1日前。ヴィスタネージュ宮殿・ゼフィリアス2世の客室にて。

 「グレアン伯!」

 ゼフィリアス2世は思わず立ち上がった。
 マルムゼ=アルディスなるホムンクルスの男の話を聞いている最中、突然気を失ったのだ。

「アンナ様!」

 伯爵の腹心であるホムンクルスの青年が、くずおれる彼女の身体を抱き止めていた。

「しっかり、しっかりなさって下さい!」

 反応はない。極度の緊張とショックで失神したようだ。

「おやおや、これから真実をお話しすると言うところだったのに……」

 うすら笑みを浮かべて、マルムゼ=アルディスはくたりと力の抜けたグレアン伯の身体を眺めていた。その時の表情に、グレアン伯以外の者全員が、このホムンクルスに悪感情を抱いた。

「君は、伯爵を屋敷まで送りたまえ」

 ゼフィリアス帝は、アンナの腹心にそう声をかけた。

「よろしいのですか? ここから先は、是非とも伯爵に聞いて欲しい話なのですが……?」
「今日の条約締結にむけて、疲れも溜まっていたのだろう。今日はゆっくり休ませるといい」

 マルムゼ=アルディスの言葉を無視し、皇帝は続ける。

「しかし……」
「大丈夫だ」

 ここでようやくゼフィリアスは、マルムゼ=アルディスの顔を睨みつけた。

「この者の話は、余が責任を持って全て聞き出す」
「わかりました。よろしくお願いいたします、陛下」

 深々と頭を下げると、彼はグレアン伯の抱き抱え、隠し通路の奥へと姿を消していった。

「さて……」

 ゼフィリアスはマルムゼ=アルディスの真正面に座り直した。温厚な人物と知られ、普段滅多に悪感情を表に出さない青年皇帝が、あふれる怒気を隠そうともしていなかった。

「とんでもないことを言い出したな、マルムゼ=アルディスとやら。今更、戯れ事でした……では許されぬぞ?」
「ご安心を。私は至って真面目です、陛下」
「では聞こう。アルディス3世陛下は、4年前の会戦の折に亡くなったというが……まさか自然死ではあるまいな?」
「ええ、そうですね」
「では戦死か?」
「お亡くなりになられたのは開戦の直前で、実際に指揮を取ったのはこの私です。その前の小競り合いも含め、あの時アルディス帝は敵兵と一度も対峙していません。それと念のため……事故死でもありませんよ?」
「では……」

 ゼフィリアスは顔をしかめる。そうなれば死因は一つしかない。

「そう、暗殺です。ですが犯人が誰かまではお答えできませんので、お許しを」
「ふん。例のロック機能とやらか?」
「いいえ。国益の問題です。まさか"鷲の帝国"の皇帝陛下に、我が国の暗部を全て晒すわけにも参りませんので」
「道理だな」

 だが、それでも手応えはあった。この言い方ならば、アルディス帝を殺したのは、"百合の帝国"内部の人間ということになる。少なくとも"獅子の王国"が、会戦前に敵将に刺客を送った、というわけではなさそうだ。

「では質問の方向性を変えよう。お前はさっきから国家機密級のことをベラベラ喋っているが、お前の主人はそれを許しているのか?」

 たとえ、サン・ジェルマンが仕掛けた暗示に引っかかっていなかったとしても、皇帝暗殺に関わる陰謀家たちにとっては隠しておきたい真実のはずだ。なのに、どうしてこの男はこれほど自由にそれを話しているのか?

「いえ、我が主人は知らないでしょう。そもそもここにいること自体、私自らの意思ですから」
「それはまた、ずいぶんと迂闊な主人だな。お前にそこまで好き勝手させていると言うのか」
「主人が私に下した命令は3つしかありませんので」
「3つ?」
「そう。まず、2つの命令がありました。『亡きアルディスに代わり皇帝を演じろ』と『クロイス公の望みは全て叶えよ』です」

 なるほど、この影武者に変わってから、"百合の帝国"の方針が転換したのはそう言うことか。改革を志す官僚集団……いわゆるフィルヴィーユ派が一掃され、クロイス公の中心とした守旧派勢力が政権を握った。その理由は、このホムンクルスに与えられた二つの命令だったと言うわけだ。
 ならば、皇帝暗殺の実行犯はクロイス派か……?

「そして皇帝に成り代わってより3年後、3つ目の命令『皇妃との関係を深めよ』がありました。また、最近2つ目の命令が変更となりました。『クロイス派と皇妃派を競わせよ』と。これらを守っている限り、主人はそれ以上の私の行動に干渉しません」
「競わせよ……か」

 ならば、この男の後ろにいるのはクロイスではない……別の何者かが"百合の帝国"を操っているのか?

「滑稽でしょう?」

 うすら笑い顔に貼り付けたまま、マルムゼ=アルディスはゼフィリアスに問いかけた。

「表向き、この国の頂点であるはずの皇帝はすでにこの世にいない。影武者はクロイス公の言いなりになったかと思えば、対抗勢力の肩を持とうとしたりする。しかも、それは影武者自身の意志ではなく、操る者がいる。そしてさらにその裏には、サン・ジェルマン伯……一体権力って何なんでしょうね……?」
「……その問いを、余にするか?」

 "鷲の帝国"の最高権力者は、憮然としながら言った。

「はははっ、これは失礼を。まぁ、このような有り様でして、私がこの部屋を訪れた理由もそこにあるのです」
「どう言うことだ?」
「私自身、生みの親たるサン・ジェルマン伯のことをよく知らぬのです。なぜ彼は私を作り、これほど空虚な皇帝という地位をお与えになったのか? 私の同族を飼う、あなた方と話せばいくらかでもヒントを得られるのではと思ったのですがね……」
「……先ほども申した通り、余とてサン・ジェルマン伯のことは、ほとんど知らぬ。お前の悩みを解消してやることはできんな」
「そうですか。それは残念です……ならばどうでしょう? 彼の素性を探るべく、私と陛下で共同戦線を張ると言うのは……」
「断る」

 力強い声音で、ゼフィリアスは拒絶した。

「申し訳ないが私はお前を信用できない。それに残念ながら、私はお前のことが嫌いだ」
「左様でございますか」
「もちろん、個人的な好悪を政治に持ち込むことはしないから、帰国との友好関係は続けさせていただくが……この分野に関しては各々で進めていく方が良いだろう」
「なるほど。そうかもしれませんな……」

 相変わらずマルムゼ=アルディスはうすら笑いを止めようともしない。

「さて、もうだいぶ時間が経つ。そろそろ部屋に戻るべきではないかな、アルディス陛下」
「確かに。それではまた今夜、祝賀パーティーでお会いしましょう」

  * * *