「ホムンクルスに子をなす能力があるか……ですか?」
「ええ」

 ヴィスタネージュ宮殿から屋敷に戻ったアンナは、書斎でマルムゼに訪ねた。

「それは……どういう意図のご質問でしょうか?」

 珍しくマルムゼは答えに躊躇している。サン・ジェルマンのロック機能……と言うわけでもなさそうだが。

「どういうって……」

 腹心のらしくない態度をいぶかしむアンナだが、すぐにその理由を察した。

「ちっ!ちがうわ!! 私たちの話をしているわけじゃないから!」

 慌てて、首と両手の平を左右に振る。頬が火照るのを感じた。
 そう。確かにアンナとマルムゼは、子供ができる可能性がある事をしているのだ。

「安心して、月のものはちゃんと来ているし、私にその兆候はないから……!」
「安心……ですか」

 なぜだかマルムゼが寂しそうな顔をする。それを見て、アンナの心もざわつく。

「ええっと、その……だからそう言う事じゃないんだってば!」

 書斎に不釣り合いな大声になってしまった。使用人が怪しんでなければ良いが。というか、なんでこんな流れになってしまったのだ……。

「違うの。ルコットに懐妊の兆候があるとあの女が……新女官長が言っていたのよ」
「寵姫殿が? ……となると、お相手は皇帝という事に……なるほど、そういう事でしたか」

 皇帝アルディス3世はすでに亡く、ホムンクルスの替え玉が入れ替わっている。その事を知っているのは、帝国でもごくわずか。グリージュス公どころか夜を共にするルコットすら知らないだろう。

「私の知識だけでは、なんとも言えません。私が体感する限り、異能と運動神経の向上以外は、普通の人間と変わらないので、生殖能力を持つ可能性はありますが……」
「人造生命が子孫を成せるとすれば、それはもはや神の領域よね」
「そうです。私もそこが気になります」
「いくらサン・ジェルマンといえども、その境地に到達していたのかしら……?」

 そもそもサン・ジェルマン伯のホムンクルスは未完成なのだ。魂の創造には至らず、エリクサーに溶かし込んだ人間の魂を、空の肉体に馴染ませなければならない。悲劇のエリーナがアンナの肉体を得て復活したのも、この工程があったからこそだ。
 そんな未完成のホムンクルスが、生殖能力を備えていると考えて果たして良いのだろうか……?

「ならば、寵姫や女官長が嘘をついているか、あるいは……」
「寵姫が皇帝以外の男と通じているか……」

 もし寵姫に間男がいるとすれば、大変なスキャンダルだ。帝国の歴史の中には、この罪を犯して立場どころか命まで失った寵姫が数名いる。

(逆にこの話が真実だった場合、危うくなるのはこちら側ね)

 ホムンクルスに生殖能力があったなら、帝国が十数年待ち続けた世継ぎの誕生だ。
 クロイス公の孫が次代の皇帝のなれば、皇妃の立場は一気に悪くなるだろう。どちらに転ぶとしても波乱は必至だ。

「調べる必要があるわね。マルムゼ、お願いできる?」
「かしこまりました」

 今は無用な予断はよしておこう。下手に動けば自滅しかねないナイーブな問題だ。正しい情報がない状態であれこれ考えるのは、自分の首を絞める事になりかねない。

「ところでその女官長なのですが……」

 マルムゼは話題を切り替えた。

「あなた様の上役になったのは、非常に厄介ですな」
「そうね。でも、実はそれほど心配もしていないの」
「と、言いますと?」
「どうせ今だけよ。すぐに私はあの女より上の立場となる」

 アンナの両眼が不適にきらめいた。
 かつて皇妃が、アンナを女官長に指名したいと言ったことがあった。当時の皇妃には政治的な力は皆無で、宮廷の人事に口出しをすることなど不可能だった。
 だが、状況は変わりつつある。長い戦争の集結により、その立役者となった皇妃派の発言権は増してきている。

「あなた様が最終的に権力をお取りになる事については、私は少しも疑っておりません。ですが今、動きづらいのは事実ではありませんか?」
「それはその通りね。大広間の改装をするとなると、皇妃様の館にお金や業者を回すことは難しくなる……」
「皇妃派の拠点を作らせないのが奴らの狙いでしょう」

 かつてフィルヴィーユ派がクロイス派と対抗できたのは、庭園内にあるエリーナの居館や錬金工房を拠点とできたからだ。
 それに、皇妃の身柄を安全なところに置いておきたいという考えもあった。真偽はともかくルコットが懐妊したという話が出てきたのだ。別の後継候補を出さないためにも、彼女の命を奪おうとしてくるかもしれない。

「館の建設は進めます。止めるわけにはいきません」
「ですが、どうやって?」

 大広間改修のための業者や職人を、東苑に回すようなことをすれば、すぐに女官長に気づかれるだろう。それに、工事費用の使途も細かく追及してくるはずだ。

「宮廷家財管理総監」

 アンナは、自らに与えられた役職の名をとなえた。

「この役職に私を据えたことが、奴らの最大の失敗よ」

 第貴族の家に生まれ育った連中からしてみれば、この役職は、宮廷に飾り付け屋くらいの認識しかないだろう。しかし、職人街で生まれて、錬金工房で働き、官僚たちを束ねてきたアンナには全く別の景色が見えていた。

「マルムゼ。あなたにはセコくてチンケな小悪党の真似事をしてもらうことになるけど、いいかしら?」
「ぶっ……」

 アンナが普段使わないような言い回しをした事に、思わずマルムゼは吹き出した。

「ふふふ……いえ失礼。あなた様がそれをお望みならば、セコくもチンケにもなりますよ、私は」

 黒髪の青年は女主人の手を取ると手の甲に自らの唇を当てる。
 女主人は、信頼と愛しさを込めた眼差しで微笑み、それに応えた。