帝都職人街はさびれているどころか、廃墟同然だった。屋根や壁が崩れた家々。失業者と思しき人々が、うずくまる路上。
「どうしてこんなに事に?」
「この辺りは、まだマシな地区です。ここから先は……」
道を曲がれば職人街の中心地区だ。所狭しと工房が立ち並び、その中央には錬金工房があったのだが――
「嘘でしょ」
全て消滅していた。
文字通り、あるはずの建物が消え去り、だだっ広い更地になっている。
馬鹿な。この通りには石工や鍛冶屋が数十軒あった。狭いが活気のある通りで、日中は一日中金槌を叩く音が聞こえていた。
「フィルヴィーユ夫人!」
たまらず馬から飛び降りると、マルムゼが止めるのも聞かずに走り出す。
「ここは彫像工カブラさんの工房。こっちはゲルマじいさんの時計工房」
わずかに残る崩れた壁や、街路の跡から、あったはずの建物を思い浮かべる。
「マルナおばさんの定食屋。お昼時にはみんなここに集まった。あそこのガラス工房は幼なじみのケントが継いだ!」
だが、彼らの存在を示す跡はどこにもない。
「それにここは……ここは……」
エリーナは足を止めた。
「私の家だ!」
父を含めて4代続いたという、錬金術師御用達の金属工房も、跡形もなく消えていた。
「1年前に大火があり、全て焼け落ちました」
馬を引いて付いてきたマルムゼが語る。
「火元は不明。恐らく放火でしょう。ここには貴族専用の劇場が建つそうです」
マルムゼは指差す先には、丸太や石灰袋などの資材が積まれ、作業用と思われる小屋が建っている。ちょうど、錬金工房があった場所だ。
「……職人たちは?」
「官僚や錬金術師と同じです。みな散り散りに」
「どうして?」
職人街の歴史は初代皇帝の時代から続く。数百年、帝都の人々を支え続けてきた街だ。
「帝都の原動力というべき街を再建もせず、劇場を建てる? ありえない!」
「……申し上げにくき事ですが、あなた様の育った街だからです。フィルヴィーユ公爵夫人」
「私が……?」
「"流血寵姫"。これが今のあなたの呼び名であり、世間の評価です。あなたは皇帝を惑わし、横領で私服を肥やし、さらに錬金工房でおぞましい人体実験を行った大悪人として記録されています」
「はあ? 人体実験ですって?」
物資横領の濡れ衣くらいなら我慢できる。けど、そんな冤罪までかけられていたなんて。
改めて貴族派の陰湿さとなりふり構わなさを実感した。
「横領や殺人の中には、貴族たちが犯した罪もあります。ですがフィルヴィーユ夫人の陰謀と説明すれば、全部あなたのせいにできる。それが今の帝国の司法です」
「なんてこと……」
寵姫という立場でありながら政治に首を突っ込んだ。その時点で、敵は無数に現れることは覚悟していた。
けれど、流血寵姫とは……流石に身にこたえる。
エリーナはめまいを覚え、かつて実家の塀だった石材に腰を下ろした。
「……まって」
そこで最悪の可能性に思い至る。
「私の父は? ここにいた金属職人のタフトはどうなりました」
父は、エリーナが宮廷に入った後もここに残り、槌を振るっていた。数年前に再婚し、慎ましくも賑やかな家庭を築いていた。
エリーナも錬金工房の視察に訪れた際には、必ず立ち寄って共に食事をしていた。
「申し訳ありません。お父君も行方不明です。フィルヴィーユ派の官僚が帝都から逃したという噂もありますが……その……」
「かまいません。どんなことでもいいから話して!」
「貴族の手で殺されたとも……流血寵姫を憎む民衆になぶり殺しにされたという話も」
「そう……ですか」
願わくば1つ目の噂にすがりたい。けど状況的に難しいだろう。
ならば2番目か? それならまだマシかもしれない。
3つ目の可能性だけは信じたくない。民衆によるなぶり殺し。街のみんなに愛された父が、私のせいでそんな最期を遂げたのだとしたら……。
「お前ら、今フィルヴィーユの魔女の名を口にしていたなぁ?」
背後から声。
振り返ると、数人の男たちがエリーナとマルムゼを遠巻きに囲んでいた。
「見ない顔が来たから様子を窺っていたんだ。あの魔女の関係者か?」
別の男が言う。その顔に見覚えがあった。ここに住んでいた大工の一人だ。
その格好は二年前と比べ物にならぬほど見すぼらしい。着る物や住む場所に困っている事が、穴だらけの上着から想像できた。
「あなた方は……?」
「あの魔女のせいで仕事も人生も何もかも失った元職人さ」
「この街が焼けた後、仕事を変えることも地方に移ることもできなかった負け犬よ」
「魔女の関係者というなら承知はしねえ」
「そうじゃなくても、ここは俺たちの街だ。見物料は置いてってもらうぜ」
敵意をあらわに、男たちは距離を詰めてきた。手には、かつて彼らの商売道具であっただろう金槌や刃物が握られている。
「よしなさい。その道具はあなた方の誇りだったはず。そんな事に使ってはなりません!」
「うるせえ!」
気丈に彼らと相対するエリーナ。が、男たちがその言葉に耳を貸す様子はない。
「お下がりください」
マルムゼは剣の束に手をかけてエリーナの前に立った。
「あなたは、私が守ります」
「マルムゼ、殺さないで」
「は?」
「お願いです」
エリーナは少し強めの口調で念を押す。
「何ごちゃごちゃ話している!」
ほぼ同時に、男たちが一気に飛びかかってきた。
* * *
「どうしてこんなに事に?」
「この辺りは、まだマシな地区です。ここから先は……」
道を曲がれば職人街の中心地区だ。所狭しと工房が立ち並び、その中央には錬金工房があったのだが――
「嘘でしょ」
全て消滅していた。
文字通り、あるはずの建物が消え去り、だだっ広い更地になっている。
馬鹿な。この通りには石工や鍛冶屋が数十軒あった。狭いが活気のある通りで、日中は一日中金槌を叩く音が聞こえていた。
「フィルヴィーユ夫人!」
たまらず馬から飛び降りると、マルムゼが止めるのも聞かずに走り出す。
「ここは彫像工カブラさんの工房。こっちはゲルマじいさんの時計工房」
わずかに残る崩れた壁や、街路の跡から、あったはずの建物を思い浮かべる。
「マルナおばさんの定食屋。お昼時にはみんなここに集まった。あそこのガラス工房は幼なじみのケントが継いだ!」
だが、彼らの存在を示す跡はどこにもない。
「それにここは……ここは……」
エリーナは足を止めた。
「私の家だ!」
父を含めて4代続いたという、錬金術師御用達の金属工房も、跡形もなく消えていた。
「1年前に大火があり、全て焼け落ちました」
馬を引いて付いてきたマルムゼが語る。
「火元は不明。恐らく放火でしょう。ここには貴族専用の劇場が建つそうです」
マルムゼは指差す先には、丸太や石灰袋などの資材が積まれ、作業用と思われる小屋が建っている。ちょうど、錬金工房があった場所だ。
「……職人たちは?」
「官僚や錬金術師と同じです。みな散り散りに」
「どうして?」
職人街の歴史は初代皇帝の時代から続く。数百年、帝都の人々を支え続けてきた街だ。
「帝都の原動力というべき街を再建もせず、劇場を建てる? ありえない!」
「……申し上げにくき事ですが、あなた様の育った街だからです。フィルヴィーユ公爵夫人」
「私が……?」
「"流血寵姫"。これが今のあなたの呼び名であり、世間の評価です。あなたは皇帝を惑わし、横領で私服を肥やし、さらに錬金工房でおぞましい人体実験を行った大悪人として記録されています」
「はあ? 人体実験ですって?」
物資横領の濡れ衣くらいなら我慢できる。けど、そんな冤罪までかけられていたなんて。
改めて貴族派の陰湿さとなりふり構わなさを実感した。
「横領や殺人の中には、貴族たちが犯した罪もあります。ですがフィルヴィーユ夫人の陰謀と説明すれば、全部あなたのせいにできる。それが今の帝国の司法です」
「なんてこと……」
寵姫という立場でありながら政治に首を突っ込んだ。その時点で、敵は無数に現れることは覚悟していた。
けれど、流血寵姫とは……流石に身にこたえる。
エリーナはめまいを覚え、かつて実家の塀だった石材に腰を下ろした。
「……まって」
そこで最悪の可能性に思い至る。
「私の父は? ここにいた金属職人のタフトはどうなりました」
父は、エリーナが宮廷に入った後もここに残り、槌を振るっていた。数年前に再婚し、慎ましくも賑やかな家庭を築いていた。
エリーナも錬金工房の視察に訪れた際には、必ず立ち寄って共に食事をしていた。
「申し訳ありません。お父君も行方不明です。フィルヴィーユ派の官僚が帝都から逃したという噂もありますが……その……」
「かまいません。どんなことでもいいから話して!」
「貴族の手で殺されたとも……流血寵姫を憎む民衆になぶり殺しにされたという話も」
「そう……ですか」
願わくば1つ目の噂にすがりたい。けど状況的に難しいだろう。
ならば2番目か? それならまだマシかもしれない。
3つ目の可能性だけは信じたくない。民衆によるなぶり殺し。街のみんなに愛された父が、私のせいでそんな最期を遂げたのだとしたら……。
「お前ら、今フィルヴィーユの魔女の名を口にしていたなぁ?」
背後から声。
振り返ると、数人の男たちがエリーナとマルムゼを遠巻きに囲んでいた。
「見ない顔が来たから様子を窺っていたんだ。あの魔女の関係者か?」
別の男が言う。その顔に見覚えがあった。ここに住んでいた大工の一人だ。
その格好は二年前と比べ物にならぬほど見すぼらしい。着る物や住む場所に困っている事が、穴だらけの上着から想像できた。
「あなた方は……?」
「あの魔女のせいで仕事も人生も何もかも失った元職人さ」
「この街が焼けた後、仕事を変えることも地方に移ることもできなかった負け犬よ」
「魔女の関係者というなら承知はしねえ」
「そうじゃなくても、ここは俺たちの街だ。見物料は置いてってもらうぜ」
敵意をあらわに、男たちは距離を詰めてきた。手には、かつて彼らの商売道具であっただろう金槌や刃物が握られている。
「よしなさい。その道具はあなた方の誇りだったはず。そんな事に使ってはなりません!」
「うるせえ!」
気丈に彼らと相対するエリーナ。が、男たちがその言葉に耳を貸す様子はない。
「お下がりください」
マルムゼは剣の束に手をかけてエリーナの前に立った。
「あなたは、私が守ります」
「マルムゼ、殺さないで」
「は?」
「お願いです」
エリーナは少し強めの口調で念を押す。
「何ごちゃごちゃ話している!」
ほぼ同時に、男たちが一気に飛びかかってきた。
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