要なのはアルディス帝の血を残す事。そしてできうる限り今の体制を維持することです。いずれにしても喪が明けるまでは戴冠式もしてはならぬのがしきたり。ならば御子がお生まれになるまで判断を待っても……」
「ほらクロイス公、すでに醜い争いが始まろうとしているではないですか」
「ぐっ……」

 突き刺すような一言が、クロイスの弁舌を遮る。
 
「困りました。このままいけば私たちは武力を持って争うしかありません。漁夫の利を狙ってリアン大公も立ち上がるでしょう。内乱となれば諸外国も黙ってはいないでしょう。何らかの口実を用意し、軍隊を差し向けてくるかもしれません」
「諸外国……例えば、あなた様の兄君とか、ですかな?」

 クロイス公は皮肉混じりに言ったが、皇妃は否定も肯定もしない。

「誰が攻めてくるにせよ、帝国にとっては危機です。今この場にいる人間だけが、この未曾有の危機を防ぐことができるのです」

 皇妃派とクロイス派で協力し、アルディス3世亡き後の帝国を共同で治めよう。皇妃が言わんとするのはそういう事だ。確かにそれは、正しい理屈のように聞こえる。
 しかし彼女はそれを皇帝専用席に座りながら言う。これでは、クロイス派に黙って従えと言っているのも同然ではないか。

 つけあがるのも大概にしろ。クロイス公はそんな言葉を口に出したくなったが、どうにかしてその衝動を押し留めた。

「失礼ですが皇妃様、あなた様は今少し政治というものを学ばれた方が良い。そこにいるグレアン侯爵に何かを吹き込まれたのかもしれませんが、現実的には……」
「皇妃ではありません! これからは私のことを女帝と呼ぶように」
「な、なんですと!?」
「この国を統治するものは、魔法時代の3つの遺物を受け継ぎます。そのうち、王冠と国璽は1時間以内にここに届けられるでしょう」

 "百合の帝国"統治者の証である「竜退治者の冠」
 皇帝の布告に必ず押印される印章「白百合の国璽」

 これらはいずれも、魔法時代から受け継がれてきたもので、皇帝の権威と政治的な実権を象徴するものだ。

「妄言も大概になされよ!」

 ついにクロイスは叫んだ。

「王冠も国璽も、しかるべき場所に安置され、正式に皇帝と認められるもの以外には動かせぬようになっております。とりわけ、国璽は私がアルディス陛下より託され宰相府に保管されております。あなた様のご命令とはいえ、この場所に集められるなど……」
「クロイス公、あなたはまだわからないのですか? 私がなぜここに、ボールロワ伯爵を伴っているのか?」
「は?」

 宰相クロイスと、彼に従う閣僚たちが一斉に、同じ表情でボールロワ伯爵を見た。
 確かにそこは皆が疑問に思っている。いつも皇妃に付き添っているグレアン伯はともかく、近衛連隊長がどうしてこの場にいるのだ?

「ボールロワ連隊長……いや、ボールロワ()()彼らに見せて差し上げなさい」
「はっ!」

 壮年の軍人は短く答えると、懐から短剣を取り出し掲げてみせた。

「なっ!」
「リュディスの短剣……」

 帝国の統治者の証である3つの遺物のひとつ、軍権の象徴である「リュディスの短剣」がボールロワ伯爵の手に握られていた。

「もうお分かりでしょう? 近衛隊1万は私の指揮下にあります。そして今頃、宰相府を初め政府機関の庁舎を制圧していることでしょう。もちろんこの宮殿にも相応の数の兵士を配置しました」

 クロイス公はついに、自分の足元が揺らいでいることを認めざるをえなかった。
 皇妃はただの思いつきで、クロイス派を集めたわけではなかったのだ。皇帝の死を一時的に隠し、わずか一日で全ての準備を整えたのだ。
 これは皇妃派によるクーデターだ。武力を持って現政権を押さえ、自らが帝位につく。この女たちは最初から話し合いをするつもりなどなかったのだ……。