翌日、ヴィスタネージュ大宮殿。
「アザミの間」と呼ばれる部屋で、ゼフィリアス2世とラルガ侯爵の面会は行われた。もともと下級貴族の待機所として使われる小さな部屋だ。クロイス派による盗聴の仕掛けなども無いだろうが、念のため両隣の部屋にはラルガ侯爵の私兵を忍ばせている。
ゼフィリアス帝の護衛は1人だけ。フード付きの赤マントを身につけた女性。マルムゼと同じ顔をもつホムンクルス、ゼーゲンだ。彼女は目の周りを覆う仮面をつけていた。宮廷に同じ顔を持つ者がいると分かったからなのかもしれない。
その画面の奥の瞳が、アンナの自然と交差する。すると彼女は、ついと視線を逸らした。当たり前と会えば当たり前だが、彼女にはあまり好かれていないらしい。
「久しいな、ラルガ。そなたに教えられた狩りだが、あれから私も腕を上げたぞ!」
「お久しゅうございます、陛下。もう二十年近くなりますか。あの日の事は、今でも昨日のことのように思い出せますぞ」
形ばかりの儀礼でなく、皇帝はラルガとの再開を心から懐かしんでいる様子だ。その嬉しそうな表情には、彼の誠実な人柄がにじみでているようだった。
寵姫に数多くの愛の言葉を囁きながら、彼女を平然と切り捨て毒を持ったどこかの国の皇帝とは大違いだ。
「グレアン伯、このような場を儲けてくれた事、誠に感謝する」
皇帝はアンナに向き直って言った。
「そのようなお言葉をいただき、大変光栄にございます」
アンナは深々と頭を下げた。
「たが、それ以上に尋ねたい事がある。わかっておろうな?」
「……ええ」
さっそく本題だ。公式日程によれば昨日の昼間に、皇妃との兄妹対面の場が設けられていたはずだ。その事だろう。
「先日、モン・シュレスでそなたは、我が妹の姿を見せてくれたな」
「はい」
「だが昨日、余が会った皇妃は別人であった」
その言葉を聞いたラルガが、額の汗をハンカチで拭っている。様々な修羅場を切り抜けたこの老貴族も、流石に緊張しているようだ。
「確かに幼き頃の妹に似ている顔立ちではあったが、そなたにアレを見せられた今ならわかる。私が会ったのは影武者だ」
ゼフィリアス2世の顔もこわばっている。妹の偽物に会わせられたという個人としての憤りと、自分の言動ひとつで両国の平和が失われるという君主としての責任。それが複雑に入り乱れた顔だ。
「以前より妹については、あまり愉快でない噂があった。兄としてはとても信じたくはない噂だ」
"百合の帝国"に嫁いだ直後、貴族の陰謀に巻き込まれて失明した。本来ならその時点で両国の同盟が解消されてもおかしくない不祥事だ。
「まさかあの噂は本当なのか? そしてそなたは"百合の帝国"はそれを取り繕うために、私を偽物の皇妃と会わせたのか?」
アンナの返答次第で両国の命運が決まる。まさしくそんな局面だ。
エリーナ時代にも、皇帝の代理人として、あるいは改革派の政治家として、他国との代表者と会ったことはある。たが、その時でもここまで国の命運を背負ったことはなかったかもしれない。
「まずは陛下のお心を乱した事、謝罪いたします。そして、このあと多くの釈明が必要となる事をお許しください」
「釈明だと? それでは……」
ゼフィリアス帝の声がわずかに震えた。
「ですがその前に、陛下に合わせたきお方がおります。マルムゼ!」
アンナがその場にいないはずの腹心の名を呼ぶ。すると、壁の一部がぐるりと回転し、四角い穴が現れた。
「まさか……」
穴から、マルムゼが一人の貴婦人を伴って現れる。
「その声、お兄様ですか……」
「マリアンか……?」
このアザミの間は数十年ほど前、別の用途で使われていた時期がある。
当時の皇妃が、愛人関係となっていた若手官僚との逢瀬に使用されていたのだ。彼女は、皇妃の私室から直通の隠し通路を作っていた。一方、その官僚はこの部屋を仮眠室として利用することを皇帝に願い出ており、1台のベッドが置かれていた。
ベッドの本当の用途を知った皇帝は激怒し、その官僚を一兵卒として前線に送り込んだという。その後、皇妃も離縁を言い渡され、隠し通路はエリーナが調査するまで長らく忘れ去られていた。そして今日、再び皇妃のために使用されたのだ。
「皇妃様、お手を……」
アンナが手を差し出すと、皇妃マリアン=ルーヌはそれを握り返してきた。異能を発動させる。”感覚共有”の異能で、光を失った皇妃の両目に兄の姿を映し出す。
「お兄様!」
アンナに手をとられた皇妃が、ゼフィリアスに近づく。ゼフィリアスは、両手を大きく開き彼女の体を抱きかかえた。
「我が妹よ、ようやく会えた……!」
「お久しぶりです! 私も、会いとうございました……!」
ゼフィリアスの腕にさえぎられ、アンナの手が離れてしまったが、ここまでくればもう関係ない。姿は見えなくとも、すぐそばに血を分けた兄がいる。
マリアン=ルーヌがこの国に嫁いで以来、10年ぶりの再会だった。
「アザミの間」と呼ばれる部屋で、ゼフィリアス2世とラルガ侯爵の面会は行われた。もともと下級貴族の待機所として使われる小さな部屋だ。クロイス派による盗聴の仕掛けなども無いだろうが、念のため両隣の部屋にはラルガ侯爵の私兵を忍ばせている。
ゼフィリアス帝の護衛は1人だけ。フード付きの赤マントを身につけた女性。マルムゼと同じ顔をもつホムンクルス、ゼーゲンだ。彼女は目の周りを覆う仮面をつけていた。宮廷に同じ顔を持つ者がいると分かったからなのかもしれない。
その画面の奥の瞳が、アンナの自然と交差する。すると彼女は、ついと視線を逸らした。当たり前と会えば当たり前だが、彼女にはあまり好かれていないらしい。
「久しいな、ラルガ。そなたに教えられた狩りだが、あれから私も腕を上げたぞ!」
「お久しゅうございます、陛下。もう二十年近くなりますか。あの日の事は、今でも昨日のことのように思い出せますぞ」
形ばかりの儀礼でなく、皇帝はラルガとの再開を心から懐かしんでいる様子だ。その嬉しそうな表情には、彼の誠実な人柄がにじみでているようだった。
寵姫に数多くの愛の言葉を囁きながら、彼女を平然と切り捨て毒を持ったどこかの国の皇帝とは大違いだ。
「グレアン伯、このような場を儲けてくれた事、誠に感謝する」
皇帝はアンナに向き直って言った。
「そのようなお言葉をいただき、大変光栄にございます」
アンナは深々と頭を下げた。
「たが、それ以上に尋ねたい事がある。わかっておろうな?」
「……ええ」
さっそく本題だ。公式日程によれば昨日の昼間に、皇妃との兄妹対面の場が設けられていたはずだ。その事だろう。
「先日、モン・シュレスでそなたは、我が妹の姿を見せてくれたな」
「はい」
「だが昨日、余が会った皇妃は別人であった」
その言葉を聞いたラルガが、額の汗をハンカチで拭っている。様々な修羅場を切り抜けたこの老貴族も、流石に緊張しているようだ。
「確かに幼き頃の妹に似ている顔立ちではあったが、そなたにアレを見せられた今ならわかる。私が会ったのは影武者だ」
ゼフィリアス2世の顔もこわばっている。妹の偽物に会わせられたという個人としての憤りと、自分の言動ひとつで両国の平和が失われるという君主としての責任。それが複雑に入り乱れた顔だ。
「以前より妹については、あまり愉快でない噂があった。兄としてはとても信じたくはない噂だ」
"百合の帝国"に嫁いだ直後、貴族の陰謀に巻き込まれて失明した。本来ならその時点で両国の同盟が解消されてもおかしくない不祥事だ。
「まさかあの噂は本当なのか? そしてそなたは"百合の帝国"はそれを取り繕うために、私を偽物の皇妃と会わせたのか?」
アンナの返答次第で両国の命運が決まる。まさしくそんな局面だ。
エリーナ時代にも、皇帝の代理人として、あるいは改革派の政治家として、他国との代表者と会ったことはある。たが、その時でもここまで国の命運を背負ったことはなかったかもしれない。
「まずは陛下のお心を乱した事、謝罪いたします。そして、このあと多くの釈明が必要となる事をお許しください」
「釈明だと? それでは……」
ゼフィリアス帝の声がわずかに震えた。
「ですがその前に、陛下に合わせたきお方がおります。マルムゼ!」
アンナがその場にいないはずの腹心の名を呼ぶ。すると、壁の一部がぐるりと回転し、四角い穴が現れた。
「まさか……」
穴から、マルムゼが一人の貴婦人を伴って現れる。
「その声、お兄様ですか……」
「マリアンか……?」
このアザミの間は数十年ほど前、別の用途で使われていた時期がある。
当時の皇妃が、愛人関係となっていた若手官僚との逢瀬に使用されていたのだ。彼女は、皇妃の私室から直通の隠し通路を作っていた。一方、その官僚はこの部屋を仮眠室として利用することを皇帝に願い出ており、1台のベッドが置かれていた。
ベッドの本当の用途を知った皇帝は激怒し、その官僚を一兵卒として前線に送り込んだという。その後、皇妃も離縁を言い渡され、隠し通路はエリーナが調査するまで長らく忘れ去られていた。そして今日、再び皇妃のために使用されたのだ。
「皇妃様、お手を……」
アンナが手を差し出すと、皇妃マリアン=ルーヌはそれを握り返してきた。異能を発動させる。”感覚共有”の異能で、光を失った皇妃の両目に兄の姿を映し出す。
「お兄様!」
アンナに手をとられた皇妃が、ゼフィリアスに近づく。ゼフィリアスは、両手を大きく開き彼女の体を抱きかかえた。
「我が妹よ、ようやく会えた……!」
「お久しぶりです! 私も、会いとうございました……!」
ゼフィリアスの腕にさえぎられ、アンナの手が離れてしまったが、ここまでくればもう関係ない。姿は見えなくとも、すぐそばに血を分けた兄がいる。
マリアン=ルーヌがこの国に嫁いで以来、10年ぶりの再会だった。