一方で、クロイス派の動きもここのところ活発だ。皇妃の村落が完成し、そこで派閥形成に力を入れ始めた皇妃はに対する牽制だろう。
 宰相と寵姫、親子二人で国政を牛耳らんとする彼らの武器は、皇妃はのそれよりも直接的でわかりやすかった。

「ついにルコット様のご懐妊が正式に発表されましたな」
「年明けにご出産の予定だとか、実にめでたいことです」
「陛下は長らくお子がおらず、それだけが我が帝国の悩みの種でしたからな」
「もし男児であらせられるならば皇太子ということに! そうなれば宰相閣下は……」

 こんな会話が連日、ヴィスタネージュの本殿で交わされている。
 ルコットの生む赤子が男であれば、クロイス公は未来の皇帝の祖父だ。そうなれば、クロイス派の天下は盤石となるであろう。女児だったとしても、影響力は絶大なものとなる。
 いずれにせよ東苑で農民ごっこなどをして遊んでいる皇妃やグレアン侯爵など、敵ではない。それが彼らの思いだった。

「マルムゼ、父親は本当にアルディスなの?」

 オーバリー夫妻のもてなしが終わり、アンナが自邸に戻ったころには時計の短針は12を越えていた。
 クロイス派が好むような夜通しのダンスパーティーなどに比べれば、皇妃のささやかな食事会は体力的にも精神的にも楽だ。けど、今日のように夜遅くまで話し込む日はいささか疲れが出る。
 アンナは使用人に、風呂を炊くように命じた後、マルムゼの報告を聞いていた。  
 
「少なくとも、寵姫が別の男と接している可能性はなさそうです。この数週間、調査を続けていましたが、その証拠となるようなものは何一つ見つかりませんでした」
「なら、やっぱりホムンクルス(私たち)には生殖能力があるということに……それはまずいわね」

 もしそうなら、せっかく作った皇妃の村里程度では、状況を覆せなくなる。

(でも、本当にそうなのかしら?)

 そんな思いもアンナの中に残っていた。どうしても、ホムンクルスのが生殖能力を持っている、というところが引っかかる。そこまで完璧な存在なのか、私たちは?
 アンナの考えの根拠となるのは、人並みよりは詳しいという程度の錬金術の知識と、自分自身の肉体に対する肌感覚でしかない。錬金工房の再建や研究の再開はまだ先の話だから、今のアンナではこの憶測に結論は出せない。だが、どうしても腑に落ちないのだった。

「ルコットが懐妊したように見せかけるなんらかのトリックがある可能性は?」
「ゼロではないでしょうが……詳しく調べる方法がありません。宮廷女官長を味方に引き込むくらいの離れ技が必要でしょう」
「なら無理ね」

 あの女を取り込むのが最も簡単な方法という時点で、それは不可能を意味していた。

 アンナはため息をつく。そして机の上に置かれた封筒に目を向けた。皇妃の村落にいる間に届けられたものらしい。
 皇帝からの書状であることを示す百合の紋章の封蝋が、艶やかな光沢を放っていた。

「やはり、()()本人に直接聞くしかないか……」

 アンナは封筒をつかむ。その中身は、皇帝自らがアンナに宛てた、狩りの誘いだった。

「皇帝は、皇妃の農村で昼食をとった後、そのまま北苑で狩りを行うそうよ」
「それにアンナ様が随行せよ、と言う事ですね。本当に行かれるのですか?」
「皇帝になりすましているあの男が何を考えているかわからないけれど……私と二人きりで話がしたいと言っているのだから余程のことよね」

 もしかしたら、今まさにアンナが知りたがっているルコットの子供についてのことかもしれない。それならば誘いに乗らない手はないが……。

「ですが、あの男と会うことに抵抗はないのですか」
「もちろんあるわよ。考えるだけでも虫酸が走る……!」

 アンナは思わず両手で自分を抱きしめ、身体を震わせた。アルディスを殺し、彼になりすましてのうのうと生きている男と二人で狩りだなんて、身の毛もよだつほど嫌だ。

「でもね、知りたいのはルコットの子供のことだけじゃない。私自身の家族についてもあの男は何かを知っている……」

 アンナは、ケントの言葉を思い出した。
 エリーナの父タフトを連れていったのは近衛兵の中でも皇帝直属の部隊だったという。ならば彼のことも、マルムゼ=アルディスは知っているかもしれない。

「だから、あえて誘いには乗ることにします」
「本当なら、片時も離れずあなたをお守りしたいのですが……」
「仕方ないわ、向こうが二人でと言ってるんだもの。皇帝が護衛をつけない以上、こちらだけあなたを連れて行くわけにもいかない」

 ふと、そのときアンナにあるいたずら心が芽生えた。いや、正確にはいたずらの体裁をとった、アンナのわがままかもしれない。

「その代わり……」
「は?」

 アンナは両手を突き出すようにマルムゼの前に広げてみせた。

「私の弱さがまた顔を出さないよう、勇気をくれる?」

 そう言ってからニコリと微笑んで見せる。この黒髪の青年に依存したいわけではない。でもなぜだか急にこんな感じで甘えてみたくなったのだ。

「全く、あなたというお人は」

 マルムゼは苦笑しながらも、アンナの突き出した腕と、自らの腕を交差させ、そのまま背中に回して彼女の体を抱き寄せた。
 厚い胸板が眼前に迫り、アンナも彼の背中に腕をまわす。そして、彼の心地の良いぬくもりに自分の身体を埋めた。

「当たり前のようにこんなことが出来るくらい、あなたはしたたかな人ですよ」
「なにそれ、言い方ってものがあるでしょ?」
「褒めているんです。あなたは強い。その強さと勇気を、むしろ私に分けてください。あなた様と離れることに耐えられるように……」

 湯が沸いたことなどすっかり忘れ、アンナは最愛の腹心と、しばらく抱擁を続けていた。